お金貯めて三日泊まるのが夏休み
週刊誌読んでやって来れば数珠繋ぎ
冷めたスープ放り投げるように飲まされて
二段ベッドでもあたいの夏休み
Summer Vacation  あたいのために
Summer Vacation  夏 翻れ

—中島みゆき「あたいの夏休み」

2010年8月30日月曜日

ωππ


秋学期が始まって一週間が経過した。学校生活についてはまた改めて書くことがたくさんあるのだけれども、今日はとりあえず別の話。

この時期のアメリカの大学というのは日本の大学の4月に相当するわけで、とにかく学部生達がきゃぴきゃぴしている。しかもわたしの通っているLSUというのはなんというかな、昔は全米で10本の指に入るパーティ・カレッジだったらしく、いまなおその華やかなる面影をどこか残している。男女ともに目に優しい。アメリカに来る前、お洋服をパッキングしようとしていたら「そんな服を着る機会はまずない、基本的にみんな寝間着だから」「スカートなんて履いてようものなら犯される」といろいろな人にアドバイスをもらったのだが、ところがどっこい、LSUの学生はけっこうイケイケなのであった。特に黒人女子はスーパーイケイケ。原色のワンピを身にまといキャンパスを闊歩してたりする。ひゅうひゅう。

とはいえ、女子学生の6割くらいはTシャツに短パン(ただし半ケツしそうな丈…なのだがアメリカ人はケツがかなり高い位置についているので半ケツはしません)にビーサン(アメリカではflip-flopと呼ぶ)が基本なのだけれども、最近どうもそのTシャツに異変がある。みんなの胸にギリシャ文字が並んでいる。φμとかκδとか。なにごとだ、Abercrombieはどうした。

友人に話を聞いてわかったのだが、どうやらこれはソロリティというものらしい。なんと、ソロリティ。池田理代子の隠れた名作『おにいさまへ…』(必読)は青蘭学園高等部の女子連が一ノ宮蕗子さま率いるソロリティという見目麗しく血統正しい女子しか入れないグループに入るためにしのぎを削る、というような設定の漫画で、これがまたBSでアニメ化されたりしたのだ、わたしが小学校のとき。花のサンジュストさまとか薫の君とか、ああああもう懐かしい。それはまぁとにかく、だからわたしはソロリティというのは池田理代子的な世界にしか存在しないものだと思っていたのだけれど、アメリカにちゃんと実在していたのですね。

ソロリティというのはその男子部門、フラタニティとともに全米的な活動として多くの大学に存在しているそうで、たとえばφμはLSUだけじゃなくていろんな学校にあり、メンバー同士全米的に交流があって、就職活動のときなんかにも有利になったりするらしい。グループのメンバーは3、4年生くらいになると(これはLSUだけなのかもしれないけど、よくわからない)ソロリティ・ハウスみたいなところでみんなで暮らすそうな。ちなみにLSUのUniversity Lake のまわりには確かにギリシャ文字を掲げた白亜の邸宅が並んでいる。もちろんソロリティに入るためにはセレクションがあり、「ラッシュ」と呼ばれる時期にはワナビーソロリティたちが群をなして自分に合うソロリティを探す。ドレス審査やインタビューなどもあるということ。いやいやおつかれさま。

グループごとにいろいろ特色はあり、基本的にはお金持ちの白人子女たちの集まりらしいのだけど、すごく真面目にボランティアをやってるグループや、マイノリティグループのソロリティなどというのもあるそうな。まぁしかしやはり「ソロリティ」という響きは「イベサー」「テニサー」に近いようで(実際フラタニティの中にはなかなかスーフリ的なものもあるらしくて、ある種のフラタニティ・ハウスの中にはmattress roomと呼ばれる部屋があったりもするとのこと)、アメリカにも存在するサブカル系男女には煙たがられている。いずこも同じ秋の夕暮れである。

だからどうしたというわけでもないのだが、ここは南部も南部、深南部ということもあって、こうした社交がやはりかなり盛んなのだ。二言目にはPolitically Correctがどうした、という時代なのにまぁほんとに普通にPlantationという名前を堂々と冠したアパートなんかもざらだし、なんかこれはこれでカルチャーショックである。"Out of league"というフレーズが英語にはあるのだが、これは例えばnerdyな少年がチアリーダー/ソロリティ的な女子に恋をしたりするような状況を表すもので、しかしこういう表現がかなりの市民権を得てフレーズとして確立されているのを見ると、アメリカのteeagerおよび大学生の中には確固たる異性愛恋愛市場のヒエラルキーがあるのだな、と感じるわけだったりする。それは一種のカーストのようなもので、こと高校生の中では異カースト間のロマンスというのはほとんど成立しないと言うアメリカ人もいる。それを聞いたときはそんなの日本だって似たようなもんじゃないかね、と思ったりもしたのだけれど、いざこっちに来てソロリティ/フラタニティ的ないわゆる「メジャー」なものに対する価値付けの異様な高さ(素直さ)を目の当たりにすると、日本はそういう意味では恋愛市場に流動性があるのだなと感じる。やっぱり日本だと「へー、ソロリティ。そりゃまた。」というしらけた感じがあるものね。

ちなみにタイトルのωππは友人がソロリティについてわたしに説明する時に考えたグループ名である。読み方はもちろん「おめがぱいぱい」。おにいさま、なみだが、止まりません…