お金貯めて三日泊まるのが夏休み
週刊誌読んでやって来れば数珠繋ぎ
冷めたスープ放り投げるように飲まされて
二段ベッドでもあたいの夏休み
Summer Vacation  あたいのために
Summer Vacation  夏 翻れ

—中島みゆき「あたいの夏休み」

2011年4月21日木曜日

Orange Beach, Alabama

情けない話だが3月11日以来、すこし体調を崩した。ちょうど10ページとはいえミッドタームペーパーの締め切りに追われていた夜中、なんとなくfacebookを見ていたら、知人が「ものすごい揺れだったけどわたしは大丈夫」という書き込みをしていたので、まさかと思ってニュースをチェックし、慌てて実家に電話をかけたが繋がらず、家族の安否が不明なままいたずらに不安ばかりが募った。幸い6時間以内に連絡がついたので明け方にはベッドに入ることができたがやはりまんじりともせず、翌朝、彼から電話があり、事の次第を淡々と話していたらふとした瞬間に堰を切ったように感情が暴走しだし、その日は中毒のようにニュースをチェックする以外何もできず、かといって締め切りは刻一刻と迫ってきていたので結局全く眠らずにペーパーを仕上げ、ニコレットのかみすぎで食欲は皆無、そんなわけで当たり前のように発熱してしばらくはまったく使い物にならなかった。

アメリカは基本的にトラウマ大国なのでこうした心身症的症状には理解が深く、ゆっくり休みなさいと言われたが休んでいれば休んでいるで、対岸の火事としての悲劇を貪っているような罪悪感に見舞われ、日本人の少ない南部なので電話やテレビで取材をさせてほしいと言われるたびにアメリカの報道のセンセーショナリズムを思い出して知るか阿呆と憤りつつ断ったら断ったで自分の国のために立ち上がらないのかと問われ、周囲の付け焼き刃的ナショナリズム・チャリティの精神にうまく乗ることもできず、かといってそんな自分にも腹がたち、レッドクロスになけなしの金を募金したり、それでもチャリティTシャツは買ったりして、心情的には勝手にひとりで忙しかった。

「離れているだけに辛いこともある」とも言うことはできるだろう。日本にいれば周囲の状況がもっとよく把握できるから、こんなに不安になることもないと。実際わたしの家族は元気にしていて、買い占めなんてそんなアホなこと23区で停電もないのにしませんよ、おばあちゃんはこういう危機的状況になるとテンションがあがるからいつもより元気よ、放射能は心配だけど、そうね、時間はかかるけど、心配してもどうにもならないからね、かわいそうにそっちで状況がよくわからなくていろいろ不安なんでしょ、はやく元気になんなさい、と笑顔で言う。どこかにこの、松尾スズキ的に言えばぬるい地獄をそうやって慰めてくれる人がいることはほんとうにありがたいけれど、それでも「離れているだけに辛い」などとは口が裂けても言うまいと、そう思ったし、いまでもそう思っている。

が、そんな風に悲壮な決意で地震についてなにか口にするのをやめたところで、八方塞がりというか、なんとも気持ちのやり場がなく、かといってこのブログになにかを綴る気にもなれず、言葉を失うというのはこういうことかと、唯一日本語でだらだら書ける場所があることのありがたさをなんとなく遠いものとして感じながらこのひと月を過ごした。大学は相変わらず冗談のように忙しく(タックス関係とか事務手続きとか、異様にペーパーワークが多かった)、そろそろセメスターも終わりに近づき20ページのペーパー3本を3週間で書くといういつもの無茶ぶりが近づいてきた先週末、ようやく待望のスプリングブレークという一週間の春休みが始まった。あまりにしょぼくれていたわたしを見かねて、彼の友人(地元出身)が両親がアラバマのオレンジビーチというところにビーチハウスを持ってるから、ちょっと休みに行こうよ、と誘ってくれたので、4人と1匹(彼の犬)で2泊3日で海に行ってきた。

Orange BeachというのはBaton Rougeからだいたい車で4時間半くらいのところにあるリゾート地で、去年BPのoil spillで有名になったGulf、メキシコ湾に面した海岸である。多くの白浜が石油でドロドロになったという話を聞いていたから、大丈夫なのかなぁ、と思っていたら、写真のとおりさらさらでゴミひとつない鳴き砂(ちなみに英語ではsinging sandというそうだ)だった。Oysterはなかったけど、新鮮で身のぷりぷりしたシュリンプをたくさんかって、コンドミニアムのキッチンでみんなで料理をして食べた。カヤックに乗って沖まで出た。Geekな友人は大きな大きな双眼鏡をもって、コンドのバルコニーからビキニのブロンド娘のお尻を眺めて、これくらいの距離がちょうどいい、とひとりごちていた。夜にはその双眼鏡でOrange Beachの名の由来でもある、昇りはじめの橙色の満月を見た。夜の砂浜は冷たくて、上空に昇りきった月は銀色で、Gulfも一部が銀色に光っていた。それだけで隣のひとの顔がはっきり見えるくらい明るかった。Kate ChopinのThe Awakeningで主人公のEdna Pontellierという女の人が、Gulfの声はseductiveで孤独な魂を呼ぶといって、最後には入水自殺をするのだけど、ずっとなにいってんだくさいな、くらいにしか思ってなかったのだが、初めて意味がわかった。Gulfの再生をみて、きっとなんとかなると思った。たくさん持って行った本はもちろん読めなかった。それからアラバマはルイジアナより南部で、でかい白人のおっさん(彼はわたしよりだいぶ年上である)とアジア人の短いスカートの女が手をつないで歩いていると、明らかに娼婦を見る目で見られる瞬間がけっこう本気であった。街のほとんどが白人で、スーパーにいた白人の子供にとってはわたしが初めてのアジア人だったのだろう、とことこと寄ってきて珍しげにしげしげとわたしの顔を見ていた。ちょっとおどかしてやった。

だから、あと3週間がんばれる。その後はきっと日本に帰る。帰って大事な人たちに大変だったね、と言う。