お金貯めて三日泊まるのが夏休み
週刊誌読んでやって来れば数珠繋ぎ
冷めたスープ放り投げるように飲まされて
二段ベッドでもあたいの夏休み
Summer Vacation  あたいのために
Summer Vacation  夏 翻れ

—中島みゆき「あたいの夏休み」

2012年2月21日火曜日

Mardi Gras

なにがどうなってこうなったのだか我ながらため息とともに呆れるほかないのだが前のエントリーから半年以上が過ぎていた。

ロスから日本に帰って三週間の滞在の後にはBaton Rouge、また一週間後にPJのいるNew MexicoのAlbuquerqueとSanta Fe (そうです宮沢りえのです)に二週間ほど行き、Baton Rougeに戻ったころにはわたしの夏休みは怒濤のようにすぎていて、気づけば始まっていた秋学期は初めてのティーチングやらHoustonでの学会発表やらに戸惑いながらもなんとか無事に終わり、ようやく迎えた冬休みにはPJの家族に会いにMinnesotaに行き、そしてその一週間後には両親がBCS Championship game当日の狂乱のNew Orleansにやってきて、息つく間もなくまた春学期が始まり、なんだかんだでかれこれ一ヶ月がたつ。どこかへ行けばああこれはほんとうにおもしろいから記録しておきたいと思いつつ元来の筆無精をのさばらせた半年間だったわけだが、しかしついにそれを打ち破る破壊力を持っていたのがMardi Grasである。

プロテスタントの多い南部(通称バイブルベルト)にあって、スペインとフランス統治の長かったLouisianaはほぼ唯一カソリック文化がいまだに根強い州であるわけだが、Mardi Gras はフランス系移民のカソリック達が大陸からもちこんだカーニバルである。罪深い日々を清めるためのLent (四旬節)が始まるAsh Wednesdayと呼ばれる水曜日の直前の火曜日をMardi Gras (肥沃な火曜日、Fat Tuesday)と呼び、翌日から始まる節制の日々を目の前に飲めや歌えやの大騒ぎをしようというのがコンセプトのこの日は、New OrleansはもちろんLouisiana中が祝日となる(もちろん学校もお休みである)。しかしそもそも、明日から悔い改めの日々がはじまるからどんちゃんしちゃおうぜ、というのはとてもある種カソリック的(正統カソリックではないにしろ)で、ルイジアナ出身の友人によればNew Orleansという街の南部の中では例外的に享楽的な性格というのはカソリックの告解の慣習—ひらたくいえば「懺悔すれば許される」という信念—によって説明される、ということなのだが、いやはやほんとにNew OrleansのMardi Grasというのはありとある俗世の穢れをとりあえず具身化したようなカーニバルなのだ。

マルディグラの中心はKreweとよばれるグループが行うパレードである。上の写真のようなfloatと呼ばれる山車に乗った人々が節分の豆のごとく左の"beads"と呼ばれるネックレスを通りの人々に向かって投げる、と言ってしまえばそれまでなのだが、このbeadsを獲得するために人々は荒れ狂う。山車に乗った人々から目につきやすいように思い思いのペインティングを顔にほどこし、マルディグラカラーである紫、金、緑の衣装を身にまとい、仮面をつけ、叫び、手を振り、踊り、果ては乳を出す (マルディグラ女子に興味を持たれた方はこちらこちらの写真をどうぞ)。各パレードはだいたい1時間半くらいなのだが、マルディグラのすごいところはFat Tuesdayその日だけでなく、やくひと月前から毎週末にこの手のパレードが行われ、いよいよその日が近づくと日に5回ほど異なるKreweによるパレードが行われるので、狂乱は丸一日続く。もちろんNew Orleansは全米でも数少ない路上飲酒が許される街なのでとりあえず人々は酒の瓶を小脇に抱え、これでもかとディープフライされたチキンやらPo' Boyやらを齧り時には木陰で嘔吐しながらそれでもまだbeadsを乞う。

正直、実際にMardi Grasに行くまではおいおいたかがプラスチックだろうよ、くらいに思っていたわけだが、カーニバルの空気というのは想像を絶して個人の意識の奥底をかき回すわけで、当然のごとくわたしも一日中beadsを乞うた。理由も糞もなく実際には欲しくもないなにかを心から求めて声を上げるというのは本当に不思議なものだ。なんというか心理的に興味深いのは、自分に向かってbeadsを投げてくれ、と涙ながらに乞いに乞うその行為自体が、その馬鹿馬鹿しさもあって妙に人を開放的にするというか、まったく役にもたたないただのbeadsを心から欲望して声をあげる、その欲望の純度の高さは日常ではおよそ経験されえないがゆえに非常に貴重である。自分のためにBeadsを投げてくれたKreweのメンバーには必ずお礼のジェスチャーをするというのがルールらしいのだが、繰り返すようだがなんの役にも立たないビーズをもらってそれを後生大事に胸にかき抱き、殿上人のように高みから群衆を見下ろす存在にありがとうと訴えるという行為のabsurdさというのは物凄い。

しかし同時にパレードを見ていてわたしのなかのPolitically Correctnessが抑えきれない野暮な瞬間というのはどうしてもあった。パレードのなか、各フロートを先導するマーチングバンドとダンサー達の90%以上は黒人、フロートに乗ってビーズを投げる人々の90%以上は白人なのを目にすると、カーニバルとは日常のオーダーの転覆である、などとは言うが当たり前にこの果てしない蕩尽のために必要な金を持つものと持たざるものの境界は覆りはしないわけで、こうやってカーニバルによる擬制的ガス抜きによってやはりシステムっていうのは保持されるわけですかね、などと思いもしなくはなかった。Kreweのメンバーになるためには(Kreweの規模や性質にもよるが)通常最低でも$4,000くらいの年会費が必要だったりするそうで(ちなみに各KreweはBallというダンスパーティのようなものをパレードの前に行う。これは盛装が基本で、Tableau vivantなんかもあるほんとに19世紀的な会なのである)、人種差別というものがこれだけ公にはNGになり、加えてNew Orleansのように歴史的に黒人文化がかくもあでやかに華開いている街でも、人種の壁が経済的な壁に置き換わってはっきりとした線引きが目に見えるというのには妙にしんみりした。

というわけで半年ぶりのあたいの夏休みだったわけだが、やはり訪れるたび思うのは、New Orleansというのはけして期待を裏切らない街だということである。ただしMardi Grasの時にこの街に来るのはもちろん素晴らしいだろうが、Fat Tuesdayその日周辺にはホテルが一泊300ドル近くにもなるのでお勧めはできない(あるいは8月くらいから予定をたてればなんとかなるかもしれない)。一週間前、または二週間前の週末であれば落ち着いてパレードを見ることができるだろうし、ホテルも(それなりに)値ごろなはずなのでそのほうが安全かもしれない。そんなこんなでまた近いうちにここに—New Oelreansに、このブログに—戻ってくることを総計5kgに及ぶビーズに誓いながら、さて今日もお勉強。