お金貯めて三日泊まるのが夏休み
週刊誌読んでやって来れば数珠繋ぎ
冷めたスープ放り投げるように飲まされて
二段ベッドでもあたいの夏休み
Summer Vacation  あたいのために
Summer Vacation  夏 翻れ

—中島みゆき「あたいの夏休み」

2010年9月29日水曜日

食生活:たんぱく質とわたし


怒濤のようにひと月が過ぎて、Baton Rougeもようやく秋の気配(とはいえ日中はまだまだ30℃を超える)。学校生活にもだいぶ慣れてきた。こないだは初めて長めのペーパーをクラスで発表して、これがけっこう受けた。ディスカッションにも参加できるようになって、ようやく微笑みのアジア人から脱しつつある。が、極東から来た謎のまろうどフェイズが終わった分、普通に学生としてがんばらなきゃいけないのでその分鬼のように忙しいが、それでもなんとか体調も崩さずやっている。

留学経験者のみなさんからは「アメリカの大気には脂肪酸が含まれているので呼吸するだけで太る」というような忠告をいただいていたのでどうなることやらと思っていたが、先日体重計におそるおそる乗ったら体重は減っていた。一日5回くらい食べているのだけど、一回の食事量が少ないというのと、あとはやはりコンビニがないというのがわたしにとっては決定的なのだと思う。東京にいたときも基本的には野菜中心の正しい食生活を送ってはいたのだけれど、あのコンビニの光にどうしても弱くて、学校帰りにふらりと正門前のファミマに寄っちゃ肉まん食べたりしてたからな。いやでもやっぱ肉まん食いたい。

まぁそれはともかく、一週間に一回ないし二回しか買い物に行かないというのはなんだかんだでいいことなのかもしれない。しかしなんというか「食べ物がなくなったらどうしよう」という不安感はやはりどこかにあり、大量におかずを作ってもなくなった時のことを考えると貧乏性的にちょこちょこ食べてしまうのであった。実際一回あまりに忙しくて週に一度の買い出しさえ行かなかったときには食材もつき、キャンベルのスープ缶と冷凍のブリトーで生き延びたのであった。みんなスープ缶まずいって言うけど、あの缶臭さはワイン入れて煮とばしたりスパイスいれたりしたらなんとかなると思うんだけど。ちなみに冷凍のブリトーはお豆たっぷりで案外からだに優しかった。

そうそう豆である。豆を食べまくっているのだ、ここふた月。というのも、アメリカは肉食文化だからスーパーにはさぞかし肉がみっしりあるのだろうと思っていたのだけれど、そしてたしかに日本のスーパーの3倍くらいのスペースがお肉コーナーなのだけれども、買える肉が極端に少ない。鶏。これはいい。こっちは丸鶏とかターキーハムなんかもWalmartとかで普通にあるので、鶏にはほんとにお世話になっている。煮てよし蒸してよし焼いてよし。ただしだいたい皮は剥がれているので皮目をパリっと焼いたチキンはご無沙汰。一番登場回数が多いのは蒸し鶏で、もも肉にたっぷり(これがポイントでもも一枚につき大1くらい)お塩をすりすりして、生姜の輪切りとリーク(ふとネギ:とても甘い。日本だとやたら高いのだがこちらでは普通のおねぎの価格)の青い部分を乗っけてお酒を50ccくらいかけてリークの白い部分と一緒に蒸す。保存も利くしサラダにもつかえるし蒸し汁はスープに使えるしで便利。まぁとにかく鶏はよいのだ。牛もまぁいい。牛はひき肉以外あまり食べないのだけれど、実際のところお肉コーナーの約50%は牛とかラムとかの赤いお肉。当たり前だが日本よりはぜんぜん安いので心行くまで煮込める。で、問題は豚、そう豚なのだ。豚がめっぽう少ない。まず薄切りなんてコンセプトは牛だろうが豚だろうがこちらにはないのでそれは涙を飲むにしても、豚のひき肉というのがなぜだかほとんどお目にかからない。しかもブロックもまぁ赤い赤い。要するにこっちのスーパーの肉というのはなぜかものすごく脂肪コンシャスで(鶏の皮が剥がれているのもそれが理由のひとつかもしれないが)、紅白のミルフィーユ的バラ肉というものが存在しないのだ。これは困った。ひき肉で餃子が作りたい。バラ肉で角煮が作りたい。ぱさぱさの豚肉なんて豚肉じゃないやい。

まぁそんなわけでどうも使える肉が限られているので蛋白源が自然と豆になる。こちらは缶詰文化が非常に発達しているので、野菜でも肉でもなんでも缶が売っているのだけど、とにかく有り難いのが豆の水煮缶。日本でももちろんあるはあるのだけれど、けっこう高かったり量が少なかったりであまり毎日使おうという感じにはならなかった。しかしこっちだとでっかい豆缶がひとつ1ドルくらいで売っているし、種類もとにかく豊富。南部は豆料理が豊富だから、というのももしかしたらあるのかもしれないけれど、でもメキシカンもやっぱり豆をすごく使うし、これはアメリカ全体的なことなのかもしれない。Red kidneyを筆頭に(といってもこれだけで4ブランドくらいはどこでも置いている)chick peeやblack eyed peeやらrima beanやら、普通の水煮だけじゃなく調理済みの缶などもあり、とにかく豆豆豆である。で、これがほんとに助かる。ありがたいことに毎週野菜市場に連れて行ってもらっているのでそこで大量に野菜を買い込んで、まず帰って必ず(ここ2ヶ月で100%)作るのが鍋一杯のラタトゥイユなのだが、初日は普通に食べるにして、翌日の朝とかなんか物足りないなぁと思って豆缶(あとはソーセージとか)を投入すればなかなかheartyなごはんになる。Red beans and riceももちろん簡単でおいしいし、それになによりhummusがすばらしい。Hummusというのは中東発信の料理でベジタリアンのたんぱく源らしく、chick pee(ひよこ豆)をペーストにしたものなのだけれど、一度外で食べてすっかりはまり、これもほぼ毎週作っている。ポイントはやはりtahiniというごまのペースト、すりおろしのにんにく、レモン汁などを練り混ぜることなのだけれど、その時々でドライトマト(これまた安い。とにかく野菜市場の手作りドライトマトのうまいこと)を刻んでいれたり、カレーのスパイスを入れてみたり、クルミをローストしたのをまぜたり、いろいろ応用がきく。そのまますくって食べてよし、パンにはさんでサンドイッチにしてよし、野菜につけてよし。夜中に腹が鳴ったときの定番である。

食べ物の話をし始めると切りがないことがわかったのでそろそろやめなければいけないが、そんなわけでたんぱく源が肉から豆に変わった。あとは乳製品もなんだかんだで食べている。こっちはチーズの種類が(くどいようだがWalmartでさえ)豊富なので、ラタトゥイユにちぎったチーズを乗っけてチンすればとろとろうまうまだし、夜中に冷蔵庫の前に座って海苔(これは送ってもらってます。なにしろ日本で300円くらいのが優に10ドルはするのだ)にはさんでぱくつけば勉強もはかどる。牛乳とグラノーラのおいしい関係についてはまたいつか書くけれども、牛乳も日本では全然飲まなかったけどこっちに来てからなんだかんだで毎週買っている。興味深いのはどんな製品にもreduced fatバージョンが豊富に売っており、チーズでも牛乳でもなんでも気味が悪いほどに低カロリーのものが選べるようになっていることで、アメリカ人の脂肪コンシャスにはほんとに驚かされるのだけれども、ああしかしそれにしてもこんなに脂肪コンシャスなのに多くのアメリカ人はほんとに大きいのだ。体質的な問題(それから階層的な問題—Wholefoodsの顧客とWalmartの顧客の平均体重を比較したら15kg以上は違うはずだ)もあるのかもしれないけれど、バラ肉や鶏皮の脂肪を恐れた結果、身体が脂質を欲してバターや揚げ物に走っているのだとしたらなんとも皮肉なことだな、などと思う。くどいようだけど、豆も好き、でも、わたしは脂肪の適度に入ったお肉が食べたいんです。で、友達にバラ肉の説明を必死でしたら(赤いお肉で白い脂肪がサンドイッチになってるの、口に入れたら溶けるの、みたいな)それはWholefoodsに行って、お肉コーナーのお兄さんをつかまえて、marbledなお肉がほしい、と言えば切ってもらえるかもしれない、と教えてもらえた。Marbled。なるへそ。角煮まであと一歩。



2010年9月13日月曜日

emasculation


日本の大学で一緒だった友人(同時期に留学)から電話がある。英語で話すのに疲れた我々は久々の日本語での長電話を楽しむ。彼が言う。去勢の日々です、と。そうなのだ、言語というのは力でありphallusであるわけなので、言語的な不自由さというのは去勢状態に外ならない。が、なぜわたしの場合それが(比較的)frustrationにならないかといえば、わたしは去勢されて今どうやら自分のfemininityと折り合いがついてしまっているからのような気がする。涙のphallic womanを返上してアメリカで今堂々と女やってる自分てどうなんだろう、とフェミニストの自分が問う。これまでの何年間で最大の問題だったものが、言語的不自由によって(少なくとも表面上は)いかにも容易く解決している。なんということだ。でも大丈夫。4年後にはポークビッツのようなものが芽生えているはずだから。

2010年9月9日木曜日

あたいの夏休み 1


このブログのタイトルは中島みゆきの名曲『あたいの夏休み』から来ている。なんでこんなはすっぱなタイトルをつけたかって、それはたまたま、ブログを始めてみたら、とHさんに言われたその日に、わたしにtubefireを教えてくれようとしていたWくんに「好きな曲言ってみて、YoutubeからiTunesにとりこめるよ」と言われて反射的に答えたのが「あたいの夏休み」だったから、という理由だったのだった。

こっちの英文科の友人が、今年の夏休みはコロラドに行ってきたんだ、と言う。なんだかんだでけっこう高くついたけど、その価値はあったよ、と。もちろん山登りが好きというのもあるんだけど、これまでの人間関係もなにもないところで好きなだけ本が読めて勉強に集中できたしね。夏休みってそういうものだよね。と、言われてわたしは、自分にとってほんとにここでの生活が「夏休み」であることに気がついた。

なんだかわからないのだけど、ここに来てこのかた、やけに気持ちがリラックスしている。このわたしが、である。もちろん授業はほんとに大変。3コマとっているのだけれど、各授業で毎週1冊くらい本を読んでそれに対してresponse paperという感想文みたいなのを書かなきゃいけないし、ディスカッションは矢継ぎ早に発言が飛び交って、しかも学生の発言はコンテクストが掴めないからよくわからないこともままある。ただでさえ与えられたテクストが難しいのに、(Jamesonとか、ほんとに授業前はわけわかんなかった、正直)ディスカッションだって60から70%くらいしかわかってないんじゃないかな、と思う。もちろん発言なんてできない。授業自体はもの凄く充実感があるので楽しんでいるけれど、それでもディスカッションの最中に教授と目が合ったりするとアルカイック・スマイルでごまかすしかなく、最初の週は手足をもがれたような気がした。

が、いったん自分が「できない」ということを受け容れると、不思議なことに焦りや不安というのは退くもので、ある種の防衛機制なのかもしれないが、この無力さというかvulnerabilityのようなものを一種、楽しむことができるようになる。言語というのは人間の人格の礎であるので(というかなんちゃってラカニアンなわたしは人間というのは言語でしかないとさえ信じている)、母語を剥奪されて外国語の中に置かれると、ほとんど生まれたての赤子状態である。この赤子状態というのがやけに気持ちがいい。こっちに来てからなんでわたしはこんなに素直になったのかしら、と思っていたのだけれど、それはアメリカのせいだけではなくて、この5歳児的状況のせいでもあるのかもしれない。乾いた土みたいなもんで、言語のシャワーが気持ちがいい。いや、辛いときもあるのだけど、もちろん。

日本にいたときは、だいたいのことはある種の日本語の巧みさみたいなもので自分を守る壁が作れていたし、それはそれでよいことだったとも思う。人間関係の微妙な距離感みたいなものを言語で調節することも(得意ではなかったけれども)ある程度はできていたし、近寄りたくないものには近寄らないでいることもできた。が、今は自分を守ってくれる言語の壁がないので、常にいろんなものが好き勝手にわたしの中に出入りしてくる。言葉の微妙なニュアンスが出せないので、わたしの英語の世界は画素の粗い写真のようなものなのだが(ああそうだ、わたしはメガネを外すと世界がぼやけてリラックスするのだけど、それに似てるかもしれない)、ただ同時に自分の好意(大げさにいえば新しい世界に対するそれ)を知ってほしい、というような欲望(これは基本的には日本にいた時からあるものだと思うのだけど)もあるので、とにかくとりあえず一度受け容れてしまう。そうするとそれが案外楽しかったり楽だったりするのだ。

と、あんまりこんな風に多幸感に浸っているように書くと手ひどいしっぺ返しが来るのでは、と恐れるところがわたしなのだが、とりあえずわたしのここひと月のリラックス感についての考察は続く。たぶんまたいつか。

2010年9月6日月曜日

ポン酢愛


今日はlabor dayということで学校はおやすみである。ひと泳ぎしようと思ってジムに行ったら休みだったので、しょうがねぇなぁとUniversity Lakeの周り(徒歩で一周1時間強)を散歩していたら突然の雷雨に見舞われる。雨宿りする場所もなく、ずぶぬれのぬれねずみで家に帰る。とんだホリデーだ。勉強しろってことですね。

と家で本を読んでいたら知人のK先生から電話があり、昨日釣りに行ったのでお魚いかがですか、とのこと。もちろんありがたく受け取る。アメリカの食生活に文句を垂れまくるビッチ(ちなみにbitchという言葉は「文句を言う」という意味で動詞的にも使われる)にはなりたくない、というのが信条のわたしは一人暮らしのお料理生活をけっこう楽しんでおり、毎日一汁三菜を実践しているのであった(勉強もしてるよ)。だいたいLouisianaは食文化が豊かなのでこれを学ばない手はない。Redbeans and Rice とかGumboとか、ほんとにおいしい。しかし唯一アメリカ(いやBaton Rouge)に文句を言いたいところがあるとすれば、魚がない、ということなのだ。Walmartとかだとまずお魚コーナーがないし、それでもWhole Foodsにいけばある程度は買えるのだけど、どうも新鮮さに欠ける。Gulfがこんなに近いのに。Oil Spillのせいだけではなく、こちらの人はどうもそんなにお魚は食べないようだ。Catfish(ナマズ)のフライはよく食べるみたいなんだけど。あと寿司屋もけっこう流行ってるんだけど。

まぁそんなわけでしばらく家庭でお魚を食べていなかったので、目の前のRedfishなる白身の魚にうち震える。しかもけっこうな量がある。とれたてなのでお刺身でも食べられるわよ、とK夫人がおっしゃるので、さてほくほくしながら刺身で食べようとする。が、ワサビがない。オリエンタルフードマーケットは遥か遠くだしlabor dayで休みだし。醤油だけで食べてみたらやはりちょっと独特の臭みが気になる。なんとかいい方法はないものか。そうだ、ポン酢と薬味で食べよう。

もともとわたしはポン酢に対して異様な愛着がある。大抵の刺身やら寿司やらは(邪道だといわれようが)ポン酢で食べていた。醤油だとどうも塩味が濃すぎる気がするのだ。しかし普通のいわゆる「ポン酢」は酢がきつい。そこで日本にいるときには写真の「かけぽん(正式名称はチョーコーゆず醤油 かけぽん)」を水のように使っていたのだが、これがとにかくだしが効いててまろやかでうまい。一本500円くらいで、家族で月に2本は消費していたと思う。しかしもちろんこんな最果ての地に愛しのかけぽんがあるはずもなく、オリエンタルフードマーケットにはいわゆるポン酢が一本$6くらいで売られているのみ。普通のポン酢って200円くらい、という感覚がまだ残っているわたしには到底買えない。みりん(1リットルで$10)とかなら涙を飲んで買うけど。

そんなわけでポン酢が我が家にはない。しかし目の前の刺身をどうしてくれよう。そうだ、作ればいいんじゃん。というわけでポン酢を作ってみた。以下、覚え書き的に配合。

①みりん 100ml
②日本酒 40ml
③白ワイン 60ml (ほんとは酒100mlでいいんだけど、こちらでは日本酒のほうが高いので)
④顆粒だし 小さじ1/2強
⑤柑橘果汁 100ml (今日はいただきもののグレープフルーツ。key limeなどもこちらではやすいのでそれで作っても良さそう。日本なら理想的にはゆず。季節的に手に入らなければみかんとかオレンジとか、あとはポッカのレモン汁とかでもいけそう)
⑥酢 100ml
⑦醤油 200ml
⑧オレンジジュース 50ml

みりん、酒類は煮切ってあら熱をとってから混ぜます。ほんとは昆布とか鰹節とかあれば絶対おいしいのだけれど、あいにく母が送ってくれたはずのそれらはまだ届いていないので顆粒だしで代用。なのですが、できたのはかなりかけぽんに近い味。いや、もしかしたらかけぽんを超えたかもしれない。オレンジジュースをいれたのは甘みとフルーツ感がもう少し欲しかったからなのだけれど、これがけっこういける。あとコク出しにバルサミコ(こっちでは安い)も少しいれてみた。

そんなこんなで完成したポン酢をお茶の入ってた瓶で冷やして、たっぷりのネギ(こちらではgreen onionというのが一番和ネギにちかい)とたっぷりのおろし生姜(生姜も安い)をお刺身に乗せて自家製ポン酢をかけて食す。うまし!あああ、うまし!友達よぶのももったいなく、つい一サクひとりで完食してしまった。残ったアラとかはお魚カレーにしようと思います。これまたおいしいんだ。ほくほく。