お金貯めて三日泊まるのが夏休み
週刊誌読んでやって来れば数珠繋ぎ
冷めたスープ放り投げるように飲まされて
二段ベッドでもあたいの夏休み
Summer Vacation  あたいのために
Summer Vacation  夏 翻れ

—中島みゆき「あたいの夏休み」

2012年4月13日金曜日

プールサイドでメキシカン

日本で春休みといえば、春は名のみの風の寒さや、という歌がしっくりくる、柔らかい陽射しに包まれながらひんやりとした芯を残すあの空気が思い出されるのだけれど、Louisianaの春休みはというとこれが、春は名のみの灼熱の太陽、抱いて抱いて抱いてセニョリータなお天気なのである。四月だというのにスタジアムにいけばひとびとは半裸体、歩いているだけで汗がしたたるようなこんな暑い日はそう、なんだか水辺でさっぱりしたものが食べたいな。

アメリカ人は休みの前となると必ずといっていいほど休みのプランを訊ねあう。たとえふつうの週末であっても、週末はどうするの?というのが金曜の定番の会話だし、月曜になると週末はどうだった?となる。こちらに来たばかりのときはなんというか、この休みにかける意気込みというか、休みは休みで遊ばなければ人間失格、みたいなこの文化に違和感があったのだけれど(だって日本じゃ誰もそんなこと聞かないじゃないですか)、二年も経つと当たり前にこれにも慣れてきて、春休み直前ともなれば当然のごとくTA仲間(アラサー女子4人)とSpring Breakどうするぅ?という会話にもなる。とはいえこいそがしい大学院生どうし、さしてお互い予定がないのはわかっているし、4人が4人とも小脇に30本のペーパーを抱えているわけで、えぇ、どうせグレーディングとペーパー書きだよ、今年30になるから決意の大人黒ビキニ買ったのにさ、着る機会なんてないんだから、とむくれていたら、一番年上のAが、お嬢さんビキニ着れるのも今のうちだから、うちにおいでなさいな、みんなでプールサイドでグレーディングしながらマルガリータでも飲みましょうや、という。


日本で自宅にプールというと小室哲哉かよという感じ(繰り返すが今年30になるのでなんと言われても小室哲哉の例は譲らない)なわけだが、アメリカの南では家にプールがあるというのはそんなに珍しいことではない。わたしの住んでいるところははもちろんLSUの大学院生用の築50年という年季の入ったボロアパートなので当たり前にプールなどないのだけれど、月に700ドル程度のアパート(Baton Rougeは家賃が安いのでこれで2ベッドルームのアパートが普通に借りられる)にも共用スペースにそれなりのプールがついているし、教授の家に行けば大抵これもまたプールがある(ただし一戸建ての場合プールに水を入れる水代ももちろん個人負担となるので、おじいちゃんおばあちゃんの先生のうちのプールには水がはいっていないこともある)。今年35になる生粋のLouisiana娘Aは結婚してちいさな子供もいるのだけど、昨年ついにプールのついた家をSaint FrancisvilleというBaton Rougeから車で30分くらいの街に買った。子供がいなければプールに水を張るのもめんどうくさい(掃除がけっこう大変なんだそうだ)のだけど、3歳の娘はすでにビキニをねだるお年頃、せがまれてプール開きをしたのでせっかくだから遊びにきたら、ということなのである。もちろんいつものごとくグレーディングとは名ばかりの小規模なポットラックになるわけだけれど、こうも暑いと秋冬にパーティに持っていくような焼き物はとてもじゃないが喉を通らない。そんなわけで今回はさっぱりしてお酒のおつまみにもなるメキシカンな野菜料理(くどいようだがアラサー女子、わたし以外はベジタリアンである)を持っていくことにした。

日本ではメキシコ料理というのは案外人気がなくて、わたしも日本にいた時は新宿のサザンテラスのエルトリートくらいしかいったことがなかったのだけれど、アメリカではどこのスーパーにいってもトルティーヤやタコチップ、サルサにワカモーレが普通に売られているし、写真のメキシカンのファストフードチェーン、Taco BellはMcDonaldと同じくらいの人気である。肉、炭水化物、乳製品の三位一体からなるアメリカ料理とは対照的に豆と野菜をふんだんにつかったメキシカンはわりとお腹に優しくスパイスが効いて暑くても食が進むので、ベジタリアンにも人気である(PJの家に3ヶ月ほど住んでいたインド人留学生Nのインド人コミュニティ作成による「留学の手引き」には「アメリカのご飯を食べ続けていると病気になるので、インド料理が手に入らない時はメキシコ料理で我慢しましょう。」とまじめに書いてあってなんだか笑えた)。とはいえここは南部、アジア人だけでなくラティーノ人口も驚くほど少ない地域なので、メキシカンレストランはそこそこの数があるのだけれど、カリフォルニア生活の長いPJに言わせれば、食べながら涙がにじむほどに残念なお味だと言う。実際わたしも何度かメキシカンレストランに足を運んだのだけれど、うーん、なんというのだろう、何を食べても同じ味がするというか、味に深みもコクもなく、首をかしげて終わることが多かった(正直に告白するとTaco Bellがいちばんまともに思えるくらいだった)。

が、わたしのアメリカ的メキシコ料理に対する思いを決定的に変えたのが去年のNew Mexicoへの旅であった。夏になると暑さと湿気の苦手なPJはLouisianaにはとうていいられないので、数十冊の本と飼い犬のFootyを白いヴァン、その名もMoby(白い鯨のMoby Dickから)に乗せて、休みが始まるや一目散に南部を飛び出す。今年はNew Mexicoだよ!友達が旅行するんで 一ヶ月半くらいhouse sitをしてほしいって!と興奮する大きな図体の少年に、よかったねぇ、楽しんでおいでね、と言ったら、なに言ってんの、Maddieも来るんだよ、あたりまえでしょ。と言われて一瞬凍り付いたのだけど、なにはともあれアメリカ西部というのはアメリカ人作家達の見果てぬ夢の地であるので(もちろん当時ペーパーを書いていたWilla Catherもアメリカ西部に残るNative American文化に魅せられたひとりで、The Professor's HouseはNew Mexicoを巡る物語でもある)、研究者のはしくれとしてはアメリカにいる間にその地を訪れないわけにはいかない。緑深きLouisianaとは対照的な赤土の大地と鼻血がでるほどに極限まで乾燥した空気、Grand Canyon周辺での産まれて初めてのキャンプや写真のTaos PuebloというNative American reservation訪問など、この旅はほんとうに貴重な思い出をたくさんくれたのだけれど、中でも特筆すべきはメキシコ料理のおいしさだった(ええNew Mexicoですから)。「アメリカ料理」という言葉がどうもしっくりこないのはこういう風に、地方ごとにおいしいものがまったく違うからなのだけど、とにかくスーパーに何気なく置かれたサルサでさえもおいしく、最初は自分が食べているのがあの南部で食べたサルサと同じものだと気づかず、なにこれ超おいしいね、なんていう料理?といいながら冷蔵庫に入っていたサルサ一瓶を完食し、PJに爆笑された。以下のサルサのレシピはその瓶に書いてあった材料をさらにわたし好みに改良したもので、New Mexicoから帰ってから暑くなると必ず作り置きしているものです。

[基本のSalsaのレシピ]
☆トマト 大3個
☆レッドオニオン 大1/2個
☆シラントロー(香菜)の葉っぱ部分 片手に一握り
☆セラーノチリ 1個 (青唐辛子なのだけれど、手に入らなければもちろんハラペーニョでもよいし、それもなければタバスコ10ふりくらい。その場合は塩を控えめに)
☆コーン お好みで。入れなくてもいいけれど、入れると甘みが出てよい。
☆ライム 2個 (またはレモン1個)
☆クミン 小2 (なんといってもこれが決め手な気がする)
☆お酢 大1 (いつものとおりすし酢を使いますが、正統レシピではこれはいれません)
☆ケチャップ 大1(これも正統レシピではいれないのだけれど、入れるとコクが出るのでわたしはついつい使ってしまいます)
☆塩こしょう 好みで

①玉ねぎは細かいみじん切りにして、砂糖大1をまぶしてザルの上で空気にふれさせ、辛みを抜く(流水に浸してもよいのだけれど、水っぽくなるのがいやなのでわたしはこの方法を使っています)
②トマトは1cm角のダイスに。余計な水分を除いてボウルに。種を除くレシピが多いのだけれど、種にうまみがあると試してガッテンで聞いて以来、真偽のほどはわからないけれどなんとなくわたしは種を残しています。
③セラーノチリは種を除いて極細かいみじん切りにしてボウルに。チリを切った後の手で目をこすったり局部を触ったりすると悶絶することになるので調理後は死ぬほど石けんで洗ってください。
④シラントローも細かいみじん切り。コーン、辛みを抜いたオニオンと一緒にボウルに入れる。
⑤ボウルにライムの絞り汁、クミン、ケチャップ、お酢を入れ、ゴムベラで全体をよく混ぜる。塩こしょうで調味して出来上がり(わたしはどうしてもひと味足りない時は昆布茶を足します。トマトの質によるので)。そのままでもアペタイザーになるし、写真のトルティーヤチップス(トルティーヤを揚げた、あるいは焼いたチップス。要は濃い味のついていないドリトスです)と一緒に食べるとおいしいスナックに。

[Mango Salsaのレシピ]
サルサというのはいろいろなヴァリエーションがあるのだけれど、なかでもお気に入りはマンゴーを使った甘酸っぱいもの。これは魚料理とよくあうので、下味を着けた白身魚のソテーに乗せるととてもきれいだし、爽やかでとてもおいしいです。マンゴーが安売りしている時にはぜひ試してみてください。

☆マンゴー 3個から5個
☆レッドオニオン 1/2個
☆セラーノチリ  1個(これもハラペーニョまたはタバスコで代用可)
☆シラントロ ひとにぎり
☆パプリカ 1個 (トマトでも代用可。なければ抜いても大丈夫です)
☆ライム 2個 (またはレモン1個)
☆塩こしょう 好みで

①レッドオニオンは基本のサルサ同様、辛みを抜くためにみじん切り後砂糖をまぶしてザルの上で放置する。
②マンゴーはヘッジホッグ(ハリネズミ)のように切る。マンゴーを厚みの薄い方を正面にくるようにして立て、真ん中に平たい種があるので、それを避けるように両側を切りおとす。真ん中ができるだけ薄くなるように。
③切り取ったマンゴーにナイフで格子状に切れ目を入れる。皮を切らないように、でも下まで刃先が届くように。
④真ん中をぐっとおすと、写真のようにマンゴーの実が花開くので、ダイスになった果肉を皮からそぐように切り落とし、ボウルへ。
⑤チリペッパー、シラントロは極細かいみじん切り、パプリカないしトマトは8mm角のダイスにしてボウルへ。
⑥ライム果汁、塩こしょうで調味。けっこうきつめに塩こしょうをしたほうが甘みとのバランスがとれて食べ物にはあいます。わたしはここでも懲りずに昆布茶を使うことがあります。

[Fish Tacosのレシピ]
タコスというとぱりぱりと固いタコシェルにひき肉の炒めたのやレタス、ダイスにしたトマトを乗せて食べるのが主流で、それはそれでとてもおいしいのだけれど、今回はせっかく安売りのマンゴーでおいしいサルサを作ったので、魚を使ったタコスを作ってみた。タコス部分自体も、揚げたシェルではなくて素のままのトルティーヤをつかっているのでとてもヘルシーです。

☆白身魚(tilapiaやmahimahiなど。日本なら鱈とかなのかなぁ。こちらでは皮をはいだ白身魚がけっこう売っているのだけれど、考えてみたら日本だとあまり見ない気が…手に入らない場合は、鶏の胸肉などでもおいしくできるはず)500g
☆トルティーヤ 6枚(いわゆる「ラップサンド」で使われているあれです)
☆マンゴーサルサ 適宜
☆ロメインレタス 1株
☆レッドオニオン 1/2個
☆マリネード (ライムの絞り汁2個分、お酢大2、にんにくすりおろし2かけ、はちみつ小2、ライムの皮のすりおろし2個分、クミン小2、チリパウダー小1、塩こしょう小1.5、その他にコリアンダーなど好みのスパイスをいれたものを混ぜ、最後にオリーブオイル大2を入れてさらにまぜる)
☆ドレッシング (無脂肪のプレーンヨーグルト: 100g、 マヨネーズまたはベジネーズ: 100g、 クミン小1、カイエンペッパー小1/2、乾燥ディル小1.5、はちみつ小2、ライムの絞り汁1個ぶん、塩こしょう適宜、タバスコ適宜をまぜる)

①白身魚はキッチンペーパーで水分をとり、大きめのそぎ切りに。ぜんぶで12枚くらいになるように。
②マリネードの材料をあわせ、ジップロックにいれた魚にかけて空気を抜いて口を閉じたら6時間ほど置く。
③レタスは千切りにし、玉ねぎはごくごく薄い薄切りに。玉ねぎは冷水に5分ほどさらして辛みをぬき、しっかりと水気をとる。
④フライパンを熱し、トルティーヤを一枚ずつ焼いていく。とはいえ、市販のものはもう焼けいているので、温める程度。片面1分ずつ程度。テフロンなら油はいらないけれど、想でない場合はクッキングスプレー(スプレー缶に入ったオイル)を軽くふきかける。
⑤フライパンを熱し、マリネ液をよくきった魚を片面ずつ焼いていく。ほぐれやすい魚なので、こわれないように気をつける。そぎ切りにしているので火の通りは早い。蓋をして片面2分ほどで焼ける。
⑥トルティーヤに一枚ずつ、レタスの千切り、玉ねぎの薄切りを好みの量のせて、その上に白身魚ふたきれずつとマンゴーサルサを乗せ、最後にヨーグルトドレッシングをかける。全ての材料をテーブルに並べて、ひとりずつ食べるたびに自分で作った方がおいしいです。写真のものはさらにguacamoleというアボカドのディップ(アボカド二つをつぶし、そこに玉ねぎのみじん切り1/2個、トマトのみじん切り1/2個、チリのみじん切り1個をいれてライムの絞り汁1個分と塩こしょうで調味したもの)を合せていますが、これはなくても十分ボリュームがあります。

言うまでもなくプールサイドでのグレーディングはさしてはかどらず、アラサー女子はだらだらと子育てやら研究やらについて話しながらビールを片手にのんべんだらりと束の間の休みを過ごしたのだけれど、個人的に今回とてもよかったのはAの3歳になる娘とたくさん遊べたこと。これまで子供にはなんだか苦手意識があったのだけれど、写真のセクシーな三歳児はなぜかわたしをいたく気に入ってくれて、BeyonceのSingle Ladiesをわたしだけのためにといって踊りまくり、果てはわたしがグレーディングをしている膝の上で眠りこけてしまった。いますぐというわけにはいかなくても、こどもがいる人生というのもいいんじゃないかな、などとオレオで口の周りを黒くしながら寝息をたてる子供をひょいと肩に担いで家の中に連れて行くお母さんのAを見て思った夕暮れだった。ついでに、決意の大人黒ビキニは女子連に大好評だったのだが、「アジア人とは思えないケツ」「貧乳をおぎなってあまりあるケツ」「太平洋を超えたケツ」となぜか尻ばかりに対して惜しみない賛辞をもらった。ええ、なんと言われようとあと五年はビキニを着られるようにがんばります。

2012年4月7日土曜日

アメリカ南部でアメリカ文学を教えるということ (2)

そんなわけで教師として振る舞うということに関してはさほど意識的にならずに済む環境がすでになぜか最初のクラスでは整いすぎるほどに整っていたのだけれど、それでもちろん話は終わりではない。

Louisianaに留学することを初めに奨学金を出してくれるひとびとに告げた時、Deep Southに行く心の準備はあるのですか、と問われたことを、一年目はよく思い出して、あれは西海岸や東海岸の都市部に居住した経験のあるひとたちが、南部を時代に取り残された他者として思い描いていたにすぎないのかもしれないな、と思っていた。けれど大学街に住み人文系の大学院にいるということは、当然にリベラルな思想の人々に囲まれるということなわけで、深南部に生活してそこここに南部の文化を目にしても、それはまだ南部の一部しか見ていない事だったのだ、と気づいたのも、ティーチングを始めてからのことだった。

もちろん21世紀も10年あまりを過ぎた今日、深南部とはいえおおっぴらに人種差別が横行しているわけではない。学生達は当然に中学高校と、痛いほどにpolitically correctであることとはなにかを学んできている。けれどもあの、南部の政治的文化的保守性という、教科書的な言葉が衝撃をともなって実感される瞬間というのはまぎれもなくあって、そういう時にはブンガクを教える意味、という、いかにも大時代的なテーマが頭をよぎる。それはたとえばNella LarsenのQuicksandという作品を教えた時に、生徒が無邪気に、でもこの主人公の黒人の女の子は、どこのコミュニティにいっても文句を言うばかりで共感できないです、最初に牧師がこの女の子に言ったとおりに、自分が黒人の血を引く存在であることを素直に受け容れて、黒人共同体にいることに満足をすればよかったのに、と言う時であり、たとえば生徒達が口を揃えて、個人の努力と考え方次第で人生というのはなんとかなるのだから、人生に満足できないのは、その個人の責任だと思う、という時である。

なんども、もうなんども書いてきたことではあるけれど、日本にいる時には無自覚にpolitically correctであること、人種的階級的弱者の口を借りて彼らの権利を声高に語ることに対する嫌悪感を覚えていたし、政治で文学が読めるのか、といらだつことも多かった。けれど、こちらに来て文字通り痛感したのは、そうやってある種の文学の政治性をないがしろにできるのは、多くの場合、自分があらゆる特権を知らぬ間にまとってきていたからだったのだと思う。個人の意識で人生がすべてうまくいくのならば、公民権運動もgay marriageの権利獲得運動も、必要はない。けれどそうではないから、個人というのは社会や国家にどんな形であれ包摂された存在であるからこそ、権利獲得のために集団的な運動が必要になる時というのは必ずある。けれどEmersonの個人主義を高らかに歌い上げるエッセイを読んで、これこそがわたしのルーツだと思った、と、そのエッセイが究極的な個人主義の国家にあってコミュニティとはなにかという問題を投げかけていることには気づかずに輝くような笑顔で言う生徒たちを目の前にすると、一瞬、水風船でも顔に投げつけられたかのように、衝撃をうけ、そしてひるみ、この州が極右のSantorumが圧勝する地であることを思い出す。

文学というのは、お金もうまないし、テクノロジーもうまないし、社会のなんの役にもたたないんじゃないの、というのは、文学に携わる人間が、誰に実際に言われるわけでもなくてもほとんどニューロティックに(程度の差はあるとしてもすくなくとも頭の片隅で人生に一度は)問う問題だと思うし、その問いにこうやって飛びついて、いや、文学を教えることにはこんなに意味があるんだ、と安易に答えを出すのには抵抗があるのだけれど、それでもいざ彼らを目の前に、自分がなにがしかのことを言うことができる立場にいることは、心からありがたいことだと思う。わかっているのは、この学生達はそれぞれに真摯に自分の人生を生きてきている、ということであり、人種的にも文化的にも圧倒的に他者であるわたしが、自分の他者性を振りかざして、あなたたち強者は弱者の痛みをわかっていない、と言う事は、どう考えても間違っているということだ。南部に生まれ育ち、その中には、ひいおじいちゃんが南軍で戦ったという子達もいて、自分の生まれ故郷が西海岸、東海岸のリベラルな(そしてマスメディア的には強者である)文化からbackwardな田舎として扱われていることもおそらくは肌身で知っている生徒達に、ただあなたたちは白人だから強いんだ、と舌のもつれる英語でかきくどくのは、どうにも卑怯なことだと思う。けれども、自分に教師という立場が与えられていて、自分がどうみても彼らとは違うバックグラウンドから来ていて、だからこそある種の興味をもってもらえる存在だからこそ、言っておかなければいけないことというのはきっとあるのだとも思う。わたしたちが今学期読んできた小説の主人公達はみんなどこか壊れていて、彼らの選択はどう考えても理解できないことが多々あります、だけど、けっきょく文学を読むっていうことの醍醐味のひとつは、理解できない人間を理解しようとする練習をすることだと思うのです、とはいっても結局は理解できない人ばっかりです、でも、理解ができないときに、この人たちは間違っていると一刀両断に切り捨てる時には、たいていの場合自分がなにか彼らにないなんらかの力を持っているときだと思っていいと思います、それがみなさんよりたった10年ばかりだけれども長く生きてわたしが学んだ事です。それがわたしが最初の学期の最後の授業に笑顔で言えたことであり、臆面もなく自分の道徳をそうして言葉にしたことは、教師一年目だからこその恥はかきすてだったにしても、とりあえずのところはよしとしている。

[Collard Greens with Bacon のレシピ]
久しぶりに書きながら脇汗をかいた恥ずかしいエントリーだったのだけれど、Louisianaという土地を上辺だけではなく、もう少し知る事ができる機会が得られた事はうれしかったので、久々にLouisiana風の料理のレシピを。カラードグリーンというのは左のような菜っ葉で、お店で見かけてもなんか固そうだなぁと(実際ほんとに固い)思って敬遠してきた野菜だったのだけれど、先日南部料理のお店でベーコンと煮たものを食べたらこれがとってもおいしかったので自分でも作ってみた。話はややずれるがKey and Peeleというこちらで人気の黒人のコメディアンのコンビがいるのだけど、彼らの冠番組でふたりの黒人ビジネスマンがHarlemのレストランでどちらが黒人らしいかを競うためにいろいろソウルフードを頼みまくり、ヒートアップしたあげくに最終的には「人足を揚げたものに豆の煮たのををかけてください」という、みたいな、まぁ文字に起こすとアメリカ人の笑いのつぼってなんだろうというようなコントがあり(実際にはビジネスマンである二人が自分が黒人性から離れていることに異様な罪悪感を感じている設定がけっこう効いていて笑った)、その中でももちろん初めに出てくるくらいカラードグリーンはソウルフードの代名詞みたいなものなわけだが、Louisiana風はやっぱりいつものごとくホットソースを効かせたのが特徴です。

☆collard greens ひとたば
☆ベーコン 三枚
☆玉ねぎ ひとつ
☆にんにく ひとかけ
☆お酢(いつものごとくわたしはすし酢なんですが)50cc
☆ブロス 500cc
☆ホットソース(タバスコ)10ふりくらい

①玉ねぎ、にんにくはみじんぎり。ベーコンは1cmくらい。カラードグリーンはまんなかの固い茎を切り取り、くるくると丸めて太めの千切りにする。
②フライパンでゆっくりとベーコンを熱する。脂を溶かすように。
③脂がしっかり出たら、にんにくと玉ねぎをいれて、これもゆっくり炒める。きっちり色づくまで。
④カラードグリーンを投入。最初はかなりかさがあるけれど、炒めているとしんなりしてくる。
⑤お酢を入れて、水分を軽く飛ばす。(みりんをすこしいれてもおいしい)
⑥ブロスを入れて、ふたをして1時間、ほぼ水分がなくなるまで。
⑦仕上げにタバスコをふって、よく混ぜる。ベーコンとブロスの塩気によるけれど、塩味がたりなければ塩こしょうで調味。


Great Gatsbyというのはあまりにもよく出来すぎていて、あまり好きな小説ではなかったのだけれど、教えるためにもう一度よんだらやっぱりよく出来すぎているよ、と思いつつ、最初のページのNickの父親の言葉に—そのアイロニーも含め—力強く線をひかざるを得なかった。"'Whenever you feel like criticizing someone,' he told me, 'just remember that all the people in this world haven't had the advantages you've had." 文学を教えるということは、こういう言葉に素朴にもういちど生徒と一緒に打たれることなのかもしれないな、などと思う。アメリカでアメリカ文学をアメリカ人に教えるというのは、間違いなくわたしの(いってみればお気楽な)人生の中で一番くらいにチャレンジングな経験であるわけだけれど、同時に一番くらいにやってみてよかった経験でもある。先学期の生徒たちからの評価アンケート、うれしくて泣きながら読みました。だからこの山積みのレポートも、なんだかんだ仲間と愚痴をいいながら、笑顔が隠しきれずにまた採点するのだと思う。

アメリカ南部でアメリカ文学を教えるということ (1)

Easterを目前にしてLSUはようやく他の多くの大学からおよそ三週間ほど遅れてSpring Breakに入ったわけだけれど、10日間の春休みは休みとは名ばかりで、大学院生にとってはひらすらお仕事の期間である。コースワークの間は授業のファイナルペーパーのドラフトの締め切りがたいてい休みの後に設定されているのでペーパーライティングで虫の息となるのが定番なのだけれど、今年はそれに加えてわたしの目の前にいま、30本のペーパーが積まれている。そう、今年からはわたしも先生として生徒のレポートのグレーディングをしなければいけないのだ。

アメリカの大学院では(学校や学部によっていろいろ条件は異なるのだけれど)大学院生が実際に学部生を教えることが半ば義務化されている。たいていの場合、Teaching Assistantshipというのを受けると、授業料が免除になったうえにお給料として生活費(ええ最低限のですけれど)が大学から支払われる。Teaching loadは大学によってまちまちなのだが、LSUの英文科では大学院生は(PhD、MFAともに)一学期に一コマ(三時間:週に一時間を三回ないし一時間半を二回)担当すればよいことになっている。英文科の学生はたいてい30人くらいのcompositionのクラス(日本で言うところの小論文なのかな)を持たされるのだけれど、わたしは去年一年はよそからお金をいただいていたので教えることはなく、今年一年ははじめてのteachingだからということで、教授の教える150人のアメリカ文学のクラスのTAをしており、週に二度は教授のレクチャーの補助、実際に生徒を目の前にして教えるのは週に一度だけで済んでいる。

週に一度だけ。週に一度、ただ一時間だけなのだ。しかしこれだけ濃密な一時間をわたしはこれまでの人生で他に知らない。もともとわたしは英語が流暢に話せるわけでもなんでもない。こちらに来て一年を経た頃には、一対一のコミュニケーションや授業でのディスカッションは形ばかりだとしてもなんとかこなせるようになってはいたのだけれど、ひとクラスのアメリカ人を目の前にアメリカ文学について英語で話し、生徒にディスカッションをさせるというのは、話が別である。個人的な会話やディスカッションでは、多少言葉がみつからないことがあろうが、話しながら英語の森に迷って出てこられなくなろうが、結局のところアイディアがおもしろければ拾ってもらえるし、ああ外国人なのにがんばっているね、と最終的にはあたたかい目で見守ってきてもらっていた。けれど教師であるということは、コミュニケーションの責任を負うことであり、それまで享受してきた社会的弱者としての特権に対する甘えが許されないということでもある。障害物競争のハードルが一気に背面跳びのバーに変わったようなものだ。

去年の8月、初めて教壇に立った日のあの戦慄は今でもけして忘れることができない。アジアから来たとおぼしき妙な英語を話すこのひとが、ああ、先生なのか、と思ってきょとんとしている30人の学部生を前に、満面の笑顔でかみしめるように自己紹介をしながら、9cmヒールのパンプスに脇の下から一滴、また一滴と汗がしたたり落ちるのをなんの誇張でもなくわたしははっきりと感じていた。アメリカの学生というのは隙あらば教師にクレームをつけて成績をあげさせようとする、というのがティーチングのトレーニングで言われた事のひとつでもあったので、とにかくなめられてはならない、教師としての立場は死守しなければならないと身を固くしていたのが最初の数週間だった。が、驚くほどにその緊張は杞憂に終わった。アメリカの学生—というかこれはおそらく保守的な南部特有のことなのかもしれないが—は教壇に立っている存在はすべからく敬うべしという教育を施されているのか、なんというか日本でわたしが見ていた(自分を含め)すれっからした学生とはだいぶ違い、なんとも素直にわたしの話をうんうんとうなずきながら聞き、なにか訊ねれば口早にYes Ma'amと言ってから答え、ディスカッションでは矢継ぎ早に手を上げて発言する。まるで軍隊さながらではないか。