お金貯めて三日泊まるのが夏休み
週刊誌読んでやって来れば数珠繋ぎ
冷めたスープ放り投げるように飲まされて
二段ベッドでもあたいの夏休み
Summer Vacation  あたいのために
Summer Vacation  夏 翻れ

—中島みゆき「あたいの夏休み」
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2012年9月23日日曜日

アメリカ南部で大統領選について教えるということ



さて前回のポストからすでに2ヶ月がすぎ、その間ColoradoはDenverで夢のような時間を過ごしたり、はたまたDenverからBaton Rougeまで2日20時間に及ぶ悪夢のロードトリップをしたりなどといろいろ書くべきことはあったのだけれども(そして機会があればDenverおよびSan Franciscoについては書きたいと思っているのだけれど)、今日は目眩のするように忙しい毎日のなか、妙な風邪をひいたおかげで少しだけ時間ができたので現在、目下わたしがほむら立っていることについて書こうと思うわけである。

Fall semesterが始まりひと月が経過した。アメリカに来て三年目にして生涯で間違いなく一番忙しく、青息吐息の毎日である。なぜというに今学期、わたしは授業をなぜか3つもとっているうえ、English 1001というコンポジションの授業を持っている。週三回毎朝一時間、22人の生徒を前にanalytical writingを教えるというのがこの授業のコンセプトである。週三回毎朝一時間。なんの苦があろう。世の社会人達は毎日平均睡眠6時間を優に下回りながら一日8時間以上の重労働を週に五日以上こなしている。しかしながらこれ、この週三回毎朝一時間の授業がもうなんというか、背中に燃える薪を背負いながら山を下るかごとくの荒行に思えてくるのである。

驚くべきことにその原因の第一は英語でアメリカ人に英語を教えるということにあるわけではない。最初のうちは緊張もしたし、今でも毎朝授業に向かう前にはやめたはずの煙草を一服吹かすことが儀式となっている。自分よりも明らかに英語が流暢な相手にその言語のいろはを教えるというプレッシャーは生半可なものではない。が、幸いなことにわたしがこれまでのひと月のティーチングから学んだことは、analytical writingを、ひいては批判的思考を教えるというのはまずもってinterpersonalなコミュニケーションであって、教師の側が絶対的な権威を持っているというパフォーマンスは必ずしも不可欠なものではないということだ。

この授業の目的は生徒が自律的かつ批判的に自らの思考(そして書いたもの、書く行為)を吟味できるようにすることであって、ある体系だった知識を受け渡すことではない。それはどちらかといえば自転車の乗り方を教えることに近く、生徒が自分で身体と頭を使わなければいかんせんどうにもならない。教師にできることはよき補助輪となること、そしてその補助輪を外すタイミングを見極めることであり、強力すぎる補助輪を提供することが必ずしも常に生徒の成長に資するわけではない。そんなわけで幸か不幸かわたしのような不安定な補助輪を得た生徒達はすっころびながらもそれなりの成長を遂げてくれている(ような気がする)。というのもわたしは自転車に乗れる楽しみをうれしそうに語ることと、すっころんだ生徒の傷にバンドエイドを施すことにだけは異様に長けている。中にはそんなもんいらねぇよ、おれは自転車なんて乗りたくねぇよ、ほっといてくれ、という生徒ももちろんいて、そういう生徒に関しては、たしかに自転車に乗ろうが乗るまいが、それはきみの人生だ、よし請け負おう、きみのやる気のなさできみを不合格にすることはしないから、まぁ決められたアサインメントだけはだしてくれ、あと剽窃だけはするな、といってとりあえずはほっておく。その間、自転車に乗りたい生徒たちには最大限の手助けをする。

この授業の最初のアサインメントはLiteracy Analysisといって自らがいかようにして書くという行為と接してきたかを分析することを通じ、最終的には書くということの意味について考えるというもので、これはまぁ、というか大変よかった。各生徒のパーソナリティを知るきっかけにもなったし、私的・個別的経験からある種の普遍的主張を導くという練習としてはとても効果的だったと思う。そしてなにより、誰も読み書きができない家庭に育ち、まともに書くことがままならなかったある日、教師から給食費泥棒の咎で責め立てられ、自分の無罪を立っするために必死で辞書をひいたことがきっかけでようやくものが書けるようになった、というような、こう書けば陳腐にしか響かないようなエピソードをしかし、その苦難を証だてるかごとくのたどたどしい英語で書く生徒のエッセイを読めば、なにくれと不自由なく皆が一律に読み書きができることが前提の環境で育ってきたものとして、書くことを教えるということの意義について考えざるをえない。それくらいわたしは教師としてまだ未熟であり、ナイーブであり、そしてまだこうした生徒達のエッセイにたじろいでしまう自分のナイーブさと甘ったれた理想主義をはずかしげもなく愛している。

しかしそれではなにゆえに今わたしが燃えさかる薪を背に山を駆け下っているかというに、それは所属大学の方針によりわれわれ1001の教師達は本年11月に行われる大統領選で争点となる議題を素材として生徒にペーパーを書かせなければならないのだが、正直いってわたしはまたここで、自分がここ、かちかち山に、いや南部にいるのだということを思い知らされているのである。

全共闘世代の親を持ち、東京で進学校に通い、東京で国立大学に通い、果てはなにを間違ったか人文系の大学院に通い、さらにアメリカで博士号を取得しようとしている人間(まぁわたしなんですが)は、リベラリズムの風呂に浸かってこれまでの生涯を過ごしている。よく記憶に残っているのは、高校生だったある日、わたしが母親に対しあなたは政治的にコンサバである、となにかのきっかけで言い放った時に、それまでなにをわたしが言おうとも(もう高校に行かないとさえ言っても)ああそうか、そうなんだね、と穏やかに聞いていた彼女が顔色をなくし震えながら、その発言だけは受け容れられない、と言ったことである。高校生のわたしは無論、リベラリズムの、コンサバティズムのなんたるかを全く(今以上に)理解などしていなかったわけだが、それでも理解できたのは政治的コンサバのレッテルがどうやら愛する母親にとって最大の中傷となりうることであった。それ以降は恥を忍んで告白すれば日本の、言ってみればアポリティカルな空気に怠惰に流されるまま政治についてなどとんと考えずにきたわけだが(そしてそれは全共闘世代の、そして互いの政治的立場の違いを抑圧しながら穏やかに子育てをしようとしてヒロイックに失敗した両親に対するこれまた怠惰な抵抗でもあったわけだが)、わたしのコンサバティズムに対する感情的忌避感は、アメリカの、政治的にアクティブであること、そしてリベラルであることが絶対的善であることのごとき人文系大学院においていやましに助長されてきた。

以前も「アメリカ南部でアメリカ文学を教える」ポストで書いたことだが、深南部に生活していようが、大学町に住み人文系大学院に通っている以上は、この地のコンサバティズムに触れることはほぼないといっていい。アジア系が極端に少ないこの都市であろうとも、あからさまな人種差別にあったことなどは一度もないし、むしろ街で出会う人々は朗らかで、人々が「コンサバ」であることに気づくのは、真夏の日曜日、Whole foodsで買い物をしている際、教会帰りの白人老女にいきなりむき出しの肩をさわられ、あらハニー、こんなに肌を出してちゃあ風邪をひくわよ、これをみたらあなたのママがなんていうかしら、セーターはどこなの?といわれる、などという微笑ましい(まぁ見ようによればぞっとする)エピソードを介してのみである(少なくとも幸運にも私の場合は)。しかし学部生を前に政治社会問題に触れる時に、南部のコンサバティズムはわたしの背中に燃える薪を押し付ける。生徒達は言う。Obamaは最低である、なぜなら彼の政策は怠け者たちにわれわれ善良な市民の金を与えるものだからだ。同性婚は許され得ない、なぜならそれを合法化すれば近親婚や重婚など、その他の婚姻関係を是認することになるからだ。こうした反応を目の前にした時、リベラリズムのぬるま湯にリベラルのなんたるかをも知らずに浸かりふやけたわたしの皮膚はちりちりと焼かれる。

ごく雑駁に定義すれば、いわゆるリベラリズムとコンサバティズムの対立は政府の機能と個人の権利を巡って説明されうる。リベラリズムは社会的な―階級、人種、ジェンダー、セクシュアリティを巡る—インバランスを是正するための「大きな、強い政府」を支持する。個人はそれぞれの人生に関する選択をする権利を平等に有し、その権利の追求の為には時には政府の介入が必要であるとする。これに対しコンサバティズムは「小さい、弱い政府」を支持する。逆にいえば基本的にコンサバティズムは個人がそれぞれの欲望(特に所有に関する)を追求する権利に対する政府の介入を拒む。が、あるケースに於いてはコンサバティズムは政府の介入を積極的に許す。それは国家に存するとされる「伝統的価値」を守るという目的を達するためである。言うまでもなくこれらは現代アメリカにおける「いわゆる」コンサバとリベラルの大衆理解であり、すべての立場がこの二極化によって説明されるわけではむろんないし、わたしの理解もまたこの雑駁な二項対立図式を凌ぐものではない。

が、問題なのは、この雑駁な二項対立がどうやらわたしと22人の生徒のうち少なくとも80%との間の、ただでさえおぼつかない相互理解を妨げる元となりうるということである。わたし個人としては、生徒が「怠け者の為に我々の金を使うのは筋違いだ」と言う際に、まずお前はどれだけの力と金に生まれた時からまみれてきた、誰が稼いだ金だ、誰の無力を搾取して得られた金だ、お前が怠け者という人間達をそのように知的・経済的に無力にしておくことでどれだけの人間が利益を得てきた、それを考えないお前は怠惰ではないのか、と唾を飛ばしながら言いたくなるわけだが、当たり前に教師として(そして人間としても)そんなことはできない。とりあえず張り付いたような笑顔を保ち、そうか、怠け者っていうのはどういうことなのか、考えてみよう、と言う。うまくいけば誰かが、働きたくても働けない人はいる、と言う。さらに(わたしにとって)うまくいけば誰かが、働けないのは必ずしもその人個人の責任ではない、と言う。それでも多くの生徒はうつむいてこの気まずい時間をやりすごそうとするか、頬杖をついて自分は高みの見物を決められる立場にあるというパフォーマンスをする。

こうしたコンサバのアパシーに対し、どう対処すべきか、未経験な教師であるわたしはまだなにも知らない。言うまでもなくわたしのこの授業での役割は彼らにanalytical writingのいろはを教えることであり、リベラリズムへの転向を促すことでは全くない。そしてこれまでメディアを通してしかその存在を知らなかったいわゆる「コンサバ」な存在が、自分の生徒として個人として肉化した時に、彼らの信じる「伝統的価値」や「個人の権利」を一概に議論も不要なもの、強者の特権として退けることも実はわたしにはできないし、するべきではないとも思う。というのも、同時にわかっていることは、わたしが浸ってきたリベラル風呂もまた高額の入湯料を必要とするスーパー銭湯というか高級スパのようなものだということだからだ。わたしはたまたまあの両親、全共闘世代に生まれながらそれを共闘という形で戦うという選択肢を自らの政治的判断で拒み、その罪悪感にまみれながらそれを抑圧し高度資本主義と折り合いをつけながら彼らの憎んだシステムの中ですこやかに子育てをしようとした彼らの子供である。わたしの(そしてわたしの世代の)政治的無関心はたしかに、彼らの世代のねじれた政治的無関心―失われた理想のメランコリックな抑圧―の振る舞いの写し鏡であるが、彼らがたしかに恥じながら隠し持っていたある種の政治的理想はわたしの政治的無関心の中には存在しなかった。そんな高額なぬるま湯にただで浸かってきた贅沢をいまわたしは、清算しようとしているのだと思う。

たかが必修のコンポジションの授業である。たかが週三回、一回一時間の授業である。けれども醜い狸のわたしは声も高らかにせせら嗤う美しいうさぎに対して、沈む泥舟からこう言うだろう。ほれたが悪いか、と。教育に対する愛と誇りが、三十となりいまだ子を産むことを潔しとしないわたしが自分の両親に対してできる最大限の恩返しであり、そのためには燃える薪でぬるま湯を熱くもしよう。でもちくしょう、あちぃよ、あちぃんだよ。

[Peach Pie (Pear Pie)のレシピ]
そんなわけで最近は日々頭から湯気をだしながら授業から家に帰ってくるわけだが、週末くらいはちゃんと気持ちを切り替えて心穏やかに過ごさないと身体に悪い。心に負った手ひどい火傷に対する一番の薬はうさぎのくれる軟膏ではなくて糖分なのである。よしきた、季節の果物をたくさんつかったパイを焼こうではないか。


DenverでPJとともにhouse sitterをしたおうち(PJの大学時代の友達の家なのだが)には庭に小さな桃の木が二本あった。こちらでは夏は桃のシーズンなので、ごらんのように三日に一度は抱えきれないほどの桃を収穫することになる。こちらの桃は日本のような果肉がとろけるような白桃ではなく、もう少しちいさく、酸味があって固い黄桃がメインである。しかしこの大量の桃、とてもふたりでは食べきれない。どうしたものかと考えた結果、パイを焼くことにした。どちらかといえばずっしりタルト派のわたしではあるが、アメリカでは焼き菓子といえばアップルパイに代表されるパイである(タカトシの「チェリーパイ」「欧米か」の懐かしいやり取りを思い出してほしい)。まぁいっちょ焼いてみるかと思い焼いてみたらこれがなんというかほんとうに美味しかった。

しかもこのレシピはかなり応用が効いて、固めの洋梨でもリンゴでも代替可。是非一度、季節のフルーツが大量に安売りされている時に作ってみてください。それからアメリカのパイクラストは日本のパイのようにさくさくほろほろと崩れる折りパイではなく、ガーッとFPをつかって混ぜるだけの練りパイが主流なので、これもらくちん。わたしは固めのざくざくが好きなので、キッシュの生地を使っています。


[フィリング材料]
☆黄桃 小8から10 個 (合せて1.5kgくらい。洋梨なら5, 6個くらい)
☆レモンまたはライム果汁 大1
☆ブラウンシュガー (あればバニラシュガー)70g (アメリカ 1/3 カップ強)
☆白砂糖 70g (なければどちらかの砂糖合せて140g アメリカ2/3カップ強)
☆シナモン、オールスパイス、カルダモンなど好みのスパイス 小1
☆コーンスターチ 大3
☆蜂蜜 大1
☆アーモンドエッセンス(なければ省略可)小1
☆卵 1個
[クラスト材料]
★薄力粉 240g(わたしは全粒粉を使っています)
★バター   140g(わたしは発酵バター: cultured butter を使っています)
★卵 1個
★砂糖 大1
★塩 小1/2
★冷水 30ml

①前日にキッシュの生地のレシピの①から④を参考にして生地を仕込んでおく。二つの丸くて平ためのかたまりにわけてラップできっちり包み、冷蔵庫で一晩寝かせる。
②打ち粉をした台とめん棒でそれぞれのパイ玉をパイ皿の大きさに合わせてのばす。一つはバターを塗り小麦粉をはたいたパイ皿に敷き込んで、もう一つは平たくのばしたまま、どちらも乾燥しないようラップをかぶせて冷蔵庫で保存。オーブンは215℃(420°F)に余熱。(なお、パイ皿に敷き込んだほうは、上に余った部分を左手の親指と人差し指のはらでちいさな「く」の字をつくり、生地の外側にそれをあてがい、右手の人差し指で「く」のくぼみ部分を押し込むようにすると波形ができる。)
③[桃の場合:湯剥き]大鍋に湯を沸かす。桃はお尻に包丁で大きめのX字を入れる。
④湧いたお湯に桃を投入して約2分待つ。湯きりして桃のかわをぴろぴろとはがす。なお、梨やりんごの場合はこの行程は不要。ただ普通に包丁で皮を剥いてください。桃もあまりに固いものの場合は湯剥きがうまくできないので、その場合は諦めて普通に皮を剥いてください。
⑤皮を剥いた果物をスライスしてゆく。固めの洋梨やリンゴの場合とくに薄くスライスすること。このレシピでは下煮をしないので、薄くして(1mmくらい)オーブン内で火が通るようにするのが肝心。レモンないしライム果汁をまぶし、変色をふせぐ。
⑥ブラウンシュガー、白砂糖、スパイス、コンスターチをボウルに入れ、泡立て器でよく混ぜる。
⑦果物に⑥をふりまぶし、果物が完全に⑥でコーティングされるようにまぜる。さらに蜂蜜、アーモンドエッセンスを加え、また混ぜる。
⑧②でパイ皿に敷いた生地の底に溶いた卵を刷毛で塗っていく。余った卵は上に塗るのでとっておく。卵を塗ることでパイがかりっとするが、この行程は省略可。
⑨⑧に⑦をおたまなどですくいいれていく。ボウルにのこった茶色い液体も必ず全て入れること。多すぎるかな、と思っても大丈夫。焼くと多少かさがへります。入れる時に若干中心が盛り上がるようにすると焼いた後に見栄えがいいです。
⑩ここからはいわゆる "latitce crust" といわれる、格子状のクラストの説明。②で冷蔵庫で冷やしてある平らなパイ生地をとりだし、幅1.5cm程度のストリップに切り分ける。全部で10本くらいになるはず。最初に縦になるストリップ(端から1本おきにとっていく)だけをすべて並べ、次に残ったストリップを一本ずつ横に並べ、縦ストリップの上下にくぐらせていく。lattice crustにはいろいろな作り方があり、ネットにもいろいろ載っているのだけれど、Smitten Kitchenというアメリカ人料理ブログのがわかりやすい。言葉ではなかなかうまく説明できないので、これを参考にしてください。
⑪あまったナイフでストリップを切り落とし、指で下のクラストに粘土遊びをするようにくっつけていく。⑧で余った卵液をストリップに刷毛で塗っていく。あればバニラシュガーを上からさらさらと散らしてもよい。
⑫アルミホイルを敷いた天板にのせ、215℃(420°F)のオーブンで20分。185℃(370°F)に下げてさらに30から40分。中の茶色の液体がぽこぽこと吹き上がってクラストにかかるくらいが理想(だから下にはアルミホイルを敷いた方がいいです)。
⑬粗熱がとれたら冷蔵庫で2時間から3時間冷やす。冷やさないとフィリングが固まらないので食べられない。室温に戻して召し上がれ。

ちなみにレシピの写真はさきほど鼻息を粗くして作った洋梨のパイだったのですが、焼き上がる頃にはあらふしぎ、気持ちも穏やかになっておりました。いまちゃんと冷えたのでコーヒーと食べてます。洋梨がまだしゃくしゃくとした食感がのこっていて、とても美味しいです。これで明日もがんばれる気がするよ。

2012年3月18日日曜日

St. Patrick's Day




こちらに来る前にはリースというのはクリスマスの為に飾るものだと思っていたのだけれど、アメリカの玄関というのは年がら年中ではないにしろ、けっこう驚くほどの頻度でwreathで飾られている。1月中頃、ホリデイシーズンを過ぎてもまだあちこちの家の玄関先に色とりどりのリースが掛かっているので、ああこりゃ松飾りを外し忘れたようなもんなのかな、いかんいかん、福を逃がしますよ、と思っていたら、PJがよくリースの色を見てご覧なさい、と言う。紫、金、緑。あ、これはMardi Grasカラーじゃないか。ルイジアナではクリスマスとニューイヤーを過ぎると人々はMardi Grasの準備に忙しい。玄関先も当然Mardi Gras用のリースで飾らなければ気が済まないのだ。さてMardi Grasも終わって、じゃあいよいよリースを外す頃かしら、と思ったら、今度は家々の玄関先が明るい緑のリースで飾られてる。リースは元気に育った庭いっぱいのクローバーとともに南部の光に照り映えて、そう、三月のお祭り、St. Patrick's Dayの準備が始まっているのである。

3月17日にはアメリカ中の多くの大都市でパレードが行われているはずなのだけれど、実は普通南部の中小都市ではSt. Patrick's Dayはそこまでメジャーなお祭りではない。が、Baton RougeではMardi Grasの時と同様、爆音のダンスミュージックとともにフロートによるパレードが二時間も三時間も続く。なぜフランス・スペイン系の影響の強いルイジアナでこのアイルランド系のお祭りがこうも盛大に行われるかというと(ちなみにアイルランド系移民はBoston や New Yorkを初めとする東海岸に多い)、それはこのお祭りがカソリック由来のものだからなのである。Mardi Grasの時にも書いたけれど、ルイジアナはプロテスタント色の濃い南部で唯一ともいえるカソリック州。これがカソリックの特徴だと一般化するわけではけしてないけれど、わたしがこの地で触れたカソリックというのは、教義・典礼的には大変厳しいのだがそれを相殺するかのごとくひとびとの日々の生活は(とりわけプロテスタントのそれに比べ)めっぽう享楽的でかつ情熱的なのである(…やっぱりでもこれってカソリック全般に言えることなのではないかという疑いが頭をよぎるのは同じカソリック系の中南米およびイタリアの人々の性的おおらかさによるのだが)。St. Patrick's DayはMardi Grasの翌日のAsh Wednesdayから始まり四月の謝肉祭までの節制の日々、レントにあって唯一飲めや歌えやが公に許される日とあって、人々はまたこれでもかというほどに乱れ狂う(ちなみにそれなりにレントにまじめに取り組んでいる人たちもいるのだなと感じたのはAsh Wednesdayのその日、キャンパスを歩いていたら、いかにもソロリティの女の子らしいブロンドちゃんがiPhoneを片手に激怒していて、いったいどうしたのかと耳をそばだてたら、Ash Wednesdayに肉を食べるなんてほんとに信じらんない、わたしたちの関係を考え直したいわ、などと言っていたときだったのだが、まぁ実際、大抵のひとはほとんどレントなど気にしていなさそうだ。要は単に騒ぎたいんです)。

おそらくこれはMardi Grasを擁するルイジアナならではの現象なのだが、あいかわらずパレードではフロートの上の人々が緑色のビーズの雨を降らせる。ビーズだけではなく、ビール用の緑のコップや上の写真のようなパンツ、leprechaunと呼ばれるアイルランド民話に出てくるキャラクターをかたどった奇妙なマスコットなどが雨霰のごとく降ってくる。その中に身の丈60cmほどの兎のぬいぐるみがあり、これはパレードで約10体しかないというラッキーアイテムなのだけれど、ありがたいことにパレード最前列で友達と踊っていたらなぜかおじいちゃんがフロートから身を乗り出してわたしに手渡してくれたので、1歳の娘のいる友人にプレゼントした。パレードが終わる頃には左の写真のように緑のビーズで身動きがとれなくなり、周りのひとに手伝ってもらわないと抜けない始末であった。

論文採用のお祝いにとパレードルートの周りに住んでいるルイジアナネイティブの友人が大きな鉄鍋でジャンバラヤを作ってくれたので、みんなで乾杯した。が、パーティが始まって一時間も立つ頃にはみんなぐでんぐでん(なにしろアイルランドのお祭りだからということで半端ではない強さのお酒が振る舞われる。もちろんわたしは相変わらずビール一杯くらいしか飲めないので事なきを得たが、)で、気づけばホストである友人は数人の女子とベッドルームに消え、ありがとうを言ってPJと家路につこうと思ったら、ベッドルームの前までいったPJが、あ。これは。入っちゃだめだわ、すごいことになってる。と言っていたので、中で何が行われているかは恐ろしくてのぞけなかった。どんだけだい、と思いながらPJ宅まで歩いているとそこかしこでパーティミュージックの中、パトカーの音がこだましていた。全て真っ昼間に行われているのだからほんと、どんだけだよルイジアナ。

[Pistachio Cookiesのレシピ]
そんなわけでわたしもなにかパーティに緑色のものを持って行こうと、今回はピスタチオをベースにしたお菓子を二種類焼いてみた。いつものごとくタルト生地を余らせていたので、ひとつはピスタチオのタルト、それからもう一つはPJのお母さんのレシピによるピスタチオのクッキーである。実はタルトの方もお母さんレシピに想を得て、いつものアーモンドクリームにフードプロセッサーで粉にしたピスタチオとフェンネルシード、アーモンドエッセンスを混ぜただけなので、今回はクッキーのレシピだけ(タルトは写真のようにSt. Patrick's Dayのエンブレムであるshamrockをかたどって粉砂糖でデコレーションしてみた。四葉のほうが縁起がよかろうと思ったが実際にはクローバーの三つ葉がholy trinityを象徴しているそうなので、三つ葉が基本だそうです。ふむふむ。切るときれいな緑色です)。アメリカレシピだけにその大量のバターと砂糖の量に腰が引ける方もおられるかとは思いますが、大量に焼けるので日に1枚、2枚食べる分には問題はないはずです。お味のほうは太鼓判。ほんとうにおいしかったです。

☆発酵バター 250g
☆砂糖 250g
☆小麦粉 250g
☆ベーキングパウダー 小1
☆塩 小1/2
☆ピスタチオ 100g
☆たまご 1つ
☆アーモンドエッセンス 小2
☆ライムの皮をおろしたもの ライムひとつぶん
☆フェンネルシード 小2

①ピスタチオは飾り用少々を残してフードプロセッサーで細かい粉にする。
②オーブンは180℃に余熱。
③バターを室温に戻し、電動泡立て器でクリーム状にする。
④砂糖を③にまぜこみ、さらに電動泡立て器で滑らかなクリームになるまでまぜる。
⑤卵を4度にわけて④に加える。そのたびに電動泡立て器を使うこと。分離しないように。
⑥アーモンドエッセンス、ライムの皮、フェンネルシードをゴムベラで混ぜる。
⑦⑥に塩、小麦粉、ベーキングパウダーをふるいいれ、ゴムベラで粉っぽさがなくなるまでまぜる。
⑧ピスタチオの粉もさっくりとまぜこむ。
⑨天板にオーブンシートをしき、生地を2cmくらいのボールにしてのせ、手のひらで抑えて平たくする。飾りのピスタチオを乗せる。焼き上がると生地が広がるので生地と生地の間を最低1cmは空けること。わたしはこの分量で直系5cmくらいのクッキーが40枚強焼けたので、一度に天板に全てに乗せるのではなく、3, 4回にわけて焼く。
⑪10分くらい焼いて、うっすらと焼き色がついたらオーブンからだしてオーブンシートごとクッキークーラーにうつし、粗熱をとったら召し上がれ。しかし個人的には冷蔵庫で冷やしてからの方がフェンネルシードやピスタチオの香りがたっておいしかったです。

あいかわらずセブンティーズなルイジアナの人々はお祭りになると外でにこにこと煙草代わりにポットをたしなむのですが(違法なはずなんだけどなぁ…)、大麻というのは味覚をふくめいろんな感覚を強めるそうで、近所のおじさんやおばさんもわたしのクッキーとタルトを食べながら、ああおいしい、こんなにおいしいお菓子ははじめて!と言ってくれたので、どうかルイジアナの民の快楽に貪欲な罪深さを許してくださいと、抜けるような青空にお祈りした。

2011年6月15日水曜日

PJ Withdrawal and Raspberry Chocolate Cake

例の二日酔い以降、なんとはなしに意気があがらない。PJと電話をして、夏風邪かもしんない、といったら、いやいやそれはPJ withdrawalだよ、と笑われた。Withdrawal というのは薬やアルコールなどに対する依存症のある人が急にそれらを摂取するのをやめた時に起こる離脱症状である。写真はMeth Withdrawal(Methというのはmethamphetamine。あれですね、のりPの)のページのものなわけだけど、たしかに最近わたしはこんな表情で机の前に座っていることがある。

PJ withdrawalというのは言い得て妙なものだ。たしかにBaton Rougeにきて10ヶ月(ここに来たのが8月の頭、初めてPJに会ったのが8月の半ばなので)、ほぼずっと隣にPJがいたわけで、学校の忙しさがピークのときなど、ほっといてちょうだいよ!という風にもなったわけだが、初めてこうやって離れてみると、わたしにとってBaton Rouge=PJだったんだなぁ、などとつくづく実感する。夏のBaton Rougeの暑さというのは想像を絶したもので、3月半ば以降長袖というものにはついぞご縁がないし、湿度は常に80%以上、しかも街の北部にはけっこうたくさんのchemical plantがあるのでBaton Rougeの空気は全米で1、2を争う汚さなのだが、湿気のせいでその空気の汚れがますます強く感じられる。友人等はBaton Rougeをthe filthiest town in the nationなどと罵るし、けっこう多くの人がこの暑さに耐えられず街を脱出する(アングロサクソンの人々の気温の感じ方は明らかに我々とは違うようで、たぶん体感温度が4から5℃くらい違う)。が、相変わらずわたしはこの暑さが大好きで、喫茶店の外の席であつーあつーと言って汗をかきながら読書に励んでいた…わけなのだが、ここ2日ほどはBaton Rougeなんてなにさ、もう知らない、みたいな気分なのだ。

それに加えて、いま書いている論文もまた思い切り暗い。Willa Catherはアメリカ南西部を舞台にしたMy AntoniaとかO Pioneers!で有名な20世紀初頭の作家なのだが、70年代以降(いやほんと60年代、70年代というのはこういう時代なんだな)レズビアンであることが「発見」されて、それ以来彼女の作品にはセクシュアリティ分析が大きなジャンルとして加わっている。しばしば問題とされるのは彼女が一貫して自分のセクシュアリティについて沈黙を守り続けていたことで、Catherが遺書の中で自分がこれまで書いた手紙の一切を後の研究者が引用することを禁じ、またgross indecency trialで裁かれたOscar Wildeを酷評したことなどから、彼女はある種のhomophobiaを内面化していたという風に論じられることが多い。

わたしが今扱っているThe Professor's Houseというのは1925年の作品なのだが、主人公のProfessor St. Peterは彼の死んだ生徒であるTom Outlandに対する尋常ならぬ思い入れとともに、小さな書斎に閉じこもって家族とのかかわりを断っている人物である。この書斎はどうみてもclosetだよね、という印象からわたしの論は始まっているのだけれど、ただしわたしはSt. Peterのセクシュアリティを抑圧されたhomosexualityとして捉えるのではなく、closetの中に閉じこもり、melancholicに失われた対象と同一化することで得られるある種のautoeroticismであると論じて、Catherのセクシュアリティに関する沈黙と彼女の"the thing not named" ("The Novel Démublé"という彼女のエッセイに出てくるフレーズで、これまたしばしば"The love that dare not speak its name" というhomosexualityのcodewordに結びつけられる)に対するこだわりを、20世紀のhomo/hetero binaryのディスコースと性解放のディスコースに参加することに対する抵抗として読んでいるわけだが、このmelencholia分析のおかげでわたしはいまちょっとばかり心理的にやられているのかもしれない。すべてのペーパーというのは自分にとってなんらかの意味でpersonalなものなわけで、だからこそ研究がやめられないのだから、ある意味ではこの状況を楽しんでいるといえば楽しんでいるのだけど。しかしなぁ。

***
そんなわけであまりずっと論文だけに係っていてもよくないな、と思い、ケーキを焼いてみた。気づけばチョイスはPJの大好きなRaspberry chocolate cake…ううむこの心理状況はPJの不在に関わるメランコリーだということなのだろうか。まぁ、そう考えたほうが気分がよいので、それはそれでよしとしよう。久々のうだうだポストだが、お味の方はばっちりなのでご安心を(実際これを食べたら少し元気になったので、いまからまたペーパーに戻れる)!ついでにこれと似たレシピでチョコスフレも作ったのだけど、それはまた今度紹介することに。

[Raspberry Chocolate Cakeのレシピ(18cm丸形)]
☆Raspberry 1パック(180gくらい。ケーキ用の120gとソース用の60gにわけておく。ちょうど季節なのでフレッシュを使ったが、冷凍でもいい)
☆製菓用チョコレート(カカオ分65%くらいのもの)180g
☆発酵バター 140g
☆グラニュー糖 145g(ケーキ用の50gとメレンゲ用の70gとソース用の25gにわけておく。めんどくさくてすみません)
☆小麦粉 20g
☆卵黄 60g (約4個分)
☆卵白 180g (約4個分:冷凍庫でまわりがすこし凍るくらい冷やしておくと安定したメレンゲになる)
☆レモン汁 小1

①チョコレートは刻んで(わたしが使っているのはすでに小さなチップになっているものなのでこの必要はなし)バターも小さくして溶けやすいようにする。
②ボウルに①を入れて、湯煎にかけて完全に溶かす。40℃くらいになったら火から下ろす。この間、型にオーブンペーパーを敷いておく。底は丸く切って敷き込み、まわりにはぐるっと巡らす。けっこうべったりくっつきがちなのでこれを怠ると型から抜けない。
③グラニュー糖50gを入れてよく混ぜる。その後卵黄、またよく混ぜる。さらに小麦粉をふるい入れて、またよく混ぜる。このあたりは手早く。
④メレンゲをしっかりめに立てる。卵白に70gのグラニュー糖のうちひとつまみを加えてハンドミキサーの高速で泡立てる。しっかり泡立ったら(いわゆる「お辞儀をするくらい」の固さ)残りの70gを3回にわけて入れて、その都度しっかり泡立てて、最後に低速できめを整える。最終的にはすこしすくいあげて逆さにした時に落ちてこないくらいの固さにする。
⑤③に④とラズベリー120gを加え、ゴムベラでさっくりと混ぜ合わせていく。色が均一になったらOK。
⑥用意した型に⑤をゆっくりと入れる。180℃で45分から50分焼いて、冷めたら型から出す。チョコレート系のお菓子全般に言えることだけれど、焼いた当日は味が馴染まないのであまり美味しくありません。翌日ないし翌々日にめしあがれ。
⑦そのままでもよいのだけれど、ソースをかけるともっと美味しい。ソースは小鍋にラズベリー60gと砂糖25g(要はベリーの40%の砂糖ということ)をいれて軽く混ぜ合わせ、弱火にかけてコトコト約5分(ベリーの形を残したい場合は煮ている間あまり混ぜないこと。水分が自然に出てくるので焦げることはない)。様子をみていい感じになっていたら最後にレモンを加える。生クリームを泡立ててそこにたらしてケーキと一緒に食べればさらに美味しいし、アイスやヨーグルトにかけて食べてもおいしい。ちなみにブルーベリーでも同じ要領で作れます。

BRを発つまで残りあとわずかなのであまった生クリームを使う暇もないかな、と思い、おそるおそる写真のスプレー缶入りのクリームを使ってみた。添加物などを気にする向きの方々にはおすすめできないけれど(実際賞味期限の長さにどん引きしなくもない…)いやはや簡単便利に負けました。いつもコーヒーショップとかで店員さんがもしゃーっとフラペチーノ的なものにかけるのをみて興味津々だったのが(ちなみにSt. Augustineで食べたKey lime pieの写真のクリームもこれだったし、テレビドラマなんかで女の子達が夜中にこれをそのまま缶から飲むように食べるのも目にする。もちろんポルノでは…あとは説明は不要ですね)、使ってみるとバラの口金で絞ったようなクリームが簡単に出せてしまうのでちょっと感動した。いや身体に悪そうだけどさ、まぁアメリカーナの醍醐味ということで一度くらいはね。さあ土曜日にはこちらを出発してLAだ!がんばるぞ!

※追記※
出発前に冷蔵庫の野菜を全部食べなければいけないので、さて大量のromaine lettuce(こっちではこれがとても安い。3個パックで$2くらい)をどうやって食べようかなと思い、シンプルなレタスのサラダを作ってみた。ただちぎって市販のドレッシングをかけたり、茹でてオイスターソースとマヨネーズで和えたりと、いろいろ食べ方はあって、どれも手軽でお気に入りなのだけど、この食べ方も簡単でけっこうおいしかったので、覚え書き。もちろん普通のレタスやキャベツなどでもできますが、それぞれひとつ使うとromaineよりだいぶ葉っぱの分量が増えるので、様子をみながら加減してください。いつものサラダレシピのとおり、材料と分量は適当なので、とにかく手近にあるもので。

[Simple romaine lettuce salad]
☆romaine lettuce 1株
☆ミックスナッツ 大2
☆パルメザンチーズ 大1弱
☆オイル 小1弱(好みのオイルで。わたしは胡麻油をよく使います)
☆砂糖 小1
☆塩 小1/2 (これも好みのお塩で。わたしはガーリックソルトを使います)
☆酢 小1(くどいですが好みのお酢で。レモン汁でもいいし、ワインビネガーやバルサミコでもいけます。わたしは味をみながら何種類か混ぜます。)
☆黒こしょう 少々

①レタスは粗めの千切りにする。
②レタスをオイルで和える。トスするように。
③お砂糖を全体にまぶして、またトス。
④塩、酢、胡椒、パルメザンをそれぞれまぶしてトスの繰り返し。
⑤ミックスナッツを粗く刻んで最後にぱらりと。

ポーチドエッグを乗せておいしくないわけがないよね、ということでこちらもご紹介。ポーチドエッグは見た目によらず簡単で、たっぷりめのお湯をぐつぐつ湧かしてお酢を小さじ1くらい入れて火を弱め、お玉でうずを作った中にお椀等に割った卵をそっと流し込んで、お箸等で白身の広がりを抑えて2分半。またはマグカップにお水(1cmくらい)とお酢少々を入れた中に卵を静かに割り落とし、爆発防止に黄身に竹串などで穴をあけてレンジで約50秒。写真はレンジバージョン(お湯で作った方が白身と黄身の食感のコントラストが楽しめます)。

あとは、そうだな、お砂糖を少し控えめにしてドライクランベリーを刻んで入れたのもおいしかった。なんといってもベリー、ナッツ、チーズの組み合わせは最強なのだ。ちなみに写真の木のボウルは日本のもので、そのままボウルで和えてテーブルに出せるのでお気に入り。日本に帰ったらまた木の器を買おう、そうしよう。料理というのは不思議なもので、なんだかんだでいろいろ作って食べてたら元気が回復して、無事に書き直しの第一稿が出発前に仕上がりそうだ(というかいっそ単に栄養が足りてなかっただけかもしれない気すらしてきた)。

2011年6月6日月曜日

St. Augustine, FL

話は前後するが、Memorial Dayの前の週にFloridaのSt. Augustineという街に行ってきた。前学期でGeorgiaに帰ってしまったPJの旧ルームメイトのAの家族がSt. Augustineにビーチハウスを持っているということで、ファイナルズが忙しくてお別れもろくろく出来なかったわたしとPJをAが招いてくれたのだった。FloridaといってもSt. Augustineは半島の付け根の大西洋側、Baton Rougeから真東くらいに位置する。MiamiやKey Westからは車で12時間くらいあるので到底そこまでは行けなかったが、Florida「北部」とはいえ十分に南なのでもちろん暑い。お気に入りのワンピースに麦わら帽子、それから小さなスーツケースを持ってうきうきと飛行機に乗り込んだ。アメリカで初めてのバケーションである。


St. Augustineは大西洋に面したビーチなのだが(そして実際ゴーグルをしてたっぷり泳いで真っ黒に日焼けしたのだが)、なにより特筆すべきはこの街がアメリカ本土に現存する最古のヨーロッパ植民都市だということだ。湾にかかった橋を車で渡ると、写真上のようなヨーロッパ風の建物が現れる。St. Augustineの歴史は波乱に満ちている。街は1565年、他の多くのFloridaの街同様、Seminole Indianを制圧したスペインの入植者により創設され、フランス、イギリスのプロテスタント軍(それからカリブの海賊!)による攻撃を受けつつ、約2世紀に渡りカソリックであるスペインによる統治が行われた。が、1763年にthe French Indian War (イギリス軍対フランス=ネイティブアメリカン連合軍の戦争で、フランス連合軍はイギリス軍に大敗を喫する)が終結し、Treaty of Parisが締結されて大規模な植民地改変が行われると、Floridaはイギリス領となる。ただしこのイギリス統治は大変に短命で、1775年に始まり1783年に終結したアメリカ独立戦争の結果、再びFloridaはスペイン領となる。Floridaがついにアメリカ領となるのは1821年だが、Civil War(南北戦争ですね)ではFloridaは南軍(嗚呼 我らがConfederate!)に与し、連邦を脱退。最終的にSt. AugustineがUSAの一員となったのは1865年、南北戦争終結時のことである。19世紀末になると写真のFlagler College(そうなのだ、大学なのだ、この美しい建物は)を建てたHenry Flaglerというアメリカ人tycoonによって鉄道が敷設され、St. Augustineは現在のリゾート地への道を歩むことになる。そうかなるほどありがとうWiki。勉強になりました。

1695 年にスペインによって作られたCastillo de San Marcosという海に面した砦はcoquinaという貝殻を合わせた石灰岩の一種で出来ていて、今でも中に入って見学することができるのだが、St. Augustineの波乱の歴史を示すように砦内部には写真のように、アメリカ国旗の他にConfederateの旗(嗚呼我らがFlags in the Dust!)、スペイン国旗、イギリス国旗などが飾られている。ちなみに砦では一日一回大砲の実演が行われて(ただし玉自体はもちろん出さない)、私たちが行った時は海に浮かんだ自家用ボートからそれを見学する人々もいて、大砲が轟音をあげて火花を散らすと、ボートに乗った子供が打たれたふりをしてドラマティックに胸を抑えて後ろ向きに海に落ちてみせて見学者の歓声ををかっさらっていった。

St. Augustine市内は、はて、どういったらいいか、このブログの写真がとても参考になるのだけど、「アメリカなのにヨーロッパ」というキャッチフレーズが実にぴったりくる街である。メルヘンだ。乙女だ。はじめに街に行った時は夕暮れだったので思わず目が♥になった。が、週末の日中に来てみると、京都は新京極を思わせる観光地ぶりが否定できなくもない(怪しげなガラス細工の店とかあるしね)。New Orleansにもすこし通じるところはあるのだけれど、なにかが違うんだよな、と思ったのは、あの猥雑さがないことで、なんというか生活臭がないのだ。ある意味ではSt. AugustineはNew Orleansよりも徹底したリゾート地で、穿った見方をすればアメリカ人のヨーロッパコンプレックスみたいなものをうまく刺激するように作られている…と言えなくもない。いやもちろん古くていい街並みなのだけど。そして人々がリラックスムード満点でフラヌールごっこをしているのは癒されるといえば癒されるのだけど。でも人と店が多すぎて疲れたというのが実は正直なところでもある。

しかし、ごはんはうまうまである。もちろんリゾート地だからということもあるのだろうけれど、どうも理由はそれだけではないらしい。Floridaは全米一居住者の平均年齢が高い州なのだけど、それはなぜかというと常夏のこの州がretireの先に選ばれるからで、St. Augustineには全米でレストランを経営していた人々がretireして新たに店を出しているとかいないとかでよいレストランが豊富にある(逆にいえばretireして生活費の高いFloridaに店を出せるくらい成功した人々の店ばかりがある)。スペイン料理のお店、リヨン料理のお店、キューバ料理のお店(FloridaのLatino率の高さ、とりわけCubano率の高さには目を見張るものがある。もちろん聞こえてくるアクセントもLouisianaとは全く違う)などなど入ったレストランは大抵おいしかったのだけど(中には観光地らしいレストランもあったけど)、中でもお気に入りはその名もFoloridianというカフェレストランのようなところで、すべて地産のシーフードと野菜を使ったFlorida料理を出してくれる。特に印象的だったのは写真のFried Green Tomato。その名のとおり熟す前のトマトを揚げたものなのだけど、Florida名物と聞いてはいたが、いやほんとにおいしかった。

***
FGTの他にもうひとつ、Floridaに来たらどうしても食べたかったものがある。Key lime pieである。Key limeというのはKey West特産の小さなライム(普通のライムの半分くらいのサイズ)で、アメリカでは「キーライムパイ味のガム」「キーライムパイ味のクッキー」「キーライムパイ味のアイス」などがどこのスーパーでも売っているのだけれど、肝心のキーライムパイ自体をわたしは食べたことがなかった。日本の「きゅんと甘酸っぱい恋の味」的な表現による刷り込みなのだろうと思うが(アメリカでは「恋」が「甘酸っぱい」というのはよくわからないらしい。Bittersweetという表現が恋を表すことはあってもSweet and sourというと中華とかタイ料理にしか結びつかない)、わたしはレモンやライム味のお菓子にめっぽう弱い。Vegetarianで極右甘党のAにキーライムパイを食べないとLouisianaに帰れない、と言ったら、なんて、なんてすばらしいミッションなんだ!と興奮しておいしいキーライムパイを一緒に探してくれた(PJは我々の女子的熱狂にひいていた)。夜風にふかれながらAと夢中で食べた、冷たいフィリングにたっぷりのホイップクリームと蜂蜜をかけたkeylime pieはしばらく会えない友達との思い出の味になった。

そんなわけで再現レシピを書いておこう。ただし今回はフィリング作りであまった卵白を使いたかったのでトッピングとしてメレンゲを載せて焼いたのと、伝統的なグラハムクラストのカロリーに恐れをなしたのでくるみのショートブレッド風クラストを使ったのが正統的なレシピとの違いです、あしからず。

[Key lime Pieのレシピ]
★グラハムクラスト
☆グラハムクラッカー 150g
☆バター 75g (わたしは塩味の甘味に弱いので有塩と無塩を混ぜたが、もちろん無塩でも。レンジなどで溶かしておく)
☆ブラウンシュガー 大1
☆塩 少々

または
★くるみのショートブレッドクラスト
☆薄力粉 70g
☆バター 35g (ちいさなキューブにしてよく冷やす。冷凍庫にいれても。)
☆くるみ 35g
☆ブラウンシュガー 20g
☆塩 少々

★フィリング
☆ライム果汁 120cc (ライム5個あるいはキーライム10個くらい)
☆ライムの皮のすりおろし 小2(緑の部分だけ。白い部分は苦い。)
☆コンデンスミルク 250cc(こちらでは14oz缶というのが売っていて、それの2/3くらい)
☆卵黄 3個分

★トッピング
☆卵白 3個分 (よく冷やしておく、冷凍庫で少し回りが凍るくらい)
☆砂糖 70g
☆ライム果汁 10cc (普通はレモン汁だが今回はフィリング分のライム果汁からすこし取り分けておく)

①クラストから作る。伝統的なグラハムクラスト(これも作ったがやはり背徳的でおいしかった)の場合、グラハムクラッカーをフードプロセッサーにかけて、粉状になったらブラウンシュガーと塩を入れてさらに混ぜる。混ざったら溶かしバターを加えてまたFPで混ぜる。ショートブレッドクラストの場合はすべての材料をFPに一気にいれて10秒ほど混ぜる。バターがお米くらいの大きさになるまで。
②①を20cmのタルト皿に敷き詰める。砂の城を作る要領で押し固める。グラハムの場合けっこう根気がいる作業だが童心に帰って楽しむのがコツ。底面はグラスなどで押すとよい。
③180℃(350°F)で15分くらい。焼けたらよく冷ます。グラハムの場合、特に焼きたては固まっていないようで不安だが冷やすと固まるので心配しすぎないこと。
④次はフィリング。卵黄をよく溶いて、コンデンスミルクを加えてよく混ぜる。さらにライム果汁を少しずつ加えて混ぜる。最後にライムの皮のすりおろしをいれてひとまぜ。
⑤③に④を流し込む。180℃で15分。冷蔵庫あるいは冷凍庫などでよく冷やす。メレンゲを載せない場合はこれで終了。トッピングにホイップクリームを載せてもいいし、なにも載せなくてもいい。
⑥最後にメレンゲ。よくよく冷やした卵白にライム果汁と分量の砂糖からひとつまみを加え、ハンドミキサーの低速で軽く全体を混ぜる。卵白がほぐれたら高速にして約4分。砂糖の1/3を加えて30秒を3回繰り返す。メレンゲにつやがでて先がぴんと立つまで。泡立てすぎるとぼそぼそになるので注意。
⑦⑤に⑥をのせていく。デコレーションの仕方は好みだが、真ん中を小高くもるのが基本の様子。スプーンの背で角を立てるのもベーシック。ゴムベラやパレットナイフで模様をつけてもいい。
⑧粉砂糖を少し振りかけて200℃のオーブンで12分くらい。写真はオーブンの温度が高すぎたので角が焦げている。全体が(均一ではなくても)うっすらきつね色になるのが正しいあり方。またよく冷やす。最後にライムの皮を少し削りかけても。


夏にぴったりの爽やかなケーキだと思う。PJの家に泊まる度にモーニングコーヒー(というかエスプレッソ)を入れてくれたAを思い出して今日はコーヒーと食べた。そういえばPJはAのエスプレッソがないと朝のお仕事ができないと嘆いてエスプレッソメーカーを買ったが、やっぱりなにか違うと嘆いていた(…なんの仕事かは想像にお任せしますが、わたしにとっては朝のニコレットがそのお仕事の鍵です)。Georgia出身のAの南部アクセントが理解できなくて、最初は彼がしゃべっているといつもぽかんとしてばかりだったのに、それでも優しく見守ってくれたこと、しばらくしてコミュニケーションがとれるようになったのをとっても喜んでくれたこと、きっと忘れない。1年間、ほんとうにありがとう。Georgiaでの日々が豊かなものでありますように。

2011年5月22日日曜日

Home Party

前学期の終わりもそうだったのだけど、学期が終わって人心地つくとなにがしたいって、タルトが焼きたいのだな。今回は桃のタルト(フィリングはラム入りのアーモンドクリーム)とレモンクリームタルト(チーズクリームの上に自家製レモンカードをのせ、冷やし固めてライムの皮のすりおろしと黄色いラズベリーを飾った)。なぜ二つも一気に作ったかというと、先日PJが自宅でdinner partyを主催し、知らぬ間にわたしもco-hostということになっていたからなのだった。そんなわけでタカトシもびっくりの欧米か具合で、はじめてhome partyなるものを執り行うことになった。

アメリカ(特に南部)人というのは本当にhome partyが好きで、前述のとおり毎週どこかしらの家でなんらかの理由でパーティが行われているといっても過言ではないのだが、その多くはpotluckと呼ばれる持ち寄りのパーティである。しかしたまにちゃんとhostないしhostessが取り仕切るパーティみたいなものもやっぱりあって、最初にわたしがそれに招かれたのは指導教授の家(指導学生全員を招いてくれた)だったのだが、まぁ前菜、サラダ、スープ、主菜にデザートの見事なコースであった(しかも全て地産ものを使ったクレオール料理)。

ただしhostがすべてをコースとして一皿ずつサーブするのは大変(しかも皿が何十枚と必要になる)。なので代わりに、テーブルにセットされたお皿を手にとって、お客さんが自らキッチン(といってももちろんこちらの場合たいていがダイニングキッチンみたいに広いわけだけど)に赴いて前菜から主菜までを自分で取り分けて、テーブルに戻って料理を味わい、一段落したところでhostがデザートをサーブする、というのがフォーマルではないhome partyの定石のようで、実際、その後何度か経験したパーティでもそんな感じだった。それから共通しているのは、コースの前、招待客が集まる時にどのパーティでも、ダイニングとは別のところ(ポーチだったりテラスだったりリビングだったり)にワイン、チーズ、オリーブ、パテ、クラッカーなどをセットしておいて、皆が集まってはじめてダイニングに皆で移動する、ということ。わくわくしながらダイニングに足を踏み入れた時に、花やキャンドルで飾られて完璧にセットされたテーブルを見た時の感動というのは、見通しのきかないだだっ広いアメリカの家ならではのような気がする。

とはいえもちろんわたしたちは貧乏大学院生なので、できることはたかが知れているといえば知れている。ぴかぴかの銀器も燭台もないし、8人分の揃いの椅子もない(ただしアメリカの食器はこうした機会を考慮にいれて大抵の場合「豪華8人セット!」みたいな感じでメインプレート、アペタイザープレート、デザートプレート、ミニボウルなどがそれぞれ8セットずつ入って40ドルくらいからあるので、皿だけはどこの家にも腐るほどある)。それでも空いたワインの瓶にキャンドルを削って立てて、裏庭の花や緑をガラスのボウルに浮かべて、ウォーターグラスとワイングラス、それから畳んだナプキンの上にナイフ・フォーク、スプーンをセットしておくと、それなりに見栄えがするから不思議である。

PJがメイン(ポークチョップ、椎茸とバルサミコ酢のソース添え、サイドはいろいろ野菜のスターフライ)とアペタイザー(マリネしたパプリカ、それからバジルソースと豆の二種類のブルスケッタ)、わたしがサラダ(シンプルなガーデンサラダとキヌアサラダ、それからカリフラワーとモッツァレラ、にんにくの和えもの)とデザートをそれぞれ担当して、お客さんはワインやチーズを持ってきてくれたので、なんだかちょっぴり華やかなテーブルになった。さんざん飲んで、食べて、話して、学期の終わりをみんなでお祝いして、最後はPJの新しいルームメイト(Orange Beachに連れて行ってくれたDくん)のごんぶとの望遠鏡で土星を鑑賞した(土星のわっかがほんとにあったので感動した)。

お客さんが満足して帰ってくれるころには1時を回っていて、お皿を洗い終わることにはふたりともくたくたになっていたけれど、PJは「初めてのco-hostedパーティだったね」ととてもうれしそうだった。考えてみればhostとhostessというのはたいてい夫妻がやるものなので、こういう風にカップルがパーティを行うというのは、ちょっと公に自分達の関係がちゃんとしたものであることをパフォームするような意味合いがあるようで、正直そんなこと思ってもみなかったのでちょっと驚かなかったといえば嘘になるが、まったくうれしくなかったといえばそれも嘘になる。が、同時に「やー1年に一回くらいこういうパーティやると家が片付いていいよね!」と晴れやかな笑顔でわたしがピカピカに磨いた床やら台所などを見渡すPJを見ると、大掃除にうまいこと駆り出されたような気がしなくもない。とにもかくにも、食彩の王国、ルイジアナの食を巡る饗宴はまだとどまるところを知らない。

                                                                               ***

さて、最後にこればかりはアメリカレシピには譲れない、タルト生地のレシピを書いておこう。別にわたしは別段ケーキを焼くのが得意というわけではないのだけれど(デコレーションとかできないので生ケーキはめったに焼かない)、このタルト生地だけはどこに出しても恥ずかしくない、とない胸をはって言えるので、もしよければお試しください。

[基本のタルト生地(パートシュクレ)のレシピ:20cmタルト型2台分]
☆無塩バター 100g(値ははるが発酵バターを使うと香りが格段に違う。ちなみにこちらではcultured butterとして売っているのだけど、日本の半額くらい)
☆粉砂糖 65g (普通の砂糖では生地に滑らかに混ざりにくい)
☆全卵 1個弱
☆アーモンドパウダー25g (アメリカではまだ日本のように細かいものが見つからず困っているが、アーモンドミールでなんとかやっている)
☆薄力粉 180g

①バターは室温にもどす(1cmくらいにスライスすると戻りが早い。それでも時間がない場合はボウルに入れてオーブンのwarmモードで3分くらい。レンジは禁物。溶けてしまったら元も子もない。指で押して跡がつくくらい)。
②泡立て器でバターをクリーム状になるまで練る。
③粉砂糖をふるいながらバターに加え、さらにすり混ぜる。白っぽくなるまで。
④よく溶いた卵を3回にわけて加える。その都度よく混ぜ合わせる(一度にいれると分離する)。
⑤アーモンドパウダーも加えて混ぜたら、ゴムベラに持ち替えて薄力粉をふるい入れる。ボールに押し付けるようにしてあわせる。混ぜすぎない。
⑥二等分してそれぞれ丸くしてラップにくるむ。ここで冷蔵庫にいれて一晩寝かせる。時間がない時でも最低6時間は寝かせる。そうでないと生地がだれやすくなる。
⑦型(底がとれるタイプがおすすめ)にバターを薄くぬる。冷蔵庫で冷やしておく。
⑧作業台の上にオーブンシートを敷き、そこに少量の打ち粉をする。その上に冷蔵庫からだした生地をのせ、さらにそのうえにオーブンシートを載せてオーブンシートで挟み込む(邪道といえば邪道だが、これでその後格段に成型しやすくなる)。
⑨生地は固くなっているのでめん棒で数度叩いて扱いやすい固さにする。のばせるくらいの固さになったらオーブンシートごと回しながら3mmくらいにする。タルト型より3cmくらい大きくなるように。
⑩冷蔵庫から型を出す。生地の上のオーブンシートを外し、下のオーブンシートの下に手を滑らせて、ゆっくりと型の上に運び、裏返しにして(つまりオーブンシートが上になるようにして)載せる。
⑪まず底部分だけを密着させる。それからゆっくりとオーブンシートをはがし、型の上でめん棒を転がし、余計な部分を型のふちを使って切り落とす。
⑫型の側面のひだに指を押し当てて、生地を密着させる。後で焼き縮むので、縁から2mmくらい上に出す。
⑬フォークで軽くピケ(ところどころに穴をあける。あくまで軽く)する。これによって縮みが防げる。
⑭焼く前にさらに最低1時間は冷蔵庫で寝かせる(くどいようだが焼き縮みを防ぐ)。前日までにこの行程をすませておくとよい。わたしは2台分まとめて2つの型に敷き込んで、ラップをかけ、その上からジップロックに入れている(生地は乾燥しやすいので二重にしている)。すぐに使わない場合は冷凍庫にいれてもよい。その場合、焼く前に冷蔵庫にいれて解凍する(完全に解凍されていなくてもOK)。
⑮空焼きする場合はアルミホイルを生地の上に被せ、タルトストーンを縁まで載せて180℃で20分。その後一度オーブンから出してアルミ箔ごとタルトストーンをとりのけて、さらに15分。なお、クリームチーズタルトなど、フィリングを焼かない場合はこの段階で底に卵黄を溶いたものを塗って焼くと、生地にフィリングがしみ込むのが防げる。


ふぅふぅ、いや、あらためてこうやって書くとけっこう大変な作業である。なにしろ寝かせる手間を考えると計画的にやらないといけないので、急にタルトを焼くことになるとけっこう忙しい。今回は昼間に⑥までやって、ジムと図書館に行って、その後帰ってきて⑭までやって、二つのフィリングを作ってその後焼いた(なお、アーモンドクリームの場合は空焼きしないでタルト生地にアーモンドクリームを詰め込み、上に果物をのせて50分焼く。アーモンドクリームのレシピについてはOrange Tartのポストを参照)。基本的にその土地の料理に文句をつけることはしない主義だが、アメリカ人には考えられない時間のかけ方だと思う。ちなみに、ぜひレシピを送って、と言ってくれた料理好きの女の子はどんびきしていた。いや、まぁ、アメリカレシピでもきっとおいしいとは思うのだけど、これはもう0コンマ何ミリに命をかけるお化粧と同じで自己満足の世界だから…

2010年12月18日土曜日

Orange Tart

日本にいたときもそれなりに料理は好きだったのだけれど、アメリカに来て一人暮らしをはじめてしみじみと料理のセラピー効果を実感するのは、こうやってペーパーから解放されるとまずなにがしたいって、ケーキが焼きたいのだな。

サンクスギビングの時にはピーカンタルトを焼いて、それもわりに上出来だったのだけど、昨日は深夜に思い立ってオレンジタルトを焼いてみた。オレンジの甘煮を作って、アーモンドクリームの中にオレンジの皮のすりおろしとラムを入れて焼いたらこれがおいしかった。

しかし惜しむらくは本来ラムの代わりにいれるべきコアントローがこちらではめさくさ高いこと(一瓶$50だよ、一週間の食費が飛ぶよ)、それからアーモンドプードルがいまいち粗いのか、生地をのばすときにあり得ないくらい崩落すること。アーモンドプードルを探すときもけっこう苦労して、almond powderはどこかと聞いても、なんだそりゃ知らないよ、と店員に困られた。結局こちらではalmond mealないしはalmond flourとして売っているということがわかったのだけど、どうもしっとり感が足りないんだよね。しかしMartha Stuwartのレシピなどを見るとどうやらこちらではタルトの生地にはアーモンドプードルは使わないようで、しかも全部フードプロセッサーでがんがん混ぜる様子。フードプロセッサーに関しては、こっちはCuisinartの本場ということで日本の半額以下なのですでに入手済みだから、今度はアメリカレシピをおそるおそる試してみる予定。ちなみにお菓子の基本、発酵バターはEuropean butterないしcultured butterの名称で売られていて、Wholefoodsではだいたい$5くらいで手に入るので、これも日本よりはお得感あり。日本だと1000円くらいしちゃうからね。

そんなわけできれいなタルトが焼けたとドヤ顔で彼に報告したら、それなにと困惑していたのでタルトタルトあまくて美味しいタルトと連呼していたら、あ、tartか、とようやく理解してくれた。なにが困るって日本でカタカナ語として慣れ親しんでいた単語はLとRの区別がないのでわたしが日本語のタルトを英語風に発音するとtaltになってしまうのである。カタカナ表記すると英語のタルトはタートに近い。ついでにもう一個こまったのはキューブリック。Cube lick?なに舐めるの?みたいな感じでまた困惑していたのでほら映画監督、Crockwork Orangeの、と説明したら、あ、Kubrickか、と納得していた。カタカナ表記するとクーブリックに近い。LとRの発音の区別は彼の苦心の成果でどうやら無事にできるようになったのだが(ちなみに彼の親は語学教師だった上、本人もドイツ育ちなので、外国語教育に大変熱心で、ありがたいことに事あるごとにいろんな例題を出してくれる。Are you allowed to use the public library?とか)、カタカナで記憶していてスペルのあやふやな単語というのはいまだに鬼門。あとliterature、LとRの区別をちゃんとつけようと発音するといつも舌がもつれるんですけど、とぼやいたら、それはletter+tureで発音すればいいんだよ、と教わった。なるへそ。

                                                                             * * *

[基本のアーモンドクリーム(クレーム・ダマンド)のレシピ]
☆無塩バター 75g
☆グラニュー糖 75g
☆卵 65g
☆アーモンドパウダー 75g
☆ラム 大さじ1.5

①バターは室温に戻して柔らかくしておく(薄く切って温かいところに置いておくと戻りが早い)。
②ボールにバターを入れ、泡立て器でクリーム状になるまで練り混ぜる。マヨネーズみたいになる。砂糖を一気に加え、さらに泡立て器で白っぽくなるまですり混ぜる。
③よく溶いた卵を1/6ほど残して少しずつ加えては混ぜる。一気にいれると分離する。
④ふるったアーモンドパウダー(アメリカのアーモンドミールは粗いのでうまくふるえなくてちょっと困るが、めげずに根気よくふるう)を加え、ざっと混ぜ、さらにラム、残りの卵を加えて混ぜる。混ぜすぎないこと。

上に載せるものによってラムの代わりに香りのいいリキュールをいれてもいいし、今回のようにオレンジの皮をすりおろしたものや、ナッツ(ピスタチオなど)、ごま、ココナツパウダーなどを混ぜ合わせても風味がよいのでおすすめです。

[オレンジの甘煮のレシピ]
☆無農薬オレンジ 2つ
☆グラニュー糖 50g
☆水 100cc
☆ラム(コアントロー)15cc

①オレンジは皮を粗塩でこすり、その後水でよく洗い、ちゃんと乾かす。ひとつは皮をすりおろして(クリームに混ぜ込む分)ジュースを絞っておく。もうひとつは3mm厚さにスライス。
②水とグラニュー糖を小鍋にかけて沸騰させる。
③スライスしたオレンジを投入してふたたび煮立ったら弱火でことこと15分。そのまま冷まして、タルトを焼く時に水気をペーパータオルで拭き取って、クリームの上に載せて焼く。
④小鍋に残ったシロップにしぼったオレンジ果汁、リキュールをいれてことこと。とろりとするまで煮詰めたら冷ましておく。
⑤焼き上がったタルトにあついうちに刷毛で④を塗る。ぜんぶ塗ると多いかな、と思ったら加減する。冷めてからもう一度塗るときらきら度が増す。だいたいのアーモンドクリーム系のタルトにいえることだが、冷蔵庫で一晩ひやすとより美味しい。