お金貯めて三日泊まるのが夏休み
週刊誌読んでやって来れば数珠繋ぎ
冷めたスープ放り投げるように飲まされて
二段ベッドでもあたいの夏休み
Summer Vacation  あたいのために
Summer Vacation  夏 翻れ

—中島みゆき「あたいの夏休み」

2012年5月16日水曜日

Cinco de MayoとTex-Mex


さてここ二週間忙しすぎて書く時期を逸してしまっていたのだけれど、去る五月五日はアメリカではCinco de Mayoと呼ばれる祝日であった。友人Yがふざけてチンコデマヨと呼んでいたのを真に受けた素直なわたしは喜び勇んでチンコデマヨ、チンコデマヨ、と連呼していたのだが、ほんとうの読み方はシンコデマヨに近い(なぜかチンコの日本語の意味を知るPJが冷静に、おやめなさいお嬢さん、と注意してくれた)。スペイン語でそのまま五月五日を意味するこの日は、メキシカン・オリジンを持つアメリカ人たちが自分達の文化起源を祝う祝日である。


Cinco de Mayoを目前に控えた五月四日、最後の授業でわたしはGloria Anzaldua(アンサルドゥーアと読む)の "How to Tame a Wild Tongue" というエッセイを教えた。AnzalduaのエッセイはChicano/Chicanaのアイデンティティにとっていかに、Chicano Spanishという言語が重要であるかを雄弁に語る(雄弁にという言葉がクリーシェではないことをこんなに力強くかたるエッセイも中々ないように思う)。恥を忍んで言うと、たとえばChicano Literatureという言葉を聞いた時に、アメリカ文学研究専攻でありながら、…メキシコ系文学、ですよね?というくらいの雑な理解しかなかった私にとって、これをCinco de Mayoの前日、最後の授業で教える、というのはけっこう大きな感情的意味があった。一言で言えば、Chicano/Chicanaというのは、メキシコ系アメリカ人を指す言葉である(Chicanoの語源には諸説あるが、Mexicanoが変化してチカーノになった、という説が今のところは有力らしい)。もともとは貧困層のメキシコ系アメリカ人を揶揄して指すものだったChicanoという言葉をメキシコ系アメリカ人が自分達の文化的アイデンティティを示すために自ら使いだしたのは、1940年代にはじまり、1960年代後半に最盛期を迎えたChicano Movementという、一種の公民権運動の中でのことである。この運動の中で、Chicanoという概念はメキシコ人でも、アメリカ人でもない、二つの(あるいはそれ以上の)文化が交差したところに産まれるハイブリッドなアイデンティティを指すようになった。

テキサスに生まれ育ったAnzalduaは、状況に応じて多くの言語を使いわける。スタンダード・イングリッシュ(いわゆる「標準英語」)、労働者階級の使う英語スラング、スタンダード・スパニッシュ、スタンダード・メキシカン・スパニッシュ、北メキシコのスペイン語方言、そして中でも彼女がもっとも自分にとって身近に感じるとする、Chicano SpanishとSpanglishとよばれるTex-Mexである。Chicano SpanishとTex-Mex(この二つは厳密には異なるものだが)は、英語とスペイン語、それぞれのスラングや方言が入り交じった言語だ。アメリカで育つメキシコ系の人々は、北アメリカに特有のアクセントでスペイン語をしゃべるし、スペイン語に影響されたアクセントで英語を話す。二つの(そしてその多くのヴァリエーションの)言語は、どちらもChicano達の人格形成期に大きな影響を持つ。家ではMexican Spanishが使われる事が多いし、学校や公的な場では英語が使われる。自己というのは多様な層からなるもので、公的な場で振る舞う自分も、家庭内の自分も、また友人、恋人に対する自分も、すべてが自己意識の一部分を担うもので、そのどれかの状況で使われる言語のひとつだけをとりだして「自分の言語」選ぶのは不可能である。だからこそ、Chicanoの言語は、多様な言語を混ぜ合わせたものとして産まれた。Anzalduaの文章は、それゆえ、スペイン語話者ではないわたしにとっては時に難解を極める。たとえば、彼女はChicano Spanishに関してこう書く。

But Chicano Spanish is a border tongue which developed naturally. Change, evolución, enriquecimento de palabras nueva por invención o adopción have created variants of Chicano Spanish, un nuevo, lenguaje. Un lenguaje que corresponde a un mode vivir. Chicano Spanish is not incorrect, it is a living language.

それにも関わらず、彼女の文章が異様に心に響くのは、それが複数の言語に囲まれて生きる人間のアイデンティティ形成の複雑さを物語るからである。Anzalduaは言う。

Chicanas who grew up speaking Chicano Spanish have internalized the belief that we speak poor Spanish. It is illegitimate, a bastard language. And because we internalize how our language has been used against us by the dominant culture, we use our language differences against each other. Chicana feminists often skirt around each other with suspicion and hesitation. For the longest time I couldn't figure it out. Then it dawned on me. To be close to another Chicana is like looking into the mirror. We are afraid of what we'll see there. 

 中学から英語を学ぶ事が義務づけられていながら、日常では英語にさらされずに生きることができる国で育ったわたしがAnzalduaの描く二言語状況に共感するというのもおかしな話だが、standardな言語に照らした時、自分の言語がどう響くかという問題は、外国人として英語でアメリカ人にアメリカ文学を教える時に、つきまとうもののひとつだ。わたしはどれだけこの言語を理解できているのか、細かなニュアンスは、スラングは、果たして理解できているのか、わたしの英語は相手に完全に届くのか。どれだけ練習を積んでも、どれだけ大丈夫だと言われても、不安は常に残る。Standard Englishに自分の言葉を照らしあわせ、時には金縛りにあったように言葉を失いそうになることもある。ひとつひとつの言葉の発音を確認するように、授業の前には自宅で自分の書いたスクリプト―実際の授業でそれを使うことはないにしても―を読み上げる。そうやって生徒の眼差しに臆することのないように、英語で自分を作り上げる。大丈夫、わたしの英語は少しあなたたちとは違うかもしれないけれど、わたしを教師として信頼してほしい、わたしはこの作品を理解しているし、あなたたちとそれを語り合ってお互いに理解を深める準備もできているから、と、片時も崩さない笑顔で、常に語りかける。

言語とアイデンティティというのは、深くきり結ばれている。

So, if you want to really hurt me, talk badly about my language. Ethnic identity is twin skin to linguistic identity--I am my language. Until I can take pride in my language, I cannot take pride in myself. 

わたしにはChicano SpanishやTex-Mexに相応する、日本語と英語を合せたJapanglishのような言語はないので、英語で話すときは知らぬ間に、英語環境内でのアイデンティティのようなものを構築しているように思える。ひとつには日本語で話すときのようなこざかしさがわたしの不完全な英語では再現できないから、というのもあるけれど、英語のわたしは、日本語のわたしより、よく笑い、まっすぐで、表情も豊かだ。妙な話で、日本語で話していると(時に知らないひとと話している時)よく痰が絡むのだけれど、不思議なもので、英語でこれが起こった事はなくて、たぶんそれには喉のどの部分を使うかというのが関係しているのだとは思うけれど、同時にまた英語で話すときのほうが、肉体的はある種の文化的拘束から自由であるように感じる。けれど、しばらく毎日英語で話していると、日本語の自分が懐かしくもなる。下品で、賢しらだっていて、自意識過剰だけれども、同時にどうしようもなく言語そのものに対して真摯な自分が、ああ、あの人はどこにいったのかな、とふと不安になるとき、カリフォルニアにいるYと思い切り日本語で話したり、またこうやってブログを書いたりする。それは疑いようもなく、わたしの大切な一部である。だから、日本語のわたしを知ってもらうために、授業の最後には(この間のポストを書いた時から智恵子抄がやけに頭に残っていたので)、光太郎のレモン哀歌を日本語で朗読した。我ながら臭いとは思ったけれど、それは、恥ずかしいので南部訛を抑えることもあるという生徒達に、彼らの言語がどれだけわたしにとって柔らかく美しく響くかと言う事を、知ってもらうためでもあったと思うし、最後に拍手をもらった時には、やっぱりこうやって教えることができるのは幸せだな、と思った。


[Taco Saladのレシピ]
正直言って、アメリカ版のメキシコ料理であるTex-Mex(テキサスにはメキシコ系アメリカ人が多いので、独特の食文化が発達している)は、なんだか脂っぽいし重たいしで苦手意識があったのだけれど、Anzaluduaのエッセイを読んでなんだかしみじみTex-Mexのもつ文化的意義のようなものに敬意を表したくなったので、Cinco de MayoにはTex-Mexを自分で作ってみた。とはいえ申し訳ないがやはりTex-Mexの基本はメキシカンに大量の肉やチーズ、サワークリームを追加したもので(タコチップにサルサ、チーズ、ワカモーレ、タコミート、サワークリームをのせたナチョスなどはTex-Mexの代表で、メキシコではあまり食べないそうだ)、三十路を目の前にした身体にはしんどいものがあるので、ここはひとつTex-Mexの中でも比較的ヘルシーなTaco Saladを作ることにした。いろいろネットでレシピを検索したのだが、驚くべきことに多くのレシピが材料に「サラダドレッシング:1本」と明記しているのがそれにはさすがに腰が引けて、このレシピでは濃い味のタコミートでほとんどドレッシングいらずのサラダを実現している。材料は4人分だがいつもどおりPJとふたりで完食した。見かけはいまひとつですが、おいしいです。


☆アイスバーグレタス 小1玉
black bean salsa (またはふつうのサルサ)1カップ
☆トマト 2つ
☆オリーブ 5つ(なくても可)
☆トルティーヤチップ 好みの量(多め:袋1/3くらいがおすすめ)
☆シュレッデッドチーズ 1/2カップ(わたしはメキシカンミックスを使っています)
☆玉ねぎ 1/2個
☆にんにく 1かけ
☆ひき肉 200g(わたしはここではground turkeyを使っていますが、beefでももちろん可)
★オニオンパウダー 小1
★チリパウダー 小2
★パプリカ 小2 (あればスモークドパプリカ)
★クミン 小1
★カイエンヌペッパー 小1/2から1
★ガーリックソルト 小1 -2(味を見ながら)
★砂糖 大1/2-1
(上記★はタコシーズニング大1から2でも代用可)
◎シラントロ ひとにぎり
◎アボカド ひとつ
◎グリークヨーグルト 1/3カップ(またはvegenaise 大2)
◎ライム 1
◎蜂蜜 大1
◎ガーリックソルト 小1/2-好みで
◎タバスコ 好みで
(上記◎はアボカドドレッシング用。市販の好みのドレッシングで代替化)

①たまねぎ、にんにくはみじんぎり、トマトは8mm各のダイスに。
②フライパンにオイルを熱してにんにく、たまねぎの順に炒める。
③両方とも透明になったら(またはうっすら色づいたら)ひき肉をいれ、さらに炒める。色づいてきれいにほぐれるまで。
④シーズニング(★)を順に加えていく。これは好みなので(そして完全に上の分量も感覚なので)味を見ながら。サラダのトッピングなので辛目&濃い目がおいしい。
⑤トマトの半量(一つ分)を加え、さらに炒める。トマトの水分が完全に飛ぶまで。
⑥アイスバーグレタスは粗めの千切り、オリーブはうすぎり、チップスは袋のなかで粗く(あくまでとても粗く)くだく。
⑧ドレッシングを作る。シラントロは細かいみじんぎり、アボカドは身をくりぬいてフォークの背で潰してクリーム状に。ヨーグルトその他の材料を混ぜ合わせる。
⑨大きなボウルでアイスバーグレタスと残ったトマトのダイスを和える。その上にサルサ、チーズ、⑤のタコミート、チップス、オリーブを順番に乗せていく。
⑩アボカドドレッシングを添えて、それぞれとりわけて、ぐちゃぐちゃに混ぜて食べる。


[Cevicheのレシピ]
セビチェ、と読むこの料理はTex-Mexではなくて普通のメキシカンなのだけれど、たまに無性に生魚が食べたくなるわたしにとって救世主ともいえる料理である。ただし大量のレモンおよびライムを絞ることになるので、ある意味ではレモン哀歌な料理でもある。レストランではけっこう値段が張るのにおさらにちょこっとしか出ないけれど、自分で作ればこれでもかというほどお腹いっぱい食べられます。あとやっぱり見た目がとてもきれいで夏にぴったり。


☆ティラピアなど、白身の魚 400g
☆レッドオニオン 1/2個
☆シラントロ ひとにぎり
☆serrano pepper 2つ(またはjalapeno 1つ)
☆トマト 小1個(できればromanoなど、水分少なめのもの)
☆red (yellow, orangeでも可) bell pepper 1つ(省略可)
☆にんにく 1かけ
☆しょうが 1かけ
★レモン 2つ
★ライム 10個
★すし酢 大2
(★柑橘類の絞り汁と酢を合せて250ccになるように。わたしはレモンの酸味が苦手なのでライムをたくさん使います。香りがよいです。お酢は本来なら使いません。)
☆蜂蜜 大1-2
☆塩 小1
☆昆布茶 小1(なければ塩をすこし増やして)
☆カイエンヌペッパー 好みで

①レッドオニオン、シラントロ、serranoまたはjalapenoはすべてみじんぎり。しょうがとにんにくはすりおろす。トマトは8mm角のダイスにして、種を取り除く。bell pepperも同サイズのダイスに。
②★をすべて絞り、蜂蜜、塩、昆布茶、カイエンヌペッパーで調味。
③魚は1cm各のダイスに。骨も皮もすべてとってあるものをつかうこと。
④ガラスの器など、酸化しない容器に①から③をすべていれ、混ぜ合わせる。冷蔵庫で2-3時間マリネする。途中でかき混ぜて、魚の断面がすべてマリネ液で覆われるように。ピンクがかった魚が白くなれば食べごろ。邪道だが食べる時に数滴しょうゆをたらしてもよい。


そんなこんなで、今年も無事にアカデミックイヤーが終わり、ついにまた夏休みがはじまった。San Franciscoで行われるAmerican Literature Associationの学会で発表をしてから、友人Yの待つLAにしばらく滞在して、6月には日本に帰る。大切な人たちに、それから日本語の自分自身に会える、わたしにとってはかけがえのないひと月である。なので多少髪の毛が伸びすぎていてポニーテールにしていてアメリカのアジア人みたいになっていてもいじめないでほしいと思う。わたしだって前髪作りたいけど、こっちの美容院、どんなことになるか恐ろしくてまだ行ってないんです。だってみんなすげぇぱっつんなんだもん…

2012年5月7日月曜日

お買い物抄

Baton Rougeというのはいちおうルイジアナのstate capitalなのだが、州都という名前に反してこれがまた逆立ちしても都と呼ぶ事ができない片田舎である。片田舎という風に呼べるようになったのはたぶんここに2年住んで、そろそろこの街を自分の一部としてこの街を認識しはじめて、卑下することに抵抗がなくなったからだと思うのだが、とにかくここは都市ではない。公共交通機関や大きな美術館や単館系の映画館はない。湖はある、大きな空はある。しかし智恵子はBaton Rougeには空はあるがデパートはないと言う。ほんとうのデパートが見たいという。これはあどけないお買い物の話である。



80年代の東京に生まれ90年代の東京に育ち、女家族と女子校の環境で思春期を過ごすとどうなるかって、女はマテリアルガールになる。どのくらいマテリアルガールになるかというと、小学校の時に習っていたバトンの発表会で、麻布十番夏祭りでマドンナのマテリアルガールにあわせて緑のレオタードで踊り狂うくらいマテリアルガールになる(ちなみにこのマドンナの歌とはなかなか縁が切れず、マテリアルガールにのせて乱舞するかの有名な「板尾の嫁」をわたしはやがて地元のスーパーで幾度となく目撃することになる)。別にお金が別段好きなわけではないし、高級ブランドが好きなわけでもないし、物質文明に嫌気をもよおさずに生きいられるわけでもない。だからこそある種のロマンチシズムをかくも美しく拗らせて大学というところにかれこれ12年もやっているわけだけど、困った事にわたしはお洋服が大好きなのである。

何が困ったかというと、大学院生と書いて赤貧と読むくらい大学院生はお金がない。前にも書いたけれども、アメリカの大学院生というのは学校や学部によって差はあれど、大抵はteaching assistantshipというのをもらって実際に学部生に教え、そのお給料で暮らす。LSUは公立大学の英文科の中では業務時間に比べてもらえる額が比較的高く、物価も安いので普通に生きる分には(貯金はできないにしても)まったく支障ないように思える。が、実際に月々支給される額というのは、初めに年額として提示される額を単純に12ヶ月で割ったものではない。教えることによって授業料は免除になるのだけれど、LSUでは諸経費と称されるものを年間2000ドルくらいと大学の健康保険料(これは年600ドルくらい)を支払わなければならないし、毎月の本代も馬鹿にならないし、留学生は税率もアメリカ人とは違うので(これは州によるがわたしの場合は月額200ドルくらい違う)、自由になる月々のお金は雀の涙ほどである。

しかしこれは正直なところなのだが、東京にいたときよりも物質的に困窮しているという実感はほぼない。アメリカにいると(これがNYCとかLAとかだと違うのだろうけれど)そんなにお金を使わないのである。東京に帰ると思うのは、この街にいると常にいたずらに欲が刺激されるということだ。ほとんどそれは性的刺激にも近く、たいしてその気もないのに常に誰かに触られてなんとなくたかまってしまうような感じで、気づけば欲しくもなかったはずのものがつい買い物袋に入っている。東京というのは物質欲の痴漢電車である。当たり前といえば当たり前で、欲望というものが本来的に他者の欲望に対する欲望だとすれば、Baton Rougeの大きな空とlive oakの樹に抱かれた過疎的な環境で他者と隔たって生きていれば、当然に欲は湧かない。今日も元気だご飯がうまい、研究は楽しい、愛に満ちた生活だ。なにをこれ以上望もうか。いやしかし、しかしである。お洋服がほしいのだ。これはもう病気のようなものだと思うのだが、繰り返すがわたしは服というものが好きである。別にわたしはファッションフリークなわけではなくて、ハイブランドの服がほしいとか、エッジーなかっこをしたいとか、そういうわけではないのだけれど、とにかくいろんな服がクローゼットに掛かっているのを見るとそれだけでほぅと桃色吐息が漏れるし、新しい服を買えば延々とひとりファッションショーをする。



ファッションや消費はアイデンティティのパフォーマンスである、という口幅ったい言い方に関しては多少の疑義はあるものの、腹の底ではやっぱりそうだよな、と思わざるをえないところがあるし、少なくともわたしにとってファッションというのは自分の女性性をどう折り合うかという二重の意味で悩ましい問題に深く関わっている。あまり知られていないことだけれど、The Awakening といういわゆるフェミニストクラッシックで有名なKate Chopinという世紀末作家(ルイジアナを舞台にケイジャンやクレオールの人々の生活を描いた牧歌的な作品を多く残しているので彼女の作品はわたしの研究対象でもあるのだけれど)が最も多く作品を発表した雑誌は実はあのVogueである(英文学専攻なら誰でも一度は読んだであろう "The Story of an Hour" もVogueが初出だし、これは1960年代に再発掘されるまで短編集など他の形では出版されていなかった)。Vogueがアメリカで創刊されたのは1892年、当初はNew YorkのFour Hunderedと呼ばれる一握りの上流階級の女たちをターゲットにした雑誌だったのだけれど、当時のVogueのマイクロフィルムを見ると、これがおもしろい。写真は1895年のある月の表紙なのだけれども、下のキャプションでは男女の会話が描かれる。「彼を不幸にしてやりたいの、どうしたらいいかしら」「そいつと結婚するのが一番いいと思うよ」。写真の通り当時のVogueはフェミニニティを全面に押し出したファッションをノームとして提示し続けていたのだが、中身を読むと結婚、出産を女の幸せの絶頂とする言説に対する皮肉(そしてそれに社会的には従わざるをえない自分達に対する自嘲)に満ち満ちている。こんな雑誌だからこそ他の文学誌からはNGをだされつづけたChopinの性描写の多い作品を掲載しつづけたわけだが、Vogue読者たちにとってファッションによって構築されるドラッグ・クイーンばりのover the topな女性性は、社会的な力あるいはファルスへの欲望を隠蔽するためのマスクである。これは今の時代でもおそらくそうだけど、金や権力を持つ女というのはとかく「で、結局のところいい女なの?」という半笑いの攻撃の前にさらされ、その言葉の馬鹿らしさを頭では理解しながらも、たじろぐ。この種の戦略の嫌らしさというのは、それに対する怒りを表せば、ああ怖い怖い、ほんとに女としての魅力にかけるね、とまた半笑いで返されることだ。だからこそ表面的に社会が理想とする女をやってれば、文句はないでしょう、と、ダックテープで股にぶるさがったものをタックして、笑顔のいい女を演じる。そういう時、女にとって女性性とはdragに等しい。



金も権力もないわたしにはポークビッツほどのファルスしかないのだが、それでも、こう言いたくはないがやはり、日本にいるときは正直しんどいなぁと思うこともあった。特に26を過ぎてから留学する前くらいが辛さのピークで、正直結婚焦ってるんでしょ、とか、そんな学歴で嫁の貰い手あるの、とか、まぁそんなことを言われるたびにはらわたを煮えくりかえしながら、そうなの困っちゃう、と目の奥の氷のような冷たさを隠すべくてへぺろで答えたものだ。アメリカに来てほんとに大きく深呼吸ができるように思えたのは、実はこういう経験をしなくて済むというのも大きくて、それは言語的不自由によって短小ファルスさえ去勢されたというだけでなく、ポリティカリーコレクトに敏感な社会がある種上記のような攻撃をすることをがちがちに規制しているので、別段女らしくしていなくても不快な思いをする必要がない、ということに関係していると思う。こと人文系の大学院にいれば、非婚の教授は男女問わず当たり前にいるし、ゲイ率もものすごく高いし、なんというか普通のジェンダーノームに媚びへつらっていると逆にそれは憐れみの対象になりうる(これはこれで問題といえば問題なのだが)。


が、これでわたしのお洋服熱が収まったかと言えば、そうではないところがわたしの業の深さである。前にも書いたがアメリカの大学生というのはおしゃれをしない、というのが多くの留学経験談で聞かれたことで、実際に服装をかまわなくても魅力的な人が男女問わずいるのは確かなのだけれど、その一方で少なくともLSUでは多くのおしゃれ女子を見かける。なにが興味深いかと言えばそれは、やはりファッションというのが権力に関わっているのだな、ということなのだけれど、白人女子(特にソロリティの)の多くがNikeの短パンにTシャツという格好を制服のごとく一様にしているのに反し、黒人女子はほんとうに多彩な服装をする。誤解を恐れずに一般化すれば、これは多分、白人女子はある種の社会的権力を既に階級的にも人種的に得ているので、ファッションによって自己表現をするというノームに対してなんらかの自己規制が働いているのに対し、南部の黒人女子はファッションによって自分が洗練されたテイストに代表される文化的権力および資本を持っていることをある程度誇示したいという切迫感があるのではないかと思う。大学院生もティーチングをしないときは首のよれよれのTシャツにジーンズという格好なのだが、教えるときは男女問わずこれがまたばっちり決める。それはひとつには教師というのがひとに見られる職業だというのにも関係あるのだけれど、同時にそれは新米教師としてのある種の不安を払拭すべく、自分の教師としてのauthorityを服によってパフォームしているのだということでもあるかもしれない。こう考えてみると、ファッションというのは第一に自分がその社会の求める美やノームを知っているという文化的洗練を、第二にはそのノームに対する自分の反応―順応する、崩す、ずらす、あるいは抗う—を、第三にはいかにそれを表現する自分を客観的に見る能力を示すもので、それを自分のものにできている(無視するという形でさえよいのだ)人は「強い」のだと思う。

もちろんわたしはこちらでは圧倒的なマイノリティであり、かつ教師としても割ったらひよこがちょっと形になっててドンびきする有精卵くらいの未熟ものなので、ティーチングをする時には自分の中の自信を最大限に増幅すべく服を選ぶ。こちらでは日本のようなゆるふわファッションというのはまず通用しないので、こちらに来てからクローゼットの総入れ替えを行わねば、ということになったのだが、前述のように赤貧なわたしはそんなに服に投資できない(服よりも本を買うというところにわたしの学者の卵としての良心が垣間見られますね)。それから服を買う場所も実はあまりない。Baton Rougeには(というか多くのアメリカの中小都市には)伊勢丹のようなファッションに特化したデパートというものがない。その代わりにモールはある。モールというのはデパート(Macey'sやDillards、JCPenny)を含む、なんというかすべての買い物ができる巨大なショッピング街のようなもので、ずらりとならんだアーケードに無数の店が軒を連ねている。が、このモール、どうも購買意欲をそそらない。アメリカの服屋というのは(大都市ではないかぎり)ほんとうにいまひとつディスプレイが下手で、常にイトーヨーカドーのごとく大量の服が全ての在庫をぶちまけたかのように置かれているので、日本のデパートで洋服を見た時のような身体の奥が痺れる感覚が起こらない。

それではお金がない女子はどうやってアメリカですてきなお買い物をするのか―オンラインショッピングはその答えの一つである。アメリカでは驚くほどにオンラインショッピングサイトが発達していて、どこのブランドも必ずショッピングサイトを持っていて、それがかなり充実しているし、型落ちのセールもまめに行われていて、多くの場合送料は無料、そして返品も無料である(アメリカはリターン天国なので、気に入らないというだけの理由で返品することは普通である)。しかもオンラインだと一点一点の服がディテールや素材も含め吟味できるので、モールで得られない快感が得られる。スタディ・ブレイクにお茶を飲みながら、ああこれが終わったらこれ買うんだ、と夢を膨らませられる。そういうわけで、というか実はこれが本題だったのだが、以下はお金のない日本人留学生女子のためのショッピングサイトリストである。(余談だがファッション雑誌が100種類もある日本と違い、アメリカではファッション雑誌が極端に少ないのだが、そのかわり意外にファッションブログが発達しているようである。有名どころにはStyle.comThe SartorialistCupcakes and Cashmere などがあるが、その名の通り低価格のおしゃれを謳うBudget Fashionista や学部生のおしゃれに特化したCollege FashionYouTubeのスカーフ巻き方講座で有名になったベトナム系美女Wendy NguenのWendy's Lookbookなどもなかなかおもしろいです。)


言わずとしれたアメリカブランドのアバクロは日本より格段に安い。さすがに今年30なのでもうあまり買わないが、Tシャツやジーンズの形のよさとサイズの豊富さはやはり高く評価できるので姉妹ブランドhollister、ライバルブランドAmerican Eagle(アバクロより安い分質やデザインは多少落ちるが、掘り出し物もある。わたしはここのJegginsというジーンズとレギンスの間の子のスキニーパンツを履き倒している)とともにたまにはチェックする。ちなみに広告はいつも男女が半裸体なので、つくづく広告は商品ではなくイメージを売るものだよな、と思う。


下着ブランドの印象が強いVictoria's Secretだが、実は洋服もけっこうある。下着に関しては、ブラジャーは寄せ上げbombshell系が多く、なんでわざわざ痛い思いをしてない乳盛らにゃあかんのだよと思う貧乳のわたしはまず買うことはないのだけれど、パンツ類はかなりよい。トランクス型からティーバックまで安くてわりと頑丈なものが揃うし、5つで25ドルくらい(ただし巨尻のわたしでXSなので合うサイズのない人も多いかもしれない)。なお、下着で日本人女子にお勧めなのは上記のAmerican Eagleの下着ブランド、Aerieで、小さなサイズからあるし、デザインもドッカンドッカンのアメリカンセクシーではなくかわいらしいものが多い。Vicroria's Secret の洋服は多くのものがアメリカ人の思うセクシーを絵に描いたようなもので、いやさすがにちょっとな、と思うことも多いのだけれど、ドレス(といってもドレスではなくワンピースなのだが、ワンピースは和製英語のようでどこのサイトでもDressesというカテゴリーになっている)に関しては60ドルくらいで値段のわりに質のよいものが手に入るのでパーティ用(といってもパーティというよりは単なる飲み会なのだが、前述のように南部はドレスアップに寛容な地域なのでカジュアル・ややフォーマルを問わずワンピースを着る機会もけっこうある)に何着か持っているし、ティーチングの際に着るドレスシャツやタイトスカートも悪くない。しかし特筆すべきはなんといってもやはり水着。日本で水着を買うと1万円ではすまないが、こちらでは上下合せて50ドル程度でなにより品数が豊富である。


日本だとわりと高めなアンスロポロジーだが、こちらではだいぶ安く手に入る。Victoria's Secretのような服に嫌悪感をしめすアメリカ人大学院女子には圧倒的な人気を誇るブランドである。とはいえやはりその他のブランドに比べるとお高いはお高いので、女子たちは包丁を研いでセールを待つ。わたしはふんわり系があまり似合わないので服を買った事はないが、アクセサリーおよびキッチン用品は大変かわいいのでたまに買う。ほぼ毎日着けている大きなフープピアス(20ドルくらい)と、このブログでもよく出ているお皿たち(ひとつ5ドルくらい)はここのものである。なお店舗も大変かわいらしく、行くと癒される。
追記:College Fashionでよく使われているModClothの洋服はヴィンテージの服に想を得たものが多く、Anthropologieの服が好きな女子達にはけっこううけるのではないかと思う。値段はAnthropologieの半額近くで、店舗を持たない完全オンラインショッピングブランドなのでリターンやエクスチェンジもほぼ無料である。


正直言うと日本にいるときはJ. Crewってなんか冴えないなぁと思って店にも入らず敬遠していたのだが、こちらではGap系列のBanana RepublicAnn Taylorとともにこぎれいな格好をしたい20代後半から30代女性に人気で、実際入ってみると意外にかわいいものが多いし、形もきれいで値段も手頃である。いかにも大学院生らしい格好がしたければJ. Crewを着ておいて大幅に間違うことはない(が、なんだかつまらない気がしてしまいわたしはそんなに買わない―「お得感」にかけるんだもん)。とくにシャツやセーターはなかなかよくて、しかも10ドルくらいでイニシャルをいれることができるのでクリスマスにPJのイニシャル入りセーターをプレゼントした。つまりサイズもアジア人女子から特大アメリカ人男子まで幅広く対応してくれるということだ。



Anthropologie同様、Victoria's Secretのセクシーセクシーアイムセクシーな服に嫌悪を示すアメリカ人大学院生および学部生にものすごく人気である。Hipsterと呼ばれるような人たちのファッションを大衆化させたものがUrban Outfittersだと考えてよく、ほんもののhipsterはUrban Outfittersを馬鹿にしがちだが、けっこうかわいいものも多い。だがわたしは以前買ってみていまひとつ縫製と素材の悪さが気になったのですべてリターンしてしまった。なぜか化粧品ブランドStillaの安売りがよくされていて、Stillaのリップグロスとアイシャドウの質のよさに惚れ込んでいるわたしはたまにそれを買うことがある。ちなみにほかのコスメブランドでお勧めはやはりMACで、日本の半額で買えるのだがスモールアイシャドウの発色のよさは特筆すべきものがあり、茶系ばかり5種類とアイラインをぼかすための黒を1種類持っている。なお、同じhipster系に若干ビッチテイストを足したその名もNasty Gal、さすがに買った事はないのでクオリティのほどはわからないけれども、たまに目を疑うほどかわいいものもある。



日本でもお馴染みのForever 21はアメリカン・ファストファッションの代名詞でとにかく安く、選び様によってはかなりよいものもあるので大学院女子にもファンが多いが、わたしは実はあまり好きではない(やはり縫製および素材が気にかかる)。ただし小物に関しては一定の評価ができ、太いラバーのベルトやヘアアクセサリー、スカーフなど小さなところで服の印象を買えたい場合は大変使える。が、洋服に関しては同じファストファッションブランドで言えばスペイン系のZara、イギリス系のTOPSHOP、北欧系のH&Mの順でクオリティが高く、Forever 21は残念ながらそれよりもだいぶ劣るように思う(ZaraとTOPSHOPはどちらもなかなかよいのだけれど、Zaraのほうが品数は豊富)。どれもアメリカ用のサイトはあり、日本と同じ商品が3割程度安いのだが、もともとのアメリカブランドではないのでリターンなどの点でやや面倒なのが難点である。
追記:日本には入っていないイギリス系のファストファッションブランドASOSは店舗を持たないオンライン専用ショッピングサイトだが、トップス、ドレス、アクセサリー類に至るまで、どれをとっても個人的にはTOPSHOPやZaraより質が高いように思う。値段もかなり抑えめで、H&Mと同じくらい。オンライン専用なのでフリーシッピング&フリーリターンなのもポイントが高い。


Charlotte Russeは日本には入っていないと思うのだけれど、Forever 21同様、とにかく安いし、私見では素材および縫製もForever 21よりも若干よい。どこのモールにもほぼ必ず入っているアメリカブランドで、一度友人に連れられて店舗に入った時はあまりのごった煮感に、うげ、と思ったのだけれど、実は掘り出し物も意外に多い。特にブラウス類はかわいいものが多く、わたしはよくティーチングの時にタイトスカート+ふんわり系ブラウスという組み合わせをするのだが、その際に大変便利である。滅多にしない夜遊び用のキラキラ系トップスも20ドル前後で手に入る。ベルト類も豊富。大人でも着られるものは多いので、もう少し評価されてもよいブランドなんじゃないかと思う。


ターゲットはWalmartよりグレードが若干高いスーパーで、食料品だけではなく家具から生活雑貨、服や靴も揃う。わたしもこちらに来たときは生活のセットアップのために来てくれた友人Yとともに家とターゲットを10往復くらいしたのだけれど(ああその節はほんとうにありがとう、あなたに買ってもらった大きなピロウは今でも愛用してるよ)、いまだにどれもしっかり使えている。靴はけっこう大学院女子の評価が高く、ティーチング用ヒールをここで選ぶ人も多い。服に関して特筆すべきはたまに行われる有名ブランドとのコラボ(ユニクロみたいな)。写真はJason Wuという中国系アメリカ人デザイナーとのコラボレーションもので、本家は失禁するほど高いのだけれど、わたしは真ん中のワンピースを40ドルくらいで買ったのだが、これを来ていると知らない人たちにとにかく誉められるのでテンションがあがる(ちなみにアメリカ人は見ず知らずの他人でも道で服を誉める。南部だけではないと思うのだが、とくに南部にいるとびっくりするほど男女とわず知らない人が服にコメントをくれる)。



靴に関して言えば、PiperlimeShoes.comなどもあるけれど、わたしはなんとなくレビューの豊富なzapposを推している。値段に関係なくフリーシッピング・フリーリターンを謳っているので、靴という大変サイズセンシティブな商品をオンラインで買う際にはありがたい。万年ハイヒール派のわたしにとって、アメリカで靴を選ぶのは至難の業なのだが、TSUBOYOU by CrocsAerosolesIndigo by Clarks の4ブランドはどれも100ドル程度でありながら、ある程度のヒールがありつつ大変にパッディングがしっかりしているので、女子たちの見果てぬ夢である「走れるハイヒール」が実現されうる(女子がこぞってヒールで歩く日本と違い、ハイヒールが特別のオケージョンのための国アメリカでハイヒールを買おうとするとAmy Winehouseいうところの "Fuck me pumps" ばりの10cm以上のヒールが多くてずいぶん困っていたのだが、この四ブランドは5cmから7cmの地に足のついたミディヒールをたくさん出しているのでありがたい)。ちなみにどのブランドも本家のショッピングサイトで買うよりもZapposのほうが安いことが多い。Piperlimeとともに服もなかなか豊富でいろいろなブランドを取り扱っているが、わたしの好きなBCBGとそのセカンドラインBCBGenerationが安く手に入ることもまれにある(なお、セレクションのおしゃれ度に関してはPiperlimeのほうが俄然高く、日本でもわりと有名なRachel ZoeのRachel Zoe Picksなどもある)。



言わずとしれたアマゾンだが、本家アメリカでは日本より断然規模が大きく、本はもちろん家具から食料品、オフィスサプライにおとなのおもちゃまで揃う(最後のは買ったことありませんが、某大学院女子がそう言ってました)。意外に服や靴もあり、一見の価値はある。ちなみにAmazon Studentというのを見過ごしてはならなくて、これに加入すると2-Day Shippingがいつでもただになる。初年度は無料、次年度以下がいくらだったかは忘れたが、本を買いまくるのが仕事の大学院生ならば間違いなくもとがとれる。


さて最後は日本でも建物前のドアマンで有名なBarneys New Yorkとともにアメリカのおしゃれデパートの双璧をなすBloomingdalesのショッピングサイトである。もちろんお値段は張るので、基本的に苦学生のわたしがここで買い物をすることはないのだけれど、去年のクリスマスにカリフォルニアからYという名のサンタクロース女子が一年よくがんばりましたとここで買ったTheoryのセーター(奥さんカシミアですよ)をプレゼントをしてくれたのがきっかけで、たまにチェックして妄想に浸るようになった。VinceJoe'sなど日本のおしゃれ女子も大好きなブランドが勢揃いで目の保養になる(ちなみに詳細は省くがYの涙のがんばりでなぜかわたしはbloomingdalesからただでJoe'sの紫のパンツをただでせしめてしまう事になったのだが、LSUカラーのためこれを履いていると皆笑顔で話しかけてくれる。サンタさんはほんとにいるんだよ)。それになにしろ日本よりはどれもだいぶ安く買えるのでなにか特別なことがあったらここで買い物してもいいんじゃないかと思うんです。特別なことってなんだろうって、まだわかんないんですけど…。


をんなが附属品をだんだん棄てると
どうしてこんなにきれいになるのか。

智恵子も内心、なにいってんだか、と思っていたかもしれない。少なくともわたしにとって附属品は附属品ではなくわたし自身である。そんなわけで、ついに大学はファイナルズウィークに突入。今回はレポートは一本だけ(18世紀末から19世紀末のSentimental Fictionについて)なのだが、後に生徒の最後レポートと試験のグレーディングが控えているので油断はできない。貧乏暇なしとはこのことよ、とほほほ、と思う事もあるけれど、こうやって少しずつお買い物もして、好きな研究ができているので、努力が即座にお金に換算されないのが辛いと思う事もなくはないが結局のところ文句の言えない生活だと思う。あと、そんなわけでお金では苦労しているので今年は帰国の際のお土産は買えないかもしれないんですが、それでも優しく迎えていただけると大変ありがたいです。いやほんと、こんなポスト書いてるのも最近お買い物してないからなんです。

2012年5月1日火曜日

お豆いろいろ

That time of the monthというのは日本語の「いまアレなの」にあたる婉曲表現なわけだが、いまはthat time of the semester、男女とわずまわりのすべての大学院生がPMS並みにとんがる学期末である(ちなみにアメリカにいると当たり前だがPMSという概念が日本より浸透しているのでけっこうそのへんのコミュニケーションが楽である)。ペーパー書きというのは案外体力勝負で、忙しいからといって栄養補給を怠っていると頭が働かなくなる。以前のエントリーでも書いたけれども、肉食系の顔に似合わず肉がそんなに食べられないわたし(肉は好きなのだが食べるとけっこう腹をクリティカルに壊す)は、こちらにきて主たるたんぱく源がお豆になって以来、めっぽう体調がよい。アメリカはほんとうに驚くほどベジタリアンが多く、ベジタリアン用にいろいろおいしい豆レシピがあるので、今日はお豆料理をすこしばかりご紹介しようと思います(ええ、レシピ紹介のエントリーでこの画像はないだろうとは我ながら思いましたよ)。

[Baked Beans のレシピ]
好き嫌いはあまりないほうなのだけど、はじめて baked beansの缶詰を(ふつうの豆缶と間違えて買った)開けて食べた時は飲み込む事が困難で涙目になった。甘い、脳天をつくほどに甘いのだ。あんこだと思って食べればいけるのかもしれないが、あんこにしてはたまねぎの風味があるからなんか変だし、こいつはすごいパンチのあるアメリカ料理を食べてしまった、と思っていた。が、それを眉根に皺を寄せてPJに話したところ、いや…実はけっこうbaked beans好きなんだよね…と濡れた犬のようなまなざしで言っていたので、これはいかんと思い、わたしも食べられるようにアレンジしたのがこのレシピ。というのも前述のようにbaked beansは缶で売られていることが多いのだけれど、なんと1860年代、南北戦争時にはbaked beans缶が兵士たちに支給されたというほどにこれは歴史が深いアメリカ料理なのだ。しかもbaksed beansはBoston baked beansとも呼ばれるほどニューイングランドに根付いた料理なのだが、PJは大学時代から約10年をボストンで過ごしているので、これは貧しくとも光り輝いていた大学時代を思い出させる青春の味でもある。わたしがアジア系のグローサリーショップで買った大事な納豆を食べていたときにPJが、いやしかし聞きしに勝るさすがの匂いだね、といっていてやや悲しくなったのを思い出しもしたのだけれど、やはり食の好みはいろいろとはいえ、慣れ親しんだ故郷の味を無理と言われるのは辛いものだものね。もともとのレシピはもちろんしょうゆなしのシロップ増し(本格的なものはアメリカ文学ではお馴染みのmolassesという精製していない糖蜜を使います)。けれどもこのバージョンはしょうゆに加え生姜が効いていて、四人分をふたりで丸々完食したくらい美味しかったです。ポイントはとにかくベーコンをかりっと炒めることでしょうか(いきなりベジタリアンレシピではなくなっているところがわたしの業の深さだが、baked beansは別名pork beans。豚はかかせないのだ)。

☆豆の缶詰 (あればPinto beans、なければred kidney)2つ
☆たまねぎ 1つ
☆にんにく 1かけ
☆しょうが 1かけ
☆トマト 1つ
☆ベーコン 厚切り 4枚 (300gくらい:ブロックならさらによし)
☆メープルシロップ(またはmolasses)75mm
☆しょうゆ 50mm
☆ケチャップ 大3
☆ドライマスタード 大1
☆フライドオニオン (あれば)適量

①オーブンは180℃(350°F)に余熱。
玉ねぎ、にんにくはみじんぎり、トマトは1cm角のダイス、しょうがはすりおろし(みじんぎりでも可)、ベーコンは1.5cm 幅に切る。
②熱したフライパンでベーコンを炒める。炒めるというよりは、ベーコン自身からでた脂で揚げるような感じになる。とにかくじっくり熱すると脂が大さじ3くらいでてくる。かりっと色づいたらキッチンペーパーに乗せて脂をきる。
③ベーコンのあぶらを大1ほど残して捨てる。にんにくをいれて(しょうがもみじんぎりならこの段階で)ゆっくり熱し、香りがたったらたまねぎを投入し、ほんのり色づいてしんなりするまで炒め、取り出す。
④同じフライパンでトマトを炒める。余計な水分が飛べばOK
⑤メープルシロップ、しょうゆ、ケチャップ、マスタード、おろししょうがをまぜあわる。
⑥豆の缶詰をあけて軽く水洗いし、ボウルにいれてベーコンの2/3量、たまねぎ、にんにく、トマトとあわせ、⑤をかけてさらにまぜる。豆をつぶしすぎないように。
⑦耐熱皿に⑥をいれ、残りのベーコン、フライドオニオンをトッピングし、1時間半ほどオーブンで焼く。15分ほど置いてからめしあがれ。

[Peas and Rice のレシピ]
恥ずかしながら子供舌のわたしは白米があまり好きではないので小学校の給食の際にはけっこう苦労したクチなのだが、そのかわり混ぜごはん系には目がない。我が家はおばあちゃんが毎月お赤飯を炊いてくれいた(冒頭の話に戻るようだが別に女家族の月のものに合せていたわけでもなんでもなく、ご先祖様の命日が月に一度はあるからである。さすが不動尊のお膝元な我が家だね)のだけれど、この季節になるとそれがグリンピースの豆ご飯になる。懐かしいなぁ豆ご飯、と思っていたら、PJがしみじみと peas and riceが食べたい、と言っていたので、おやこれは日米同じ感覚なのかなと思ったら、実際にはこれは単にPJがグリンピース好きなだけで、アメリカでメジャーな料理ではないそう(そのかわりご飯ではなくpearl onionと呼ばれる小玉ねぎとグリンピースをクリーム煮にしたものは人気でwhole foodsのデリでもけっこう頻繁に出ている)。こちらはPJが作ってくれたなぜかすこしインド風の豆ご飯のレシピで、シナモンとガラムマサラが効いてぱくぱくいけてしまう。自分で再現したこの写真ではうちにブラウンライスしかなかったのでそれをつかっているのだけれど、もともとPJは白米で作っていて、そのほうがグリンピースには合ったし、白に緑がよく映えました。

☆お米  1.5合
☆冷凍グリンピース 1カップ (日本のカップなら1.5弱)
☆玉ねぎ 1/2個
☆しょうが 1かけ
☆ガラムマサラ 小1
☆シナモン 小1/2
☆塩こしょう 好みで

①ごはんはふつうに炊いておく。
②しょうがはみじん切り、たまねぎは粗く刻む。
③冷凍グリンピースはレンジで1分ほど加熱し、解凍しておく
④フライパンにオイルを大1熱し、ショウガ、ガラムマサラ、シナモンを弱火で炒める。
⑤香りがたったら玉ねぎを投入、うっすら色づくまで炒め、塩小さじ1弱で味付け。
⑥炊いたお米と解凍したグリンピースをフライパンにいれ、まんべんなく混ぜ、味をみて塩こしょうで仕上げ。

[Roasted Pepper Hummus のレシピ]
もともとは中東の料理のハマス、けれどもアメリカではベジタリアンの常食の代名詞でどこのスーパーにも間違いなく置いてある。平たくいえばひよこ豆のペーストで、野菜スティック(セロリやベイビーキャロット)のディップにもなるし、ピタブレッドやクラッカーにつけて食べれば朝ご飯にもなる。たっぷり入った1パックが3ドルしないくらいなので買ってしまえばいい話なのだが(そしてわたしは買って安くておいしいものは買う主義なのだが)、手作りのほうが断然おいしいのもまた事実。タヒニという胡麻のペーストの瓶を買ってしまえばあとはアレンジは自在、毎週好みの味のものを作りおきして冷蔵庫に入れておけば小腹が空いた時にとても助かるので忙しい大学院生にはお勧めです。こちらのレシピはroasted bell pepperというパプリカを焼いたものの瓶詰めを使ったバージョンだけれども、もちろんただひよこ豆、タヒニ、にんにく、塩こしょう、レモン、クミンだけのシンプルなものでもおいしい。ちなみにこちらに来て学んだのは中東料理はギリシャ料理(これまたPJの故郷の味)にとても似ているということ。なのでこのレシピでは高カロリーのタヒニを使いすぎないようにタヒニと無脂肪のグリークヨーグルトを半々で使って、同じ地中海地方のイタリアンスパイスを使っている。グリークヨーグルトはベジネーズ、または低脂肪のマヨネーズでも代替可です。

☆ひよこ豆の水煮缶詰 1つ (煮汁とわけて豆は水ですすぐ)
☆缶に入った煮汁 30-50mm (缶の煮汁を使うのに抵抗があれば水、あるいはオリーブオイルで代替可)
☆ローステッドベルペッパー 4きれ
☆にんにくすりおろし 1かけ分
☆タヒニ 大1-2(日本ならば練り胡麻で代替可。ただし練り胡麻のほうがタヒニよりかなり濃いのでその場合は大1で十分。好みで味をみながら)
☆プレーンヨーグルト(またはベジネーズおよびマヨネーズ、なければタヒニを増やす) 大1
☆トマトペースト 大1
☆レモン絞り汁 1つ分
☆砂糖 小1-2 (はちみつでも可)
☆塩こしょう 小1 (好みで)
☆イタリアンハーブミックス 小1
☆パンプキンシード 大2

①パンプキンシードはフライパンでから煎りしておく
②パンプキンシード以外の材料をすべてフードプロセッサーにかける。テクスチャーもも好みなのだが、最初は水分(煮汁または水、オリーブオイル)少なめで始めて、ゆるめが好みなら分量を増やす。
③②にパンプキンシードを練り込んで完成。

[Black Beans Salsa with Tortillaのレシピ]
またサルサか、という感じだが暑い国の人たちは暑い時になにを食べればよいかよく知っているわけで、うだるような暑さの日にはメキシコ料理に勝るものはない。最近メキシコ人とエルサルバドール人のカップル(El SalvadorというのはMexicoの南、Guatemara、Hondurasに面した小さな国で、El SalvadorというのはThe Savior、つまりキリストを意味する)と友達になったのだけれど、彼らの作るメキシコ料理とスペイン料理には、おいしすぎていつも涙が出そうになる(そしてたいていこれまたプールサイドか裏庭で食べる)。これはblack beansとtortillaを使っているのであっさりしていながら腹持ちもするレシピで、暑くていまいち食欲のでない朝のごはんにはぴったりだと思う。この分量でサルサは大きなタッパーウェア一つ分(カップ3から4くらい)できます。

☆トマト 大2つ
☆ブラックビーンズの水煮  1缶(少しスパイシーに煮た缶詰も売っているのでそれでもおいしい)
☆玉ねぎ 1/2個(できればred onion)
☆serrano pepperまたはjalapeno 1つ
☆冷凍コーン 1/2カップ(日本のカップなら2/3カップ)
☆シラントロ(香菜) ひとつかみ
☆にんにくすりおろし 1かけ(チューブのほうが辛みは抜けている)
☆塩(ガーリックそると) 小1
☆ライム 2つ またはレモン1つ
☆スモークドパプリカ 小2-3 (なければ普通のパプリカおよびチリパウダー。これらは見た目に反して辛くない。むしろ甘い)
☆トルティーヤ 人数分
☆チーズ (シュレッドしたものならひとり大1-2くらい、スライスならひとり一枚。わたしはmexican mixのシュレッドかpepper jackというスパイシーなチーズのスライスを使う)

①玉ねぎは細か目のみじん切りにして砂糖大1をふりかけ、ザルにおいて空気にさらす。トマトは8mm程度のダイス、シラントロはみじんぎり、serrano pepperは極こまかいみじんぎりにする。ブラックビーンズは缶をあけ、流水でよくすすいでザルにあげてよく水をきる。
②①とコーン、にんにく、塩、パプリカ、ライムまたはレモンの絞り汁をあわせてよく混ぜる。
③アルミホイルにトルティーヤを置いてその上にチーズをのせ、350°F(180℃)のオーブン、またはオーブントースターに入れてチーズがとろけるまで。
④サルサを好みの分量のせて、折り畳むようにしてがぶっと食べます。サルサのジュースが垂れてくるのでお皿は必須。

[Red beans and riceのレシピ]
そして忘れてはならないのがred beans and riceである。Baked beansが東海岸を代表する豆料理なら、red beans and riceは間違いなくLouisianaの誇るCreole豆料理である。こちらのレストランでは月曜日のランチスペシャルにred beans and riceが出されることが多く、なんでだろうと思っていたらもともとはお洗濯の日である月曜日に、日曜日の夕食のお肉の残りと一緒にことこと豆を煮込んだのがこの料理のはじまりだということ。本格的なものはham hockという骨つきの豚肉を使うのだけれど、こちらはAndouilleというLouisiana特産の粗挽きの太いソーセージ(もちろん旨辛いんだなこれが)を使った簡易版。けれども味は秀逸で、Louisianaローカルの友人にも誉められました。

☆red kidney beans 2缶
☆ベーコン 厚切り2枚 (わたしはpepper smoke baconというまわりに黒胡椒のついたものを使います。150gくらい)
☆Andouille 1本 (またはチョリソーなど辛めのソーセージ。なければとにかくおいしそうな太いソーセージ。200gくらい)
☆たまねぎ 1個
☆セロリ 5茎
☆Green Bell Pepper (ピーマン)1つ
☆Red Bell Pepper  (パプリカ)1つ
☆にんにく 2かけ
☆トマト 1つ
☆スモークドパプリカパウダー  (なければ普通のパプリカまたはチリパウダー)大1-1.5
☆タイム 小1
☆Cajun seasoning 小2(わたしはTonny'sというブランドのものを使っていますが、手に入らなければCayenne pepper 小1にガーリックパウダー小1で代用してください)
☆Worcestershire sauce 小1.5 (日本ではウスターソースの名で売られているあれです。わたしはあれ、薄いからウスターなのかと思ってましたよ)
☆蜂蜜 小1.5
☆チキンブロス 500mm
☆炊いたごはん 適宜
☆Green onion(青ネギ)少々

①red kidney beansは缶から出して水ですすいでおく。
②にんにく、玉ねぎ、セロリは粗めのみじん切り。Bell Peppersは両方8mm角のダイスに。トマトも同様。ベーコン、ソーセージはそれぞれ1cm幅に切る。
③フライパンをよく熱して、ベーコンを炒める。炒めるというよりは己の脂で揚げ焼きにするように。かりっとするまで。ペーパータオルにあげて余計な脂をきる。
④フライパンには大さじ2くらいの脂が残っているので、一度火をとめてそのなかににんにくを入れ、弱火で熱する。香りがでたらたまねぎ、セロリのみじんぎりをよく炒める。軽く色づくまで、15分くらい。
⑤Bell Peppersを入れてさらに5−10分炒める。以前にも書いたがこの、たまねぎ、セロリ、ベルペッパー(ピーマン)をじっくり炒めたものがholy trinityと呼ばれる香味野菜の三位一体で、多くのCreole料理のベースである。塩こしょう(ガーリックソルト)、Cajun seasoning、パウダー、タイムを加えて炒めあわせる。
⑥お鍋に⑤の野菜と③のベーコンを移しておく。
⑦⑤の野菜を炒めたフライパンに(野菜のうまみがでているから洗わない)クッキングスプレーをして薄切りにしたソーセージを両面焼いていく。Andouilleは特に柔らかいので炒めると崩れてしまう(それはそれでひき肉みたいでおいしいのだけれど)。焼き上がったらお鍋に入れる。
⑧⑦のフライパンで①の豆を軽く炒め、お鍋に。最後にトマトも軽く炒める。
⑨鍋にひたひたになるくらいチキンブロスをいれ、1時間半ほど極弱火で煮込む。途中何度か灰汁をとって(灰汁をとるという発想はあまりアメリカにはないのか、どのレシピを見てもこの記述はないのだが、こういう料理だとつい灰汁をとりたくなる日本人の性)。
⑩水分がだいぶ少なくなったら、Worcestershire sauceと蜂蜜を加える。ソーセージの味によってだいぶ辛みに差が出るので辛くしたければcayenne pepperやCajun seasoningで調味。
⑪しばらく置いて味を馴染ませたら、炊いたごはんのうえにたっぷりかけて召し上がれ。仕上げにgreen onionを刻んだものを乗せると香りがさらにいいです。


というわけで、お豆レシピのエクストラバガンザであった。学期末にこれだけレシピをアップロードするわたしは筆まめなのかしら、豆だけに、うふふ。と思ったが、これをペーパーからの逃避と呼ばずしてなんと呼ぶ。とにかく学期の終わりまであと二週間をきったので、ふんどし締め直してラストスパート、がんばります。