お金貯めて三日泊まるのが夏休み
週刊誌読んでやって来れば数珠繋ぎ
冷めたスープ放り投げるように飲まされて
二段ベッドでもあたいの夏休み
Summer Vacation  あたいのために
Summer Vacation  夏 翻れ

—中島みゆき「あたいの夏休み」

2012年2月22日水曜日

Rochester, Minnesota (1)

話は前後するが、12月の末にPJの両親の住むMinnesotaのRochesterという街を訪れた。

"Meet the parents"というイベントがなにやらいわくいいがたいのは万国共通のようで、いかに普段はカジュアルなアメリカ人たちもこんなサイトがあるくらいにはそれなりに恋人の両親に会うのは気を使うらしい。なんだかんだこれまで付き合った人々のご家族(と書いていま気づいたのだが「ご両親」がいるボーイフレンドというのは初めてなんだな)とは割に密なお付き合いをさせてもらってきたのでこういうシチュエーションには比較的慣れているとはいえ、しかし相手が外国人となるといまひとつ距離の取り方がわからないのでなんだかふわふわと落ち着かないまま、とりあえず茶菓子を焼いて詰めた小箱を片手にMinnesotaに飛んだ。

なにしろ寒いのが嫌いで南の大学ばかりアプライしたわたしが冬にド北部に行くことになるというのはなんとも皮肉で、旅の前は連日Minnesotaの天気をチェックしては、おいおいこんな寒いとこ行くのかよ、と12月に入ってなお半袖の南部で肝を冷やしていた。なにしろMinneapolisでは昨年、フットボールスタジアムの屋根(東京ドームみたいな形の)が雪の重みで落ちたという。1月には零下20℃にもなるというその寒さは東京人の想像の及ぶところではない。ありったけの冬物下着をスーツケースに詰め込み、降り立ったMinneapolisの空港はしかし、そこまでの寒さではなかった。もちろん零下は零下なのだが、零度を下回ると大気中の水分が凍って身体に沁みなくなるので湿気のある4℃の空気よりもよほど温かく感じる、というPJの再三の説明のとおり、寒風吹きつさぶ南北線東大前駅の死にたくなるような寒さに比べればよほどに過ごしよい。拍子抜けしていると迎えにきてくれた満面の笑顔のPJの両親が、ほんとに最近はあったかくてルイジアナから来たふたりを迎えるのにはちょうどよかった、まったくスプリングブレイクみたいな天気だ、と言う。いやもしもし、滝、凍ってますけど、という喉まで出かけた言葉は無事飲み込んだ。

アメリカを旅行するたびにおもしろいなぁと思うもののひとつは人口分布だ。例えば再三繰り返しているが南部は白人と黒人がだいたい半々でその他の人種(アジア、アラブ、ユダヤ、ラテン系など)が極端に少ない。ルイジアナはフランス・スペイン系移民の影響が大きいため南部の中ではわりに特殊な多民族文化を形成しているのだが、南部の多くの州はわりにいわゆるWASP的な白人文化がやはり際立って優勢で、例えば女の子はBritney SpearsとかJessica Simpson(ブリはミシシッピ、ジェシカはテキサス出身とふたりとも南部娘なんですね)みたいな、え、それほんとにブロンド?染めてるの?というような黄味がかって根元が黒いブロンドに、なんかこう「くわっ」とした見るものを取って食うかのような顔(いやもちろんかわいいんですけど、お化粧のせいなのかなぁ、なんかむやみに激しいんだよなぁ)を理想とするようなタイプが多い。New YorkやLos Angelesにいくとこういうメディア的にクラッシックなアメリカ娘というのは実は少なくて、意外にブルネット率が高いし、もちろんいわゆる「その他」の人種との混交が如実に見られる。さてそれではMinnesotaはどうでしょう、というとこれもまたとってもブロンド率が高いのだが、この土地の場合南部のようないわゆるアメリカ的「白さ」ではなくいわゆるプラチナブロンドに近い白さなのである。同じ白人でもやっぱり違うもんだがなんでなんだろう、と思ったら、Minnesotaは昔から北欧からの移民が多いから、とのこと。どうりで街にはMarimekkoとかAlessiとかNordic Wareとか(すいません料理系のブランドくらいしかわからなくて)南部ではおよそ目にしない北欧系のメーカーが軒を連ねている。

アメリカ文学では90年代くらいからWhiteness Studyというのが(それなりにではあるが)起こっていて、白人というカテゴリーを人種のマーカーのないブランクカテゴリーとしてではなくWhitenessによってマークされた人種として研究しようというような試みがあるのだけど、十把一絡げに白人といってもいろいろあるんだなぁといまさらながら実感するのはこういう時である。PJのお母さんの家族はやはりデンマーク系移民で、古くからMinnesotaに住んでいるため、PJのお父さんとお母さんはドイツでの仕事を終えてからはふたりでここに住んでいる。PJなんてわたしから見たらメジャーリーグ見ながらビールの大ジョッキを抱えていそうなくらい(実は本人はそんなに野球に興味ないんですが)アメリカ白人そのものに見えるのだが、実際は自分のことを「白人」とカテゴライズするのに抵抗があるようである。というのも、デンマーク系で4世代に渡ってアメリカに住んでいるお母さんに対し、PJのお父さんは第2世代ギリシャ系移民で、そのお父さんは英語を話すことがなかったというのだが、ギリシャ系というのはイタリア系同様、20世紀初頭まで「白人」とは見なされていなかったため、お父さんとお母さんの1950年代の結婚とPJの誕生はお母さん方の親戚にそれなりの波紋を呼んだらしい。なるほど親戚の集まりにいってみると、皆が皆いわゆる「透けるように白い」肌にほとんど白髪のようなブロンドである。その中でPJは自分とお父さんだけは「オリーブ色だ」と言う(…が、繰り返すようだがやはり人種的圧倒的他者のわたしからみると、いやいやあんたたち白いよ、という感じなのだが、こういうグループ内の差異というのはやはり部外者にはわかりにくいものなのだ)。