さて話がRochester自体からはやや逸れたが、PJの両親がすむこの街は、Minneapolisから車で1時間半ほどのところにある。小さな街だからそんなに観光するところはないんだよ、とPJは言っていたが、やはり行ってみるとわたしにとっては興味深いことが山ほどある。なにしろ考えてみれば北部はNew Yorkにしか行ったことがなかったし、New Yorkはアメリカ北部の街というよりはコスモポリタンな都市なので、どちらかといえば北部の他の都市よりも東京とのほうが共通点が多かったりするわけで、RochesterはNew Yorkではおよそ見られない北部の(というか中西部の)典型的な郊外の街並を味わうことができた。
Rochesterという街はMayo Clinicという名の病院とそれを中心とした医療産業で成っている。Mayo Clinicは入院、手術というよりは主に先端治療法の開発及び各患者に対する新たな治療法の提案を行う全米屈指のNPO医療団体なのだが、もともとは南北戦争後の1863年にWilliam Worral Mayoという医師がその二人の息子とともに起こした小さな病院だったそうだ。年を経るにつれその先進的な医療技術に注目が集まり、1928年には左の写真(Plumber Buildingというのだが)のような大きな建物で治療が行われるようになった。この建物は現在でもMayo関係の医療カンファレンスや研究が行われているのだが、その内部の美しさは病院とは思えないほどである。現在ではPlumber Buildingのすぐ横により現代的なビル(前の投稿の一番最初の写真は二つの建物が両方写っている)が建てられていて、そこにはアメリカ全土および世界各国から治療困難な難病指定を受けた患者達が新たな治療法を求めてやってくる。
Mayo Clinicの街の中心たる所以は、それが地域のコミュニティを形成しているところにある。Mayoは地域住民からボランティアを募り、患者と病院のコミュニケーションの潤滑化を図っているようで、PJのお母さんも週日はボランティアとしてMayoにいる。Mayoは医療私設の人間化とでもいうのか、医療を日常から乖離したプロフェッショナルで怜悧な空間にしないことを旨としているようで、一見ホテルのような建物内(聖路加とかそういう病院にも通じるものがあるのだけど)には無数の美術品が(ほとんど無造作に)置かれている。元美術教師だったお母さんの仕事はこの作品達を説明するツアーをすることなのだが、おもしろいことに多くの作品はMayoで治療を受けた患者の家族ないし知人からの贈呈品なのだった。左のシャンデリアはホールに飾られたDale Chihulyというアーティストの作品なのだが、ひとつひとつ自らの息で膨らませたというガラスの集積は館内の光を集めて温かく輝いていた。他にも小児科には元科学の先生のおじいちゃんがいて、子供達に本を読み聞かせたり科学の実験をやってみせたりしていてこれもまた見ていて和んだ。加えてMayoを中心とするRochesterの街は実は2km四方くらいに渡って建物同士がSkywayとよばれる空中回廊と地下通路によって結ばれているので、地方から来た患者はホテルから冬の外気に触れることなく病院まで行くことができる。小さな街だからこそ実現できることなのかもしれないが、妙にしみじみと感じいって、近くのBarns and Noblesで医食同源を唱導するMayoの料理本まで買ってしまった。
たった三日の滞在ではあったが、PJの両親はなにからなにまで気を使ってくれて、クリスマスツリーの下にはAvedaのヘアケアセットをわたしのプレゼントとして用意してくれていたり、お手製のフルコース料理をふるまってくれたり、MinneapolisのMinneapolis Institute of ArtでEdo Popと題された浮世絵の展覧会に連れて行ってくれたり、北部にありながらほんとうにほっこりとした旅だった。正直に言うと、南部の人々の開けっぴろげな愛情表現(とりあえず常に両手でハグ、とりあえず常に笑顔、とりあえず常に大声)に慣れていたわたしは、最初は北部の人たちの穏やかさや落ち着きに少し戸惑いはしたのだけれど、別れ際、いつも川を見るたびにあなたのことを思い出すよ、Missisippi Riverの上流と下流でいつも繋がっているんだよ、と言ってくれたふたりの優しさは忘れ難い。先日PJのお母さんからおいしいクッキーのレシピが届いたので近々試してみるつもり。