お金貯めて三日泊まるのが夏休み
週刊誌読んでやって来れば数珠繋ぎ
冷めたスープ放り投げるように飲まされて
二段ベッドでもあたいの夏休み
Summer Vacation  あたいのために
Summer Vacation  夏 翻れ

—中島みゆき「あたいの夏休み」

2011年6月15日水曜日

PJ Withdrawal and Raspberry Chocolate Cake

例の二日酔い以降、なんとはなしに意気があがらない。PJと電話をして、夏風邪かもしんない、といったら、いやいやそれはPJ withdrawalだよ、と笑われた。Withdrawal というのは薬やアルコールなどに対する依存症のある人が急にそれらを摂取するのをやめた時に起こる離脱症状である。写真はMeth Withdrawal(Methというのはmethamphetamine。あれですね、のりPの)のページのものなわけだけど、たしかに最近わたしはこんな表情で机の前に座っていることがある。

PJ withdrawalというのは言い得て妙なものだ。たしかにBaton Rougeにきて10ヶ月(ここに来たのが8月の頭、初めてPJに会ったのが8月の半ばなので)、ほぼずっと隣にPJがいたわけで、学校の忙しさがピークのときなど、ほっといてちょうだいよ!という風にもなったわけだが、初めてこうやって離れてみると、わたしにとってBaton Rouge=PJだったんだなぁ、などとつくづく実感する。夏のBaton Rougeの暑さというのは想像を絶したもので、3月半ば以降長袖というものにはついぞご縁がないし、湿度は常に80%以上、しかも街の北部にはけっこうたくさんのchemical plantがあるのでBaton Rougeの空気は全米で1、2を争う汚さなのだが、湿気のせいでその空気の汚れがますます強く感じられる。友人等はBaton Rougeをthe filthiest town in the nationなどと罵るし、けっこう多くの人がこの暑さに耐えられず街を脱出する(アングロサクソンの人々の気温の感じ方は明らかに我々とは違うようで、たぶん体感温度が4から5℃くらい違う)。が、相変わらずわたしはこの暑さが大好きで、喫茶店の外の席であつーあつーと言って汗をかきながら読書に励んでいた…わけなのだが、ここ2日ほどはBaton Rougeなんてなにさ、もう知らない、みたいな気分なのだ。

それに加えて、いま書いている論文もまた思い切り暗い。Willa Catherはアメリカ南西部を舞台にしたMy AntoniaとかO Pioneers!で有名な20世紀初頭の作家なのだが、70年代以降(いやほんと60年代、70年代というのはこういう時代なんだな)レズビアンであることが「発見」されて、それ以来彼女の作品にはセクシュアリティ分析が大きなジャンルとして加わっている。しばしば問題とされるのは彼女が一貫して自分のセクシュアリティについて沈黙を守り続けていたことで、Catherが遺書の中で自分がこれまで書いた手紙の一切を後の研究者が引用することを禁じ、またgross indecency trialで裁かれたOscar Wildeを酷評したことなどから、彼女はある種のhomophobiaを内面化していたという風に論じられることが多い。

わたしが今扱っているThe Professor's Houseというのは1925年の作品なのだが、主人公のProfessor St. Peterは彼の死んだ生徒であるTom Outlandに対する尋常ならぬ思い入れとともに、小さな書斎に閉じこもって家族とのかかわりを断っている人物である。この書斎はどうみてもclosetだよね、という印象からわたしの論は始まっているのだけれど、ただしわたしはSt. Peterのセクシュアリティを抑圧されたhomosexualityとして捉えるのではなく、closetの中に閉じこもり、melancholicに失われた対象と同一化することで得られるある種のautoeroticismであると論じて、Catherのセクシュアリティに関する沈黙と彼女の"the thing not named" ("The Novel Démublé"という彼女のエッセイに出てくるフレーズで、これまたしばしば"The love that dare not speak its name" というhomosexualityのcodewordに結びつけられる)に対するこだわりを、20世紀のhomo/hetero binaryのディスコースと性解放のディスコースに参加することに対する抵抗として読んでいるわけだが、このmelencholia分析のおかげでわたしはいまちょっとばかり心理的にやられているのかもしれない。すべてのペーパーというのは自分にとってなんらかの意味でpersonalなものなわけで、だからこそ研究がやめられないのだから、ある意味ではこの状況を楽しんでいるといえば楽しんでいるのだけど。しかしなぁ。

***
そんなわけであまりずっと論文だけに係っていてもよくないな、と思い、ケーキを焼いてみた。気づけばチョイスはPJの大好きなRaspberry chocolate cake…ううむこの心理状況はPJの不在に関わるメランコリーだということなのだろうか。まぁ、そう考えたほうが気分がよいので、それはそれでよしとしよう。久々のうだうだポストだが、お味の方はばっちりなのでご安心を(実際これを食べたら少し元気になったので、いまからまたペーパーに戻れる)!ついでにこれと似たレシピでチョコスフレも作ったのだけど、それはまた今度紹介することに。

[Raspberry Chocolate Cakeのレシピ(18cm丸形)]
☆Raspberry 1パック(180gくらい。ケーキ用の120gとソース用の60gにわけておく。ちょうど季節なのでフレッシュを使ったが、冷凍でもいい)
☆製菓用チョコレート(カカオ分65%くらいのもの)180g
☆発酵バター 140g
☆グラニュー糖 145g(ケーキ用の50gとメレンゲ用の70gとソース用の25gにわけておく。めんどくさくてすみません)
☆小麦粉 20g
☆卵黄 60g (約4個分)
☆卵白 180g (約4個分:冷凍庫でまわりがすこし凍るくらい冷やしておくと安定したメレンゲになる)
☆レモン汁 小1

①チョコレートは刻んで(わたしが使っているのはすでに小さなチップになっているものなのでこの必要はなし)バターも小さくして溶けやすいようにする。
②ボウルに①を入れて、湯煎にかけて完全に溶かす。40℃くらいになったら火から下ろす。この間、型にオーブンペーパーを敷いておく。底は丸く切って敷き込み、まわりにはぐるっと巡らす。けっこうべったりくっつきがちなのでこれを怠ると型から抜けない。
③グラニュー糖50gを入れてよく混ぜる。その後卵黄、またよく混ぜる。さらに小麦粉をふるい入れて、またよく混ぜる。このあたりは手早く。
④メレンゲをしっかりめに立てる。卵白に70gのグラニュー糖のうちひとつまみを加えてハンドミキサーの高速で泡立てる。しっかり泡立ったら(いわゆる「お辞儀をするくらい」の固さ)残りの70gを3回にわけて入れて、その都度しっかり泡立てて、最後に低速できめを整える。最終的にはすこしすくいあげて逆さにした時に落ちてこないくらいの固さにする。
⑤③に④とラズベリー120gを加え、ゴムベラでさっくりと混ぜ合わせていく。色が均一になったらOK。
⑥用意した型に⑤をゆっくりと入れる。180℃で45分から50分焼いて、冷めたら型から出す。チョコレート系のお菓子全般に言えることだけれど、焼いた当日は味が馴染まないのであまり美味しくありません。翌日ないし翌々日にめしあがれ。
⑦そのままでもよいのだけれど、ソースをかけるともっと美味しい。ソースは小鍋にラズベリー60gと砂糖25g(要はベリーの40%の砂糖ということ)をいれて軽く混ぜ合わせ、弱火にかけてコトコト約5分(ベリーの形を残したい場合は煮ている間あまり混ぜないこと。水分が自然に出てくるので焦げることはない)。様子をみていい感じになっていたら最後にレモンを加える。生クリームを泡立ててそこにたらしてケーキと一緒に食べればさらに美味しいし、アイスやヨーグルトにかけて食べてもおいしい。ちなみにブルーベリーでも同じ要領で作れます。

BRを発つまで残りあとわずかなのであまった生クリームを使う暇もないかな、と思い、おそるおそる写真のスプレー缶入りのクリームを使ってみた。添加物などを気にする向きの方々にはおすすめできないけれど(実際賞味期限の長さにどん引きしなくもない…)いやはや簡単便利に負けました。いつもコーヒーショップとかで店員さんがもしゃーっとフラペチーノ的なものにかけるのをみて興味津々だったのが(ちなみにSt. Augustineで食べたKey lime pieの写真のクリームもこれだったし、テレビドラマなんかで女の子達が夜中にこれをそのまま缶から飲むように食べるのも目にする。もちろんポルノでは…あとは説明は不要ですね)、使ってみるとバラの口金で絞ったようなクリームが簡単に出せてしまうのでちょっと感動した。いや身体に悪そうだけどさ、まぁアメリカーナの醍醐味ということで一度くらいはね。さあ土曜日にはこちらを出発してLAだ!がんばるぞ!

※追記※
出発前に冷蔵庫の野菜を全部食べなければいけないので、さて大量のromaine lettuce(こっちではこれがとても安い。3個パックで$2くらい)をどうやって食べようかなと思い、シンプルなレタスのサラダを作ってみた。ただちぎって市販のドレッシングをかけたり、茹でてオイスターソースとマヨネーズで和えたりと、いろいろ食べ方はあって、どれも手軽でお気に入りなのだけど、この食べ方も簡単でけっこうおいしかったので、覚え書き。もちろん普通のレタスやキャベツなどでもできますが、それぞれひとつ使うとromaineよりだいぶ葉っぱの分量が増えるので、様子をみながら加減してください。いつものサラダレシピのとおり、材料と分量は適当なので、とにかく手近にあるもので。

[Simple romaine lettuce salad]
☆romaine lettuce 1株
☆ミックスナッツ 大2
☆パルメザンチーズ 大1弱
☆オイル 小1弱(好みのオイルで。わたしは胡麻油をよく使います)
☆砂糖 小1
☆塩 小1/2 (これも好みのお塩で。わたしはガーリックソルトを使います)
☆酢 小1(くどいですが好みのお酢で。レモン汁でもいいし、ワインビネガーやバルサミコでもいけます。わたしは味をみながら何種類か混ぜます。)
☆黒こしょう 少々

①レタスは粗めの千切りにする。
②レタスをオイルで和える。トスするように。
③お砂糖を全体にまぶして、またトス。
④塩、酢、胡椒、パルメザンをそれぞれまぶしてトスの繰り返し。
⑤ミックスナッツを粗く刻んで最後にぱらりと。

ポーチドエッグを乗せておいしくないわけがないよね、ということでこちらもご紹介。ポーチドエッグは見た目によらず簡単で、たっぷりめのお湯をぐつぐつ湧かしてお酢を小さじ1くらい入れて火を弱め、お玉でうずを作った中にお椀等に割った卵をそっと流し込んで、お箸等で白身の広がりを抑えて2分半。またはマグカップにお水(1cmくらい)とお酢少々を入れた中に卵を静かに割り落とし、爆発防止に黄身に竹串などで穴をあけてレンジで約50秒。写真はレンジバージョン(お湯で作った方が白身と黄身の食感のコントラストが楽しめます)。

あとは、そうだな、お砂糖を少し控えめにしてドライクランベリーを刻んで入れたのもおいしかった。なんといってもベリー、ナッツ、チーズの組み合わせは最強なのだ。ちなみに写真の木のボウルは日本のもので、そのままボウルで和えてテーブルに出せるのでお気に入り。日本に帰ったらまた木の器を買おう、そうしよう。料理というのは不思議なもので、なんだかんだでいろいろ作って食べてたら元気が回復して、無事に書き直しの第一稿が出発前に仕上がりそうだ(というかいっそ単に栄養が足りてなかっただけかもしれない気すらしてきた)。

2011年6月13日月曜日

Hangover and Tomato Basil Soup

はやいものでPJがNew Mexicoに発ってからもう10日が経つ。8月の末までPJと彼の犬のFootieはAlbuquerque(アルバカーキと読む)で避暑の予定なのである。最高気温だけみるとNew Mexicoだって90°F以上なのでたいしてBRと違わないようなのだが、なにせ湿度が80%超えのBRに対してAlbuquerqueは4%。自然発火で山火事が起こるくらいの乾燥具合で、PJはNMに入った途端にあまりの乾燥で鼻血が出たという。しかし湿度が低いということは太陽が沈めばちゃんと涼しくなるということだし、日中も汗をじっとりかく暑さではないので快適とのこと。Footieは今年で13歳なのだが、Boston生まれのFresno(Californiaにある小さな街で夏場でも涼しい)育ちのFooはBRの気候に完全に参っていて、加齢に加えてこの暑さで夜は10分歩くこともできないし、ポーチの階段を昇ることもときには出来なかったのだが、いまはAlbuquerqueの公園で元気に走り回っているとのこと。ほんとうによかった。

長らく会えない(8月の頭にわたしがNew Mexicoに行くことになっているので6月と7月のまる2ヶ月だ)ということもあって、学期が終わってからPJの出発前のおよそ3週間はほぼ毎日のように会っていたので、しばらくは真面目に机に向かう時間もなかった(いやカウチやビーチでで本読んだりはしたけどさ)。しかし今月18日にはわたしもBRを出てLAで一週間を友人と過ごし、その後東京で三週間滞在すると考えると、PJの出発からわたしの出発までのこの二週間は勉強に集中できる貴重な時間、ということになるので、ここ最近は久々に勉強に精を出していた。実はうれしいことに、先学期は3つとっていた授業で出したペーパーがどれも好評で、それぞれ教授から出版に向けての書き直しを勧められたのだった。どのペーパーも楽しんで書けたものだったので本当に本当にうれしかったのだけれど、3本すべて書き直すわけにはいかないので今は一番気に入っている、Sexualityの授業で書いたWilla CatherのThe Professor's Houseに関するペーパーを鋭意書き直し中である。それぞれのペーパーについてと、それから新しく始めたblog「あたいの読書録」(といってもほとんどノート代わりの備忘録なので他のひとが読んでもちっともおもしろくないと思う)についてもいつか書きたいのだけど、長くなりそうなので今日は別の話。

そんなわけで6月3日から昨日まで毎日、朝起きてごはんをつくって、図書館かカフェに行ってリーディングをして、帰ってごはんを食べてライティングをして、ステッパーでyoutubeみながら20分くらいエクササイズをしてお風呂にはいって寝る、という、ある意味ではわたしにとって夢のような生活を毎日していたのだけど、やはりここは南部、そうした生活をずっと続けるのは許されないというか、「なにやってんだよ」ということになる。金曜日に喫茶店で読書していたら友人に声をかけられ、「もうBRにいないんだと思ってたのに、勉強してるの。夏休みなのにえらいなぁ、PJがいなくてさみしいんじゃないの?」みたいなことを言われたので、うーんそうだね、たしかにちょっとさみしいかも、と笑っていったら案の定というかなんというか、週末の三夜連続でパーティあるいはごはんの誘いがあったので、最初は断っていたのだが根負けして日曜の夜、少し息抜きに夕ご飯を友人達と食べに行った。

Truckstopに行ったことある?という風に聞かれて、なにそれ、という感じだったのだけれど、その名のとおりtruck stopとは長距離トラックの休憩所みたいなもので、アメリカ中のインターステートの周りに散在する、「シャワーの浴びられるレストラン」みたいなところである(ベッドがある場合もあるが、トラックドライバーは大抵自分のトラックで寝るらしい)。60年代くらいから70年代にかけてトラックは昔のカウボーイみたいなアメリカン・スピリットのロマンを担うことになったらしく、いまでもトラック野郎というのは現代のカウボーイと呼ばれることもあるらしい。そんなわけでtruckstopというのはある意味ではアメリカ魂のふるさととも言えるらしく、そして南部の場合、実は一番おいしい南部料理はtruckstopで食べられる、とまで言われることがあるほど、料理がわりと充実している。実際Port Allenという、Baton Rougeからミシシッピを渡って10分くらいの町にあるCash's Casinoという店のチキンカツレツ(なんて言うんだったけなぁ、チキンを叩いて薄ーくして、衣をつけてカリカリに揚げてグレイヴィーソースをかけたもの)とred beans and riceは涙もののうまさだった。

と、そこまではよかったのだが、その後気づいたら友人が作ったMint jurep(南部名物のカクテルでモヒートMojitみたいなものなのだが、Cubaの発祥Mojitはライムジュースにシロップとミント、炭酸でホワイトラムを割ったもので、Mint jurepは炭酸とラム抜きのバーボン入り)をいい気分で飲んでいた。もともとほとんどお酒は飲めないし、周りの人々もそれはよく知っているので(暑いのに耐えられる体質と同様、いつもの「そうか…アジアの遺伝子か」というジョークまじりの粗い理解で受け止められている)ほとんどvirgin mojito(virginで作ってくれ、というのはアルコール分を入れないでくれ、ということなのだ)に近い感じだったのだけど、久々に飲んだからというのと、ここ最近あまりに健康的な生活をしすぎていてチキンカツレツの脂にやられていたからか、ほとんどあり得ないくらいにべろんべろんになってしまった。なにが恐ろしいってどんなに酔っても英語でしゃべらなければいけないので、なんか軽く地獄をみた(それでもコミュニケーションがとれていたことがありがたくてうれし泣きをして友人が驚いていた。あとで聞いたら、Kristevaにおける、言語が喪失の代替となる論がいかに正しいかがこういう言語を失いそうな状況でよくわかる、とかわけわかんないことを言っていたらしい。一生の恥である)。現在翌日の午後4時を回っているがいまだに二日酔いが抜けない。そんなわけでこのポストは言葉がろくに出てこない状態から勉強モードに戻るためのブリッジだったのである。

***
さて、なんとかこの状況を脱するために、二日酔いに優しいスープを作った。これまた料理好きのHのレシピをすこしアレンジしたものなのだけど、単なるスープといって侮ってはいけない。ほ ん と う に おいしいのだ。アメリカはスープの国なので、キャンベルをはじめ、いろいろなメーカーが出来合いのスープを缶やパックで出していて、tomato basil soupは中でもわたしのお気に入りなのだけれど、この手作りのtomato basil cream soupはやはり段違いのうまさである。

[Tomato basil cream soupのレシピ]
☆トマト 4-5個 (こちらではroman tomatoという細長くて水分の少なめのトマトがあるのでそれを3つと余っていたミニトマトを使った。普通のトマトでも出来るとおもうのだけど、あまりじゅくじゅくに熟していないトマトのほうがよいと思う)
☆たまねぎ 1個
☆にんにく 4かけ
☆バジル 1パック (先日行ったfarmer's marketのバジルが余っていたのでそれを使った。日本同様バジルはけっこう高いので、もしなければないでトマトクリームスープにしても十分美味しい。あるいはドライバジルを野菜をローストするときにハーブと一緒に混ぜ込んでも)
☆ベジタブルブロス 2.5カップ (ブロスがなければ野菜スープのもとを水に溶かしても。チキンスープやビーフブイヨンでも可。要はスープのベースならばなんでも可。)
☆生クリーム 100cc (あったほうがトマトの酸味が丸くなって好きだけれど、なくても可。また、牛乳とのhalf and half、あるいは牛乳でも可)
☆ハーブミックス (Herb de Provanceというのを使っているけれど、ドライハーブならほぼなんでもいい。わたしはローズマリーを大目にいれた)
☆オリーブオイル 大1から2(野菜にまんべんなく絡まる量)
☆塩胡椒 小1から2(ブロスの塩加減による)

①トマトは大きめの櫛切り(ミニトマトは二つ割)、玉ねぎは大きめの半月切り、にんにくは二つ割、バジルは大きめにちぎって、オリーブオイルをよく絡め(コーティングするようにまんべんなく行き渡らせる)、さらに塩こしょう、ドライハーブを全体にまぶす。
②①を耐熱皿(わたしは深めのバットを使っている)に入れて200℃に熱したオーブンで約30分から40分。途中で色を確認しながら、ちょっと焦げ目がついたかな、くらいのところで火を止めてオーブンから出す。
③鍋にブロスを湧かす。
④②をフードプロセッサーまたはミキサーにかけて滑らかなピューレにする。30秒くらい?
⑤ブロスに④を加え、ゆっくりかき混ぜる。均一になるまで。
⑥火を弱め(消してもいい)、クリームをゆっくり加え、さらに混ぜる。
⑦好みでざるなどで漉せばさらに滑らかになるが、濾さなくてもこれでもう食べられる。ドライあるいはフレッシュバジルを浮き実にして召し上がれ(写真はぐらぐらの状態でとったので浮き実などはもちろん忘れている)。ちなみに冷やしてもおいしい。


二日酔いの乾いた口(cotton mouthという。綿を食べたみたいに口がカラカラだから。アルコールだけじゃなくてドラッグや極度の不安による口の乾きもこう呼ぶ)に沁みるレシピである。ポイントは野菜を炒めるのではなくてオーブンでローストすること。高温でローストした野菜のうまみというのはなににも代え難い調味料だ。ちなみに日本だとオーブン料理はなぜか敷居が高い印象だと思うのだけれど、アメリカは冷凍食品文化なこともあって、どんなに料理をしない子でもオーブンは電子レンジ感覚で使う。そしてどんな家にも電子レンジはなくてもオーブンはデフォルトでついてくる。さて、料理の後でこれを書いていたらだいぶ回復したのでこれから図書館に行って本借りてこなきゃ…ああ、一生の不覚。

2011年6月6日月曜日

St. Augustine, FL

話は前後するが、Memorial Dayの前の週にFloridaのSt. Augustineという街に行ってきた。前学期でGeorgiaに帰ってしまったPJの旧ルームメイトのAの家族がSt. Augustineにビーチハウスを持っているということで、ファイナルズが忙しくてお別れもろくろく出来なかったわたしとPJをAが招いてくれたのだった。FloridaといってもSt. Augustineは半島の付け根の大西洋側、Baton Rougeから真東くらいに位置する。MiamiやKey Westからは車で12時間くらいあるので到底そこまでは行けなかったが、Florida「北部」とはいえ十分に南なのでもちろん暑い。お気に入りのワンピースに麦わら帽子、それから小さなスーツケースを持ってうきうきと飛行機に乗り込んだ。アメリカで初めてのバケーションである。


St. Augustineは大西洋に面したビーチなのだが(そして実際ゴーグルをしてたっぷり泳いで真っ黒に日焼けしたのだが)、なにより特筆すべきはこの街がアメリカ本土に現存する最古のヨーロッパ植民都市だということだ。湾にかかった橋を車で渡ると、写真上のようなヨーロッパ風の建物が現れる。St. Augustineの歴史は波乱に満ちている。街は1565年、他の多くのFloridaの街同様、Seminole Indianを制圧したスペインの入植者により創設され、フランス、イギリスのプロテスタント軍(それからカリブの海賊!)による攻撃を受けつつ、約2世紀に渡りカソリックであるスペインによる統治が行われた。が、1763年にthe French Indian War (イギリス軍対フランス=ネイティブアメリカン連合軍の戦争で、フランス連合軍はイギリス軍に大敗を喫する)が終結し、Treaty of Parisが締結されて大規模な植民地改変が行われると、Floridaはイギリス領となる。ただしこのイギリス統治は大変に短命で、1775年に始まり1783年に終結したアメリカ独立戦争の結果、再びFloridaはスペイン領となる。Floridaがついにアメリカ領となるのは1821年だが、Civil War(南北戦争ですね)ではFloridaは南軍(嗚呼 我らがConfederate!)に与し、連邦を脱退。最終的にSt. AugustineがUSAの一員となったのは1865年、南北戦争終結時のことである。19世紀末になると写真のFlagler College(そうなのだ、大学なのだ、この美しい建物は)を建てたHenry Flaglerというアメリカ人tycoonによって鉄道が敷設され、St. Augustineは現在のリゾート地への道を歩むことになる。そうかなるほどありがとうWiki。勉強になりました。

1695 年にスペインによって作られたCastillo de San Marcosという海に面した砦はcoquinaという貝殻を合わせた石灰岩の一種で出来ていて、今でも中に入って見学することができるのだが、St. Augustineの波乱の歴史を示すように砦内部には写真のように、アメリカ国旗の他にConfederateの旗(嗚呼我らがFlags in the Dust!)、スペイン国旗、イギリス国旗などが飾られている。ちなみに砦では一日一回大砲の実演が行われて(ただし玉自体はもちろん出さない)、私たちが行った時は海に浮かんだ自家用ボートからそれを見学する人々もいて、大砲が轟音をあげて火花を散らすと、ボートに乗った子供が打たれたふりをしてドラマティックに胸を抑えて後ろ向きに海に落ちてみせて見学者の歓声ををかっさらっていった。

St. Augustine市内は、はて、どういったらいいか、このブログの写真がとても参考になるのだけど、「アメリカなのにヨーロッパ」というキャッチフレーズが実にぴったりくる街である。メルヘンだ。乙女だ。はじめに街に行った時は夕暮れだったので思わず目が♥になった。が、週末の日中に来てみると、京都は新京極を思わせる観光地ぶりが否定できなくもない(怪しげなガラス細工の店とかあるしね)。New Orleansにもすこし通じるところはあるのだけれど、なにかが違うんだよな、と思ったのは、あの猥雑さがないことで、なんというか生活臭がないのだ。ある意味ではSt. AugustineはNew Orleansよりも徹底したリゾート地で、穿った見方をすればアメリカ人のヨーロッパコンプレックスみたいなものをうまく刺激するように作られている…と言えなくもない。いやもちろん古くていい街並みなのだけど。そして人々がリラックスムード満点でフラヌールごっこをしているのは癒されるといえば癒されるのだけど。でも人と店が多すぎて疲れたというのが実は正直なところでもある。

しかし、ごはんはうまうまである。もちろんリゾート地だからということもあるのだろうけれど、どうも理由はそれだけではないらしい。Floridaは全米一居住者の平均年齢が高い州なのだけど、それはなぜかというと常夏のこの州がretireの先に選ばれるからで、St. Augustineには全米でレストランを経営していた人々がretireして新たに店を出しているとかいないとかでよいレストランが豊富にある(逆にいえばretireして生活費の高いFloridaに店を出せるくらい成功した人々の店ばかりがある)。スペイン料理のお店、リヨン料理のお店、キューバ料理のお店(FloridaのLatino率の高さ、とりわけCubano率の高さには目を見張るものがある。もちろん聞こえてくるアクセントもLouisianaとは全く違う)などなど入ったレストランは大抵おいしかったのだけど(中には観光地らしいレストランもあったけど)、中でもお気に入りはその名もFoloridianというカフェレストランのようなところで、すべて地産のシーフードと野菜を使ったFlorida料理を出してくれる。特に印象的だったのは写真のFried Green Tomato。その名のとおり熟す前のトマトを揚げたものなのだけど、Florida名物と聞いてはいたが、いやほんとにおいしかった。

***
FGTの他にもうひとつ、Floridaに来たらどうしても食べたかったものがある。Key lime pieである。Key limeというのはKey West特産の小さなライム(普通のライムの半分くらいのサイズ)で、アメリカでは「キーライムパイ味のガム」「キーライムパイ味のクッキー」「キーライムパイ味のアイス」などがどこのスーパーでも売っているのだけれど、肝心のキーライムパイ自体をわたしは食べたことがなかった。日本の「きゅんと甘酸っぱい恋の味」的な表現による刷り込みなのだろうと思うが(アメリカでは「恋」が「甘酸っぱい」というのはよくわからないらしい。Bittersweetという表現が恋を表すことはあってもSweet and sourというと中華とかタイ料理にしか結びつかない)、わたしはレモンやライム味のお菓子にめっぽう弱い。Vegetarianで極右甘党のAにキーライムパイを食べないとLouisianaに帰れない、と言ったら、なんて、なんてすばらしいミッションなんだ!と興奮しておいしいキーライムパイを一緒に探してくれた(PJは我々の女子的熱狂にひいていた)。夜風にふかれながらAと夢中で食べた、冷たいフィリングにたっぷりのホイップクリームと蜂蜜をかけたkeylime pieはしばらく会えない友達との思い出の味になった。

そんなわけで再現レシピを書いておこう。ただし今回はフィリング作りであまった卵白を使いたかったのでトッピングとしてメレンゲを載せて焼いたのと、伝統的なグラハムクラストのカロリーに恐れをなしたのでくるみのショートブレッド風クラストを使ったのが正統的なレシピとの違いです、あしからず。

[Key lime Pieのレシピ]
★グラハムクラスト
☆グラハムクラッカー 150g
☆バター 75g (わたしは塩味の甘味に弱いので有塩と無塩を混ぜたが、もちろん無塩でも。レンジなどで溶かしておく)
☆ブラウンシュガー 大1
☆塩 少々

または
★くるみのショートブレッドクラスト
☆薄力粉 70g
☆バター 35g (ちいさなキューブにしてよく冷やす。冷凍庫にいれても。)
☆くるみ 35g
☆ブラウンシュガー 20g
☆塩 少々

★フィリング
☆ライム果汁 120cc (ライム5個あるいはキーライム10個くらい)
☆ライムの皮のすりおろし 小2(緑の部分だけ。白い部分は苦い。)
☆コンデンスミルク 250cc(こちらでは14oz缶というのが売っていて、それの2/3くらい)
☆卵黄 3個分

★トッピング
☆卵白 3個分 (よく冷やしておく、冷凍庫で少し回りが凍るくらい)
☆砂糖 70g
☆ライム果汁 10cc (普通はレモン汁だが今回はフィリング分のライム果汁からすこし取り分けておく)

①クラストから作る。伝統的なグラハムクラスト(これも作ったがやはり背徳的でおいしかった)の場合、グラハムクラッカーをフードプロセッサーにかけて、粉状になったらブラウンシュガーと塩を入れてさらに混ぜる。混ざったら溶かしバターを加えてまたFPで混ぜる。ショートブレッドクラストの場合はすべての材料をFPに一気にいれて10秒ほど混ぜる。バターがお米くらいの大きさになるまで。
②①を20cmのタルト皿に敷き詰める。砂の城を作る要領で押し固める。グラハムの場合けっこう根気がいる作業だが童心に帰って楽しむのがコツ。底面はグラスなどで押すとよい。
③180℃(350°F)で15分くらい。焼けたらよく冷ます。グラハムの場合、特に焼きたては固まっていないようで不安だが冷やすと固まるので心配しすぎないこと。
④次はフィリング。卵黄をよく溶いて、コンデンスミルクを加えてよく混ぜる。さらにライム果汁を少しずつ加えて混ぜる。最後にライムの皮のすりおろしをいれてひとまぜ。
⑤③に④を流し込む。180℃で15分。冷蔵庫あるいは冷凍庫などでよく冷やす。メレンゲを載せない場合はこれで終了。トッピングにホイップクリームを載せてもいいし、なにも載せなくてもいい。
⑥最後にメレンゲ。よくよく冷やした卵白にライム果汁と分量の砂糖からひとつまみを加え、ハンドミキサーの低速で軽く全体を混ぜる。卵白がほぐれたら高速にして約4分。砂糖の1/3を加えて30秒を3回繰り返す。メレンゲにつやがでて先がぴんと立つまで。泡立てすぎるとぼそぼそになるので注意。
⑦⑤に⑥をのせていく。デコレーションの仕方は好みだが、真ん中を小高くもるのが基本の様子。スプーンの背で角を立てるのもベーシック。ゴムベラやパレットナイフで模様をつけてもいい。
⑧粉砂糖を少し振りかけて200℃のオーブンで12分くらい。写真はオーブンの温度が高すぎたので角が焦げている。全体が(均一ではなくても)うっすらきつね色になるのが正しいあり方。またよく冷やす。最後にライムの皮を少し削りかけても。


夏にぴったりの爽やかなケーキだと思う。PJの家に泊まる度にモーニングコーヒー(というかエスプレッソ)を入れてくれたAを思い出して今日はコーヒーと食べた。そういえばPJはAのエスプレッソがないと朝のお仕事ができないと嘆いてエスプレッソメーカーを買ったが、やっぱりなにか違うと嘆いていた(…なんの仕事かは想像にお任せしますが、わたしにとっては朝のニコレットがそのお仕事の鍵です)。Georgia出身のAの南部アクセントが理解できなくて、最初は彼がしゃべっているといつもぽかんとしてばかりだったのに、それでも優しく見守ってくれたこと、しばらくしてコミュニケーションがとれるようになったのをとっても喜んでくれたこと、きっと忘れない。1年間、ほんとうにありがとう。Georgiaでの日々が豊かなものでありますように。