Baton Rougeというのはいちおうルイジアナのstate capitalなのだが、州都という名前に反してこれがまた逆立ちしても都と呼ぶ事ができない片田舎である。片田舎という風に呼べるようになったのはたぶんここに2年住んで、そろそろこの街を自分の一部としてこの街を認識しはじめて、卑下することに抵抗がなくなったからだと思うのだが、とにかくここは都市ではない。公共交通機関や大きな美術館や単館系の映画館はない。湖はある、大きな空はある。しかし智恵子はBaton Rougeには空はあるがデパートはないと言う。ほんとうのデパートが見たいという。これはあどけないお買い物の話である。
80年代の東京に生まれ90年代の東京に育ち、女家族と女子校の環境で思春期を過ごすとどうなるかって、女はマテリアルガールになる。どのくらいマテリアルガールになるかというと、小学校の時に習っていたバトンの発表会で、麻布十番夏祭りでマドンナのマテリアルガールにあわせて緑のレオタードで踊り狂うくらいマテリアルガールになる(ちなみにこのマドンナの歌とはなかなか縁が切れず、マテリアルガールにのせて乱舞するかの有名な「板尾の嫁」をわたしはやがて地元のスーパーで幾度となく目撃することになる)。別にお金が別段好きなわけではないし、高級ブランドが好きなわけでもないし、物質文明に嫌気をもよおさずに生きいられるわけでもない。だからこそある種のロマンチシズムをかくも美しく拗らせて大学というところにかれこれ12年もやっているわけだけど、困った事にわたしはお洋服が大好きなのである。
何が困ったかというと、大学院生と書いて赤貧と読むくらい大学院生はお金がない。前にも書いたけれども、アメリカの大学院生というのは学校や学部によって差はあれど、大抵はteaching assistantshipというのをもらって実際に学部生に教え、そのお給料で暮らす。LSUは公立大学の英文科の中では業務時間に比べてもらえる額が比較的高く、物価も安いので普通に生きる分には(貯金はできないにしても)まったく支障ないように思える。が、実際に月々支給される額というのは、初めに年額として提示される額を単純に12ヶ月で割ったものではない。教えることによって授業料は免除になるのだけれど、LSUでは諸経費と称されるものを年間2000ドルくらいと大学の健康保険料(これは年600ドルくらい)を支払わなければならないし、毎月の本代も馬鹿にならないし、留学生は税率もアメリカ人とは違うので(これは州によるがわたしの場合は月額200ドルくらい違う)、自由になる月々のお金は雀の涙ほどである。
しかしこれは正直なところなのだが、東京にいたときよりも物質的に困窮しているという実感はほぼない。アメリカにいると(これがNYCとかLAとかだと違うのだろうけれど)そんなにお金を使わないのである。東京に帰ると思うのは、この街にいると常にいたずらに欲が刺激されるということだ。ほとんどそれは性的刺激にも近く、たいしてその気もないのに常に誰かに触られてなんとなくたかまってしまうような感じで、気づけば欲しくもなかったはずのものがつい買い物袋に入っている。東京というのは物質欲の痴漢電車である。当たり前といえば当たり前で、欲望というものが本来的に他者の欲望に対する欲望だとすれば、Baton Rougeの大きな空とlive oakの樹に抱かれた過疎的な環境で他者と隔たって生きていれば、当然に欲は湧かない。今日も元気だご飯がうまい、研究は楽しい、愛に満ちた生活だ。なにをこれ以上望もうか。いやしかし、しかしである。お洋服がほしいのだ。これはもう病気のようなものだと思うのだが、繰り返すがわたしは服というものが好きである。別にわたしはファッションフリークなわけではなくて、ハイブランドの服がほしいとか、エッジーなかっこをしたいとか、そういうわけではないのだけれど、とにかくいろんな服がクローゼットに掛かっているのを見るとそれだけでほぅと桃色吐息が漏れるし、新しい服を買えば延々とひとりファッションショーをする。
ファッションや消費はアイデンティティのパフォーマンスである、という口幅ったい言い方に関しては多少の疑義はあるものの、腹の底ではやっぱりそうだよな、と思わざるをえないところがあるし、少なくともわたしにとってファッションというのは自分の女性性をどう折り合うかという二重の意味で悩ましい問題に深く関わっている。あまり知られていないことだけれど、The Awakening といういわゆるフェミニストクラッシックで有名なKate Chopinという世紀末作家(ルイジアナを舞台にケイジャンやクレオールの人々の生活を描いた牧歌的な作品を多く残しているので彼女の作品はわたしの研究対象でもあるのだけれど)が最も多く作品を発表した雑誌は実はあのVogueである(英文学専攻なら誰でも一度は読んだであろう "The Story of an Hour" もVogueが初出だし、これは1960年代に再発掘されるまで短編集など他の形では出版されていなかった)。Vogueがアメリカで創刊されたのは1892年、当初はNew YorkのFour Hunderedと呼ばれる一握りの上流階級の女たちをターゲットにした雑誌だったのだけれど、当時のVogueのマイクロフィルムを見ると、これがおもしろい。写真は1895年のある月の表紙なのだけれども、下のキャプションでは男女の会話が描かれる。「彼を不幸にしてやりたいの、どうしたらいいかしら」「そいつと結婚するのが一番いいと思うよ」。写真の通り当時のVogueはフェミニニティを全面に押し出したファッションをノームとして提示し続けていたのだが、中身を読むと結婚、出産を女の幸せの絶頂とする言説に対する皮肉(そしてそれに社会的には従わざるをえない自分達に対する自嘲)に満ち満ちている。こんな雑誌だからこそ他の文学誌からはNGをだされつづけたChopinの性描写の多い作品を掲載しつづけたわけだが、Vogue読者たちにとってファッションによって構築されるドラッグ・クイーンばりのover the topな女性性は、社会的な力あるいはファルスへの欲望を隠蔽するためのマスクである。これは今の時代でもおそらくそうだけど、金や権力を持つ女というのはとかく「で、結局のところいい女なの?」という半笑いの攻撃の前にさらされ、その言葉の馬鹿らしさを頭では理解しながらも、たじろぐ。この種の戦略の嫌らしさというのは、それに対する怒りを表せば、ああ怖い怖い、ほんとに女としての魅力にかけるね、とまた半笑いで返されることだ。だからこそ表面的に社会が理想とする女をやってれば、文句はないでしょう、と、ダックテープで股にぶるさがったものをタックして、笑顔のいい女を演じる。そういう時、女にとって女性性とはdragに等しい。
金も権力もないわたしにはポークビッツほどのファルスしかないのだが、それでも、こう言いたくはないがやはり、日本にいるときは正直しんどいなぁと思うこともあった。特に26を過ぎてから留学する前くらいが辛さのピークで、正直結婚焦ってるんでしょ、とか、そんな学歴で嫁の貰い手あるの、とか、まぁそんなことを言われるたびにはらわたを煮えくりかえしながら、そうなの困っちゃう、と目の奥の氷のような冷たさを隠すべくてへぺろで答えたものだ。アメリカに来てほんとに大きく深呼吸ができるように思えたのは、実はこういう経験をしなくて済むというのも大きくて、それは言語的不自由によって短小ファルスさえ去勢されたというだけでなく、ポリティカリーコレクトに敏感な社会がある種上記のような攻撃をすることをがちがちに規制しているので、別段女らしくしていなくても不快な思いをする必要がない、ということに関係していると思う。こと人文系の大学院にいれば、非婚の教授は男女問わず当たり前にいるし、ゲイ率もものすごく高いし、なんというか普通のジェンダーノームに媚びへつらっていると逆にそれは憐れみの対象になりうる(これはこれで問題といえば問題なのだが)。
が、これでわたしのお洋服熱が収まったかと言えば、そうではないところがわたしの業の深さである。前にも書いたがアメリカの大学生というのはおしゃれをしない、というのが多くの留学経験談で聞かれたことで、実際に服装をかまわなくても魅力的な人が男女問わずいるのは確かなのだけれど、その一方で少なくともLSUでは多くのおしゃれ女子を見かける。なにが興味深いかと言えばそれは、やはりファッションというのが権力に関わっているのだな、ということなのだけれど、白人女子(特にソロリティの)の多くがNikeの短パンにTシャツという格好を制服のごとく一様にしているのに反し、黒人女子はほんとうに多彩な服装をする。誤解を恐れずに一般化すれば、これは多分、白人女子はある種の社会的権力を既に階級的にも人種的に得ているので、ファッションによって自己表現をするというノームに対してなんらかの自己規制が働いているのに対し、南部の黒人女子はファッションによって自分が洗練されたテイストに代表される文化的権力および資本を持っていることをある程度誇示したいという切迫感があるのではないかと思う。大学院生もティーチングをしないときは首のよれよれのTシャツにジーンズという格好なのだが、教えるときは男女問わずこれがまたばっちり決める。それはひとつには教師というのがひとに見られる職業だというのにも関係あるのだけれど、同時にそれは新米教師としてのある種の不安を払拭すべく、自分の教師としてのauthorityを服によってパフォームしているのだということでもあるかもしれない。こう考えてみると、ファッションというのは第一に自分がその社会の求める美やノームを知っているという文化的洗練を、第二にはそのノームに対する自分の反応―順応する、崩す、ずらす、あるいは抗う—を、第三にはいかにそれを表現する自分を客観的に見る能力を示すもので、それを自分のものにできている(無視するという形でさえよいのだ)人は「強い」のだと思う。
もちろんわたしはこちらでは圧倒的なマイノリティであり、かつ教師としても割ったらひよこがちょっと形になっててドンびきする有精卵くらいの未熟ものなので、ティーチングをする時には自分の中の自信を最大限に増幅すべく服を選ぶ。こちらでは日本のようなゆるふわファッションというのはまず通用しないので、こちらに来てからクローゼットの総入れ替えを行わねば、ということになったのだが、前述のように赤貧なわたしはそんなに服に投資できない(服よりも本を買うというところにわたしの学者の卵としての良心が垣間見られますね)。それから服を買う場所も実はあまりない。Baton Rougeには(というか多くのアメリカの中小都市には)伊勢丹のようなファッションに特化したデパートというものがない。その代わりにモールはある。モールというのはデパート(Macey'sやDillards、JCPenny)を含む、なんというかすべての買い物ができる巨大なショッピング街のようなもので、ずらりとならんだアーケードに無数の店が軒を連ねている。が、このモール、どうも購買意欲をそそらない。アメリカの服屋というのは(大都市ではないかぎり)ほんとうにいまひとつディスプレイが下手で、常にイトーヨーカドーのごとく大量の服が全ての在庫をぶちまけたかのように置かれているので、日本のデパートで洋服を見た時のような身体の奥が痺れる感覚が起こらない。
それではお金がない女子はどうやってアメリカですてきなお買い物をするのか―オンラインショッピングはその答えの一つである。アメリカでは驚くほどにオンラインショッピングサイトが発達していて、どこのブランドも必ずショッピングサイトを持っていて、それがかなり充実しているし、型落ちのセールもまめに行われていて、多くの場合送料は無料、そして返品も無料である(アメリカはリターン天国なので、気に入らないというだけの理由で返品することは普通である)。しかもオンラインだと一点一点の服がディテールや素材も含め吟味できるので、モールで得られない快感が得られる。スタディ・ブレイクにお茶を飲みながら、ああこれが終わったらこれ買うんだ、と夢を膨らませられる。そういうわけで、というか実はこれが本題だったのだが、以下はお金のない日本人留学生女子のためのショッピングサイトリストである。(余談だがファッション雑誌が100種類もある日本と違い、アメリカではファッション雑誌が極端に少ないのだが、そのかわり意外にファッションブログが発達しているようである。有名どころにはStyle.com、The Sartorialist、Cupcakes and Cashmere などがあるが、その名の通り低価格のおしゃれを謳うBudget Fashionista や学部生のおしゃれに特化したCollege Fashion、YouTubeのスカーフ巻き方講座で有名になったベトナム系美女Wendy NguenのWendy's Lookbookなどもなかなかおもしろいです。)
言わずとしれたアメリカブランドのアバクロは日本より格段に安い。さすがに今年30なのでもうあまり買わないが、Tシャツやジーンズの形のよさとサイズの豊富さはやはり高く評価できるので姉妹ブランドhollister、ライバルブランドAmerican Eagle(アバクロより安い分質やデザインは多少落ちるが、掘り出し物もある。わたしはここのJegginsというジーンズとレギンスの間の子のスキニーパンツを履き倒している)とともにたまにはチェックする。ちなみに広告はいつも男女が半裸体なので、つくづく広告は商品ではなくイメージを売るものだよな、と思う。
下着ブランドの印象が強いVictoria's Secretだが、実は洋服もけっこうある。下着に関しては、ブラジャーは寄せ上げbombshell系が多く、なんでわざわざ痛い思いをしてない乳盛らにゃあかんのだよと思う貧乳のわたしはまず買うことはないのだけれど、パンツ類はかなりよい。トランクス型からティーバックまで安くてわりと頑丈なものが揃うし、5つで25ドルくらい(ただし巨尻のわたしでXSなので合うサイズのない人も多いかもしれない)。なお、下着で日本人女子にお勧めなのは上記のAmerican Eagleの下着ブランド、Aerieで、小さなサイズからあるし、デザインもドッカンドッカンのアメリカンセクシーではなくかわいらしいものが多い。Vicroria's Secret の洋服は多くのものがアメリカ人の思うセクシーを絵に描いたようなもので、いやさすがにちょっとな、と思うことも多いのだけれど、ドレス(といってもドレスではなくワンピースなのだが、ワンピースは和製英語のようでどこのサイトでもDressesというカテゴリーになっている)に関しては60ドルくらいで値段のわりに質のよいものが手に入るのでパーティ用(といってもパーティというよりは単なる飲み会なのだが、前述のように南部はドレスアップに寛容な地域なのでカジュアル・ややフォーマルを問わずワンピースを着る機会もけっこうある)に何着か持っているし、ティーチングの際に着るドレスシャツやタイトスカートも悪くない。しかし特筆すべきはなんといってもやはり水着。日本で水着を買うと1万円ではすまないが、こちらでは上下合せて50ドル程度でなにより品数が豊富である。
日本だとわりと高めなアンスロポロジーだが、こちらではだいぶ安く手に入る。Victoria's Secretのような服に嫌悪感をしめすアメリカ人大学院女子には圧倒的な人気を誇るブランドである。とはいえやはりその他のブランドに比べるとお高いはお高いので、女子たちは包丁を研いでセールを待つ。わたしはふんわり系があまり似合わないので服を買った事はないが、アクセサリーおよびキッチン用品は大変かわいいのでたまに買う。ほぼ毎日着けている大きなフープピアス(20ドルくらい)と、このブログでもよく出ているお皿たち(ひとつ5ドルくらい)はここのものである。なお店舗も大変かわいらしく、行くと癒される。
追記:College Fashionでよく使われているModClothの洋服はヴィンテージの服に想を得たものが多く、Anthropologieの服が好きな女子達にはけっこううけるのではないかと思う。値段はAnthropologieの半額近くで、店舗を持たない完全オンラインショッピングブランドなのでリターンやエクスチェンジもほぼ無料である。
正直言うと日本にいるときはJ. Crewってなんか冴えないなぁと思って店にも入らず敬遠していたのだが、こちらではGap系列のBanana RepublicやAnn Taylorとともにこぎれいな格好をしたい20代後半から30代女性に人気で、実際入ってみると意外にかわいいものが多いし、形もきれいで値段も手頃である。いかにも大学院生らしい格好がしたければJ. Crewを着ておいて大幅に間違うことはない(が、なんだかつまらない気がしてしまいわたしはそんなに買わない―「お得感」にかけるんだもん)。とくにシャツやセーターはなかなかよくて、しかも10ドルくらいでイニシャルをいれることができるのでクリスマスにPJのイニシャル入りセーターをプレゼントした。つまりサイズもアジア人女子から特大アメリカ人男子まで幅広く対応してくれるということだ。
Anthropologie同様、Victoria's Secretのセクシーセクシーアイムセクシーな服に嫌悪を示すアメリカ人大学院生および学部生にものすごく人気である。Hipsterと呼ばれるような人たちのファッションを大衆化させたものがUrban Outfittersだと考えてよく、ほんもののhipsterはUrban Outfittersを馬鹿にしがちだが、けっこうかわいいものも多い。だがわたしは以前買ってみていまひとつ縫製と素材の悪さが気になったのですべてリターンしてしまった。なぜか化粧品ブランドStillaの安売りがよくされていて、Stillaのリップグロスとアイシャドウの質のよさに惚れ込んでいるわたしはたまにそれを買うことがある。ちなみにほかのコスメブランドでお勧めはやはりMACで、日本の半額で買えるのだがスモールアイシャドウの発色のよさは特筆すべきものがあり、茶系ばかり5種類とアイラインをぼかすための黒を1種類持っている。なお、同じhipster系に若干ビッチテイストを足したその名もNasty Gal、さすがに買った事はないのでクオリティのほどはわからないけれども、たまに目を疑うほどかわいいものもある。
日本でもお馴染みのForever 21はアメリカン・ファストファッションの代名詞でとにかく安く、選び様によってはかなりよいものもあるので大学院女子にもファンが多いが、わたしは実はあまり好きではない(やはり縫製および素材が気にかかる)。ただし小物に関しては一定の評価ができ、太いラバーのベルトやヘアアクセサリー、スカーフなど小さなところで服の印象を買えたい場合は大変使える。が、洋服に関しては同じファストファッションブランドで言えばスペイン系のZara、イギリス系のTOPSHOP、北欧系のH&Mの順でクオリティが高く、Forever 21は残念ながらそれよりもだいぶ劣るように思う(ZaraとTOPSHOPはどちらもなかなかよいのだけれど、Zaraのほうが品数は豊富)。どれもアメリカ用のサイトはあり、日本と同じ商品が3割程度安いのだが、もともとのアメリカブランドではないのでリターンなどの点でやや面倒なのが難点である。
追記:日本には入っていないイギリス系のファストファッションブランドASOSは店舗を持たないオンライン専用ショッピングサイトだが、トップス、ドレス、アクセサリー類に至るまで、どれをとっても個人的にはTOPSHOPやZaraより質が高いように思う。値段もかなり抑えめで、H&Mと同じくらい。オンライン専用なのでフリーシッピング&フリーリターンなのもポイントが高い。
Charlotte Russeは日本には入っていないと思うのだけれど、Forever 21同様、とにかく安いし、私見では素材および縫製もForever 21よりも若干よい。どこのモールにもほぼ必ず入っているアメリカブランドで、一度友人に連れられて店舗に入った時はあまりのごった煮感に、うげ、と思ったのだけれど、実は掘り出し物も意外に多い。特にブラウス類はかわいいものが多く、わたしはよくティーチングの時にタイトスカート+ふんわり系ブラウスという組み合わせをするのだが、その際に大変便利である。滅多にしない夜遊び用のキラキラ系トップスも20ドル前後で手に入る。ベルト類も豊富。大人でも着られるものは多いので、もう少し評価されてもよいブランドなんじゃないかと思う。
ターゲットはWalmartよりグレードが若干高いスーパーで、食料品だけではなく家具から生活雑貨、服や靴も揃う。わたしもこちらに来たときは生活のセットアップのために来てくれた友人Yとともに家とターゲットを10往復くらいしたのだけれど(ああその節はほんとうにありがとう、あなたに買ってもらった大きなピロウは今でも愛用してるよ)、いまだにどれもしっかり使えている。靴はけっこう大学院女子の評価が高く、ティーチング用ヒールをここで選ぶ人も多い。服に関して特筆すべきはたまに行われる有名ブランドとのコラボ(ユニクロみたいな)。写真はJason Wuという中国系アメリカ人デザイナーとのコラボレーションもので、本家は失禁するほど高いのだけれど、わたしは真ん中のワンピースを40ドルくらいで買ったのだが、これを来ていると知らない人たちにとにかく誉められるのでテンションがあがる(ちなみにアメリカ人は見ず知らずの他人でも道で服を誉める。南部だけではないと思うのだが、とくに南部にいるとびっくりするほど男女とわず知らない人が服にコメントをくれる)。
靴に関して言えば、PiperlimeやShoes.comなどもあるけれど、わたしはなんとなくレビューの豊富なzapposを推している。値段に関係なくフリーシッピング・フリーリターンを謳っているので、靴という大変サイズセンシティブな商品をオンラインで買う際にはありがたい。万年ハイヒール派のわたしにとって、アメリカで靴を選ぶのは至難の業なのだが、TSUBO、YOU by Crocs、Aerosoles、Indigo by Clarks の4ブランドはどれも100ドル程度でありながら、ある程度のヒールがありつつ大変にパッディングがしっかりしているので、女子たちの見果てぬ夢である「走れるハイヒール」が実現されうる(女子がこぞってヒールで歩く日本と違い、ハイヒールが特別のオケージョンのための国アメリカでハイヒールを買おうとするとAmy Winehouseいうところの "Fuck me pumps" ばりの10cm以上のヒールが多くてずいぶん困っていたのだが、この四ブランドは5cmから7cmの地に足のついたミディヒールをたくさん出しているのでありがたい)。ちなみにどのブランドも本家のショッピングサイトで買うよりもZapposのほうが安いことが多い。Piperlimeとともに服もなかなか豊富でいろいろなブランドを取り扱っているが、わたしの好きなBCBGとそのセカンドラインBCBGenerationが安く手に入ることもまれにある(なお、セレクションのおしゃれ度に関してはPiperlimeのほうが俄然高く、日本でもわりと有名なRachel ZoeのRachel Zoe Picksなどもある)。
言わずとしれたアマゾンだが、本家アメリカでは日本より断然規模が大きく、本はもちろん家具から食料品、オフィスサプライにおとなのおもちゃまで揃う(最後のは買ったことありませんが、某大学院女子がそう言ってました)。意外に服や靴もあり、一見の価値はある。ちなみにAmazon Studentというのを見過ごしてはならなくて、これに加入すると2-Day Shippingがいつでもただになる。初年度は無料、次年度以下がいくらだったかは忘れたが、本を買いまくるのが仕事の大学院生ならば間違いなくもとがとれる。
さて最後は日本でも建物前のドアマンで有名なBarneys New Yorkとともにアメリカのおしゃれデパートの双璧をなすBloomingdalesのショッピングサイトである。もちろんお値段は張るので、基本的に苦学生のわたしがここで買い物をすることはないのだけれど、去年のクリスマスにカリフォルニアからYという名のサンタクロース女子が一年よくがんばりましたとここで買ったTheoryのセーター(奥さんカシミアですよ)をプレゼントをしてくれたのがきっかけで、たまにチェックして妄想に浸るようになった。VinceやJoe'sなど日本のおしゃれ女子も大好きなブランドが勢揃いで目の保養になる(ちなみに詳細は省くがYの涙のがんばりでなぜかわたしはbloomingdalesからただでJoe'sの紫のパンツをただでせしめてしまう事になったのだが、LSUカラーのためこれを履いていると皆笑顔で話しかけてくれる。サンタさんはほんとにいるんだよ)。それになにしろ日本よりはどれもだいぶ安く買えるのでなにか特別なことがあったらここで買い物してもいいんじゃないかと思うんです。特別なことってなんだろうって、まだわかんないんですけど…。
どうしてこんなにきれいになるのか。
智恵子も内心、なにいってんだか、と思っていたかもしれない。少なくともわたしにとって附属品は附属品ではなくわたし自身である。そんなわけで、ついに大学はファイナルズウィークに突入。今回はレポートは一本だけ(18世紀末から19世紀末のSentimental Fictionについて)なのだが、後に生徒の最後レポートと試験のグレーディングが控えているので油断はできない。貧乏暇なしとはこのことよ、とほほほ、と思う事もあるけれど、こうやって少しずつお買い物もして、好きな研究ができているので、努力が即座にお金に換算されないのが辛いと思う事もなくはないが結局のところ文句の言えない生活だと思う。あと、そんなわけでお金では苦労しているので今年は帰国の際のお土産は買えないかもしれないんですが、それでも優しく迎えていただけると大変ありがたいです。いやほんと、こんなポスト書いてるのも最近お買い物してないからなんです。