お金貯めて三日泊まるのが夏休み
週刊誌読んでやって来れば数珠繋ぎ
冷めたスープ放り投げるように飲まされて
二段ベッドでもあたいの夏休み
Summer Vacation  あたいのために
Summer Vacation  夏 翻れ

—中島みゆき「あたいの夏休み」

2012年9月23日日曜日

アメリカ南部で大統領選について教えるということ



さて前回のポストからすでに2ヶ月がすぎ、その間ColoradoはDenverで夢のような時間を過ごしたり、はたまたDenverからBaton Rougeまで2日20時間に及ぶ悪夢のロードトリップをしたりなどといろいろ書くべきことはあったのだけれども(そして機会があればDenverおよびSan Franciscoについては書きたいと思っているのだけれど)、今日は目眩のするように忙しい毎日のなか、妙な風邪をひいたおかげで少しだけ時間ができたので現在、目下わたしがほむら立っていることについて書こうと思うわけである。

Fall semesterが始まりひと月が経過した。アメリカに来て三年目にして生涯で間違いなく一番忙しく、青息吐息の毎日である。なぜというに今学期、わたしは授業をなぜか3つもとっているうえ、English 1001というコンポジションの授業を持っている。週三回毎朝一時間、22人の生徒を前にanalytical writingを教えるというのがこの授業のコンセプトである。週三回毎朝一時間。なんの苦があろう。世の社会人達は毎日平均睡眠6時間を優に下回りながら一日8時間以上の重労働を週に五日以上こなしている。しかしながらこれ、この週三回毎朝一時間の授業がもうなんというか、背中に燃える薪を背負いながら山を下るかごとくの荒行に思えてくるのである。

驚くべきことにその原因の第一は英語でアメリカ人に英語を教えるということにあるわけではない。最初のうちは緊張もしたし、今でも毎朝授業に向かう前にはやめたはずの煙草を一服吹かすことが儀式となっている。自分よりも明らかに英語が流暢な相手にその言語のいろはを教えるというプレッシャーは生半可なものではない。が、幸いなことにわたしがこれまでのひと月のティーチングから学んだことは、analytical writingを、ひいては批判的思考を教えるというのはまずもってinterpersonalなコミュニケーションであって、教師の側が絶対的な権威を持っているというパフォーマンスは必ずしも不可欠なものではないということだ。

この授業の目的は生徒が自律的かつ批判的に自らの思考(そして書いたもの、書く行為)を吟味できるようにすることであって、ある体系だった知識を受け渡すことではない。それはどちらかといえば自転車の乗り方を教えることに近く、生徒が自分で身体と頭を使わなければいかんせんどうにもならない。教師にできることはよき補助輪となること、そしてその補助輪を外すタイミングを見極めることであり、強力すぎる補助輪を提供することが必ずしも常に生徒の成長に資するわけではない。そんなわけで幸か不幸かわたしのような不安定な補助輪を得た生徒達はすっころびながらもそれなりの成長を遂げてくれている(ような気がする)。というのもわたしは自転車に乗れる楽しみをうれしそうに語ることと、すっころんだ生徒の傷にバンドエイドを施すことにだけは異様に長けている。中にはそんなもんいらねぇよ、おれは自転車なんて乗りたくねぇよ、ほっといてくれ、という生徒ももちろんいて、そういう生徒に関しては、たしかに自転車に乗ろうが乗るまいが、それはきみの人生だ、よし請け負おう、きみのやる気のなさできみを不合格にすることはしないから、まぁ決められたアサインメントだけはだしてくれ、あと剽窃だけはするな、といってとりあえずはほっておく。その間、自転車に乗りたい生徒たちには最大限の手助けをする。

この授業の最初のアサインメントはLiteracy Analysisといって自らがいかようにして書くという行為と接してきたかを分析することを通じ、最終的には書くということの意味について考えるというもので、これはまぁ、というか大変よかった。各生徒のパーソナリティを知るきっかけにもなったし、私的・個別的経験からある種の普遍的主張を導くという練習としてはとても効果的だったと思う。そしてなにより、誰も読み書きができない家庭に育ち、まともに書くことがままならなかったある日、教師から給食費泥棒の咎で責め立てられ、自分の無罪を立っするために必死で辞書をひいたことがきっかけでようやくものが書けるようになった、というような、こう書けば陳腐にしか響かないようなエピソードをしかし、その苦難を証だてるかごとくのたどたどしい英語で書く生徒のエッセイを読めば、なにくれと不自由なく皆が一律に読み書きができることが前提の環境で育ってきたものとして、書くことを教えるということの意義について考えざるをえない。それくらいわたしは教師としてまだ未熟であり、ナイーブであり、そしてまだこうした生徒達のエッセイにたじろいでしまう自分のナイーブさと甘ったれた理想主義をはずかしげもなく愛している。

しかしそれではなにゆえに今わたしが燃えさかる薪を背に山を駆け下っているかというに、それは所属大学の方針によりわれわれ1001の教師達は本年11月に行われる大統領選で争点となる議題を素材として生徒にペーパーを書かせなければならないのだが、正直いってわたしはまたここで、自分がここ、かちかち山に、いや南部にいるのだということを思い知らされているのである。

全共闘世代の親を持ち、東京で進学校に通い、東京で国立大学に通い、果てはなにを間違ったか人文系の大学院に通い、さらにアメリカで博士号を取得しようとしている人間(まぁわたしなんですが)は、リベラリズムの風呂に浸かってこれまでの生涯を過ごしている。よく記憶に残っているのは、高校生だったある日、わたしが母親に対しあなたは政治的にコンサバである、となにかのきっかけで言い放った時に、それまでなにをわたしが言おうとも(もう高校に行かないとさえ言っても)ああそうか、そうなんだね、と穏やかに聞いていた彼女が顔色をなくし震えながら、その発言だけは受け容れられない、と言ったことである。高校生のわたしは無論、リベラリズムの、コンサバティズムのなんたるかを全く(今以上に)理解などしていなかったわけだが、それでも理解できたのは政治的コンサバのレッテルがどうやら愛する母親にとって最大の中傷となりうることであった。それ以降は恥を忍んで告白すれば日本の、言ってみればアポリティカルな空気に怠惰に流されるまま政治についてなどとんと考えずにきたわけだが(そしてそれは全共闘世代の、そして互いの政治的立場の違いを抑圧しながら穏やかに子育てをしようとしてヒロイックに失敗した両親に対するこれまた怠惰な抵抗でもあったわけだが)、わたしのコンサバティズムに対する感情的忌避感は、アメリカの、政治的にアクティブであること、そしてリベラルであることが絶対的善であることのごとき人文系大学院においていやましに助長されてきた。

以前も「アメリカ南部でアメリカ文学を教える」ポストで書いたことだが、深南部に生活していようが、大学町に住み人文系大学院に通っている以上は、この地のコンサバティズムに触れることはほぼないといっていい。アジア系が極端に少ないこの都市であろうとも、あからさまな人種差別にあったことなどは一度もないし、むしろ街で出会う人々は朗らかで、人々が「コンサバ」であることに気づくのは、真夏の日曜日、Whole foodsで買い物をしている際、教会帰りの白人老女にいきなりむき出しの肩をさわられ、あらハニー、こんなに肌を出してちゃあ風邪をひくわよ、これをみたらあなたのママがなんていうかしら、セーターはどこなの?といわれる、などという微笑ましい(まぁ見ようによればぞっとする)エピソードを介してのみである(少なくとも幸運にも私の場合は)。しかし学部生を前に政治社会問題に触れる時に、南部のコンサバティズムはわたしの背中に燃える薪を押し付ける。生徒達は言う。Obamaは最低である、なぜなら彼の政策は怠け者たちにわれわれ善良な市民の金を与えるものだからだ。同性婚は許され得ない、なぜならそれを合法化すれば近親婚や重婚など、その他の婚姻関係を是認することになるからだ。こうした反応を目の前にした時、リベラリズムのぬるま湯にリベラルのなんたるかをも知らずに浸かりふやけたわたしの皮膚はちりちりと焼かれる。

ごく雑駁に定義すれば、いわゆるリベラリズムとコンサバティズムの対立は政府の機能と個人の権利を巡って説明されうる。リベラリズムは社会的な―階級、人種、ジェンダー、セクシュアリティを巡る—インバランスを是正するための「大きな、強い政府」を支持する。個人はそれぞれの人生に関する選択をする権利を平等に有し、その権利の追求の為には時には政府の介入が必要であるとする。これに対しコンサバティズムは「小さい、弱い政府」を支持する。逆にいえば基本的にコンサバティズムは個人がそれぞれの欲望(特に所有に関する)を追求する権利に対する政府の介入を拒む。が、あるケースに於いてはコンサバティズムは政府の介入を積極的に許す。それは国家に存するとされる「伝統的価値」を守るという目的を達するためである。言うまでもなくこれらは現代アメリカにおける「いわゆる」コンサバとリベラルの大衆理解であり、すべての立場がこの二極化によって説明されるわけではむろんないし、わたしの理解もまたこの雑駁な二項対立図式を凌ぐものではない。

が、問題なのは、この雑駁な二項対立がどうやらわたしと22人の生徒のうち少なくとも80%との間の、ただでさえおぼつかない相互理解を妨げる元となりうるということである。わたし個人としては、生徒が「怠け者の為に我々の金を使うのは筋違いだ」と言う際に、まずお前はどれだけの力と金に生まれた時からまみれてきた、誰が稼いだ金だ、誰の無力を搾取して得られた金だ、お前が怠け者という人間達をそのように知的・経済的に無力にしておくことでどれだけの人間が利益を得てきた、それを考えないお前は怠惰ではないのか、と唾を飛ばしながら言いたくなるわけだが、当たり前に教師として(そして人間としても)そんなことはできない。とりあえず張り付いたような笑顔を保ち、そうか、怠け者っていうのはどういうことなのか、考えてみよう、と言う。うまくいけば誰かが、働きたくても働けない人はいる、と言う。さらに(わたしにとって)うまくいけば誰かが、働けないのは必ずしもその人個人の責任ではない、と言う。それでも多くの生徒はうつむいてこの気まずい時間をやりすごそうとするか、頬杖をついて自分は高みの見物を決められる立場にあるというパフォーマンスをする。

こうしたコンサバのアパシーに対し、どう対処すべきか、未経験な教師であるわたしはまだなにも知らない。言うまでもなくわたしのこの授業での役割は彼らにanalytical writingのいろはを教えることであり、リベラリズムへの転向を促すことでは全くない。そしてこれまでメディアを通してしかその存在を知らなかったいわゆる「コンサバ」な存在が、自分の生徒として個人として肉化した時に、彼らの信じる「伝統的価値」や「個人の権利」を一概に議論も不要なもの、強者の特権として退けることも実はわたしにはできないし、するべきではないとも思う。というのも、同時にわかっていることは、わたしが浸ってきたリベラル風呂もまた高額の入湯料を必要とするスーパー銭湯というか高級スパのようなものだということだからだ。わたしはたまたまあの両親、全共闘世代に生まれながらそれを共闘という形で戦うという選択肢を自らの政治的判断で拒み、その罪悪感にまみれながらそれを抑圧し高度資本主義と折り合いをつけながら彼らの憎んだシステムの中ですこやかに子育てをしようとした彼らの子供である。わたしの(そしてわたしの世代の)政治的無関心はたしかに、彼らの世代のねじれた政治的無関心―失われた理想のメランコリックな抑圧―の振る舞いの写し鏡であるが、彼らがたしかに恥じながら隠し持っていたある種の政治的理想はわたしの政治的無関心の中には存在しなかった。そんな高額なぬるま湯にただで浸かってきた贅沢をいまわたしは、清算しようとしているのだと思う。

たかが必修のコンポジションの授業である。たかが週三回、一回一時間の授業である。けれども醜い狸のわたしは声も高らかにせせら嗤う美しいうさぎに対して、沈む泥舟からこう言うだろう。ほれたが悪いか、と。教育に対する愛と誇りが、三十となりいまだ子を産むことを潔しとしないわたしが自分の両親に対してできる最大限の恩返しであり、そのためには燃える薪でぬるま湯を熱くもしよう。でもちくしょう、あちぃよ、あちぃんだよ。

[Peach Pie (Pear Pie)のレシピ]
そんなわけで最近は日々頭から湯気をだしながら授業から家に帰ってくるわけだが、週末くらいはちゃんと気持ちを切り替えて心穏やかに過ごさないと身体に悪い。心に負った手ひどい火傷に対する一番の薬はうさぎのくれる軟膏ではなくて糖分なのである。よしきた、季節の果物をたくさんつかったパイを焼こうではないか。


DenverでPJとともにhouse sitterをしたおうち(PJの大学時代の友達の家なのだが)には庭に小さな桃の木が二本あった。こちらでは夏は桃のシーズンなので、ごらんのように三日に一度は抱えきれないほどの桃を収穫することになる。こちらの桃は日本のような果肉がとろけるような白桃ではなく、もう少しちいさく、酸味があって固い黄桃がメインである。しかしこの大量の桃、とてもふたりでは食べきれない。どうしたものかと考えた結果、パイを焼くことにした。どちらかといえばずっしりタルト派のわたしではあるが、アメリカでは焼き菓子といえばアップルパイに代表されるパイである(タカトシの「チェリーパイ」「欧米か」の懐かしいやり取りを思い出してほしい)。まぁいっちょ焼いてみるかと思い焼いてみたらこれがなんというかほんとうに美味しかった。

しかもこのレシピはかなり応用が効いて、固めの洋梨でもリンゴでも代替可。是非一度、季節のフルーツが大量に安売りされている時に作ってみてください。それからアメリカのパイクラストは日本のパイのようにさくさくほろほろと崩れる折りパイではなく、ガーッとFPをつかって混ぜるだけの練りパイが主流なので、これもらくちん。わたしは固めのざくざくが好きなので、キッシュの生地を使っています。


[フィリング材料]
☆黄桃 小8から10 個 (合せて1.5kgくらい。洋梨なら5, 6個くらい)
☆レモンまたはライム果汁 大1
☆ブラウンシュガー (あればバニラシュガー)70g (アメリカ 1/3 カップ強)
☆白砂糖 70g (なければどちらかの砂糖合せて140g アメリカ2/3カップ強)
☆シナモン、オールスパイス、カルダモンなど好みのスパイス 小1
☆コーンスターチ 大3
☆蜂蜜 大1
☆アーモンドエッセンス(なければ省略可)小1
☆卵 1個
[クラスト材料]
★薄力粉 240g(わたしは全粒粉を使っています)
★バター   140g(わたしは発酵バター: cultured butter を使っています)
★卵 1個
★砂糖 大1
★塩 小1/2
★冷水 30ml

①前日にキッシュの生地のレシピの①から④を参考にして生地を仕込んでおく。二つの丸くて平ためのかたまりにわけてラップできっちり包み、冷蔵庫で一晩寝かせる。
②打ち粉をした台とめん棒でそれぞれのパイ玉をパイ皿の大きさに合わせてのばす。一つはバターを塗り小麦粉をはたいたパイ皿に敷き込んで、もう一つは平たくのばしたまま、どちらも乾燥しないようラップをかぶせて冷蔵庫で保存。オーブンは215℃(420°F)に余熱。(なお、パイ皿に敷き込んだほうは、上に余った部分を左手の親指と人差し指のはらでちいさな「く」の字をつくり、生地の外側にそれをあてがい、右手の人差し指で「く」のくぼみ部分を押し込むようにすると波形ができる。)
③[桃の場合:湯剥き]大鍋に湯を沸かす。桃はお尻に包丁で大きめのX字を入れる。
④湧いたお湯に桃を投入して約2分待つ。湯きりして桃のかわをぴろぴろとはがす。なお、梨やりんごの場合はこの行程は不要。ただ普通に包丁で皮を剥いてください。桃もあまりに固いものの場合は湯剥きがうまくできないので、その場合は諦めて普通に皮を剥いてください。
⑤皮を剥いた果物をスライスしてゆく。固めの洋梨やリンゴの場合とくに薄くスライスすること。このレシピでは下煮をしないので、薄くして(1mmくらい)オーブン内で火が通るようにするのが肝心。レモンないしライム果汁をまぶし、変色をふせぐ。
⑥ブラウンシュガー、白砂糖、スパイス、コンスターチをボウルに入れ、泡立て器でよく混ぜる。
⑦果物に⑥をふりまぶし、果物が完全に⑥でコーティングされるようにまぜる。さらに蜂蜜、アーモンドエッセンスを加え、また混ぜる。
⑧②でパイ皿に敷いた生地の底に溶いた卵を刷毛で塗っていく。余った卵は上に塗るのでとっておく。卵を塗ることでパイがかりっとするが、この行程は省略可。
⑨⑧に⑦をおたまなどですくいいれていく。ボウルにのこった茶色い液体も必ず全て入れること。多すぎるかな、と思っても大丈夫。焼くと多少かさがへります。入れる時に若干中心が盛り上がるようにすると焼いた後に見栄えがいいです。
⑩ここからはいわゆる "latitce crust" といわれる、格子状のクラストの説明。②で冷蔵庫で冷やしてある平らなパイ生地をとりだし、幅1.5cm程度のストリップに切り分ける。全部で10本くらいになるはず。最初に縦になるストリップ(端から1本おきにとっていく)だけをすべて並べ、次に残ったストリップを一本ずつ横に並べ、縦ストリップの上下にくぐらせていく。lattice crustにはいろいろな作り方があり、ネットにもいろいろ載っているのだけれど、Smitten Kitchenというアメリカ人料理ブログのがわかりやすい。言葉ではなかなかうまく説明できないので、これを参考にしてください。
⑪あまったナイフでストリップを切り落とし、指で下のクラストに粘土遊びをするようにくっつけていく。⑧で余った卵液をストリップに刷毛で塗っていく。あればバニラシュガーを上からさらさらと散らしてもよい。
⑫アルミホイルを敷いた天板にのせ、215℃(420°F)のオーブンで20分。185℃(370°F)に下げてさらに30から40分。中の茶色の液体がぽこぽこと吹き上がってクラストにかかるくらいが理想(だから下にはアルミホイルを敷いた方がいいです)。
⑬粗熱がとれたら冷蔵庫で2時間から3時間冷やす。冷やさないとフィリングが固まらないので食べられない。室温に戻して召し上がれ。

ちなみにレシピの写真はさきほど鼻息を粗くして作った洋梨のパイだったのですが、焼き上がる頃にはあらふしぎ、気持ちも穏やかになっておりました。いまちゃんと冷えたのでコーヒーと食べてます。洋梨がまだしゃくしゃくとした食感がのこっていて、とても美味しいです。これで明日もがんばれる気がするよ。