お金貯めて三日泊まるのが夏休み
週刊誌読んでやって来れば数珠繋ぎ
冷めたスープ放り投げるように飲まされて
二段ベッドでもあたいの夏休み
Summer Vacation  あたいのために
Summer Vacation  夏 翻れ

—中島みゆき「あたいの夏休み」

2010年8月15日日曜日

州都だと思ってた


いや、たしかに州都なのだ。間違いなく。その証拠に写真はState Capital の建物の中。

もちろんだからといって例えば横浜みたいな便利さを期待していたわけではもちろんない。なにしろアメリカである。さらにいえば南部も南部、深南部である。だけど、でもなんていうか、州都なんだし、ほら、デパートとか、病院とか、公共交通機関とか、もっとこうaccessibleなものだと思っていなかったといえば嘘になる。

しかしここでは車がないと人間的な生活は営めないということが判明した。なにしろ買い物にいけないのだ。徒歩圏内にスーパーやgrocery storeがない。いや、徒歩圏内を徒歩40分以内と規定するならばあるにはある。しかしそこまでの道には歩道がない。もちろん横断歩道もない。だから結局のところ、たとえ徒歩5分のところにスーパーがあったとして、それが道路の向こう側にある限り車がなければそこには辿り着けないのだ。

アメリカが車社会だということは、これもまぁ常識としては知っていたが、紙の上の知識と生活上の実感というのはつくづく別だ。Bosoton や New York ならまぁ車がなくても生きて行けるのだろうが、アメリカ国内のそれ以外の都市で車なしである程度以上の生活をするのは不可能である。ある程度以上、というのは、例えばここBaton Rougeでも車を持たずに生活する学生はわたしのほかにももちろんいる。そうした人々、わたしも含めて、はどうするかというと、もちろん買い物にいく他の人の車に乗せてもらうのだが、残念ながら乗せてくれる知り合いがいなかったなどという場合、食事を含め全てをキャンパス内で済ませなければならなくなる(幸いなことにわたしのアパートから学校までは徒歩10分。横断歩道もいちおうある)。つまり食べ物はサブウェイかマクドナルドということになる。服はいいんだけど。けっこうかわいいLSUTシャツとかあるので。もう買っちゃうよ。紫にゴールドの虎のTシャツ着ちゃうよ。

そんなわけでアメリカの高校生にとって16歳の誕生日というのは特別な意味があるらしい。晴れて免許がとれて、ひとりで移動ができるのだ。それまでは学校に行くのにも買い物に行くのにも、デートに行く時だってママの車に乗らねばならぬのだ。アメリカでは(とくにここは南部だからそういう機会が多いらしいのだが)学校主催のダンスパーティがわりとよく催されるのだが、男の子は女の子をダンスに誘いに行かなければならないそうで、その時には彼女のドレスにあったブーケとかを持って行くのだそうだけど、そんなダンスの行き帰りももちろんママの運転である。なんという。日本の高校生みたいに学校の帰りにカラオケ行って、マックで合コンして、塾の帰りに電車の駅までいちゃいちゃしながら歩いて、というわけにもいかないのだな。

まぁそういうわけで、車がない限りここでは一人前の大人として行動ができないのだ。はっきり言ってこれはもうアイデンティティ・クライシスレベルのことである。わたしは無力だ、赤子のような気分だ。ここで大変お世話になっているMさんはそれはもう親切なので、わたしが免許をとって車を買うまで週に一度はお買い物に連れて行ってくださるそうなので、わたしは恵まれているのだが、それでも週に一度の買い物ではいろいろ足りないものも出てくるし、Mさんに隠れてこっそり買いたいものもあるかもしれない。貧乏大学院生の分際でL'Occitanneの香水が欲しいからモールに連れてってくださいとも言いにくいし、かわいい下着のひとつも買えない。なんということだ。東京育ちのマテリアルガールには厳しいものがあるぞ。オンラインで買ったっていいのだけど、アパートのメールボックスは小さいし、盗難もあるらしいからなぁ。

もうひとり、ここでとてもお世話になっているK先生に何度か言われたのは「ここでそれなりの生活したかったら、車買うか、(車付きの)男つくるかだなぁ」ということである。最初こそ、なんてことを、と思ったが、これはどうやら真理のようだ。だけどわたしもフェミニストのはしくれである。車目当てで男と付き合うくらいなら車買ってやるわい。ちくそう。