奨学金関係のオリエンテーションがVanderbilt University というところで開かれていたのだ 世界各国から奨学生が集い、しばしの間共同生活を行い、これから始まるアメリカでの学生生活への準備をする、というのが題目である
世界各国、というのは具体的に言うと、例えばロシア(わたしのルームメイトはモスクワ出身のJewish Russianだった)、例えばバーレーン(隣の部屋のムスリムの彼女には14歳の娘がいる)、例えばウガンダ(以下説明省略)、ザンビア、アイスランド、ニュージーランド、ええと、あとはノルウェイ、タイ、その他いろいろ、とにかく文字通り世界各国である
だいたい24時間英語で生活するのが初めてだというのに、大きな問題はみんなそれぞれ(もちろんわたしも含めて)お国のアクセントがあるということだ 初めはそのおかげでちょっとしたカオスだったが、不思議なことにしばらく一緒に生活するとなんとかお互いに意思疎通ができるようになる
たった四日間だったけれども、おそらく初めてに近くいろいろいわゆるカルチャーショックというものを味わった 覚えておきたいのでいくつか書いておくことにする
まず一つ目は(第一のこととして書くにはどうにもくだらないことではあるが)冷房の強さである とてつもない オリエンテーションの前にスタッフから「ナッシュビルは暑いけど建物の中はエアコンがきいてるから羽織るものを持ってきた方がいいわよ」というようなメールをもらっていた それはまちがいない 東京だってそうだもんね と思い、カーディガンの一枚二枚はスーツケースにいれた しかし甘かった 外は40℃近いのだが、建物の中はおよそ20℃ 当然のごとく凍える おいおいなんだよこれはと留学生はみな青ざめる しかしアメリカ人スタッフたちは文字通り涼しい顔をして半袖のままくつろいでいる エコはどこに行ったのだ? アメリカの政治と歴史に関するレクチャーでは、現在のオバマ政権では(そしてまぁ前からずっとそうなのだが)環境問題の位置づけは比較的低いと教授が言う 留学生が聞く、それはなぜか 教授は涼しい顔で答える アメリカは広いでしょう、ご覧の通りちょっと街を離れると緑も多い、だから環境問題がシリアスだってことがなかなか実感できないんでしょう なるほど
二つ目は(というか重要度としてはこちらのほうがずっと大きいのだが)アイデンティティ問題である ポストモダンな島国の文学部にいるとアイデンティティという概念に対して懐疑的になる というかはっきり言ってしまえば、そんなものは虚構であるというメタな立場に立ちたがる アイデンティティなどというものは近代のイデオロギーの産物であって、われわれはナショナリティやらジェンダーやらそんなもので自らを規定しようと物語化するが、あくまでそれは虚構のものであって、確固たる自己など存在しない、などと軽やかに言いたくなる が、そんな理屈はこの国では通用しない あなたは何者かという問いがやむことなく突きつけられる 例えば自分のアイデンティティを規定する要素をリストアップするという課題が出される それについて説明をしうねく求められる そして多くの国からの参加者はそれについて比較的確固とした答えを持っている そうした人々を前にすると、素直なわたしはやはりなにか罪悪感のようなものを感じるのだ アイデンティティが虚構だというのもやはりひとつのイデオロギーに染め抜かれたディスコースに過ぎないのだ、と、正直に言うとそう思う部分がある 人種的、宗教的差異が比較的ない島国では、自分とは何者かという問いからある程度免責されている それはある意味では幸福なことだが、そうした責任から逃れていることを正当化しうる言説(ポストモダン・ジャパン)に寄りかかってメタな立場に立っていると思い込むことは危険な気がした うん まじめに
長いポストになりそうなので、続きは次に