いちおう、前回の続きで、セクシュアリティの授業の話である。
Eve SedgwickのEpistemology of the Closet (『クローゼットの認識論』)、実は大学に入った時に目を通した覚えがあるのだが、Judith ButlerのGender Trouble同様(実際この2冊の刊行年は同じ90年で、邦訳も両者ともに99年)、ガチガチの構築主義で直感にあまりにも反するというか、なんかなぁ、という感じでほっておいたのであった。本質主義と構築主義というのは、誤解を恐れずひらたく言えば本質主義が「社会的なものは自然なもの(=本質)を反映している」という立場をとり、ある概念、カテゴリーに対しそれに固有な普遍的特徴を与える一方、構築主義は「自然とされているものは社会的に自然に見えるように構築されているにすぎない」という立場をとる、というようにとりあえず説明される。たとえばButlerのGender Troubleは、これも恐ろしく雑駁にいえば「自然な二項対立」の最たるものとされる「男と女」という生物学的カテゴリーでさえ、gender同様、社会的に構築された恣意的な区分だとに主張するわけである。Butlerのこの主張自体についてはもう少し考える必要があるが、とりあえず言えるのは、まぁ読んだ当初の感想は当たり前といえば当たり前で、Butler的に言えば「直感に反する」の「直感」が社会的構築物なんだからそんなの当然だ、当然にバイアスがかかっているのだ、ということになるし、それは正しいような気がする。
で、今回セクシュアリティの授業(授業タイトルはEtiology of Sexualityという)で改めてSedgwick を読んだわけだが、Sedgwickの場合、標的となる「自然な二項対立」はhomosexual/ heterosexualである。Sexual object choice (ある主体が性欲望の対象とする性)によってセクシュアリティをばっさりと二分割し、あたかもそれ以外の区分軸が存在しないかのようにその分類を規範化することの恣意性をSedgwickは指摘し、この強引な二分化の下で(二分化が「自然」でないからこそ)いかにheterosexualityが自らをhomosexualityから切り離し、homosexualityをstigmatizeすることで自己規定を行ってきたかを示す。この二分化がはっきりなされたのは19世紀半ば(Foucaultによれば1870年代)であって、それまで同性間の性関係はあくまで「行為」にすぎなかったのが、これ以降同性間で性行為を行う者にはhomosexualというアイデンティティが与えられることになった、とするSedgwickは、近代において男性は常に自分のheterosexualityを証だてるよう迫られてきたのだと主張する(ちなみにHenry Jamesの傑作短編 "The Beast in the Jungle" を強制的異性愛の軸で分析した第四章はほんとに美しくて泣ける)。
初めて読んでから10年になるわけだが、そりゃ10年前に読んでなにがわかるでもないよな、と思うのは脳みそ的な成長もさることながら、やっぱりいい意味で年をとったということなのだと思う。よく言えば花盛りわるく言えば発情期の18の女子大生に強制的異性愛がどうこう言っても、だってアイラビュー恋をしようよイエィイエィなわけで、馬の耳になんとやらである。別にイデオロギーから自由になったなどというつもりは毛頭なく、強制的異性愛というターム自体いまやアカデミア的イデオロギーの産物のひとつであるわけなのだけど、Sedgwickを読んで、ついつい自分の来し方行く末に思いを馳せてしまいながらしみじみと思うのは、hetero/homo binary自体の恣意性もさることながら、romantic love ideologyというのは罪なものだよなぁということで、同性異性に関わらず恋人や伴侶がいないと人間失格みたいな風潮はほんとにどうにかならないもんか、と思うのだった(そしてかの教授の博論のテーマはcelibacy、つまりこれまで抑圧されたhomosexualityとされてきた独身生活/非性交的生活をひとつのsexualityとして捉えるというものなのだった)。
脱線になるが、同時にSedgwickみたいな理論家が出てくるのはやっぱりアメリカだからなのかなぁと思うのは、こっちにきて初めて男性にかかる異性愛プレッシャーの強さを肌で感じたからなのかもしれない。日本とアメリカという対照で面白いのは、genderとsexualityの縛りの強さの差だったりする。gender的に言えば日本のほうが縛りがきついというか、男は男の役割を女は女の役割をきちんと演じることが日常レベルでわりと常に要求されるのに対して、アメリカでは60年代以降そういうgender roleはどんどん失われており、例えば私たちくらいの世代(あるいはもう、その親の世代でもそうなんだけど)になると専業主婦は絶滅危惧種というか、「お母さんが料理(というか家事全般)をする」というコンセプトも廃れ、いやな言い方をすればママの味は冷凍ピザということも珍しくないし、そのかわり男性にかかる「大黒柱」としてのプレッシャーも比較的小さい。大学院生を見ていてもそれはけっこう明らかで、女の学生が結婚している場合、遠い地の大学院に通うことになったら旦那さんが一緒に引っ越してその地で仕事を探しながら家事をする、というような例も多く、少なくともわたしの学年の英文科の女子8人のうちなんとも3人がこのケースに当てはまる(もちろんアメリカの大学院が大学院生にTAのポジションを与えて月15万くらい稼げるシステムだから可能なのだけど)。
が、そのようにgenderに関してはある意味ユートピアみたいなアメリカ、惜しむらくはsexualityにおける規範の強さで、その点日本はsexualityに関してはありがたいことに縛りがゆるい。どういうことかというと、アメリカのsexualityというのはどうにもpenetration orientedというか、いわゆる普通の(こっちでいうと"vanilla"な)セックスの支配力が強大なのだが、その点は日本チャチャチャ、日本人のセックス観というのは比較的多くのvariationを許すのである。わたしの日本でのアメリカ人の友人が「日本人は全員変態だ」というのが至言を残したのだが(ちなみにこの友人、以前書いた「日本人には愛がない」を発した人で、この二つの発言はアメリカにおける「愛」と「性器中心的なセックス」の緊密な関係を示している)、いろんな意味で日本人はfetishisticであり、男女の性器結合そのものよりむしろその周縁(遥か果ての周縁にまで)にこそエロスを見いだすという風に彼は言っていたのだが、乱暴な一般化を恐れずにいえば、うん、それは全く正しい。で、アメリカ的genital orientedなセックスが何を生み出すかというと、男は常に固いイチモツにより自らの性の規範性を示さなければいけないというようなプレッシャーなわけで、だからこそバイアグラがこんなに流行るのだろう。Gay、lesbian、bisexualを初めtransexual、transgender、transvestiteその他もろもろいろいろなsexual minorityが力を持つアメリカは日本よりも性的に開放的であるというイメージが強いし(モザイクもないしね)、政治的に言えばまったくそのとおりで、日本のsexual minorityがアメリカより遥かに肩身の狭い思いをしているというのも事実ではある。が、アメリカの"sexual minority" が自らのsexualityを明確なidentityとして定義し、コミュニティを形成するのは、実はそうやってはっきり白黒つけることが求められるほどに強制的異性愛のプレッシャーが強いことの裏返しでもある。日本だともうちょっと「スタンダードなセックス」の幅が広いので、ある程度の性的偏向を持っていてもmajorityでいることができる…気がする。
いつものとおり話が脱線したまま長文になってきたのでこの辺でとりあえず終わるが、さて、sexualityがidentityの主要構成要素となり、sexual minorityが "sexual minority" としてのidentityを持つというのは、それによってある種の政治的社会的権利を獲得しうるという美点は間違いなくあるにしても、ある意味では自分がどのようなsexualityを有するかというのがことほどさように社会的に問題化されているということの証左でもあり(たとえば「牛より豚が好き」はidentityにはならないわけで)、べつに単なる好みなんだからいちいち宣言するほどのことじゃないじゃないですか、という緩さを社会が許さないということでもある気がする。べつに「カミングアウト」の意義を貶めるわけではないのだが、自らをgayであるとidentifyしそれを社会に対して表明することは、ある意味ではhetero/homo binaryによる社会構成を一度受け容れることであるわけだから、「カムアウトしない」という行為自体にもそれなりの政治的意義はあるのではないかな、などと思うわけだ。
そんなわけでわたしは自分のsexualityに関しては当分何者としてもカムアウトしません。牛より豚が好きだけど!でも牛も煮こめば美味しいし!というわけで、もう、なにがなんだかわかんないけどとりあえずアップ。
お金貯めて三日泊まるのが夏休み
週刊誌読んでやって来れば数珠繋ぎ
冷めたスープ放り投げるように飲まされて
二段ベッドでもあたいの夏休み
Summer Vacation あたいのためにSummer Vacation 夏 翻れ
—中島みゆき「あたいの夏休み」
2011年2月10日木曜日
我片思うゆえに我あり
さて、新学期がはじまった。前学期で少しは慣れたかと思いきやどっこい以前に輪をかけてリーディングの量が多く、相変わらず自転車操業の日々である。しかもなんというのだろう、前学期は(どこかで書いたと思うのだが)英語環境における自分のvulnerabilityのようなものをほぼ全面的に心地よいものとして受け容れられていたのだが、結局のところどうもわたしはphallic woman以外の何者でもないということなのか、今学期はやけに去勢感が強く、言語で環境をコントロールできないという状況に涙する日々であった。前学期の終わりには割に普通にディスカッションにも入り込めていたのに、今学期の初めはどうにも割り込めない。自らを強引にねじ込めるでかいファルスがほしい。
というような状況が一週間ほど続き、国に帰りたい、とここ七ヶ月で初めて思ってしょぼくれて廊下を歩いていたら、今学期とっているセクシュアリティの授業の先生にばったり出くわした。Queer Studies枠で去年LSUに入ってきたばかりの若い先生(メガネをかけたテディベアみたいな風貌で、ハリーポッターみたいなコートを着ている)なのだが、この人が本当にもう、なんというか、仏のように優しい。挨拶したら「元気?オフィスに寄ってったら?」みたいな感じであれよあれよという間にオフィスに連れ込まれ世間話をする。途中、彼の仲のよい女性教授が訪れるも、「いまもっと大事な用事があるから!あとでねあとで!」とか言ってわたしとしょうもない話を続けてくれる。で、なかなかディスカッションに割り込めなくてすみません、と本題に入ると、真面目な顔になり、アメリカで研究を続けて行くにはやっぱり自分の研究のいいところをプッシュできないとだめだから、しゃべる練習はしなくちゃね。たくさんいいアイディアを持ってるのはわかってるんだから!来週からはどんどん当ててくよ!とにこにこ笑顔で言う。
翌週、実際授業になるとこの先生、わたしの表情をほんとによく見ていてくれていて、わたしがしゃべりたい時に話をすっと振ってくれる。あ、しゃべれるじゃん、と思って安心すると、なぜか彼がお母さんみたいな顔でうんうんうんうんうんとうなずいており、いつの間にか話をさらに広げてくれている。そんなこんなで、ああ、今日はなんか調子が取り戻せた、としみじみしながら廊下を歩いているとまた先生に出くわし、「今日はほんとにありがとうね、すごく、すごくよかった」みたいなことを言ってくれる。そんなこんなで今日は三週目だったのだか、なんとかディスカッションに入り込めて授業も無事終わり、帰ろうとすると雨が降っていることに気づき、まぁでも歩いて5分だしなんとかなるか、と思っていたら、また先生に出くわす。「雨すごいよ!車のってきなさい!5分でもダメダメ!」みたいな感じで家まで送ってもらう。
さて、こんな風にされたら恋するしかないじゃないかとおもうのだが、Queer Studiesの教授ということから予想されるとおり、我々は性指向的に交わらない運命にある。しかし、なんというか、ふと思ったのだけど、他人にこういう形で優しくされた経験はわたしの人生になかったようかもしれない。当たり前といえば当たり前で、日本ではこういう風に絶対的に弱い立場に立ったことがなかったということなのかもしれないし、それに一時的にどうしようもなくなった時、友人、もちろん友人はかけがえなく、いつでも無限と思えるものを与えてくれる。が、ある意味で友人関係というのは互恵性の上になりたっている(それがたとえ対称的なgive and takeではなくても)わけで、機が熟せばわたしも惜しみなく与えうると思っているが故に、相手の優しさを素直に受け容れることができるのだろう。しかしまぁなんというか、ほんとにこういう風に、ある意味なんの関係もないのにひとに優しくできるって、どういうことなんだろう、となんだかしみじみ考えさせられる。それはたとえばマイノリティ同志の連帯、ということなのかもしれず、たとえばアメリカに来てつくづく感じたのは、アフリカンアメリカンの人々がやけにアジア人であるわたしに優しいということで(もちろん例外はある)、ゲイの彼がアジア人であるわたしに同様のマイノリティ連帯感で優しくしてくれているという可能性もある。が、どうもこの説明もしっくりこない。あの人の優しさはいったいどこからくるのか。わたしはあの人みたいになりたい。
などと悶々と考えていたら深夜二時を回った。ただでさえ貴重な睡眠時間なのに眠れないのは困るので、せめてここに思いの丈を綴っておくことにした。この思いをなんと名付ければよいのか。やっぱり片思いか。まいったなもう。
※ちなみに写真は「我アウトするゆえに我あり」なのだがこのアウトはもちろんcoming outを指す。
というような状況が一週間ほど続き、国に帰りたい、とここ七ヶ月で初めて思ってしょぼくれて廊下を歩いていたら、今学期とっているセクシュアリティの授業の先生にばったり出くわした。Queer Studies枠で去年LSUに入ってきたばかりの若い先生(メガネをかけたテディベアみたいな風貌で、ハリーポッターみたいなコートを着ている)なのだが、この人が本当にもう、なんというか、仏のように優しい。挨拶したら「元気?オフィスに寄ってったら?」みたいな感じであれよあれよという間にオフィスに連れ込まれ世間話をする。途中、彼の仲のよい女性教授が訪れるも、「いまもっと大事な用事があるから!あとでねあとで!」とか言ってわたしとしょうもない話を続けてくれる。で、なかなかディスカッションに割り込めなくてすみません、と本題に入ると、真面目な顔になり、アメリカで研究を続けて行くにはやっぱり自分の研究のいいところをプッシュできないとだめだから、しゃべる練習はしなくちゃね。たくさんいいアイディアを持ってるのはわかってるんだから!来週からはどんどん当ててくよ!とにこにこ笑顔で言う。
翌週、実際授業になるとこの先生、わたしの表情をほんとによく見ていてくれていて、わたしがしゃべりたい時に話をすっと振ってくれる。あ、しゃべれるじゃん、と思って安心すると、なぜか彼がお母さんみたいな顔でうんうんうんうんうんとうなずいており、いつの間にか話をさらに広げてくれている。そんなこんなで、ああ、今日はなんか調子が取り戻せた、としみじみしながら廊下を歩いているとまた先生に出くわし、「今日はほんとにありがとうね、すごく、すごくよかった」みたいなことを言ってくれる。そんなこんなで今日は三週目だったのだか、なんとかディスカッションに入り込めて授業も無事終わり、帰ろうとすると雨が降っていることに気づき、まぁでも歩いて5分だしなんとかなるか、と思っていたら、また先生に出くわす。「雨すごいよ!車のってきなさい!5分でもダメダメ!」みたいな感じで家まで送ってもらう。
さて、こんな風にされたら恋するしかないじゃないかとおもうのだが、Queer Studiesの教授ということから予想されるとおり、我々は性指向的に交わらない運命にある。しかし、なんというか、ふと思ったのだけど、他人にこういう形で優しくされた経験はわたしの人生になかったようかもしれない。当たり前といえば当たり前で、日本ではこういう風に絶対的に弱い立場に立ったことがなかったということなのかもしれないし、それに一時的にどうしようもなくなった時、友人、もちろん友人はかけがえなく、いつでも無限と思えるものを与えてくれる。が、ある意味で友人関係というのは互恵性の上になりたっている(それがたとえ対称的なgive and takeではなくても)わけで、機が熟せばわたしも惜しみなく与えうると思っているが故に、相手の優しさを素直に受け容れることができるのだろう。しかしまぁなんというか、ほんとにこういう風に、ある意味なんの関係もないのにひとに優しくできるって、どういうことなんだろう、となんだかしみじみ考えさせられる。それはたとえばマイノリティ同志の連帯、ということなのかもしれず、たとえばアメリカに来てつくづく感じたのは、アフリカンアメリカンの人々がやけにアジア人であるわたしに優しいということで(もちろん例外はある)、ゲイの彼がアジア人であるわたしに同様のマイノリティ連帯感で優しくしてくれているという可能性もある。が、どうもこの説明もしっくりこない。あの人の優しさはいったいどこからくるのか。わたしはあの人みたいになりたい。
などと悶々と考えていたら深夜二時を回った。ただでさえ貴重な睡眠時間なのに眠れないのは困るので、せめてここに思いの丈を綴っておくことにした。この思いをなんと名付ければよいのか。やっぱり片思いか。まいったなもう。
※ちなみに写真は「我アウトするゆえに我あり」なのだがこのアウトはもちろんcoming outを指す。
2011年1月24日月曜日
あわわわわ
今学期はコースワークのリクワイアメントの関係上、ヴィクトリア朝の文学の授業をとっているのだが、この授業の先生、お若く見目麗しい男性なのだが(ちくしょうそんなことはどうでもいいのだ)とにかく授業のためにブログを開設し、そこにリーディング・アサインメントに対するレスポンスを書けという。それだけなら全然いいのだが、このブログをやっているBloggerというGoogleのブログメーカーをその授業ブログでも使っているので(そしてgmailのアカウントを通して投稿することになっているので)、このブログのわたしのアカウントとどうしてもリンクしてしまう。プロフィールを閲覧できるように設定すると、「あたいの夏休み」という、彼らアメリカ人にとっては文字通り意味不明な文字列が出てきて、そこをクリックするとこのブログに飛んでしまう。日本語なんだからいいじゃないかという話なんだが、ところどころに英語も混じってるし、こないだはfacebookのわたしのページに友人が日本語で書き込んだコメントを翻訳ソフトで翻訳しようとした輩もいたので、肝っ玉のちいさいわたしは耐えられない。プロフィールを非公開にすればいい話なのだが、そして今現在そうしているのだが、10人いる受講者の中でプロフィール非公開にしているのはわたしだけという状況。明らかに変なアジア人だ。また秘密のアルカイックスマイルで通すしかないじゃないか。ちなみに画像はEngland's Other Others(ヴィクトリア朝における、他者は他者でも「白人」他者の授業)と題されたおしゃれなブログのトップ画像。やだもう、先生ってばおしゃれすぎ。いやいやそうじゃない、若い先生って熱心過ぎてこういうことが起こるから困る。しかもこれまでアカウント名をうちの猫の名前でやってたもんだから、最初にサインインしたら「Nell」とかでて、誰この人状態。もうほんと、羞恥プレイもほどほどにしてくれよ。
2011年1月22日土曜日
薬考
さて、新学期がはじまり、ひとしきり友人とハグなどを交わしていると、友人のひとりが煙草をやめたんだと言う。へぇ、そうかわたし相変わらずニコレットがやめられなくて、いつ止めたの?と言うと、12月末くらいにanti-depressantを飲み始めたんだけどこれが禁煙に効くんだよ、試してみたら?ととびきりの笑顔で言われた。日本でだって精神科(という名前がまずなんかあれだけど)とか心療内科とかは90年代以降ポピュラーになってきて(ちょうど「癒し」が流行語になったあたりと重なるような気がする)、昔のようにかかってるだけでstigmatizeされるということも比較的少なくなって薬で鬱治療する人も増えているように思うわけだが、しかしやはりアメリカ人の薬に対する天衣無縫さというのには驚かされる。わたし自身、けっこう病院にかかるタイプなので薬に対する抵抗というのは少なく、それこそ気分がどうしてもコントロールできない時にぽいっと薬を飲むことだってあるわけなので、さしてかわりはないといえばないのだが、それでもこんなにうららかに「抗鬱剤が禁煙に効くんだ♥」とは言えないだろうと思うのは、根本的には薬というのは(とくに精神科系の薬)あくまで対症療法であって治療効果はあまりのぞめないという、正しいかどうかはともかくもそんな認識があって、それでなんか薬を飲むことにどこか罪悪感があるからのような気がする。
とにかくself-control というのが信条の国だからだろうか、アメリカ人は心身的問題が起きたときにそれを薬でコントロールするということに日本人より抵抗がない、というかむしろそれをよしとする気があるようなないような(どこまでをセルフとするかというのは微妙な問題で、わたしなんか薬を飲むことが果たして「セルフ」コントロールなのかどうかわからなくてためらっちゃうんだが)。時間帯にもよるが、わりと大手テレビチャンネルでピル(しかも生理を三ヶ月に一回にするような)とかバイアグラめいたもののCMが流れるのはけっこうよくあるし、もちろんバイアグラそのものの普及率も高い。たしか初期バイアグラのCMには誰だったか、共和党の元副大統領がでていて、「この薬のおかげでまた妻に愛を伝えられるようになりました、ありがとうバイアグラ」とかそんなコピーを口にしていたというような話も聞く。最近はparty drugと一緒にバイアグラを飲むのが若者の間で流行っているようで、ナニが止まらなくて病院に駆け込むというような例も増えているとかなんとか。
話がナニよりに傾いたが、とにかくアメリカ人の薬に対する抵抗のなさというか薬に対する信頼というか、は、どこか Brave New World (Aldous Huxley の1930年代のSFなのだが、ドラッグによる社会コントロールの話で、作者の来歴とか時代背景とかいろんな意味でけっこうおもしろいのだ)を思い出させるものがある。もちろんケミカルなものを嫌う人々は薬は飲まないのだけど、そのかわりにhomeopathy系の薬というかタブレットが普通にWholefoodsに置いてあったりするわけだし、あとは薬というよりはドラッグに近い話だが、大麻の普及率の高さには目を見張るものがある。南部だからなのかアメリカだからなのかわからないけど、普通にバーなどでとくに秘密めいた感じもなく平和そうにジョイントを吸っている人を見かけるし、英文科でも実はまだけっこう使用率は高いようだ(まだ、というのはなんか大麻というのはちょっとold schoolな感じがするというか、ヒッピー的な香りがするからなのだけど)。ある友人のMFAの男の子(彼氏のルームメイトなのだが)はとても温厚でなんというかまじめそうなヴェジタリアンでアルコールさえ飲まないのだけど、趣味がケーキとかクッキーとかを焼くことだということで、わたしはその彼とお菓子作りの話に花を咲かせていたのだけど、どうも彼が作っているのは(ほぼ必ず)マリワナ入りのケーキやらクッキーやらのようで、レシピについて話していると、まずバターで大麻をいためて成分を溶かし出すでしょ、という過程がかならずある。普通にパイプで吸うのの何倍かの効果らしく、この間は彼氏の友達が空腹時に普通のブラウニーと間違って彼の特製ブラウニー食べて、そのときはよかったんだが数時間後にレストランでごはんを食べている際にブラックアウトしてしまい(ほんとに白目を向いて倒れた)、事情を察した彼氏は救急車を呼ぶこともできず必死で友人を介抱し、彼を肩に担いで帰ってからそのMFAの男の子を死ぬほど叱りつけていた。
なんのこっちゃわからなくなってきたが、だいぶ身も心もアメリカナイズされたとはいえ、脆弱な身体ゆえ、身体に入れるものについては重々用心しているので彼のブラウニーは食べていない。だいたいわたしなんかカモミールのハーブティー飲んだだけで寝ちゃうんだからそんなもん食べたらどうなるかわからない。今学期も薬をあまり飲むことなく、健康でいられますように。あ、これが達磨のお願いかなぁ。
2011年1月17日月曜日
里帰り
12月の末から2週間だけ、日本に一時帰国した。実家に残っている母と祖母のふたりがあまりにさみしそうだったのでお正月を家族と過ごす、というのが主眼だったから、あまり日本のみなさんに挨拶をする時間もなかろうと帰国のお知らせさえしなかったのだけれど、案の定2週間は息つく暇もなかった。
こんなことを言うのはばち当たりだとは思うのだけれど、帰国を決めたはいいけれどずっとなんだか複雑な気分で、しかしいざ帰ったらきっとすべてを忘れて楽しめるだろう、と思っていたのだけれど、どっこい複雑さはなかなか消えないものだったから、なんというか少しせつなかった。考えてみたらもう28なんだし、実家に住むというのに無理があるというだけの話なのかもしれないけれど、一度ひとりで暮らしはじまると、いかにプチゲットーな大学アパートとはいえスペースだけは豊富にあるから、東京の狭い家で家族と生活するのはいかんせんしんどい。かといって東京でこっちの部屋と同じような間取りで一人暮らししようと思ったら確実に15万以上はかかる。しかし所詮どうあがいても将来は研究者、なかなかそんなお金は出せそうにない。ううむ。もう東京で暮らせなかったらどうしよう、てゆうかクイーンサイズじゃないと寝られないからだにされてしまった、アメリカったら酷いひと。というのが懸念のひとつなのだった。
要するに、当たり前だけど、ここでの生活が「夏休み」なんだな、ということをもう一度改めて実感したのだと思う。いつかは終わる限定つきの生活なのだから、この生活に慣れすぎてはいけないのかもしれない。人間はひとりで生まれるわけではないのだし、家族に対する責任というものもある。どんなに長くても奨学金の契約上、4年後には日本に帰るという、いわゆる自国滞在義務もある。む。まずい、書いていたらドツボにはまってきた。
もちろんこちらでの生活が万事快調というわけではない。やっぱり日本で友人に会うと、乾いた土みたいに相手の言葉が胸に染みわたるわけで、こういう関係はたぶんこちらでは築けないたろうな、とも思った。恋人関係というのは互いに接近を求めて妙な力学が働くので、案外どこでもなんとかなるもののような気もするのだが(と、これだってばち当たりかもしれないが)、友人関係というのはそういう接近の力学が働かないので、ごまかしが効かない。恋人関係というのは唯一無二だ、という風に思いこみがちなのだけれど、どっこい唯一無二なのは友人関係の方で、というのも、恋人というのは(通常は)まずコンセプトとして唯一のポジションとしてあるもので、ある意味ではその空座に誰が座るかということなのだと思うのだけれど、友人というのはそのポジションが複数的であるがゆえにもっとspontaneietyを要求するものなのかもしれず、この年になってふりかえって見れば、恋人は変わっても友達はいつもそこにいてわたしの行方を照らしてくれてるわけなんだよな、なんてことを家族を連れてドライブした先の観音崎灯台で思ったわけだった。
話が錯綜してきたが、要は持ち前の過剰適応精神が災いして、現状を肯定しようと躍起になって日本での生活を否定しようとしているだけなのかもしれない。うん、たぶんそういうことなのだ。少しはこちらでの暮らしにも慣れてきたのだし、もう少し大人にならなければね。というわけで、浅草寺で買ってきた恒例のミニだるま(Japanese voodoo doll という説明つきで友人たちにあげたら大変好評だった)を前に、少し大人な抱負とお願いごとを考えているのだけど、まだ決めかねている。
2010年12月18日土曜日
Orange Tart
サンクスギビングの時にはピーカンタルトを焼いて、それもわりに上出来だったのだけど、昨日は深夜に思い立ってオレンジタルトを焼いてみた。オレンジの甘煮を作って、アーモンドクリームの中にオレンジの皮のすりおろしとラムを入れて焼いたらこれがおいしかった。
しかし惜しむらくは本来ラムの代わりにいれるべきコアントローがこちらではめさくさ高いこと(一瓶$50だよ、一週間の食費が飛ぶよ)、それからアーモンドプードルがいまいち粗いのか、生地をのばすときにあり得ないくらい崩落すること。アーモンドプードルを探すときもけっこう苦労して、almond powderはどこかと聞いても、なんだそりゃ知らないよ、と店員に困られた。結局こちらではalmond mealないしはalmond flourとして売っているということがわかったのだけど、どうもしっとり感が足りないんだよね。しかしMartha Stuwartのレシピなどを見るとどうやらこちらではタルトの生地にはアーモンドプードルは使わないようで、しかも全部フードプロセッサーでがんがん混ぜる様子。フードプロセッサーに関しては、こっちはCuisinartの本場ということで日本の半額以下なのですでに入手済みだから、今度はアメリカレシピをおそるおそる試してみる予定。ちなみにお菓子の基本、発酵バターはEuropean butterないしcultured butterの名称で売られていて、Wholefoodsではだいたい$5くらいで手に入るので、これも日本よりはお得感あり。日本だと1000円くらいしちゃうからね。
そんなわけできれいなタルトが焼けたとドヤ顔で彼に報告したら、それなにと困惑していたのでタルトタルトあまくて美味しいタルトと連呼していたら、あ、tartか、とようやく理解してくれた。なにが困るって日本でカタカナ語として慣れ親しんでいた単語はLとRの区別がないのでわたしが日本語のタルトを英語風に発音するとtaltになってしまうのである。カタカナ表記すると英語のタルトはタートに近い。ついでにもう一個こまったのはキューブリック。Cube lick?なに舐めるの?みたいな感じでまた困惑していたのでほら映画監督、Crockwork Orangeの、と説明したら、あ、Kubrickか、と納得していた。カタカナ表記するとクーブリックに近い。LとRの発音の区別は彼の苦心の成果でどうやら無事にできるようになったのだが(ちなみに彼の親は語学教師だった上、本人もドイツ育ちなので、外国語教育に大変熱心で、ありがたいことに事あるごとにいろんな例題を出してくれる。Are you allowed to use the public library?とか)、カタカナで記憶していてスペルのあやふやな単語というのはいまだに鬼門。あとliterature、LとRの区別をちゃんとつけようと発音するといつも舌がもつれるんですけど、とぼやいたら、それはletter+tureで発音すればいいんだよ、と教わった。なるへそ。
* * *
☆グラニュー糖 75g
☆卵 65g
☆アーモンドパウダー 75g
☆ラム 大さじ1.5
①バターは室温に戻して柔らかくしておく(薄く切って温かいところに置いておくと戻りが早い)。
②ボールにバターを入れ、泡立て器でクリーム状になるまで練り混ぜる。マヨネーズみたいになる。砂糖を一気に加え、さらに泡立て器で白っぽくなるまですり混ぜる。
③よく溶いた卵を1/6ほど残して少しずつ加えては混ぜる。一気にいれると分離する。
④ふるったアーモンドパウダー(アメリカのアーモンドミールは粗いのでうまくふるえなくてちょっと困るが、めげずに根気よくふるう)を加え、ざっと混ぜ、さらにラム、残りの卵を加えて混ぜる。混ぜすぎないこと。
上に載せるものによってラムの代わりに香りのいいリキュールをいれてもいいし、今回のようにオレンジの皮をすりおろしたものや、ナッツ(ピスタチオなど)、ごま、ココナツパウダーなどを混ぜ合わせても風味がよいのでおすすめです。
☆グラニュー糖 50g
☆水 100cc
☆ラム(コアントロー)15cc
①オレンジは皮を粗塩でこすり、その後水でよく洗い、ちゃんと乾かす。ひとつは皮をすりおろして(クリームに混ぜ込む分)ジュースを絞っておく。もうひとつは3mm厚さにスライス。
②水とグラニュー糖を小鍋にかけて沸騰させる。
③スライスしたオレンジを投入してふたたび煮立ったら弱火でことこと15分。そのまま冷まして、タルトを焼く時に水気をペーパータオルで拭き取って、クリームの上に載せて焼く。
④小鍋に残ったシロップにしぼったオレンジ果汁、リキュールをいれてことこと。とろりとするまで煮詰めたら冷ましておく。
⑤焼き上がったタルトにあついうちに刷毛で④を塗る。ぜんぶ塗ると多いかな、と思ったら加減する。冷めてからもう一度塗るときらきら度が増す。だいたいのアーモンドクリーム系のタルトにいえることだが、冷蔵庫で一晩ひやすとより美味しい。
* * *
[基本のアーモンドクリーム(クレーム・ダマンド)のレシピ]
☆無塩バター 75g☆グラニュー糖 75g
☆卵 65g
☆アーモンドパウダー 75g
☆ラム 大さじ1.5
①バターは室温に戻して柔らかくしておく(薄く切って温かいところに置いておくと戻りが早い)。
②ボールにバターを入れ、泡立て器でクリーム状になるまで練り混ぜる。マヨネーズみたいになる。砂糖を一気に加え、さらに泡立て器で白っぽくなるまですり混ぜる。
③よく溶いた卵を1/6ほど残して少しずつ加えては混ぜる。一気にいれると分離する。
④ふるったアーモンドパウダー(アメリカのアーモンドミールは粗いのでうまくふるえなくてちょっと困るが、めげずに根気よくふるう)を加え、ざっと混ぜ、さらにラム、残りの卵を加えて混ぜる。混ぜすぎないこと。
上に載せるものによってラムの代わりに香りのいいリキュールをいれてもいいし、今回のようにオレンジの皮をすりおろしたものや、ナッツ(ピスタチオなど)、ごま、ココナツパウダーなどを混ぜ合わせても風味がよいのでおすすめです。
[オレンジの甘煮のレシピ]
☆無農薬オレンジ 2つ☆グラニュー糖 50g
☆水 100cc
☆ラム(コアントロー)15cc
①オレンジは皮を粗塩でこすり、その後水でよく洗い、ちゃんと乾かす。ひとつは皮をすりおろして(クリームに混ぜ込む分)ジュースを絞っておく。もうひとつは3mm厚さにスライス。
②水とグラニュー糖を小鍋にかけて沸騰させる。
③スライスしたオレンジを投入してふたたび煮立ったら弱火でことこと15分。そのまま冷まして、タルトを焼く時に水気をペーパータオルで拭き取って、クリームの上に載せて焼く。
④小鍋に残ったシロップにしぼったオレンジ果汁、リキュールをいれてことこと。とろりとするまで煮詰めたら冷ましておく。
⑤焼き上がったタルトにあついうちに刷毛で④を塗る。ぜんぶ塗ると多いかな、と思ったら加減する。冷めてからもう一度塗るときらきら度が増す。だいたいのアーモンドクリーム系のタルトにいえることだが、冷蔵庫で一晩ひやすとより美味しい。
2010年12月17日金曜日
巻いてやったぜ
カリフォルニアロール(というかこちらのロールの8割)はごはんが外にくる、通称「裏巻き」である。寿司を導入しようとした当初、アメリカ人が海苔が黒々しているのに抵抗感をしめしたので、それじゃあ飯で巻けばよくない?と考案されたのがこの巻き方の発祥だとかなんとか。ともあれこれ、いったいどうやって巻いてるんだ?巻きすにごはんつかないの?と思ってたら、なんとラップを活用するのだな。まず普通に海苔を巻きすに置いて、その上にごはんを敷き詰め、その上からラップをかぶせたら海苔をひょいと持ち上げて裏返す。すると下から、巻きす→ラップ→ごはん→海苔の順番になる。で、海苔の上に具材(カリフォルニアロールの基本はカニカマ+アボカド+キュウリ+サーモンらしいのだけど、BRのサーモンは高いし鮮度がいまひとつなのでかわりに冷凍のマサゴとクリームチーズ、あとはツナバージョンも作った)を乗せて手前からきゅっきゅと巻く。切るのは多少大変だが、少し冷蔵庫に入れて落ち着かせて、一回一回濡れ布巾で包丁をよく拭きながら切ると案外きれいに切れる。
で、これがなかなかおいしいし(BRのお寿司屋さんにはけっきょく4件ほどいったが、どこもすし飯がいまいちなのだ。ていうか、すし飯じゃないのかも。単なる白米?)、 なんだかものすごく喜ばれるのだった。3合炊いて4本作った太巻きが瞬間的になくなった時には、なんだか日本人としての役目を果たしたような、また妙なステレオタイプの強化に一役買ったような(とはいえこんなこともあろうかと巻きすは持ってきていたわたし)、いつもながらのわきわきした気分になったが、とにかくわたしはやったのだ、この学期を乗り切って、その証にカリフォルニアロールを巻いたのだ!ひゃっほう。
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