お金貯めて三日泊まるのが夏休み
週刊誌読んでやって来れば数珠繋ぎ
冷めたスープ放り投げるように飲まされて
二段ベッドでもあたいの夏休み
Summer Vacation  あたいのために
Summer Vacation  夏 翻れ

—中島みゆき「あたいの夏休み」

2010年12月8日水曜日

a*s and sh*t

英語まみれの生活が始まってそろそろなんと五ヶ月になる。学校が始まったときは永遠にこの言語は理解できないと思ったのだが、不思議なもので今ではわりと自然に授業でもしゃべれるようにはなった。しかしながらいまだに困るのが友人との日常会話で、そんなもんわかるか、ガリ勉なんだから辞書に載ってない表現はどうしようもないんだよ、ええん、とわめきたいような気分になることもあるが、言語ってゆうのは変化してゆくものなので仕方がないね。たまにfacebookなどで意味不明な表現に出くわしてググってみるとurban dictionaryというページに定義が書いてあったりするのだけど、時にはそれでさえわからないこともあるのだった。スラングというのは手に負えないが、その分興味深い。

で、よくわからないままなのもなんなので人に聞いてみて、ほーそうかそうかと納得した表現をいくつか思い出したので書いておくと、まず "ass" という言葉の意味の広さというのに驚いた。愛しのリーダーズによれば「《卑》しり、けつ;けつの穴;女性器、性交(セックスの対象としての)女(=piece [bit] of ~);まぬけ野郎、抜け作;[one's~]自身(self)」などとやっぱり愛しいぜリーダーズ!な定義が書いてあるのだけれど、そしていま書き写しててやっぱリーダーズすげぇな、と思ったのだけど、この最後の「[one's~]自身(self)」というやつ、これがほんとによく使われるのである。kiss somebody's ass(=誰かの尻にキスをする→おべっかを使う)とかって言う表現は、文字通りの「ass=尻」なので理解しやすいのだけど、いきなり "move your ass" とかって言われても、最初はなんのことやら、ケツ振れってことですか、くらいの感じだったんだけれど、ass を selfに置き換えるとことは単純で、move yourselfすなわち 「動け、どけ、行動を開始しろ」というような意味になるらしいのだ。なるへそ。あと語源はよくわからないんだけど、"badass" は褒め言葉で、かっこいい、クールだ、というような意味になるようだ。

あとはshit。これもほんとによく使う。これもリーダーズの定義がすばらしいので一応書いておくと「《卑》くそ; [the ~s]下痢; [the ~s]うんざり、むかっぱら、かんしゃく (:give sb the ~s); くそをすること;くだらない野郎;いけすかないやつ、くそ野郎;うそっぱち、でたらめ、だぼら、いんちき、見せかけ、たわごと;ひどい扱い、無礼、侮辱;くだらんもの、げてもの、がらくた;厄介な難題、くそいまいましい事;《広く》こと、物、状況;財産、持ち物;薬(やく)《ヘロイン・コカイン・マリファナなど》」まだまだ続くのでこの辺で止めるが、そしてさらに成句として50個近くが載っているのだが、それでもまぁこれだけ美しい定義を並べてもらっても正直実際にはどの定義がどの表現にあてはまるのかって、直観的によくわからないのが実情だ。で、どんな表現が実際によく使われるかというと、たとえば "I don't give a shit" なら「どうでもいい、くそくらえ」みたいな感じで、"talk shit" は「どうでもいいことをペラペラしゃべる」、"full of shit" は「いんちき、偽善、たわごと」、あとこれもよくわからなかったんだけど "know one's shit" で「心得てる、エキスパートである」(授業評価の紙に友人が教授に関して「 "she knows her shit"って書いてもいいと思う?」と聞いてきて、なにそれ、と聞いて判明。)。

まだまだいろいろあるのだけど(あとジェスチャーもやっぱり言語なのでけっこう興味深くて、これについてもいろいろそのうち書きたいところ)、もちろんこのポストはペーパーからの逃避でいまは午前4時なのでもうやめる。基本的にはこういうスラングを外国人のたどたどしい英語でしゃべると無駄にかわいらしくなるか通じないかでバシっと決まらないので使わないようにしてるんだけど、「bullshit」だけはきれいに発音ができるようになったので内緒でたまに使ってます。あと「douche bag」も密かに練習中。リーダーズによると「膣洗浄機(の洗浄水を入れる袋の部分):《俗》ブス、いけすかない女、いやなやつ[男]、くそったれ」。もちろん最後の意味。


追記:画像がないとさみしいのでだいたいGoogleイメージ検索で探してるんだけど、今回は shit で検索したらリアルshitの写真がてんこ盛りでうんざりしました。自業自得だけどさ。

2010年12月6日月曜日

I love you までどのくらい

アメリカのテレビドラマを見ているとしばしばI love you問題が取沙汰される場面に遭遇する。要は「付き合ってずいぶんなのに彼(彼女)が "I love you" と言ってこない」「"I love you" と意を決して言ったのに "I love you, too" と言い返してくれなかった」などということなのだけれど、英語圏のリレーションシップにおける最初の "I love you" というのは事ほどさように大問題である。

アメリカにおける恋愛関係の発展というのは、おそらくdating (「付き合う」以前の試行段階:ただしここに肉体関係が含まれる場合も多々あり、「俺はdateしかしない主義だ」などと宣う者も目にする)を経てgoing out(ある種のcommitment)に至るということなのだと思うのだけど、たとえ相互の承認のもとgoing outの状態、またはrelationshipに至ってもすぐには "I love you" を発しないのがどうやら普通のアメリカ人の感覚らしい。前にアメリカ人の友達に「日本の男女関係って、愛がない…」とぼそっと言われ、なんだそりゃと思ったのだけど、考えてみれば日本だと付き合ったその日に「愛してるよ」とかわりと普通どころか、ゴスペラーズに至っては「愛してるって最近言わなくなったのは/ほんとうにあなたを愛し始めたから」とか歌い上げるわけだし(日本における愛と恋の差というのは興味深い問題で、結局のところ宗教に関わってくると思うんだけど、平安時代に仏教的に愛はだめだけど(執着だから)恋はokみたいなノームがあった事も多少関係してくるのかもしれない)、まぁアメリカ人の「love」と日本人の「愛」というのには若干の乖離があるのだろう。

さてそれではアメリカ人が"I love you"というまで平均的にどのくらいかかるのかと思い、試しに"How long does it take"とGoogleバーに打ったら第一候補に"How long does it take to say 'I love you'?"が出てきたので、やっぱりこれって女子的にも男子的にもそれなりに一大事なんだろう。で、結果はというと、そんなもん人によって違うよ、という当たり前の結論はさておき、だいたい2、3ヶ月というのが平均値のようである(もちろん「一週間くらいかな」という人もいれば「2年付き合ってるのにまだなにも言われてない」とか「半年以内に言われてもいまいちピンとこない」とか言う意見も各複数あり)。で、ちょうどわたしはいま付き合って3ヶ月ほどになる彼氏がいるのだが(そうですそうです、新歓コンパ的なものでロックオンされて振り切れずそのまま付き合うことになったんです)、ついに昨日、そんな劇的 I love you モーメントがあった。

冷蔵庫の中身がついに底をついたのでこれは死ぬと思い、彼に電話して買い物に連れて行ってもらったのだけど、うちに帰ってきたらいかんせん忙しいし早く勉強始めたいし、しかし買い物行ってすぐバイバイはなんか申し訳ないし、とジリジリしながらも一緒にしばらく時間を過ごしていたら、そのうちわたしのコンピューターにかじりついてESPNでFC Barcelonaの試合を見始めたもんだから(わたしのパソコンは彼のより性能がいいのでESPNのビデオが滑らかに移る)、げ、あと2時間いるつもりかよ、と思わずこめかみがひきつった。で、さらにしばらく一緒にいて、さて、さすがにもうそろそろペーパー書くよ、と言ったら、やけに深刻そうな顔をして、なにか僕たちの関係に不安や不満とかある?と言われたので、ないないないない、大変人間的な関係でありがたく思ってる、と返したところ、でもさっきすごい顔してたよ、Barcelonaの試合のとき、と言う。で、いや、実はほんとにそろそろ勉強したくて…と言おうとしたところ、「さっきは "I love your computer" とかいってごめん。I love you more than your computer and Barcelona …というか比較の問題じゃなくて I love you in general」と真面目な顔で言われ、大変に焦った。なんかすごい誤解がある気がしたのだが、とりあえず義理堅い日本人としては I love you, too と返さなければいけない気がして応えてみたのだけど、なんだろうこの不全感。

2010年12月4日土曜日

すーぷの薄さが身にしみる

こちらの大学院の忙しさには慣れたとはいえ、やはり一度に三本のレポートを2週間で仕上げるというのはさすがにしんどい。どだいそんなの無理なんだからクオリティなど考えずただ字数を埋めるものだと言うアメリカ人もいるが、どの授業でもファイナルの前に必ずラフドラフトを提出してそれに教授がコメント(ある教授など、ペーパーへの書き込みの他にレターサイズの紙2枚分のコメントと、さらには関係するであろう論文数本—ちなみにFredric Jameson "Culture and Finance Capital" はほんとに読んでよかった—とさらにGeorg SimmelのThe Philosphy of Moneyをメールボックスに突っ込んでおいてくれた)をくれるので、適当に仕上げるというのはなんだかどうにもできない。忙しすぎて現実逃避がしたくなり、なぜか無性にベルばらが読みたくなったのでネットで探していたらベルばらかるたなるものが発売されていた。

わたしの最近の食生活を言い当ててくれた一枚。料理する暇がついになくなった。バスティーユの白旗がいまだに見えない。

2010年11月27日土曜日

Twitterにおける自意識の変容

アメリカに来てからこのかた、ほんとにみんなfacebookを鬼のように使っているので、これまで文学的自意識によって遠のいていたsocial network系のサイトに触れる機会が多少増えたのだが、ひょんなことから昔付き合っていた人のtwitterアカウントに遭遇し、そのあまりの自意識の丸投げっぷりにしばし近代的自我の混乱をきたした。

facebookアカウント(facebookは基本的に本名でやる)にリンクが貼ってあるということは匿名性の保証がすでにないということだと思うのだけど、にもかかわらず、え、そんなこといっちゃう?え、まじで?みたいなこと(わたしとの過去の関係も含め)を一日5回くらいの頻度でtweetしているではないか。twitterというのはstream of consciousnessを通り越してautomatic writing、というか自己検閲の彼岸なのか。で、いやいやこの人だけに違いない、人間そんなに自意識から簡単に逃れられるもんじゃないよ、と思って念のため有名人のtwitterを確認したらやはり自己検閲の敷居の低さはある程度共有されるものだった。ようするに、他人に見られる存在としての自己の公共性みたいなもの(芸能人てとりあえずそのembodimentだと思うのだけど)、およびその抑圧が限りなくゼロに近づいているようなのだ、twitterという空間では。てゆうかそれが眼目なのか。ある種のvulnerabilityを通した、絶え間ない自己検閲からの自由というのが。

こんなことブログが出来たころから言われてることなのかもしれないけど(と、わたしなんてネット的にsocially awkwardでsocial network siteもブログも処女みたいなもんだからいちいちこうやって自己検閲してしまうのだけど)、ネット空間における自意識の変容というのは凄まじいものがある。昔は「ヴァーチャル/匿名だから言えること」だったのかもしれないが、ネット空間におけるvirtualityというものが言説として確立されたいま、ネット空間上でした言動をactualな世界におけるその人と繋げるのは粋じゃないことみたいに見なされているわけなの?だからみんなあんなに自由なの?恥ずかしいと思うほうが恥ずかしい、みたいなこと?しかしもちろんわたしもこのブログを始めたことによってだいぶ自意識の閾を下げつつあるので、twitterを始めるのも時間の問題かもしれない。ええ、うそ、やだ、そんなこと…やっぱできないよ、とネット処女としては頬を染めるのであった。

2010年11月25日木曜日

Thanksgiving

Nerdの要件のひとつに世界を己の肉体を以てではなく本を通して知るというのがあるわけだけれども、そろそろ大学生をはじめて10年になる真性nerdであるわたくし、生身の世界に驚かされることがしばしばなのだが、アメリカに来てからはほんと、明治の学生が留学したような感じで驚かされることがけっこうある。

Thanksgivingもそのひとつで、こっちに来る前からThanksgivingのことは一応知ってはいたのだが、よもやこんな盛大な国を挙げての祭りだとは知らなんだ。この時期PhDの学生はみんな締め切りをかかえているわけだし(しかもTAやってるわけだからundergradのペーパーのgradingもあるわけだ)このクソ忙しい時期にThanksgivingだ?なにを寝言を言ってるんだ、くらいの勢いかと思ったら、どっこいThanksgivingというのはクリスマスに次ぐ大行事らしく、みんなそれはもう精魂込めて祭るのであった。

Thanksgivingは日本のお正月みたいな位置づけにあるらしく、基本的には家族で祝うものみたいなのだけど、大学院生の多くは全米各所から来ているのでたった3日くらいの休みで帰るわけにもいかず(とはいえわたしの友人の半数は帰っているか中間地点で親戚と落ち合ったりしている)、町に残った者が集まって持ち寄りパーティ(potluck)をするということ。日本の正月同様Thanksgivingは食祭なので(ちなみに発祥は入植当初、農作物が育たなくて食べ物がなかったpilgrimにNative Americanが食べ物をあげたのに感謝をするということだったらしい)、Turky (ローストが基本なのだがここは深南部、チーズケーキまで揚げるのでもちろん七面鳥も深鍋で1時間くらい揚げたりする)だのSweet Potato Casserol に始まるさまざまなCasserolだの、伝統料理がずらりと並ぶ。

鼻血を吹くくらい忙しいわたしは(徹夜でペーパー書いてるときにほんとに吹いた)当たり前に祭らない気満々だったのだが、Thanksgivingを祝わないなんてお前はそれでも人間か、とまで言われたのでけっきょくに出席することになり、そのためにpecan pie(わたしはパイよりタルト派なのでタルトにしたんだけど)まで焼いた。ていうか、招待のメールに食卓に並ぶべき食べ物のリストが書いてあって、そこに自分の名前を記入してみんなが持って行く、ってどんだけ気合い入ってるの。

で、Thanksgivingというのは毎年11月最終週の木曜日に行われるのだが、その翌日がまたBlack Fridayと呼ばれる大行事のようである。なにがBlackかって、その日からクリスマスに向けて大規模なショッピングシーズンが始まるので、その日は夜明け前のまだ空が黒々とした時間帯から店がオープンして、一大セールを繰り広げるんだって。もちろん人々はThanksgivingの夜が更けたころぐらいから店の前に並ぶ…うん、やっぱり日本のお正月の福袋みたいなもんかね。

そんなわけでThanksgivingに行ってきたのだけれど、どれもこれも…おいしかった。アメリカの飯がまずいというのはアメリカに留学した100人90人くらいが言うことだと思うので、わたしの舌がよほど貧しいのかとも思うのだけれど、ひとつには外食(特にアメリカ料理及びアメリカナイズされた中華料理など)、これはあまりいただけない。なんかぜんぶ同じ味がする。おかげで外食の機会がドラスティックに減った。でも、結局のところ手料理というのはやはり別物なわけで、なんだか知らないんだがおいしいし、日本人のpotluckのときと変わらないくらいのクオリティだと思う。というかむしろパーティ慣れしているので大皿料理を作るのがうまい。そんなわけでここ何日かCampbellのスープ(くどいようだがここは深南部、Campbellがchiken gumboを出していて、これがけっこうおいしい。お米も入ってて雑炊みたい)とチョコレートでしのぎ、締め切り前の2日で体重が2kg減っていたわたしの身体は、三皿くらいおかわりしたアメリカ手作りごはんのおかげでふたたび脂肪を取り戻したのでした。Happy Thanksgiving!

2010年11月19日金曜日

transformed into abstraction

唐突にこんなことを言うのもなんなのだが、アメリカに来てから見ず知らずの男性に声をかけられる事が増えた。信号待ち、喫茶店、ガソリンスタンド、プール等々トレンディドラマかどっきりかと思うようなシチュエーションで声をかけられるので、最初の頃はそれなりにうぶうぶしくドキドキもしていたものだが、けっきょくのところ東京で別段モテていたわけでもないのでアメリカに来て急にモテても自分の魅力が増したという自信に繋がるわけもなく、むしろつまるところ性愛というのは抽象的な記号によって立つところが多いのであるな、というnerdな結論に落ち着くしかないのだった。

そうなのである。わたしはいま、生まれてはじめてアジア人女性という記号を一身に背負うている。で、髪がのびまくったので最近は高い位置でひとつに結っているのだが、こないだでかいピアス(垂れ下がるやつ)を探している自分に気づき、アジア人女性のステレオタイプを強化しようとしている自分にポストコロニアル的アカデミア自我が待ったをかけたのであった。外国人として抽象的、匿名的記号に還元されることによって個人神話という絶え間ない差異化への欲望地獄から自由になるというのは皮肉なものだが、最終的な解放に至るにはまだまだ時間がかかりそうである。そんなわけでOh, me so horny, me-me so hormyと思わず口ずさむ秋の宵であった。

2010年11月11日木曜日

ラジオ体操


ここのところめっきり忙しく、そして忙しさの止む気配がない。12月の2週目までには20頁のペーパーを3本ださねばならないのだが、それまでの間も授業は粛々と執り行われる。つまり毎週400頁くらいの小説と300頁くらいの批評書を読み、それに対するコメントをレスポンスペーパーに書いて、時には10頁くらいのショートペーパーを書いたり発表をしたりして、その上でタームペーパーに備えなければいけないわけだ。ああ。

そんなわけで最近睡眠サイクルがおかしい。もともとが大人げないほどに夜型だったのだけれど、最近じゃだいたい朝の6時に寝て10時に起きて学校に行って帰ってきて昼の3時にまた寝て夜の7時に起きるというような睡眠分割体制が続いていた。これは勉強の面では思いのほか効果的でなかなか気に入っていたのだけど、身体には案外しんどかったようで、肩こりがどうもとれない。そんなわけで最近ラジオ体操を始めた。YouTubeで動画を見ながら体操するのだけれど、これがけっこう気持ちがいい。第一、第二ともにフィニッシュ近くに跳躍の後で深呼吸に入るのだけれど「弾んだ呼吸を整えましょう」というお姉さんの言葉、最後に体育の授業があった高校生のころはよく意味がわからなかったのだけれど、今は身にしみる。体育って大学院生にこそ必要な授業だ。コースワークに入れてほしい。