お金貯めて三日泊まるのが夏休み
週刊誌読んでやって来れば数珠繋ぎ
冷めたスープ放り投げるように飲まされて
二段ベッドでもあたいの夏休み
Summer Vacation  あたいのために
Summer Vacation  夏 翻れ

—中島みゆき「あたいの夏休み」

2011年1月22日土曜日

薬考

さて、新学期がはじまり、ひとしきり友人とハグなどを交わしていると、友人のひとりが煙草をやめたんだと言う。へぇ、そうかわたし相変わらずニコレットがやめられなくて、いつ止めたの?と言うと、12月末くらいにanti-depressantを飲み始めたんだけどこれが禁煙に効くんだよ、試してみたら?ととびきりの笑顔で言われた。

日本でだって精神科(という名前がまずなんかあれだけど)とか心療内科とかは90年代以降ポピュラーになってきて(ちょうど「癒し」が流行語になったあたりと重なるような気がする)、昔のようにかかってるだけでstigmatizeされるということも比較的少なくなって薬で鬱治療する人も増えているように思うわけだが、しかしやはりアメリカ人の薬に対する天衣無縫さというのには驚かされる。わたし自身、けっこう病院にかかるタイプなので薬に対する抵抗というのは少なく、それこそ気分がどうしてもコントロールできない時にぽいっと薬を飲むことだってあるわけなので、さしてかわりはないといえばないのだが、それでもこんなにうららかに「抗鬱剤が禁煙に効くんだ♥」とは言えないだろうと思うのは、根本的には薬というのは(とくに精神科系の薬)あくまで対症療法であって治療効果はあまりのぞめないという、正しいかどうかはともかくもそんな認識があって、それでなんか薬を飲むことにどこか罪悪感があるからのような気がする。

とにかくself-control というのが信条の国だからだろうか、アメリカ人は心身的問題が起きたときにそれを薬でコントロールするということに日本人より抵抗がない、というかむしろそれをよしとする気があるようなないような(どこまでをセルフとするかというのは微妙な問題で、わたしなんか薬を飲むことが果たして「セルフ」コントロールなのかどうかわからなくてためらっちゃうんだが)。時間帯にもよるが、わりと大手テレビチャンネルでピル(しかも生理を三ヶ月に一回にするような)とかバイアグラめいたもののCMが流れるのはけっこうよくあるし、もちろんバイアグラそのものの普及率も高い。たしか初期バイアグラのCMには誰だったか、共和党の元副大統領がでていて、「この薬のおかげでまた妻に愛を伝えられるようになりました、ありがとうバイアグラ」とかそんなコピーを口にしていたというような話も聞く。最近はparty drugと一緒にバイアグラを飲むのが若者の間で流行っているようで、ナニが止まらなくて病院に駆け込むというような例も増えているとかなんとか。

話がナニよりに傾いたが、とにかくアメリカ人の薬に対する抵抗のなさというか薬に対する信頼というか、は、どこか Brave New World (Aldous Huxley の1930年代のSFなのだが、ドラッグによる社会コントロールの話で、作者の来歴とか時代背景とかいろんな意味でけっこうおもしろいのだ)を思い出させるものがある。もちろんケミカルなものを嫌う人々は薬は飲まないのだけど、そのかわりにhomeopathy系の薬というかタブレットが普通にWholefoodsに置いてあったりするわけだし、あとは薬というよりはドラッグに近い話だが、大麻の普及率の高さには目を見張るものがある。南部だからなのかアメリカだからなのかわからないけど、普通にバーなどでとくに秘密めいた感じもなく平和そうにジョイントを吸っている人を見かけるし、英文科でも実はまだけっこう使用率は高いようだ(まだ、というのはなんか大麻というのはちょっとold schoolな感じがするというか、ヒッピー的な香りがするからなのだけど)。ある友人のMFAの男の子(彼氏のルームメイトなのだが)はとても温厚でなんというかまじめそうなヴェジタリアンでアルコールさえ飲まないのだけど、趣味がケーキとかクッキーとかを焼くことだということで、わたしはその彼とお菓子作りの話に花を咲かせていたのだけど、どうも彼が作っているのは(ほぼ必ず)マリワナ入りのケーキやらクッキーやらのようで、レシピについて話していると、まずバターで大麻をいためて成分を溶かし出すでしょ、という過程がかならずある。普通にパイプで吸うのの何倍かの効果らしく、この間は彼氏の友達が空腹時に普通のブラウニーと間違って彼の特製ブラウニー食べて、そのときはよかったんだが数時間後にレストランでごはんを食べている際にブラックアウトしてしまい(ほんとに白目を向いて倒れた)、事情を察した彼氏は救急車を呼ぶこともできず必死で友人を介抱し、彼を肩に担いで帰ってからそのMFAの男の子を死ぬほど叱りつけていた。

なんのこっちゃわからなくなってきたが、だいぶ身も心もアメリカナイズされたとはいえ、脆弱な身体ゆえ、身体に入れるものについては重々用心しているので彼のブラウニーは食べていない。だいたいわたしなんかカモミールのハーブティー飲んだだけで寝ちゃうんだからそんなもん食べたらどうなるかわからない。今学期も薬をあまり飲むことなく、健康でいられますように。あ、これが達磨のお願いかなぁ。

2011年1月17日月曜日

里帰り

さて、ひと月のおやすみも今日でおわり、明日からいよいよまた地獄のような忙しい日々が始まる。忙殺される前に冬休みのことも少し書いておこう。

12月の末から2週間だけ、日本に一時帰国した。実家に残っている母と祖母のふたりがあまりにさみしそうだったのでお正月を家族と過ごす、というのが主眼だったから、あまり日本のみなさんに挨拶をする時間もなかろうと帰国のお知らせさえしなかったのだけれど、案の定2週間は息つく暇もなかった。

こんなことを言うのはばち当たりだとは思うのだけれど、帰国を決めたはいいけれどずっとなんだか複雑な気分で、しかしいざ帰ったらきっとすべてを忘れて楽しめるだろう、と思っていたのだけれど、どっこい複雑さはなかなか消えないものだったから、なんというか少しせつなかった。考えてみたらもう28なんだし、実家に住むというのに無理があるというだけの話なのかもしれないけれど、一度ひとりで暮らしはじまると、いかにプチゲットーな大学アパートとはいえスペースだけは豊富にあるから、東京の狭い家で家族と生活するのはいかんせんしんどい。かといって東京でこっちの部屋と同じような間取りで一人暮らししようと思ったら確実に15万以上はかかる。しかし所詮どうあがいても将来は研究者、なかなかそんなお金は出せそうにない。ううむ。もう東京で暮らせなかったらどうしよう、てゆうかクイーンサイズじゃないと寝られないからだにされてしまった、アメリカったら酷いひと。というのが懸念のひとつなのだった。

要するに、当たり前だけど、ここでの生活が「夏休み」なんだな、ということをもう一度改めて実感したのだと思う。いつかは終わる限定つきの生活なのだから、この生活に慣れすぎてはいけないのかもしれない。人間はひとりで生まれるわけではないのだし、家族に対する責任というものもある。どんなに長くても奨学金の契約上、4年後には日本に帰るという、いわゆる自国滞在義務もある。む。まずい、書いていたらドツボにはまってきた。

もちろんこちらでの生活が万事快調というわけではない。やっぱり日本で友人に会うと、乾いた土みたいに相手の言葉が胸に染みわたるわけで、こういう関係はたぶんこちらでは築けないたろうな、とも思った。恋人関係というのは互いに接近を求めて妙な力学が働くので、案外どこでもなんとかなるもののような気もするのだが(と、これだってばち当たりかもしれないが)、友人関係というのはそういう接近の力学が働かないので、ごまかしが効かない。恋人関係というのは唯一無二だ、という風に思いこみがちなのだけれど、どっこい唯一無二なのは友人関係の方で、というのも、恋人というのは(通常は)まずコンセプトとして唯一のポジションとしてあるもので、ある意味ではその空座に誰が座るかということなのだと思うのだけれど、友人というのはそのポジションが複数的であるがゆえにもっとspontaneietyを要求するものなのかもしれず、この年になってふりかえって見れば、恋人は変わっても友達はいつもそこにいてわたしの行方を照らしてくれてるわけなんだよな、なんてことを家族を連れてドライブした先の観音崎灯台で思ったわけだった。

話が錯綜してきたが、要は持ち前の過剰適応精神が災いして、現状を肯定しようと躍起になって日本での生活を否定しようとしているだけなのかもしれない。うん、たぶんそういうことなのだ。少しはこちらでの暮らしにも慣れてきたのだし、もう少し大人にならなければね。というわけで、浅草寺で買ってきた恒例のミニだるま(Japanese voodoo doll という説明つきで友人たちにあげたら大変好評だった)を前に、少し大人な抱負とお願いごとを考えているのだけど、まだ決めかねている。

2010年12月18日土曜日

Orange Tart

日本にいたときもそれなりに料理は好きだったのだけれど、アメリカに来て一人暮らしをはじめてしみじみと料理のセラピー効果を実感するのは、こうやってペーパーから解放されるとまずなにがしたいって、ケーキが焼きたいのだな。

サンクスギビングの時にはピーカンタルトを焼いて、それもわりに上出来だったのだけど、昨日は深夜に思い立ってオレンジタルトを焼いてみた。オレンジの甘煮を作って、アーモンドクリームの中にオレンジの皮のすりおろしとラムを入れて焼いたらこれがおいしかった。

しかし惜しむらくは本来ラムの代わりにいれるべきコアントローがこちらではめさくさ高いこと(一瓶$50だよ、一週間の食費が飛ぶよ)、それからアーモンドプードルがいまいち粗いのか、生地をのばすときにあり得ないくらい崩落すること。アーモンドプードルを探すときもけっこう苦労して、almond powderはどこかと聞いても、なんだそりゃ知らないよ、と店員に困られた。結局こちらではalmond mealないしはalmond flourとして売っているということがわかったのだけど、どうもしっとり感が足りないんだよね。しかしMartha Stuwartのレシピなどを見るとどうやらこちらではタルトの生地にはアーモンドプードルは使わないようで、しかも全部フードプロセッサーでがんがん混ぜる様子。フードプロセッサーに関しては、こっちはCuisinartの本場ということで日本の半額以下なのですでに入手済みだから、今度はアメリカレシピをおそるおそる試してみる予定。ちなみにお菓子の基本、発酵バターはEuropean butterないしcultured butterの名称で売られていて、Wholefoodsではだいたい$5くらいで手に入るので、これも日本よりはお得感あり。日本だと1000円くらいしちゃうからね。

そんなわけできれいなタルトが焼けたとドヤ顔で彼に報告したら、それなにと困惑していたのでタルトタルトあまくて美味しいタルトと連呼していたら、あ、tartか、とようやく理解してくれた。なにが困るって日本でカタカナ語として慣れ親しんでいた単語はLとRの区別がないのでわたしが日本語のタルトを英語風に発音するとtaltになってしまうのである。カタカナ表記すると英語のタルトはタートに近い。ついでにもう一個こまったのはキューブリック。Cube lick?なに舐めるの?みたいな感じでまた困惑していたのでほら映画監督、Crockwork Orangeの、と説明したら、あ、Kubrickか、と納得していた。カタカナ表記するとクーブリックに近い。LとRの発音の区別は彼の苦心の成果でどうやら無事にできるようになったのだが(ちなみに彼の親は語学教師だった上、本人もドイツ育ちなので、外国語教育に大変熱心で、ありがたいことに事あるごとにいろんな例題を出してくれる。Are you allowed to use the public library?とか)、カタカナで記憶していてスペルのあやふやな単語というのはいまだに鬼門。あとliterature、LとRの区別をちゃんとつけようと発音するといつも舌がもつれるんですけど、とぼやいたら、それはletter+tureで発音すればいいんだよ、と教わった。なるへそ。

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[基本のアーモンドクリーム(クレーム・ダマンド)のレシピ]
☆無塩バター 75g
☆グラニュー糖 75g
☆卵 65g
☆アーモンドパウダー 75g
☆ラム 大さじ1.5

①バターは室温に戻して柔らかくしておく(薄く切って温かいところに置いておくと戻りが早い)。
②ボールにバターを入れ、泡立て器でクリーム状になるまで練り混ぜる。マヨネーズみたいになる。砂糖を一気に加え、さらに泡立て器で白っぽくなるまですり混ぜる。
③よく溶いた卵を1/6ほど残して少しずつ加えては混ぜる。一気にいれると分離する。
④ふるったアーモンドパウダー(アメリカのアーモンドミールは粗いのでうまくふるえなくてちょっと困るが、めげずに根気よくふるう)を加え、ざっと混ぜ、さらにラム、残りの卵を加えて混ぜる。混ぜすぎないこと。

上に載せるものによってラムの代わりに香りのいいリキュールをいれてもいいし、今回のようにオレンジの皮をすりおろしたものや、ナッツ(ピスタチオなど)、ごま、ココナツパウダーなどを混ぜ合わせても風味がよいのでおすすめです。

[オレンジの甘煮のレシピ]
☆無農薬オレンジ 2つ
☆グラニュー糖 50g
☆水 100cc
☆ラム(コアントロー)15cc

①オレンジは皮を粗塩でこすり、その後水でよく洗い、ちゃんと乾かす。ひとつは皮をすりおろして(クリームに混ぜ込む分)ジュースを絞っておく。もうひとつは3mm厚さにスライス。
②水とグラニュー糖を小鍋にかけて沸騰させる。
③スライスしたオレンジを投入してふたたび煮立ったら弱火でことこと15分。そのまま冷まして、タルトを焼く時に水気をペーパータオルで拭き取って、クリームの上に載せて焼く。
④小鍋に残ったシロップにしぼったオレンジ果汁、リキュールをいれてことこと。とろりとするまで煮詰めたら冷ましておく。
⑤焼き上がったタルトにあついうちに刷毛で④を塗る。ぜんぶ塗ると多いかな、と思ったら加減する。冷めてからもう一度塗るときらきら度が増す。だいたいのアーモンドクリーム系のタルトにいえることだが、冷蔵庫で一晩ひやすとより美味しい。


2010年12月17日金曜日

巻いてやったぜ

こちらに来てからこのかた、ことあるごとにポットラックがあり、またその度ごとに「お寿司は?」と聞かれ「日本人は寿司は作らない。寿司は食べに行くものだ」と強弁するのにももう飽きてきた。おとついあたりようやく60ページのペーパーから解放され、しばらくあまりちゃんとした料理をしていなかったので、調子を取り戻すためにも、ええいこの際巻いてしまえ、とカリフォルニアロールなるものを作ってみた。わたしは日本人失格と在バトンルージュ日本人家族に後ろ指を指されてしまうほどのごはんいらず(あんまり白米に興味がないのだ)なのでもちろん炊飯器もないのだが、さてすし飯どうする。そうか鍋で炊こう。というところから始まった。

カリフォルニアロール(というかこちらのロールの8割)はごはんが外にくる、通称「裏巻き」である。寿司を導入しようとした当初、アメリカ人が海苔が黒々しているのに抵抗感をしめしたので、それじゃあ飯で巻けばよくない?と考案されたのがこの巻き方の発祥だとかなんとか。ともあれこれ、いったいどうやって巻いてるんだ?巻きすにごはんつかないの?と思ってたら、なんとラップを活用するのだな。まず普通に海苔を巻きすに置いて、その上にごはんを敷き詰め、その上からラップをかぶせたら海苔をひょいと持ち上げて裏返す。すると下から、巻きす→ラップ→ごはん→海苔の順番になる。で、海苔の上に具材(カリフォルニアロールの基本はカニカマ+アボカド+キュウリ+サーモンらしいのだけど、BRのサーモンは高いし鮮度がいまひとつなのでかわりに冷凍のマサゴとクリームチーズ、あとはツナバージョンも作った)を乗せて手前からきゅっきゅと巻く。切るのは多少大変だが、少し冷蔵庫に入れて落ち着かせて、一回一回濡れ布巾で包丁をよく拭きながら切ると案外きれいに切れる。

で、これがなかなかおいしいし(BRのお寿司屋さんにはけっきょく4件ほどいったが、どこもすし飯がいまいちなのだ。ていうか、すし飯じゃないのかも。単なる白米?)、 なんだかものすごく喜ばれるのだった。3合炊いて4本作った太巻きが瞬間的になくなった時には、なんだか日本人としての役目を果たしたような、また妙なステレオタイプの強化に一役買ったような(とはいえこんなこともあろうかと巻きすは持ってきていたわたし)、いつもながらのわきわきした気分になったが、とにかくわたしはやったのだ、この学期を乗り切って、その証にカリフォルニアロールを巻いたのだ!ひゃっほう。

2010年12月8日水曜日

a*s and sh*t

英語まみれの生活が始まってそろそろなんと五ヶ月になる。学校が始まったときは永遠にこの言語は理解できないと思ったのだが、不思議なもので今ではわりと自然に授業でもしゃべれるようにはなった。しかしながらいまだに困るのが友人との日常会話で、そんなもんわかるか、ガリ勉なんだから辞書に載ってない表現はどうしようもないんだよ、ええん、とわめきたいような気分になることもあるが、言語ってゆうのは変化してゆくものなので仕方がないね。たまにfacebookなどで意味不明な表現に出くわしてググってみるとurban dictionaryというページに定義が書いてあったりするのだけど、時にはそれでさえわからないこともあるのだった。スラングというのは手に負えないが、その分興味深い。

で、よくわからないままなのもなんなので人に聞いてみて、ほーそうかそうかと納得した表現をいくつか思い出したので書いておくと、まず "ass" という言葉の意味の広さというのに驚いた。愛しのリーダーズによれば「《卑》しり、けつ;けつの穴;女性器、性交(セックスの対象としての)女(=piece [bit] of ~);まぬけ野郎、抜け作;[one's~]自身(self)」などとやっぱり愛しいぜリーダーズ!な定義が書いてあるのだけれど、そしていま書き写しててやっぱリーダーズすげぇな、と思ったのだけど、この最後の「[one's~]自身(self)」というやつ、これがほんとによく使われるのである。kiss somebody's ass(=誰かの尻にキスをする→おべっかを使う)とかって言う表現は、文字通りの「ass=尻」なので理解しやすいのだけど、いきなり "move your ass" とかって言われても、最初はなんのことやら、ケツ振れってことですか、くらいの感じだったんだけれど、ass を selfに置き換えるとことは単純で、move yourselfすなわち 「動け、どけ、行動を開始しろ」というような意味になるらしいのだ。なるへそ。あと語源はよくわからないんだけど、"badass" は褒め言葉で、かっこいい、クールだ、というような意味になるようだ。

あとはshit。これもほんとによく使う。これもリーダーズの定義がすばらしいので一応書いておくと「《卑》くそ; [the ~s]下痢; [the ~s]うんざり、むかっぱら、かんしゃく (:give sb the ~s); くそをすること;くだらない野郎;いけすかないやつ、くそ野郎;うそっぱち、でたらめ、だぼら、いんちき、見せかけ、たわごと;ひどい扱い、無礼、侮辱;くだらんもの、げてもの、がらくた;厄介な難題、くそいまいましい事;《広く》こと、物、状況;財産、持ち物;薬(やく)《ヘロイン・コカイン・マリファナなど》」まだまだ続くのでこの辺で止めるが、そしてさらに成句として50個近くが載っているのだが、それでもまぁこれだけ美しい定義を並べてもらっても正直実際にはどの定義がどの表現にあてはまるのかって、直観的によくわからないのが実情だ。で、どんな表現が実際によく使われるかというと、たとえば "I don't give a shit" なら「どうでもいい、くそくらえ」みたいな感じで、"talk shit" は「どうでもいいことをペラペラしゃべる」、"full of shit" は「いんちき、偽善、たわごと」、あとこれもよくわからなかったんだけど "know one's shit" で「心得てる、エキスパートである」(授業評価の紙に友人が教授に関して「 "she knows her shit"って書いてもいいと思う?」と聞いてきて、なにそれ、と聞いて判明。)。

まだまだいろいろあるのだけど(あとジェスチャーもやっぱり言語なのでけっこう興味深くて、これについてもいろいろそのうち書きたいところ)、もちろんこのポストはペーパーからの逃避でいまは午前4時なのでもうやめる。基本的にはこういうスラングを外国人のたどたどしい英語でしゃべると無駄にかわいらしくなるか通じないかでバシっと決まらないので使わないようにしてるんだけど、「bullshit」だけはきれいに発音ができるようになったので内緒でたまに使ってます。あと「douche bag」も密かに練習中。リーダーズによると「膣洗浄機(の洗浄水を入れる袋の部分):《俗》ブス、いけすかない女、いやなやつ[男]、くそったれ」。もちろん最後の意味。


追記:画像がないとさみしいのでだいたいGoogleイメージ検索で探してるんだけど、今回は shit で検索したらリアルshitの写真がてんこ盛りでうんざりしました。自業自得だけどさ。

2010年12月6日月曜日

I love you までどのくらい

アメリカのテレビドラマを見ているとしばしばI love you問題が取沙汰される場面に遭遇する。要は「付き合ってずいぶんなのに彼(彼女)が "I love you" と言ってこない」「"I love you" と意を決して言ったのに "I love you, too" と言い返してくれなかった」などということなのだけれど、英語圏のリレーションシップにおける最初の "I love you" というのは事ほどさように大問題である。

アメリカにおける恋愛関係の発展というのは、おそらくdating (「付き合う」以前の試行段階:ただしここに肉体関係が含まれる場合も多々あり、「俺はdateしかしない主義だ」などと宣う者も目にする)を経てgoing out(ある種のcommitment)に至るということなのだと思うのだけど、たとえ相互の承認のもとgoing outの状態、またはrelationshipに至ってもすぐには "I love you" を発しないのがどうやら普通のアメリカ人の感覚らしい。前にアメリカ人の友達に「日本の男女関係って、愛がない…」とぼそっと言われ、なんだそりゃと思ったのだけど、考えてみれば日本だと付き合ったその日に「愛してるよ」とかわりと普通どころか、ゴスペラーズに至っては「愛してるって最近言わなくなったのは/ほんとうにあなたを愛し始めたから」とか歌い上げるわけだし(日本における愛と恋の差というのは興味深い問題で、結局のところ宗教に関わってくると思うんだけど、平安時代に仏教的に愛はだめだけど(執着だから)恋はokみたいなノームがあった事も多少関係してくるのかもしれない)、まぁアメリカ人の「love」と日本人の「愛」というのには若干の乖離があるのだろう。

さてそれではアメリカ人が"I love you"というまで平均的にどのくらいかかるのかと思い、試しに"How long does it take"とGoogleバーに打ったら第一候補に"How long does it take to say 'I love you'?"が出てきたので、やっぱりこれって女子的にも男子的にもそれなりに一大事なんだろう。で、結果はというと、そんなもん人によって違うよ、という当たり前の結論はさておき、だいたい2、3ヶ月というのが平均値のようである(もちろん「一週間くらいかな」という人もいれば「2年付き合ってるのにまだなにも言われてない」とか「半年以内に言われてもいまいちピンとこない」とか言う意見も各複数あり)。で、ちょうどわたしはいま付き合って3ヶ月ほどになる彼氏がいるのだが(そうですそうです、新歓コンパ的なものでロックオンされて振り切れずそのまま付き合うことになったんです)、ついに昨日、そんな劇的 I love you モーメントがあった。

冷蔵庫の中身がついに底をついたのでこれは死ぬと思い、彼に電話して買い物に連れて行ってもらったのだけど、うちに帰ってきたらいかんせん忙しいし早く勉強始めたいし、しかし買い物行ってすぐバイバイはなんか申し訳ないし、とジリジリしながらも一緒にしばらく時間を過ごしていたら、そのうちわたしのコンピューターにかじりついてESPNでFC Barcelonaの試合を見始めたもんだから(わたしのパソコンは彼のより性能がいいのでESPNのビデオが滑らかに移る)、げ、あと2時間いるつもりかよ、と思わずこめかみがひきつった。で、さらにしばらく一緒にいて、さて、さすがにもうそろそろペーパー書くよ、と言ったら、やけに深刻そうな顔をして、なにか僕たちの関係に不安や不満とかある?と言われたので、ないないないない、大変人間的な関係でありがたく思ってる、と返したところ、でもさっきすごい顔してたよ、Barcelonaの試合のとき、と言う。で、いや、実はほんとにそろそろ勉強したくて…と言おうとしたところ、「さっきは "I love your computer" とかいってごめん。I love you more than your computer and Barcelona …というか比較の問題じゃなくて I love you in general」と真面目な顔で言われ、大変に焦った。なんかすごい誤解がある気がしたのだが、とりあえず義理堅い日本人としては I love you, too と返さなければいけない気がして応えてみたのだけど、なんだろうこの不全感。

2010年12月4日土曜日

すーぷの薄さが身にしみる

こちらの大学院の忙しさには慣れたとはいえ、やはり一度に三本のレポートを2週間で仕上げるというのはさすがにしんどい。どだいそんなの無理なんだからクオリティなど考えずただ字数を埋めるものだと言うアメリカ人もいるが、どの授業でもファイナルの前に必ずラフドラフトを提出してそれに教授がコメント(ある教授など、ペーパーへの書き込みの他にレターサイズの紙2枚分のコメントと、さらには関係するであろう論文数本—ちなみにFredric Jameson "Culture and Finance Capital" はほんとに読んでよかった—とさらにGeorg SimmelのThe Philosphy of Moneyをメールボックスに突っ込んでおいてくれた)をくれるので、適当に仕上げるというのはなんだかどうにもできない。忙しすぎて現実逃避がしたくなり、なぜか無性にベルばらが読みたくなったのでネットで探していたらベルばらかるたなるものが発売されていた。

わたしの最近の食生活を言い当ててくれた一枚。料理する暇がついになくなった。バスティーユの白旗がいまだに見えない。