トンネルを抜けるとそこはなんとやら、という感慨を抱いたのは実に久しぶりのことだったのだけれど、珍しく飛行機で窓際の席に座ったので外を眺めていたら、永劫のごとく続く砂漠の中を走る一本の道路が、やがて大きな街を作っていた。天使たちの街とはよく言ったもの、こんな広大な無の中に忽然と姿を表す街の姿はおよそ人間が作ったものとは思えないほどあまりにも唐突な存在感だったが、同時にどこにでも住んでやろう、どこまでも突き進んでやろうというあのmanifest destinyの強靭さに胸を打たれもして、飛行機の中、夢中で裸の山並みや砂漠にむかってシャッターを切っていたわたしは幼い子供のようだった。
東京に産まれ育って29年、身も心も都会に育まれたわたしはいわゆる自然というものには正直まったくなじみも思い入れもなかったのだが、アメリカの片田舎に住むようになってたった1年で立派な自然派のカントリーガールになったのだなと思うのはこういう瞬間で、わたしは結局のところ、アメリカというものの物理的な大きさと、その中に息づくほとんど馬鹿みたいといっても過言ではない強靭な精神にどうしようもなく恋をしているのかもしれない。
今回の旅は(それはもう今からひと月も前のことになる)日本に帰国する前にLAに住む友人を訪れるという目的だったわけなのだが、LAというのは字義通りにも隠喩的にもわたしのアメリカ生活と日本生活の中間地点に位置する街だった。そこはたしかにアメリカなのだけれど、同時に都市であるがゆえに東京を思わせ、またアジア人口の多さはLousianaがわたしに与えていた他者感を良くも悪くも軽快にぬぐい去る。ある意味ではわたしにとって東京に帰るためのリハビリに最適の土地だった。
リハビリの第一歩目は服装なのだった。Louisianaというか南部は前述のとおり、ドレスアップをすることが若い娘の唯一の楽しみのような場所なので、女達はチェーン展開のレストランにおいてさえ原色のワンピースに身を包み、10cmにもなる慣れないヒールを履いて一様によちよちと膝を出しながら夜を楽しむ。都会というのはそういう場所ではなかったのだ、と思い出したのは早くも空港でのことで、誰ひとり華美な服を着ているわけでもないのに妙に洗練されている。そうかこれがわたしがすっかり忘れていたおしゃれというものか、とひとりごちていたらとびきりの笑顔で声をかけてくれた、ジーンズをブーツインしたいい女がいて、それがわたしの最愛の友人だったのだった。まいったな、かわいいじゃんか、などと思いながら自分の小花柄の短いワンピース(とはいえもちろん下にはショートパンツは履いていたのだが)と彼女の都会風の装いの対象がいかにも田舎娘、都会に来る、という小物語を連想させたので照れ笑いをしつつ、一年ぶりの再会に快哉を叫び、わたしの一週間のLA生活が始まった。
お金貯めて三日泊まるのが夏休み
週刊誌読んでやって来れば数珠繋ぎ
冷めたスープ放り投げるように飲まされて
二段ベッドでもあたいの夏休み
Summer Vacation あたいのためにSummer Vacation 夏 翻れ
—中島みゆき「あたいの夏休み」
2011年7月21日木曜日
2011年6月15日水曜日
PJ Withdrawal and Raspberry Chocolate Cake
例の二日酔い以降、なんとはなしに意気があがらない。PJと電話をして、夏風邪かもしんない、といったら、いやいやそれはPJ withdrawalだよ、と笑われた。Withdrawal というのは薬やアルコールなどに対する依存症のある人が急にそれらを摂取するのをやめた時に起こる離脱症状である。写真はMeth Withdrawal(Methというのはmethamphetamine。あれですね、のりPの)のページのものなわけだけど、たしかに最近わたしはこんな表情で机の前に座っていることがある。
PJ withdrawalというのは言い得て妙なものだ。たしかにBaton Rougeにきて10ヶ月(ここに来たのが8月の頭、初めてPJに会ったのが8月の半ばなので)、ほぼずっと隣にPJがいたわけで、学校の忙しさがピークのときなど、ほっといてちょうだいよ!という風にもなったわけだが、初めてこうやって離れてみると、わたしにとってBaton Rouge=PJだったんだなぁ、などとつくづく実感する。夏のBaton Rougeの暑さというのは想像を絶したもので、3月半ば以降長袖というものにはついぞご縁がないし、湿度は常に80%以上、しかも街の北部にはけっこうたくさんのchemical plantがあるのでBaton Rougeの空気は全米で1、2を争う汚さなのだが、湿気のせいでその空気の汚れがますます強く感じられる。友人等はBaton Rougeをthe filthiest town in the nationなどと罵るし、けっこう多くの人がこの暑さに耐えられず街を脱出する(アングロサクソンの人々の気温の感じ方は明らかに我々とは違うようで、たぶん体感温度が4から5℃くらい違う)。が、相変わらずわたしはこの暑さが大好きで、喫茶店の外の席であつーあつーと言って汗をかきながら読書に励んでいた…わけなのだが、ここ2日ほどはBaton Rougeなんてなにさ、もう知らない、みたいな気分なのだ。
それに加えて、いま書いている論文もまた思い切り暗い。Willa Catherはアメリカ南西部を舞台にしたMy AntoniaとかO Pioneers!で有名な20世紀初頭の作家なのだが、70年代以降(いやほんと60年代、70年代というのはこういう時代なんだな)レズビアンであることが「発見」されて、それ以来彼女の作品にはセクシュアリティ分析が大きなジャンルとして加わっている。しばしば問題とされるのは彼女が一貫して自分のセクシュアリティについて沈黙を守り続けていたことで、Catherが遺書の中で自分がこれまで書いた手紙の一切を後の研究者が引用することを禁じ、またgross indecency trialで裁かれたOscar Wildeを酷評したことなどから、彼女はある種のhomophobiaを内面化していたという風に論じられることが多い。
わたしが今扱っているThe Professor's Houseというのは1925年の作品なのだが、主人公のProfessor St. Peterは彼の死んだ生徒であるTom Outlandに対する尋常ならぬ思い入れとともに、小さな書斎に閉じこもって家族とのかかわりを断っている人物である。この書斎はどうみてもclosetだよね、という印象からわたしの論は始まっているのだけれど、ただしわたしはSt. Peterのセクシュアリティを抑圧されたhomosexualityとして捉えるのではなく、closetの中に閉じこもり、melancholicに失われた対象と同一化することで得られるある種のautoeroticismであると論じて、Catherのセクシュアリティに関する沈黙と彼女の"the thing not named" ("The Novel Démublé"という彼女のエッセイに出てくるフレーズで、これまたしばしば"The love that dare not speak its name" というhomosexualityのcodewordに結びつけられる)に対するこだわりを、20世紀のhomo/hetero binaryのディスコースと性解放のディスコースに参加することに対する抵抗として読んでいるわけだが、このmelencholia分析のおかげでわたしはいまちょっとばかり心理的にやられているのかもしれない。すべてのペーパーというのは自分にとってなんらかの意味でpersonalなものなわけで、だからこそ研究がやめられないのだから、ある意味ではこの状況を楽しんでいるといえば楽しんでいるのだけど。しかしなぁ。
☆製菓用チョコレート(カカオ分65%くらいのもの)180g
☆発酵バター 140g
☆グラニュー糖 145g(ケーキ用の50gとメレンゲ用の70gとソース用の25gにわけておく。めんどくさくてすみません)
☆小麦粉 20g
☆卵黄 60g (約4個分)
☆卵白 180g (約4個分:冷凍庫でまわりがすこし凍るくらい冷やしておくと安定したメレンゲになる)
☆レモン汁 小1
①チョコレートは刻んで(わたしが使っているのはすでに小さなチップになっているものなのでこの必要はなし)バターも小さくして溶けやすいようにする。
②ボウルに①を入れて、湯煎にかけて完全に溶かす。40℃くらいになったら火から下ろす。この間、型にオーブンペーパーを敷いておく。底は丸く切って敷き込み、まわりにはぐるっと巡らす。けっこうべったりくっつきがちなのでこれを怠ると型から抜けない。
③グラニュー糖50gを入れてよく混ぜる。その後卵黄、またよく混ぜる。さらに小麦粉をふるい入れて、またよく混ぜる。このあたりは手早く。
④メレンゲをしっかりめに立てる。卵白に70gのグラニュー糖のうちひとつまみを加えてハンドミキサーの高速で泡立てる。しっかり泡立ったら(いわゆる「お辞儀をするくらい」の固さ)残りの70gを3回にわけて入れて、その都度しっかり泡立てて、最後に低速できめを整える。最終的にはすこしすくいあげて逆さにした時に落ちてこないくらいの固さにする。
⑤③に④とラズベリー120gを加え、ゴムベラでさっくりと混ぜ合わせていく。色が均一になったらOK。
⑥用意した型に⑤をゆっくりと入れる。180℃で45分から50分焼いて、冷めたら型から出す。チョコレート系のお菓子全般に言えることだけれど、焼いた当日は味が馴染まないのであまり美味しくありません。翌日ないし翌々日にめしあがれ。
⑦そのままでもよいのだけれど、ソースをかけるともっと美味しい。ソースは小鍋にラズベリー60gと砂糖25g(要はベリーの40%の砂糖ということ)をいれて軽く混ぜ合わせ、弱火にかけてコトコト約5分(ベリーの形を残したい場合は煮ている間あまり混ぜないこと。水分が自然に出てくるので焦げることはない)。様子をみていい感じになっていたら最後にレモンを加える。生クリームを泡立ててそこにたらしてケーキと一緒に食べればさらに美味しいし、アイスやヨーグルトにかけて食べてもおいしい。ちなみにブルーベリーでも同じ要領で作れます。
BRを発つまで残りあとわずかなのであまった生クリームを使う暇もないかな、と思い、おそるおそる写真のスプレー缶入りのクリームを使ってみた。添加物などを気にする向きの方々にはおすすめできないけれど(実際賞味期限の長さにどん引きしなくもない…)いやはや簡単便利に負けました。いつもコーヒーショップとかで店員さんがもしゃーっとフラペチーノ的なものにかけるのをみて興味津々だったのが(ちなみにSt. Augustineで食べたKey lime pieの写真のクリームもこれだったし、テレビドラマなんかで女の子達が夜中にこれをそのまま缶から飲むように食べるのも目にする。もちろんポルノでは…あとは説明は不要ですね)、使ってみるとバラの口金で絞ったようなクリームが簡単に出せてしまうのでちょっと感動した。いや身体に悪そうだけどさ、まぁアメリカーナの醍醐味ということで一度くらいはね。さあ土曜日にはこちらを出発してLAだ!がんばるぞ!
☆ミックスナッツ 大2
☆パルメザンチーズ 大1弱
☆オイル 小1弱(好みのオイルで。わたしは胡麻油をよく使います)
☆砂糖 小1
☆塩 小1/2 (これも好みのお塩で。わたしはガーリックソルトを使います)
☆酢 小1(くどいですが好みのお酢で。レモン汁でもいいし、ワインビネガーやバルサミコでもいけます。わたしは味をみながら何種類か混ぜます。)
☆黒こしょう 少々
①レタスは粗めの千切りにする。
②レタスをオイルで和える。トスするように。
③お砂糖を全体にまぶして、またトス。
④塩、酢、胡椒、パルメザンをそれぞれまぶしてトスの繰り返し。
⑤ミックスナッツを粗く刻んで最後にぱらりと。
ポーチドエッグを乗せておいしくないわけがないよね、ということでこちらもご紹介。ポーチドエッグは見た目によらず簡単で、たっぷりめのお湯をぐつぐつ湧かしてお酢を小さじ1くらい入れて火を弱め、お玉でうずを作った中にお椀等に割った卵をそっと流し込んで、お箸等で白身の広がりを抑えて2分半。またはマグカップにお水(1cmくらい)とお酢少々を入れた中に卵を静かに割り落とし、爆発防止に黄身に竹串などで穴をあけてレンジで約50秒。写真はレンジバージョン(お湯で作った方が白身と黄身の食感のコントラストが楽しめます)。
あとは、そうだな、お砂糖を少し控えめにしてドライクランベリーを刻んで入れたのもおいしかった。なんといってもベリー、ナッツ、チーズの組み合わせは最強なのだ。ちなみに写真の木のボウルは日本のもので、そのままボウルで和えてテーブルに出せるのでお気に入り。日本に帰ったらまた木の器を買おう、そうしよう。料理というのは不思議なもので、なんだかんだでいろいろ作って食べてたら元気が回復して、無事に書き直しの第一稿が出発前に仕上がりそうだ(というかいっそ単に栄養が足りてなかっただけかもしれない気すらしてきた)。
PJ withdrawalというのは言い得て妙なものだ。たしかにBaton Rougeにきて10ヶ月(ここに来たのが8月の頭、初めてPJに会ったのが8月の半ばなので)、ほぼずっと隣にPJがいたわけで、学校の忙しさがピークのときなど、ほっといてちょうだいよ!という風にもなったわけだが、初めてこうやって離れてみると、わたしにとってBaton Rouge=PJだったんだなぁ、などとつくづく実感する。夏のBaton Rougeの暑さというのは想像を絶したもので、3月半ば以降長袖というものにはついぞご縁がないし、湿度は常に80%以上、しかも街の北部にはけっこうたくさんのchemical plantがあるのでBaton Rougeの空気は全米で1、2を争う汚さなのだが、湿気のせいでその空気の汚れがますます強く感じられる。友人等はBaton Rougeをthe filthiest town in the nationなどと罵るし、けっこう多くの人がこの暑さに耐えられず街を脱出する(アングロサクソンの人々の気温の感じ方は明らかに我々とは違うようで、たぶん体感温度が4から5℃くらい違う)。が、相変わらずわたしはこの暑さが大好きで、喫茶店の外の席であつーあつーと言って汗をかきながら読書に励んでいた…わけなのだが、ここ2日ほどはBaton Rougeなんてなにさ、もう知らない、みたいな気分なのだ。
それに加えて、いま書いている論文もまた思い切り暗い。Willa Catherはアメリカ南西部を舞台にしたMy AntoniaとかO Pioneers!で有名な20世紀初頭の作家なのだが、70年代以降(いやほんと60年代、70年代というのはこういう時代なんだな)レズビアンであることが「発見」されて、それ以来彼女の作品にはセクシュアリティ分析が大きなジャンルとして加わっている。しばしば問題とされるのは彼女が一貫して自分のセクシュアリティについて沈黙を守り続けていたことで、Catherが遺書の中で自分がこれまで書いた手紙の一切を後の研究者が引用することを禁じ、またgross indecency trialで裁かれたOscar Wildeを酷評したことなどから、彼女はある種のhomophobiaを内面化していたという風に論じられることが多い。
わたしが今扱っているThe Professor's Houseというのは1925年の作品なのだが、主人公のProfessor St. Peterは彼の死んだ生徒であるTom Outlandに対する尋常ならぬ思い入れとともに、小さな書斎に閉じこもって家族とのかかわりを断っている人物である。この書斎はどうみてもclosetだよね、という印象からわたしの論は始まっているのだけれど、ただしわたしはSt. Peterのセクシュアリティを抑圧されたhomosexualityとして捉えるのではなく、closetの中に閉じこもり、melancholicに失われた対象と同一化することで得られるある種のautoeroticismであると論じて、Catherのセクシュアリティに関する沈黙と彼女の"the thing not named" ("The Novel Démublé"という彼女のエッセイに出てくるフレーズで、これまたしばしば"The love that dare not speak its name" というhomosexualityのcodewordに結びつけられる)に対するこだわりを、20世紀のhomo/hetero binaryのディスコースと性解放のディスコースに参加することに対する抵抗として読んでいるわけだが、このmelencholia分析のおかげでわたしはいまちょっとばかり心理的にやられているのかもしれない。すべてのペーパーというのは自分にとってなんらかの意味でpersonalなものなわけで、だからこそ研究がやめられないのだから、ある意味ではこの状況を楽しんでいるといえば楽しんでいるのだけど。しかしなぁ。
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そんなわけであまりずっと論文だけに係っていてもよくないな、と思い、ケーキを焼いてみた。気づけばチョイスはPJの大好きなRaspberry chocolate cake…ううむこの心理状況はPJの不在に関わるメランコリーだということなのだろうか。まぁ、そう考えたほうが気分がよいので、それはそれでよしとしよう。久々のうだうだポストだが、お味の方はばっちりなのでご安心を(実際これを食べたら少し元気になったので、いまからまたペーパーに戻れる)!ついでにこれと似たレシピでチョコスフレも作ったのだけど、それはまた今度紹介することに。[Raspberry Chocolate Cakeのレシピ(18cm丸形)]
☆Raspberry 1パック(180gくらい。ケーキ用の120gとソース用の60gにわけておく。ちょうど季節なのでフレッシュを使ったが、冷凍でもいい)☆製菓用チョコレート(カカオ分65%くらいのもの)180g
☆発酵バター 140g
☆グラニュー糖 145g(ケーキ用の50gとメレンゲ用の70gとソース用の25gにわけておく。めんどくさくてすみません)
☆小麦粉 20g
☆卵黄 60g (約4個分)
☆卵白 180g (約4個分:冷凍庫でまわりがすこし凍るくらい冷やしておくと安定したメレンゲになる)
☆レモン汁 小1
①チョコレートは刻んで(わたしが使っているのはすでに小さなチップになっているものなのでこの必要はなし)バターも小さくして溶けやすいようにする。
②ボウルに①を入れて、湯煎にかけて完全に溶かす。40℃くらいになったら火から下ろす。この間、型にオーブンペーパーを敷いておく。底は丸く切って敷き込み、まわりにはぐるっと巡らす。けっこうべったりくっつきがちなのでこれを怠ると型から抜けない。
③グラニュー糖50gを入れてよく混ぜる。その後卵黄、またよく混ぜる。さらに小麦粉をふるい入れて、またよく混ぜる。このあたりは手早く。
④メレンゲをしっかりめに立てる。卵白に70gのグラニュー糖のうちひとつまみを加えてハンドミキサーの高速で泡立てる。しっかり泡立ったら(いわゆる「お辞儀をするくらい」の固さ)残りの70gを3回にわけて入れて、その都度しっかり泡立てて、最後に低速できめを整える。最終的にはすこしすくいあげて逆さにした時に落ちてこないくらいの固さにする。
⑤③に④とラズベリー120gを加え、ゴムベラでさっくりと混ぜ合わせていく。色が均一になったらOK。
⑥用意した型に⑤をゆっくりと入れる。180℃で45分から50分焼いて、冷めたら型から出す。チョコレート系のお菓子全般に言えることだけれど、焼いた当日は味が馴染まないのであまり美味しくありません。翌日ないし翌々日にめしあがれ。
⑦そのままでもよいのだけれど、ソースをかけるともっと美味しい。ソースは小鍋にラズベリー60gと砂糖25g(要はベリーの40%の砂糖ということ)をいれて軽く混ぜ合わせ、弱火にかけてコトコト約5分(ベリーの形を残したい場合は煮ている間あまり混ぜないこと。水分が自然に出てくるので焦げることはない)。様子をみていい感じになっていたら最後にレモンを加える。生クリームを泡立ててそこにたらしてケーキと一緒に食べればさらに美味しいし、アイスやヨーグルトにかけて食べてもおいしい。ちなみにブルーベリーでも同じ要領で作れます。
BRを発つまで残りあとわずかなのであまった生クリームを使う暇もないかな、と思い、おそるおそる写真のスプレー缶入りのクリームを使ってみた。添加物などを気にする向きの方々にはおすすめできないけれど(実際賞味期限の長さにどん引きしなくもない…)いやはや簡単便利に負けました。いつもコーヒーショップとかで店員さんがもしゃーっとフラペチーノ的なものにかけるのをみて興味津々だったのが(ちなみにSt. Augustineで食べたKey lime pieの写真のクリームもこれだったし、テレビドラマなんかで女の子達が夜中にこれをそのまま缶から飲むように食べるのも目にする。もちろんポルノでは…あとは説明は不要ですね)、使ってみるとバラの口金で絞ったようなクリームが簡単に出せてしまうのでちょっと感動した。いや身体に悪そうだけどさ、まぁアメリカーナの醍醐味ということで一度くらいはね。さあ土曜日にはこちらを出発してLAだ!がんばるぞ!
※追記※
出発前に冷蔵庫の野菜を全部食べなければいけないので、さて大量のromaine lettuce(こっちではこれがとても安い。3個パックで$2くらい)をどうやって食べようかなと思い、シンプルなレタスのサラダを作ってみた。ただちぎって市販のドレッシングをかけたり、茹でてオイスターソースとマヨネーズで和えたりと、いろいろ食べ方はあって、どれも手軽でお気に入りなのだけど、この食べ方も簡単でけっこうおいしかったので、覚え書き。もちろん普通のレタスやキャベツなどでもできますが、それぞれひとつ使うとromaineよりだいぶ葉っぱの分量が増えるので、様子をみながら加減してください。いつものサラダレシピのとおり、材料と分量は適当なので、とにかく手近にあるもので。[Simple romaine lettuce salad]
☆romaine lettuce 1株☆ミックスナッツ 大2
☆パルメザンチーズ 大1弱
☆オイル 小1弱(好みのオイルで。わたしは胡麻油をよく使います)
☆砂糖 小1
☆塩 小1/2 (これも好みのお塩で。わたしはガーリックソルトを使います)
☆酢 小1(くどいですが好みのお酢で。レモン汁でもいいし、ワインビネガーやバルサミコでもいけます。わたしは味をみながら何種類か混ぜます。)
☆黒こしょう 少々
①レタスは粗めの千切りにする。
②レタスをオイルで和える。トスするように。
③お砂糖を全体にまぶして、またトス。
④塩、酢、胡椒、パルメザンをそれぞれまぶしてトスの繰り返し。
⑤ミックスナッツを粗く刻んで最後にぱらりと。
ポーチドエッグを乗せておいしくないわけがないよね、ということでこちらもご紹介。ポーチドエッグは見た目によらず簡単で、たっぷりめのお湯をぐつぐつ湧かしてお酢を小さじ1くらい入れて火を弱め、お玉でうずを作った中にお椀等に割った卵をそっと流し込んで、お箸等で白身の広がりを抑えて2分半。またはマグカップにお水(1cmくらい)とお酢少々を入れた中に卵を静かに割り落とし、爆発防止に黄身に竹串などで穴をあけてレンジで約50秒。写真はレンジバージョン(お湯で作った方が白身と黄身の食感のコントラストが楽しめます)。
あとは、そうだな、お砂糖を少し控えめにしてドライクランベリーを刻んで入れたのもおいしかった。なんといってもベリー、ナッツ、チーズの組み合わせは最強なのだ。ちなみに写真の木のボウルは日本のもので、そのままボウルで和えてテーブルに出せるのでお気に入り。日本に帰ったらまた木の器を買おう、そうしよう。料理というのは不思議なもので、なんだかんだでいろいろ作って食べてたら元気が回復して、無事に書き直しの第一稿が出発前に仕上がりそうだ(というかいっそ単に栄養が足りてなかっただけかもしれない気すらしてきた)。
2011年6月13日月曜日
Hangover and Tomato Basil Soup
はやいものでPJがNew Mexicoに発ってからもう10日が経つ。8月の末までPJと彼の犬のFootieはAlbuquerque(アルバカーキと読む)で避暑の予定なのである。最高気温だけみるとNew Mexicoだって90°F以上なのでたいしてBRと違わないようなのだが、なにせ湿度が80%超えのBRに対してAlbuquerqueは4%。自然発火で山火事が起こるくらいの乾燥具合で、PJはNMに入った途端にあまりの乾燥で鼻血が出たという。しかし湿度が低いということは太陽が沈めばちゃんと涼しくなるということだし、日中も汗をじっとりかく暑さではないので快適とのこと。Footieは今年で13歳なのだが、Boston生まれのFresno(Californiaにある小さな街で夏場でも涼しい)育ちのFooはBRの気候に完全に参っていて、加齢に加えてこの暑さで夜は10分歩くこともできないし、ポーチの階段を昇ることもときには出来なかったのだが、いまはAlbuquerqueの公園で元気に走り回っているとのこと。ほんとうによかった。
長らく会えない(8月の頭にわたしがNew Mexicoに行くことになっているので6月と7月のまる2ヶ月だ)ということもあって、学期が終わってからPJの出発前のおよそ3週間はほぼ毎日のように会っていたので、しばらくは真面目に机に向かう時間もなかった(いやカウチやビーチでで本読んだりはしたけどさ)。しかし今月18日にはわたしもBRを出てLAで一週間を友人と過ごし、その後東京で三週間滞在すると考えると、PJの出発からわたしの出発までのこの二週間は勉強に集中できる貴重な時間、ということになるので、ここ最近は久々に勉強に精を出していた。実はうれしいことに、先学期は3つとっていた授業で出したペーパーがどれも好評で、それぞれ教授から出版に向けての書き直しを勧められたのだった。どのペーパーも楽しんで書けたものだったので本当に本当にうれしかったのだけれど、3本すべて書き直すわけにはいかないので今は一番気に入っている、Sexualityの授業で書いたWilla CatherのThe Professor's Houseに関するペーパーを鋭意書き直し中である。それぞれのペーパーについてと、それから新しく始めたblog「あたいの読書録」(といってもほとんどノート代わりの備忘録なので他のひとが読んでもちっともおもしろくないと思う)についてもいつか書きたいのだけど、長くなりそうなので今日は別の話。
そんなわけで6月3日から昨日まで毎日、朝起きてごはんをつくって、図書館かカフェに行ってリーディングをして、帰ってごはんを食べてライティングをして、ステッパーでyoutubeみながら20分くらいエクササイズをしてお風呂にはいって寝る、という、ある意味ではわたしにとって夢のような生活を毎日していたのだけど、やはりここは南部、そうした生活をずっと続けるのは許されないというか、「なにやってんだよ」ということになる。金曜日に喫茶店で読書していたら友人に声をかけられ、「もうBRにいないんだと思ってたのに、勉強してるの。夏休みなのにえらいなぁ、PJがいなくてさみしいんじゃないの?」みたいなことを言われたので、うーんそうだね、たしかにちょっとさみしいかも、と笑っていったら案の定というかなんというか、週末の三夜連続でパーティあるいはごはんの誘いがあったので、最初は断っていたのだが根負けして日曜の夜、少し息抜きに夕ご飯を友人達と食べに行った。
Truckstopに行ったことある?という風に聞かれて、なにそれ、という感じだったのだけれど、その名のとおりtruck stopとは長距離トラックの休憩所みたいなもので、アメリカ中のインターステートの周りに散在する、「シャワーの浴びられるレストラン」みたいなところである(ベッドがある場合もあるが、トラックドライバーは大抵自分のトラックで寝るらしい)。60年代くらいから70年代にかけてトラックは昔のカウボーイみたいなアメリカン・スピリットのロマンを担うことになったらしく、いまでもトラック野郎というのは現代のカウボーイと呼ばれることもあるらしい。そんなわけでtruckstopというのはある意味ではアメリカ魂のふるさととも言えるらしく、そして南部の場合、実は一番おいしい南部料理はtruckstopで食べられる、とまで言われることがあるほど、料理がわりと充実している。実際Port Allenという、Baton Rougeからミシシッピを渡って10分くらいの町にあるCash's Casinoという店のチキンカツレツ(なんて言うんだったけなぁ、チキンを叩いて薄ーくして、衣をつけてカリカリに揚げてグレイヴィーソースをかけたもの)とred beans and riceは涙もののうまさだった。
と、そこまではよかったのだが、その後気づいたら友人が作ったMint jurep(南部名物のカクテルでモヒートMojitみたいなものなのだが、Cubaの発祥Mojitはライムジュースにシロップとミント、炭酸でホワイトラムを割ったもので、Mint jurepは炭酸とラム抜きのバーボン入り)をいい気分で飲んでいた。もともとほとんどお酒は飲めないし、周りの人々もそれはよく知っているので(暑いのに耐えられる体質と同様、いつもの「そうか…アジアの遺伝子か」というジョークまじりの粗い理解で受け止められている)ほとんどvirgin mojito(virginで作ってくれ、というのはアルコール分を入れないでくれ、ということなのだ)に近い感じだったのだけど、久々に飲んだからというのと、ここ最近あまりに健康的な生活をしすぎていてチキンカツレツの脂にやられていたからか、ほとんどあり得ないくらいにべろんべろんになってしまった。なにが恐ろしいってどんなに酔っても英語でしゃべらなければいけないので、なんか軽く地獄をみた(それでもコミュニケーションがとれていたことがありがたくてうれし泣きをして友人が驚いていた。あとで聞いたら、Kristevaにおける、言語が喪失の代替となる論がいかに正しいかがこういう言語を失いそうな状況でよくわかる、とかわけわかんないことを言っていたらしい。一生の恥である)。現在翌日の午後4時を回っているがいまだに二日酔いが抜けない。そんなわけでこのポストは言葉がろくに出てこない状態から勉強モードに戻るためのブリッジだったのである。
☆たまねぎ 1個
☆にんにく 4かけ
☆バジル 1パック (先日行ったfarmer's marketのバジルが余っていたのでそれを使った。日本同様バジルはけっこう高いので、もしなければないでトマトクリームスープにしても十分美味しい。あるいはドライバジルを野菜をローストするときにハーブと一緒に混ぜ込んでも)
☆ベジタブルブロス 2.5カップ (ブロスがなければ野菜スープのもとを水に溶かしても。チキンスープやビーフブイヨンでも可。要はスープのベースならばなんでも可。)
☆生クリーム 100cc (あったほうがトマトの酸味が丸くなって好きだけれど、なくても可。また、牛乳とのhalf and half、あるいは牛乳でも可)
☆ハーブミックス (Herb de Provanceというのを使っているけれど、ドライハーブならほぼなんでもいい。わたしはローズマリーを大目にいれた)
☆オリーブオイル 大1から2(野菜にまんべんなく絡まる量)
☆塩胡椒 小1から2(ブロスの塩加減による)
①トマトは大きめの櫛切り(ミニトマトは二つ割)、玉ねぎは大きめの半月切り、にんにくは二つ割、バジルは大きめにちぎって、オリーブオイルをよく絡め(コーティングするようにまんべんなく行き渡らせる)、さらに塩こしょう、ドライハーブを全体にまぶす。
②①を耐熱皿(わたしは深めのバットを使っている)に入れて200℃に熱したオーブンで約30分から40分。途中で色を確認しながら、ちょっと焦げ目がついたかな、くらいのところで火を止めてオーブンから出す。
③鍋にブロスを湧かす。
④②をフードプロセッサーまたはミキサーにかけて滑らかなピューレにする。30秒くらい?
⑤ブロスに④を加え、ゆっくりかき混ぜる。均一になるまで。
⑥火を弱め(消してもいい)、クリームをゆっくり加え、さらに混ぜる。
⑦好みでざるなどで漉せばさらに滑らかになるが、濾さなくてもこれでもう食べられる。ドライあるいはフレッシュバジルを浮き実にして召し上がれ(写真はぐらぐらの状態でとったので浮き実などはもちろん忘れている)。ちなみに冷やしてもおいしい。
二日酔いの乾いた口(cotton mouthという。綿を食べたみたいに口がカラカラだから。アルコールだけじゃなくてドラッグや極度の不安による口の乾きもこう呼ぶ)に沁みるレシピである。ポイントは野菜を炒めるのではなくてオーブンでローストすること。高温でローストした野菜のうまみというのはなににも代え難い調味料だ。ちなみに日本だとオーブン料理はなぜか敷居が高い印象だと思うのだけれど、アメリカは冷凍食品文化なこともあって、どんなに料理をしない子でもオーブンは電子レンジ感覚で使う。そしてどんな家にも電子レンジはなくてもオーブンはデフォルトでついてくる。さて、料理の後でこれを書いていたらだいぶ回復したのでこれから図書館に行って本借りてこなきゃ…ああ、一生の不覚。
長らく会えない(8月の頭にわたしがNew Mexicoに行くことになっているので6月と7月のまる2ヶ月だ)ということもあって、学期が終わってからPJの出発前のおよそ3週間はほぼ毎日のように会っていたので、しばらくは真面目に机に向かう時間もなかった(いやカウチやビーチでで本読んだりはしたけどさ)。しかし今月18日にはわたしもBRを出てLAで一週間を友人と過ごし、その後東京で三週間滞在すると考えると、PJの出発からわたしの出発までのこの二週間は勉強に集中できる貴重な時間、ということになるので、ここ最近は久々に勉強に精を出していた。実はうれしいことに、先学期は3つとっていた授業で出したペーパーがどれも好評で、それぞれ教授から出版に向けての書き直しを勧められたのだった。どのペーパーも楽しんで書けたものだったので本当に本当にうれしかったのだけれど、3本すべて書き直すわけにはいかないので今は一番気に入っている、Sexualityの授業で書いたWilla CatherのThe Professor's Houseに関するペーパーを鋭意書き直し中である。それぞれのペーパーについてと、それから新しく始めたblog「あたいの読書録」(といってもほとんどノート代わりの備忘録なので他のひとが読んでもちっともおもしろくないと思う)についてもいつか書きたいのだけど、長くなりそうなので今日は別の話。
そんなわけで6月3日から昨日まで毎日、朝起きてごはんをつくって、図書館かカフェに行ってリーディングをして、帰ってごはんを食べてライティングをして、ステッパーでyoutubeみながら20分くらいエクササイズをしてお風呂にはいって寝る、という、ある意味ではわたしにとって夢のような生活を毎日していたのだけど、やはりここは南部、そうした生活をずっと続けるのは許されないというか、「なにやってんだよ」ということになる。金曜日に喫茶店で読書していたら友人に声をかけられ、「もうBRにいないんだと思ってたのに、勉強してるの。夏休みなのにえらいなぁ、PJがいなくてさみしいんじゃないの?」みたいなことを言われたので、うーんそうだね、たしかにちょっとさみしいかも、と笑っていったら案の定というかなんというか、週末の三夜連続でパーティあるいはごはんの誘いがあったので、最初は断っていたのだが根負けして日曜の夜、少し息抜きに夕ご飯を友人達と食べに行った。
Truckstopに行ったことある?という風に聞かれて、なにそれ、という感じだったのだけれど、その名のとおりtruck stopとは長距離トラックの休憩所みたいなもので、アメリカ中のインターステートの周りに散在する、「シャワーの浴びられるレストラン」みたいなところである(ベッドがある場合もあるが、トラックドライバーは大抵自分のトラックで寝るらしい)。60年代くらいから70年代にかけてトラックは昔のカウボーイみたいなアメリカン・スピリットのロマンを担うことになったらしく、いまでもトラック野郎というのは現代のカウボーイと呼ばれることもあるらしい。そんなわけでtruckstopというのはある意味ではアメリカ魂のふるさととも言えるらしく、そして南部の場合、実は一番おいしい南部料理はtruckstopで食べられる、とまで言われることがあるほど、料理がわりと充実している。実際Port Allenという、Baton Rougeからミシシッピを渡って10分くらいの町にあるCash's Casinoという店のチキンカツレツ(なんて言うんだったけなぁ、チキンを叩いて薄ーくして、衣をつけてカリカリに揚げてグレイヴィーソースをかけたもの)とred beans and riceは涙もののうまさだった。
と、そこまではよかったのだが、その後気づいたら友人が作ったMint jurep(南部名物のカクテルでモヒートMojitみたいなものなのだが、Cubaの発祥Mojitはライムジュースにシロップとミント、炭酸でホワイトラムを割ったもので、Mint jurepは炭酸とラム抜きのバーボン入り)をいい気分で飲んでいた。もともとほとんどお酒は飲めないし、周りの人々もそれはよく知っているので(暑いのに耐えられる体質と同様、いつもの「そうか…アジアの遺伝子か」というジョークまじりの粗い理解で受け止められている)ほとんどvirgin mojito(virginで作ってくれ、というのはアルコール分を入れないでくれ、ということなのだ)に近い感じだったのだけど、久々に飲んだからというのと、ここ最近あまりに健康的な生活をしすぎていてチキンカツレツの脂にやられていたからか、ほとんどあり得ないくらいにべろんべろんになってしまった。なにが恐ろしいってどんなに酔っても英語でしゃべらなければいけないので、なんか軽く地獄をみた(それでもコミュニケーションがとれていたことがありがたくてうれし泣きをして友人が驚いていた。あとで聞いたら、Kristevaにおける、言語が喪失の代替となる論がいかに正しいかがこういう言語を失いそうな状況でよくわかる、とかわけわかんないことを言っていたらしい。一生の恥である)。現在翌日の午後4時を回っているがいまだに二日酔いが抜けない。そんなわけでこのポストは言葉がろくに出てこない状態から勉強モードに戻るためのブリッジだったのである。
***
さて、なんとかこの状況を脱するために、二日酔いに優しいスープを作った。これまた料理好きのHのレシピをすこしアレンジしたものなのだけど、単なるスープといって侮ってはいけない。ほ ん と う に おいしいのだ。アメリカはスープの国なので、キャンベルをはじめ、いろいろなメーカーが出来合いのスープを缶やパックで出していて、tomato basil soupは中でもわたしのお気に入りなのだけれど、この手作りのtomato basil cream soupはやはり段違いのうまさである。[Tomato basil cream soupのレシピ]
☆トマト 4-5個 (こちらではroman tomatoという細長くて水分の少なめのトマトがあるのでそれを3つと余っていたミニトマトを使った。普通のトマトでも出来るとおもうのだけど、あまりじゅくじゅくに熟していないトマトのほうがよいと思う)☆たまねぎ 1個
☆にんにく 4かけ
☆バジル 1パック (先日行ったfarmer's marketのバジルが余っていたのでそれを使った。日本同様バジルはけっこう高いので、もしなければないでトマトクリームスープにしても十分美味しい。あるいはドライバジルを野菜をローストするときにハーブと一緒に混ぜ込んでも)
☆ベジタブルブロス 2.5カップ (ブロスがなければ野菜スープのもとを水に溶かしても。チキンスープやビーフブイヨンでも可。要はスープのベースならばなんでも可。)
☆生クリーム 100cc (あったほうがトマトの酸味が丸くなって好きだけれど、なくても可。また、牛乳とのhalf and half、あるいは牛乳でも可)
☆ハーブミックス (Herb de Provanceというのを使っているけれど、ドライハーブならほぼなんでもいい。わたしはローズマリーを大目にいれた)
☆オリーブオイル 大1から2(野菜にまんべんなく絡まる量)
☆塩胡椒 小1から2(ブロスの塩加減による)
①トマトは大きめの櫛切り(ミニトマトは二つ割)、玉ねぎは大きめの半月切り、にんにくは二つ割、バジルは大きめにちぎって、オリーブオイルをよく絡め(コーティングするようにまんべんなく行き渡らせる)、さらに塩こしょう、ドライハーブを全体にまぶす。
②①を耐熱皿(わたしは深めのバットを使っている)に入れて200℃に熱したオーブンで約30分から40分。途中で色を確認しながら、ちょっと焦げ目がついたかな、くらいのところで火を止めてオーブンから出す。
③鍋にブロスを湧かす。
④②をフードプロセッサーまたはミキサーにかけて滑らかなピューレにする。30秒くらい?
⑤ブロスに④を加え、ゆっくりかき混ぜる。均一になるまで。
⑥火を弱め(消してもいい)、クリームをゆっくり加え、さらに混ぜる。
⑦好みでざるなどで漉せばさらに滑らかになるが、濾さなくてもこれでもう食べられる。ドライあるいはフレッシュバジルを浮き実にして召し上がれ(写真はぐらぐらの状態でとったので浮き実などはもちろん忘れている)。ちなみに冷やしてもおいしい。
二日酔いの乾いた口(cotton mouthという。綿を食べたみたいに口がカラカラだから。アルコールだけじゃなくてドラッグや極度の不安による口の乾きもこう呼ぶ)に沁みるレシピである。ポイントは野菜を炒めるのではなくてオーブンでローストすること。高温でローストした野菜のうまみというのはなににも代え難い調味料だ。ちなみに日本だとオーブン料理はなぜか敷居が高い印象だと思うのだけれど、アメリカは冷凍食品文化なこともあって、どんなに料理をしない子でもオーブンは電子レンジ感覚で使う。そしてどんな家にも電子レンジはなくてもオーブンはデフォルトでついてくる。さて、料理の後でこれを書いていたらだいぶ回復したのでこれから図書館に行って本借りてこなきゃ…ああ、一生の不覚。
2011年6月6日月曜日
St. Augustine, FL
話は前後するが、Memorial Dayの前の週にFloridaのSt. Augustineという街に行ってきた。前学期でGeorgiaに帰ってしまったPJの旧ルームメイトのAの家族がSt. Augustineにビーチハウスを持っているということで、ファイナルズが忙しくてお別れもろくろく出来なかったわたしとPJをAが招いてくれたのだった。FloridaといってもSt. Augustineは半島の付け根の大西洋側、Baton Rougeから真東くらいに位置する。MiamiやKey Westからは車で12時間くらいあるので到底そこまでは行けなかったが、Florida「北部」とはいえ十分に南なのでもちろん暑い。お気に入りのワンピースに麦わら帽子、それから小さなスーツケースを持ってうきうきと飛行機に乗り込んだ。アメリカで初めてのバケーションである。
St. Augustineは大西洋に面したビーチなのだが(そして実際ゴーグルをしてたっぷり泳いで真っ黒に日焼けしたのだが)、なにより特筆すべきはこの街がアメリカ本土に現存する最古のヨーロッパ植民都市だということだ。湾にかかった橋を車で渡ると、写真上のようなヨーロッパ風の建物が現れる。St. Augustineの歴史は波乱に満ちている。街は1565年、他の多くのFloridaの街同様、Seminole Indianを制圧したスペインの入植者により創設され、フランス、イギリスのプロテスタント軍(それからカリブの海賊!)による攻撃を受けつつ、約2世紀に渡りカソリックであるスペインによる統治が行われた。が、1763年にthe French Indian War (イギリス軍対フランス=ネイティブアメリカン連合軍の戦争で、フランス連合軍はイギリス軍に大敗を喫する)が終結し、Treaty of Parisが締結されて大規模な植民地改変が行われると、Floridaはイギリス領となる。ただしこのイギリス統治は大変に短命で、1775年に始まり1783年に終結したアメリカ独立戦争の結果、再びFloridaはスペイン領となる。Floridaがついにアメリカ領となるのは1821年だが、Civil War(南北戦争ですね)ではFloridaは南軍(嗚呼 我らがConfederate!)に与し、連邦を脱退。最終的にSt. AugustineがUSAの一員となったのは1865年、南北戦争終結時のことである。19世紀末になると写真のFlagler College(そうなのだ、大学なのだ、この美しい建物は)を建てたHenry Flaglerというアメリカ人tycoonによって鉄道が敷設され、St. Augustineは現在のリゾート地への道を歩むことになる。そうかなるほどありがとうWiki。勉強になりました。
1695 年にスペインによって作られたCastillo de San Marcosという海に面した砦はcoquinaという貝殻を合わせた石灰岩の一種で出来ていて、今でも中に入って見学することができるのだが、St. Augustineの波乱の歴史を示すように砦内部には写真のように、アメリカ国旗の他にConfederateの旗(嗚呼我らがFlags in the Dust!)、スペイン国旗、イギリス国旗などが飾られている。ちなみに砦では一日一回大砲の実演が行われて(ただし玉自体はもちろん出さない)、私たちが行った時は海に浮かんだ自家用ボートからそれを見学する人々もいて、大砲が轟音をあげて火花を散らすと、ボートに乗った子供が打たれたふりをしてドラマティックに胸を抑えて後ろ向きに海に落ちてみせて見学者の歓声ををかっさらっていった。
St. Augustine市内は、はて、どういったらいいか、このブログの写真がとても参考になるのだけど、「アメリカなのにヨーロッパ」というキャッチフレーズが実にぴったりくる街である。メルヘンだ。乙女だ。はじめに街に行った時は夕暮れだったので思わず目が♥になった。が、週末の日中に来てみると、京都は新京極を思わせる観光地ぶりが否定できなくもない(怪しげなガラス細工の店とかあるしね)。New Orleansにもすこし通じるところはあるのだけれど、なにかが違うんだよな、と思ったのは、あの猥雑さがないことで、なんというか生活臭がないのだ。ある意味ではSt. AugustineはNew Orleansよりも徹底したリゾート地で、穿った見方をすればアメリカ人のヨーロッパコンプレックスみたいなものをうまく刺激するように作られている…と言えなくもない。いやもちろん古くていい街並みなのだけど。そして人々がリラックスムード満点でフラヌールごっこをしているのは癒されるといえば癒されるのだけど。でも人と店が多すぎて疲れたというのが実は正直なところでもある。
しかし、ごはんはうまうまである。もちろんリゾート地だからということもあるのだろうけれど、どうも理由はそれだけではないらしい。Floridaは全米一居住者の平均年齢が高い州なのだけど、それはなぜかというと常夏のこの州がretireの先に選ばれるからで、St. Augustineには全米でレストランを経営していた人々がretireして新たに店を出しているとかいないとかでよいレストランが豊富にある(逆にいえばretireして生活費の高いFloridaに店を出せるくらい成功した人々の店ばかりがある)。スペイン料理のお店、リヨン料理のお店、キューバ料理のお店(FloridaのLatino率の高さ、とりわけCubano率の高さには目を見張るものがある。もちろん聞こえてくるアクセントもLouisianaとは全く違う)などなど入ったレストランは大抵おいしかったのだけど(中には観光地らしいレストランもあったけど)、中でもお気に入りはその名もFoloridianというカフェレストランのようなところで、すべて地産のシーフードと野菜を使ったFlorida料理を出してくれる。特に印象的だったのは写真のFried Green Tomato。その名のとおり熟す前のトマトを揚げたものなのだけど、Florida名物と聞いてはいたが、いやほんとにおいしかった。
そんなわけで再現レシピを書いておこう。ただし今回はフィリング作りであまった卵白を使いたかったのでトッピングとしてメレンゲを載せて焼いたのと、伝統的なグラハムクラストのカロリーに恐れをなしたのでくるみのショートブレッド風クラストを使ったのが正統的なレシピとの違いです、あしからず。
☆グラハムクラッカー 150g
☆バター 75g (わたしは塩味の甘味に弱いので有塩と無塩を混ぜたが、もちろん無塩でも。レンジなどで溶かしておく)
☆ブラウンシュガー 大1
☆塩 少々
または
★くるみのショートブレッドクラスト
☆薄力粉 70g
☆バター 35g (ちいさなキューブにしてよく冷やす。冷凍庫にいれても。)
☆くるみ 35g
☆ブラウンシュガー 20g
☆塩 少々
★フィリング
☆ライム果汁 120cc (ライム5個あるいはキーライム10個くらい)
☆ライムの皮のすりおろし 小2(緑の部分だけ。白い部分は苦い。)
☆コンデンスミルク 250cc(こちらでは14oz缶というのが売っていて、それの2/3くらい)
☆卵黄 3個分
★トッピング
☆卵白 3個分 (よく冷やしておく、冷凍庫で少し回りが凍るくらい)
☆砂糖 70g
☆ライム果汁 10cc (普通はレモン汁だが今回はフィリング分のライム果汁からすこし取り分けておく)
①クラストから作る。伝統的なグラハムクラスト(これも作ったがやはり背徳的でおいしかった)の場合、グラハムクラッカーをフードプロセッサーにかけて、粉状になったらブラウンシュガーと塩を入れてさらに混ぜる。混ざったら溶かしバターを加えてまたFPで混ぜる。ショートブレッドクラストの場合はすべての材料をFPに一気にいれて10秒ほど混ぜる。バターがお米くらいの大きさになるまで。
②①を20cmのタルト皿に敷き詰める。砂の城を作る要領で押し固める。グラハムの場合けっこう根気がいる作業だが童心に帰って楽しむのがコツ。底面はグラスなどで押すとよい。
③180℃(350°F)で15分くらい。焼けたらよく冷ます。グラハムの場合、特に焼きたては固まっていないようで不安だが冷やすと固まるので心配しすぎないこと。
④次はフィリング。卵黄をよく溶いて、コンデンスミルクを加えてよく混ぜる。さらにライム果汁を少しずつ加えて混ぜる。最後にライムの皮のすりおろしをいれてひとまぜ。
⑤③に④を流し込む。180℃で15分。冷蔵庫あるいは冷凍庫などでよく冷やす。メレンゲを載せない場合はこれで終了。トッピングにホイップクリームを載せてもいいし、なにも載せなくてもいい。
⑥最後にメレンゲ。よくよく冷やした卵白にライム果汁と分量の砂糖からひとつまみを加え、ハンドミキサーの低速で軽く全体を混ぜる。卵白がほぐれたら高速にして約4分。砂糖の1/3を加えて30秒を3回繰り返す。メレンゲにつやがでて先がぴんと立つまで。泡立てすぎるとぼそぼそになるので注意。
⑦⑤に⑥をのせていく。デコレーションの仕方は好みだが、真ん中を小高くもるのが基本の様子。スプーンの背で角を立てるのもベーシック。ゴムベラやパレットナイフで模様をつけてもいい。
⑧粉砂糖を少し振りかけて200℃のオーブンで12分くらい。写真はオーブンの温度が高すぎたので角が焦げている。全体が(均一ではなくても)うっすらきつね色になるのが正しいあり方。またよく冷やす。最後にライムの皮を少し削りかけても。
夏にぴったりの爽やかなケーキだと思う。PJの家に泊まる度にモーニングコーヒー(というかエスプレッソ)を入れてくれたAを思い出して今日はコーヒーと食べた。そういえばPJはAのエスプレッソがないと朝のお仕事ができないと嘆いてエスプレッソメーカーを買ったが、やっぱりなにか違うと嘆いていた(…なんの仕事かは想像にお任せしますが、わたしにとっては朝のニコレットがそのお仕事の鍵です)。Georgia出身のAの南部アクセントが理解できなくて、最初は彼がしゃべっているといつもぽかんとしてばかりだったのに、それでも優しく見守ってくれたこと、しばらくしてコミュニケーションがとれるようになったのをとっても喜んでくれたこと、きっと忘れない。1年間、ほんとうにありがとう。Georgiaでの日々が豊かなものでありますように。
St. Augustineは大西洋に面したビーチなのだが(そして実際ゴーグルをしてたっぷり泳いで真っ黒に日焼けしたのだが)、なにより特筆すべきはこの街がアメリカ本土に現存する最古のヨーロッパ植民都市だということだ。湾にかかった橋を車で渡ると、写真上のようなヨーロッパ風の建物が現れる。St. Augustineの歴史は波乱に満ちている。街は1565年、他の多くのFloridaの街同様、Seminole Indianを制圧したスペインの入植者により創設され、フランス、イギリスのプロテスタント軍(それからカリブの海賊!)による攻撃を受けつつ、約2世紀に渡りカソリックであるスペインによる統治が行われた。が、1763年にthe French Indian War (イギリス軍対フランス=ネイティブアメリカン連合軍の戦争で、フランス連合軍はイギリス軍に大敗を喫する)が終結し、Treaty of Parisが締結されて大規模な植民地改変が行われると、Floridaはイギリス領となる。ただしこのイギリス統治は大変に短命で、1775年に始まり1783年に終結したアメリカ独立戦争の結果、再びFloridaはスペイン領となる。Floridaがついにアメリカ領となるのは1821年だが、Civil War(南北戦争ですね)ではFloridaは南軍(嗚呼 我らがConfederate!)に与し、連邦を脱退。最終的にSt. AugustineがUSAの一員となったのは1865年、南北戦争終結時のことである。19世紀末になると写真のFlagler College(そうなのだ、大学なのだ、この美しい建物は)を建てたHenry Flaglerというアメリカ人tycoonによって鉄道が敷設され、St. Augustineは現在のリゾート地への道を歩むことになる。そうかなるほどありがとうWiki。勉強になりました。
1695 年にスペインによって作られたCastillo de San Marcosという海に面した砦はcoquinaという貝殻を合わせた石灰岩の一種で出来ていて、今でも中に入って見学することができるのだが、St. Augustineの波乱の歴史を示すように砦内部には写真のように、アメリカ国旗の他にConfederateの旗(嗚呼我らがFlags in the Dust!)、スペイン国旗、イギリス国旗などが飾られている。ちなみに砦では一日一回大砲の実演が行われて(ただし玉自体はもちろん出さない)、私たちが行った時は海に浮かんだ自家用ボートからそれを見学する人々もいて、大砲が轟音をあげて火花を散らすと、ボートに乗った子供が打たれたふりをしてドラマティックに胸を抑えて後ろ向きに海に落ちてみせて見学者の歓声ををかっさらっていった。
St. Augustine市内は、はて、どういったらいいか、このブログの写真がとても参考になるのだけど、「アメリカなのにヨーロッパ」というキャッチフレーズが実にぴったりくる街である。メルヘンだ。乙女だ。はじめに街に行った時は夕暮れだったので思わず目が♥になった。が、週末の日中に来てみると、京都は新京極を思わせる観光地ぶりが否定できなくもない(怪しげなガラス細工の店とかあるしね)。New Orleansにもすこし通じるところはあるのだけれど、なにかが違うんだよな、と思ったのは、あの猥雑さがないことで、なんというか生活臭がないのだ。ある意味ではSt. AugustineはNew Orleansよりも徹底したリゾート地で、穿った見方をすればアメリカ人のヨーロッパコンプレックスみたいなものをうまく刺激するように作られている…と言えなくもない。いやもちろん古くていい街並みなのだけど。そして人々がリラックスムード満点でフラヌールごっこをしているのは癒されるといえば癒されるのだけど。でも人と店が多すぎて疲れたというのが実は正直なところでもある。
しかし、ごはんはうまうまである。もちろんリゾート地だからということもあるのだろうけれど、どうも理由はそれだけではないらしい。Floridaは全米一居住者の平均年齢が高い州なのだけど、それはなぜかというと常夏のこの州がretireの先に選ばれるからで、St. Augustineには全米でレストランを経営していた人々がretireして新たに店を出しているとかいないとかでよいレストランが豊富にある(逆にいえばretireして生活費の高いFloridaに店を出せるくらい成功した人々の店ばかりがある)。スペイン料理のお店、リヨン料理のお店、キューバ料理のお店(FloridaのLatino率の高さ、とりわけCubano率の高さには目を見張るものがある。もちろん聞こえてくるアクセントもLouisianaとは全く違う)などなど入ったレストランは大抵おいしかったのだけど(中には観光地らしいレストランもあったけど)、中でもお気に入りはその名もFoloridianというカフェレストランのようなところで、すべて地産のシーフードと野菜を使ったFlorida料理を出してくれる。特に印象的だったのは写真のFried Green Tomato。その名のとおり熟す前のトマトを揚げたものなのだけど、Florida名物と聞いてはいたが、いやほんとにおいしかった。
***
FGTの他にもうひとつ、Floridaに来たらどうしても食べたかったものがある。Key lime pieである。Key limeというのはKey West特産の小さなライム(普通のライムの半分くらいのサイズ)で、アメリカでは「キーライムパイ味のガム」「キーライムパイ味のクッキー」「キーライムパイ味のアイス」などがどこのスーパーでも売っているのだけれど、肝心のキーライムパイ自体をわたしは食べたことがなかった。日本の「きゅんと甘酸っぱい恋の味」的な表現による刷り込みなのだろうと思うが(アメリカでは「恋」が「甘酸っぱい」というのはよくわからないらしい。Bittersweetという表現が恋を表すことはあってもSweet and sourというと中華とかタイ料理にしか結びつかない)、わたしはレモンやライム味のお菓子にめっぽう弱い。Vegetarianで極右甘党のAにキーライムパイを食べないとLouisianaに帰れない、と言ったら、なんて、なんてすばらしいミッションなんだ!と興奮しておいしいキーライムパイを一緒に探してくれた(PJは我々の女子的熱狂にひいていた)。夜風にふかれながらAと夢中で食べた、冷たいフィリングにたっぷりのホイップクリームと蜂蜜をかけたkeylime pieはしばらく会えない友達との思い出の味になった。そんなわけで再現レシピを書いておこう。ただし今回はフィリング作りであまった卵白を使いたかったのでトッピングとしてメレンゲを載せて焼いたのと、伝統的なグラハムクラストのカロリーに恐れをなしたのでくるみのショートブレッド風クラストを使ったのが正統的なレシピとの違いです、あしからず。
[Key lime Pieのレシピ]
★グラハムクラスト☆グラハムクラッカー 150g
☆バター 75g (わたしは塩味の甘味に弱いので有塩と無塩を混ぜたが、もちろん無塩でも。レンジなどで溶かしておく)
☆ブラウンシュガー 大1
☆塩 少々
または
★くるみのショートブレッドクラスト
☆薄力粉 70g
☆バター 35g (ちいさなキューブにしてよく冷やす。冷凍庫にいれても。)
☆くるみ 35g
☆ブラウンシュガー 20g
☆塩 少々
★フィリング
☆ライム果汁 120cc (ライム5個あるいはキーライム10個くらい)
☆ライムの皮のすりおろし 小2(緑の部分だけ。白い部分は苦い。)
☆コンデンスミルク 250cc(こちらでは14oz缶というのが売っていて、それの2/3くらい)
☆卵黄 3個分
★トッピング
☆卵白 3個分 (よく冷やしておく、冷凍庫で少し回りが凍るくらい)
☆砂糖 70g
☆ライム果汁 10cc (普通はレモン汁だが今回はフィリング分のライム果汁からすこし取り分けておく)
①クラストから作る。伝統的なグラハムクラスト(これも作ったがやはり背徳的でおいしかった)の場合、グラハムクラッカーをフードプロセッサーにかけて、粉状になったらブラウンシュガーと塩を入れてさらに混ぜる。混ざったら溶かしバターを加えてまたFPで混ぜる。ショートブレッドクラストの場合はすべての材料をFPに一気にいれて10秒ほど混ぜる。バターがお米くらいの大きさになるまで。
②①を20cmのタルト皿に敷き詰める。砂の城を作る要領で押し固める。グラハムの場合けっこう根気がいる作業だが童心に帰って楽しむのがコツ。底面はグラスなどで押すとよい。
③180℃(350°F)で15分くらい。焼けたらよく冷ます。グラハムの場合、特に焼きたては固まっていないようで不安だが冷やすと固まるので心配しすぎないこと。
④次はフィリング。卵黄をよく溶いて、コンデンスミルクを加えてよく混ぜる。さらにライム果汁を少しずつ加えて混ぜる。最後にライムの皮のすりおろしをいれてひとまぜ。
⑤③に④を流し込む。180℃で15分。冷蔵庫あるいは冷凍庫などでよく冷やす。メレンゲを載せない場合はこれで終了。トッピングにホイップクリームを載せてもいいし、なにも載せなくてもいい。
⑥最後にメレンゲ。よくよく冷やした卵白にライム果汁と分量の砂糖からひとつまみを加え、ハンドミキサーの低速で軽く全体を混ぜる。卵白がほぐれたら高速にして約4分。砂糖の1/3を加えて30秒を3回繰り返す。メレンゲにつやがでて先がぴんと立つまで。泡立てすぎるとぼそぼそになるので注意。
⑦⑤に⑥をのせていく。デコレーションの仕方は好みだが、真ん中を小高くもるのが基本の様子。スプーンの背で角を立てるのもベーシック。ゴムベラやパレットナイフで模様をつけてもいい。
⑧粉砂糖を少し振りかけて200℃のオーブンで12分くらい。写真はオーブンの温度が高すぎたので角が焦げている。全体が(均一ではなくても)うっすらきつね色になるのが正しいあり方。またよく冷やす。最後にライムの皮を少し削りかけても。
夏にぴったりの爽やかなケーキだと思う。PJの家に泊まる度にモーニングコーヒー(というかエスプレッソ)を入れてくれたAを思い出して今日はコーヒーと食べた。そういえばPJはAのエスプレッソがないと朝のお仕事ができないと嘆いてエスプレッソメーカーを買ったが、やっぱりなにか違うと嘆いていた(…なんの仕事かは想像にお任せしますが、わたしにとっては朝のニコレットがそのお仕事の鍵です)。Georgia出身のAの南部アクセントが理解できなくて、最初は彼がしゃべっているといつもぽかんとしてばかりだったのに、それでも優しく見守ってくれたこと、しばらくしてコミュニケーションがとれるようになったのをとっても喜んでくれたこと、きっと忘れない。1年間、ほんとうにありがとう。Georgiaでの日々が豊かなものでありますように。
2011年5月31日火曜日
Memorial Day and BBQ
我々大学院生にとってはもう2週間ほど前に夏休みは始まっているのだけれど、多くのアメリカ人にとって「夏休み」シーズンの始まりを告げるのが5月最終週の月曜日、Memorial Dayである。なんのmemorial?というと、うーん、war memorialだね、という答えが返ってきて、なんのwar?というと、うーん、そうだなぁ、最初は南北戦争だったらしいけど、いまはだいたい全部の戦争かなぁ、ということ。なんだか歯切れの悪い返事だが、つまるところ、もともとは戦死者を弔う日だったようだけれど、いまは定義もゆるんで、戦争にいったかどうかに関わらずお墓参りにいったり、久々に家族で会ったり、三連休なので旅行に行ったり、とりあえずアメリカ万歳、夏休み万歳、とみんなで盛り上がる日のようである。アメリカと夏休みを祝うためにかかせないものといえば、そう、バーベキューである。そんなわけでルイジアナの灼熱の太陽のもと(ちなみに日中は100°F、つまり40℃近いわけだったのだが)、自分が焼豚になるのではないかとくらくらしながら肉を貪り食ってきた。
アメリカといえばバーベキュー、バーベキューといえばアメリカ、というほどにBBQはアメリカ精神の源なのであるが、日本でいうところのバーベキューとこちらのバーベキューは少しばかりおもむきが違う。日本でバーベキューというと炭火で直火焼きをするイメージかと思うのだけれど、アメリカではその料理法はgrillingないしbroilingと呼ばれる。それではberbecueとはなにを指すかというと、高温の煙でじっくりと燻すような料理法なのであった(写真の全アメリカ人必携のBBQセットは、上の蓋をカパンと閉じて蒸し焼きにするようにできている)。もともとはSpainの入植者達がアメリカに豚を持ち込み、初めて豚を目にした南部のネイティブ・アメリカン達がそれをこの料理法で調理した、というのがberbecueの発祥らしく(ただしberbecueの語源であるbarbacoaという言葉はカリブ海地域のTaino族と呼ばれる人々の言語で「聖なる竃」を意味する)、berbecueは今でも南部のシンボリックな料理のひとつに数えられる。
基本的にはこの炉によるslow cookingの方法を総じてberbecueと呼ぶので、なにも多摩川河川敷でなくても室内でやったってberbecueはberbecueなのである。そんなわけでアメリカ全土、特に南部では犬も歩けばというほどにBBQレストランに遭遇する。日本の焼き肉屋さん(ただし調理済み)に相当すると考えればいいくらいだと思うのだが、値段は断然お手頃。ちなみにわたしの近所にはVoodoo Berbequeといういかにもルイジアナな名前のレストランがあり、見た目は超がつくほど怪しいのだが、安いしお肉はほろほろだし、今思い出して思わず生唾を飲んだくらいおいしい(が、いかんせんわたしの脆弱な腸では消化しきれないので、3ヶ月に一度くらいしかいけないのが残念なところ)。それから特筆すべきはソースで、日本でバーベキューソースというとあのケチャップとウスターソースを混ぜたような甘いたれが即座に連想されると思うのだが、どっこいこちらのバーベキューは土地によって味付けが違う(焼く肉の種類も違う)。North Carolina出身の男の子が言うことには彼の地元ではvinegarベースのマリネードに豚肉を漬け込んで、丸一日かけて焼く(というか燻すというか)らしいし、LouisianaではいつものごとくCajunスタイルのスパイシーなソースが定番である。
さてそれでは先日のBBQはどうだったかというと、どっこいこれがLouisiana風ではなかった。PJの新しいroommateであるgeekなDくんは以前も書いたかもしれないが高校生の時にコックになりたくてレストランでシェフについてふた夏じっくり料理を習った(その後Faulknerに出会い、自分はFaulknerの生まれ変わりだと確信して今に至るわけだが…しかしFaulknerの生まれ変わりはいったい何人いるんだろう、日米問わず)という強者で、普段は料理はあまりしないのだが、こういう機会になると俄然本領を発揮してくれる。上の写真にあるようなおしゃれなミニケバブ(ミニトマト、紫玉ねぎ、パプリカとチキンを一晩マリネードしたもの)とアスパラのベーコン巻き(アスパラ5本くらいずつを二枚のベーコンで巻いて、これも一晩マリネードしたもの)に始まり、牛ひき肉にブルーチーズ、ペッパーを練り込んだ小さなパテをグリルして挟んだミニバーガー(これはPJが作った)、それに立派なシャトーブリアン(さすが肉食系女子、Hが「Farmer's marketで買ってきた。24時間前まで生きてたんだって♥」といって買ってきてくれた)に焼きとうもろこし、と実に多種多彩だった。
わたしは毎度のごとくデザート担当で、今回はLouisiana産のブルーベリーが手に入ったので前回のタルト生地のあまりでブルーベリータルト、それからラズベリーが安かったのでマフィンカップでラズベリー入りのガトーショコラを焼いてクリームとブルーベリーソースで飾り、中心部のくぼみにバニラアイスとラズベリーソースを落としたものを作ったのだが、結局自分のデザートに辿り着く前に完全に腹が膨れてしまい、食べずじまいだった。みんなが帰った後でゆっくり食べようと思ったら会がお開きになる頃には両方とも見事に全部なくなっていて、アメリカ人の健啖さにまたも舌をまいた。タルトはホールだったし、ガトーショコラは10人だったので予備を含めて15個焼いたはずなんだけど。いや、もちろんうれしかったんだけど。それに焼いた後に味見はしたからいいんだけど。仕方ないので深夜に余ったバニラアイスにラズベリーソースとブルーベリーソース(どちらもものすごく簡単、小鍋にお砂糖とベリーを入れて少し煮立てて、最後にレモン汁を加えるだけ)をかけて、red, blue, and whiteでひとりアメリカ祭りをした。
☆新玉ねぎ 1個(普通の玉ねぎでも可。こちらではsweet onionというものがあるのでそれを使った)
☆Serrano pepper 1個 (青くて小さい唐辛子、なくても可…何で置き換えられるだろう?)
☆にんにく 1かけ
☆Vegenaise 大さじ4から6(vegetarian用のマヨネーズで、卵は使っていないのでカロリーも控えめ。こちらでは普通に売っているのだけど、材料も下に書いておいた)
①ジャガイモは8等分にして、大きなお鍋で水から茹でる。(red potatoは皮が柔らかいので剥かなかったし、基本的に皮は剥かない方がなんでも美味しいと思うのだけど、気になる場合はもちろん剥いても。)
②新玉ねぎはスライス。Serrano pepperもスライス。にんにくは潰してみじんぎり。
③フライパンにオイル(適量)とにんにくを入れて火をつける。じゅわじゅわとにんにくの香りがしてきたらSerrano pepper、新玉ねぎも投入。とにかくここでじっくり炒めること。基本的にそんなに触らなくてよい。焦げ付きに注意しながらたまに混ぜる程度で放置。飴色とまでいかなくても、きれいなきつね色になるまで。その間に他の料理を作っているといい。
④だいたいジャガイモのゆで上がりと③の完成が20分から30分と同じくらいなので、ジャガイモを茹でこぼしてよく水をきり、ボウルに入れて③とあわせる。
⑤ここで塩、こしょう、そしていつもすいません秘密のCajun spiceを好きなだけ(なければないで、チリペッパーとかキッチンの棚の奥に眠ってるいろんなスパイスを使ってあげてください)。ざっとあわせる。途中でじゃがいもが少しずつ潰れてくるが、日本のポテトサラダのように完全にマッシュはしない。
⑥Vegenaise、それからマスタードを味を見ながら加えて、さらに混ぜる。ここでディルやローズマリーなどのハーブがあれば入れる。温かいうちでもおいしいけれど、やっぱり冷やすともっとおいしい。
アメリカといえばバーベキュー、バーベキューといえばアメリカ、というほどにBBQはアメリカ精神の源なのであるが、日本でいうところのバーベキューとこちらのバーベキューは少しばかりおもむきが違う。日本でバーベキューというと炭火で直火焼きをするイメージかと思うのだけれど、アメリカではその料理法はgrillingないしbroilingと呼ばれる。それではberbecueとはなにを指すかというと、高温の煙でじっくりと燻すような料理法なのであった(写真の全アメリカ人必携のBBQセットは、上の蓋をカパンと閉じて蒸し焼きにするようにできている)。もともとはSpainの入植者達がアメリカに豚を持ち込み、初めて豚を目にした南部のネイティブ・アメリカン達がそれをこの料理法で調理した、というのがberbecueの発祥らしく(ただしberbecueの語源であるbarbacoaという言葉はカリブ海地域のTaino族と呼ばれる人々の言語で「聖なる竃」を意味する)、berbecueは今でも南部のシンボリックな料理のひとつに数えられる。
基本的にはこの炉によるslow cookingの方法を総じてberbecueと呼ぶので、なにも多摩川河川敷でなくても室内でやったってberbecueはberbecueなのである。そんなわけでアメリカ全土、特に南部では犬も歩けばというほどにBBQレストランに遭遇する。日本の焼き肉屋さん(ただし調理済み)に相当すると考えればいいくらいだと思うのだが、値段は断然お手頃。ちなみにわたしの近所にはVoodoo Berbequeといういかにもルイジアナな名前のレストランがあり、見た目は超がつくほど怪しいのだが、安いしお肉はほろほろだし、今思い出して思わず生唾を飲んだくらいおいしい(が、いかんせんわたしの脆弱な腸では消化しきれないので、3ヶ月に一度くらいしかいけないのが残念なところ)。それから特筆すべきはソースで、日本でバーベキューソースというとあのケチャップとウスターソースを混ぜたような甘いたれが即座に連想されると思うのだが、どっこいこちらのバーベキューは土地によって味付けが違う(焼く肉の種類も違う)。North Carolina出身の男の子が言うことには彼の地元ではvinegarベースのマリネードに豚肉を漬け込んで、丸一日かけて焼く(というか燻すというか)らしいし、LouisianaではいつものごとくCajunスタイルのスパイシーなソースが定番である。
さてそれでは先日のBBQはどうだったかというと、どっこいこれがLouisiana風ではなかった。PJの新しいroommateであるgeekなDくんは以前も書いたかもしれないが高校生の時にコックになりたくてレストランでシェフについてふた夏じっくり料理を習った(その後Faulknerに出会い、自分はFaulknerの生まれ変わりだと確信して今に至るわけだが…しかしFaulknerの生まれ変わりはいったい何人いるんだろう、日米問わず)という強者で、普段は料理はあまりしないのだが、こういう機会になると俄然本領を発揮してくれる。上の写真にあるようなおしゃれなミニケバブ(ミニトマト、紫玉ねぎ、パプリカとチキンを一晩マリネードしたもの)とアスパラのベーコン巻き(アスパラ5本くらいずつを二枚のベーコンで巻いて、これも一晩マリネードしたもの)に始まり、牛ひき肉にブルーチーズ、ペッパーを練り込んだ小さなパテをグリルして挟んだミニバーガー(これはPJが作った)、それに立派なシャトーブリアン(さすが肉食系女子、Hが「Farmer's marketで買ってきた。24時間前まで生きてたんだって♥」といって買ってきてくれた)に焼きとうもろこし、と実に多種多彩だった。
わたしは毎度のごとくデザート担当で、今回はLouisiana産のブルーベリーが手に入ったので前回のタルト生地のあまりでブルーベリータルト、それからラズベリーが安かったのでマフィンカップでラズベリー入りのガトーショコラを焼いてクリームとブルーベリーソースで飾り、中心部のくぼみにバニラアイスとラズベリーソースを落としたものを作ったのだが、結局自分のデザートに辿り着く前に完全に腹が膨れてしまい、食べずじまいだった。みんなが帰った後でゆっくり食べようと思ったら会がお開きになる頃には両方とも見事に全部なくなっていて、アメリカ人の健啖さにまたも舌をまいた。タルトはホールだったし、ガトーショコラは10人だったので予備を含めて15個焼いたはずなんだけど。いや、もちろんうれしかったんだけど。それに焼いた後に味見はしたからいいんだけど。仕方ないので深夜に余ったバニラアイスにラズベリーソースとブルーベリーソース(どちらもものすごく簡単、小鍋にお砂糖とベリーを入れて少し煮立てて、最後にレモン汁を加えるだけ)をかけて、red, blue, and whiteでひとりアメリカ祭りをした。
***
そうなのだ、なにしろ今回はMemorial Day。フランボワーズ・ガトーショコラなどというフレンチかぶれた料理ではなく、これまたアメリカの魂のふるさと、ポテトサラダのレシピを紹介しようと思う。これはPJが教えてくれたのだけど、日本でいままでわたしが作っていたポテトサラダより格段においしかったので、覚え書き。[PJのアメリカン・ポテトサラダ]
☆ジャガイモ 中6個(大なら4個。こちらではred potatoというのが小ぶりでおいしいので今回はそれを6個使った。)☆新玉ねぎ 1個(普通の玉ねぎでも可。こちらではsweet onionというものがあるのでそれを使った)
☆Serrano pepper 1個 (青くて小さい唐辛子、なくても可…何で置き換えられるだろう?)
☆にんにく 1かけ
☆Vegenaise 大さじ4から6(vegetarian用のマヨネーズで、卵は使っていないのでカロリーも控えめ。こちらでは普通に売っているのだけど、材料も下に書いておいた)
①ジャガイモは8等分にして、大きなお鍋で水から茹でる。(red potatoは皮が柔らかいので剥かなかったし、基本的に皮は剥かない方がなんでも美味しいと思うのだけど、気になる場合はもちろん剥いても。)
②新玉ねぎはスライス。Serrano pepperもスライス。にんにくは潰してみじんぎり。
③フライパンにオイル(適量)とにんにくを入れて火をつける。じゅわじゅわとにんにくの香りがしてきたらSerrano pepper、新玉ねぎも投入。とにかくここでじっくり炒めること。基本的にそんなに触らなくてよい。焦げ付きに注意しながらたまに混ぜる程度で放置。飴色とまでいかなくても、きれいなきつね色になるまで。その間に他の料理を作っているといい。
④だいたいジャガイモのゆで上がりと③の完成が20分から30分と同じくらいなので、ジャガイモを茹でこぼしてよく水をきり、ボウルに入れて③とあわせる。
⑤ここで塩、こしょう、そしていつもすいません秘密のCajun spiceを好きなだけ(なければないで、チリペッパーとかキッチンの棚の奥に眠ってるいろんなスパイスを使ってあげてください)。ざっとあわせる。途中でじゃがいもが少しずつ潰れてくるが、日本のポテトサラダのように完全にマッシュはしない。
⑥Vegenaise、それからマスタードを味を見ながら加えて、さらに混ぜる。ここでディルやローズマリーなどのハーブがあれば入れる。温かいうちでもおいしいけれど、やっぱり冷やすともっとおいしい。
[vegan mayonnaise]
☆豆乳 1カップ
☆レモンの絞り汁 大さじ4 (大きめのレモン1個半くらい。あるいは同量の果実酢)
☆塩 小さじ1/2
☆粉末パプリカ 小さじ1/2
☆マスタード 小さじ1/2
☆蜂蜜 小さじ1/2
☆オリーブオイル カップ1/2
①オイル以外をブレンダーにかける。一番低速で。
②混ざったら、オイルをほとんど一滴一滴といってもいいくらいゆっくりと加える。その間もブレンダーは低速。でないと分離してしまう。
③だんだんとろみがついて、滑らかになるまでブレンダーで混ぜ続ける。冷蔵保存。
ほかにも豆腐をつかったレシピなどもあるけれど、これが一番簡単でお手軽なレシピのようだ。当然だけど普通のマヨネーズよりあっさりしていて、わたしはけっこう好きなのだった。ちなみにveganというのはvegetarianのさらに厳格なもので、お肉や魚はもちろんのこと、チーズ、バターなどの乳製品も使わない。PJはDが超してくる前、vegetarianのAとveganのMと暮らしていたのだが、お肉をむさむさほおばっていると二人から「…野蛮っ!」みたいな目で見られるのがちょっと辛かったらしく、お肉隊長のDと一緒に暮らすことになってほくほくである。ううむ、お腹のぽっこりがちょっと心配。
※追記※
先日、Tennesseeに行ってきた友人がMemphis特産のBBQソースを買ってきてくれた。このソースを使ってPJがBerbecue Chiken and Wild Riceというのを作ってくれて、いつもながらシンプルでとてもおいしかったので、覚え書きレシピを追加で書いておこう。
[Barbecue Chicken and Wild Riceのレシピ]
☆玉ねぎ 1個
☆ズッキーニ 2から3本
☆オクラ 2から3パック (ちなみにokraは南部料理に欠かせない野菜なので、こちらではとても安いし、冷凍でもたくさん売っている。中でも人気なのはfried okraなのだけど、この料理はまたいつか他の機会に)
☆鶏もも肉 1枚
☆ワイルドライス(玄米)1カップ
☆BBQソース 適宜(大さじ4くらい)
☆Creole spice (なければいつものようにパプリカ、ガーリックペッパー等で代用可)
☆塩こしょう
①玉ねぎはみじん切り、オクラは軽く湯がいて厚めの輪切り、ズッキーニも厚め(8mmくらい)のいちょう切りにする。鶏ももは一口大にして塩こしょう、酒をふっておく。
②ワイルドライスを洗って、鍋に水2カップとともに入れ、火にかける。沸騰したら弱火にして、ワイルドライスが水分を全て吸うまで(ちなみにこちらではごはんを炊く時はみなこうしたやり方になる。もちろん炊飯器で普通に炊いてもいいのだけれど、これはこれでアルデンテの粒パスタのように仕上がるのでこういう料理には向いている)。
③フライパンをよく熱して、オリーブオイルで玉ねぎをじっくり炒め、きつね色になってきたら(約15分弱)ズッキーニも加えて、さらに炒める。ズッキーニがしんなりしてきたら(3分弱)オクラも加え、さらに約2分ほど炒める。塩こしょう、クレオールスパイスで軽く味付け。ただし後でBBQソースを投入するので、そんなに濃い味にしなくてもOK。
④野菜を一度お皿に取り出しておいて、同じフライパンに少しオイルを足して十分にオイルが熱したら鶏肉を炒める。野菜のうまみを鶏に絡めるように。
⑤鶏肉に火が通ったら野菜を戻し、あわせて炒める。
⑥BBQソースを加えてさらに混ぜ合わせる。ワイルドライスを加えて炒めあわせてもいいし、別添えにして食べてもいい。所用時間、約30分。
2011年5月22日日曜日
Home Party
前学期の終わりもそうだったのだけど、学期が終わって人心地つくとなにがしたいって、タルトが焼きたいのだな。今回は桃のタルト(フィリングはラム入りのアーモンドクリーム)とレモンクリームタルト(チーズクリームの上に自家製レモンカードをのせ、冷やし固めてライムの皮のすりおろしと黄色いラズベリーを飾った)。なぜ二つも一気に作ったかというと、先日PJが自宅でdinner partyを主催し、知らぬ間にわたしもco-hostということになっていたからなのだった。そんなわけでタカトシもびっくりの欧米か具合で、はじめてhome partyなるものを執り行うことになった。
アメリカ(特に南部)人というのは本当にhome partyが好きで、前述のとおり毎週どこかしらの家でなんらかの理由でパーティが行われているといっても過言ではないのだが、その多くはpotluckと呼ばれる持ち寄りのパーティである。しかしたまにちゃんとhostないしhostessが取り仕切るパーティみたいなものもやっぱりあって、最初にわたしがそれに招かれたのは指導教授の家(指導学生全員を招いてくれた)だったのだが、まぁ前菜、サラダ、スープ、主菜にデザートの見事なコースであった(しかも全て地産ものを使ったクレオール料理)。
ただしhostがすべてをコースとして一皿ずつサーブするのは大変(しかも皿が何十枚と必要になる)。なので代わりに、テーブルにセットされたお皿を手にとって、お客さんが自らキッチン(といってももちろんこちらの場合たいていがダイニングキッチンみたいに広いわけだけど)に赴いて前菜から主菜までを自分で取り分けて、テーブルに戻って料理を味わい、一段落したところでhostがデザートをサーブする、というのがフォーマルではないhome partyの定石のようで、実際、その後何度か経験したパーティでもそんな感じだった。それから共通しているのは、コースの前、招待客が集まる時にどのパーティでも、ダイニングとは別のところ(ポーチだったりテラスだったりリビングだったり)にワイン、チーズ、オリーブ、パテ、クラッカーなどをセットしておいて、皆が集まってはじめてダイニングに皆で移動する、ということ。わくわくしながらダイニングに足を踏み入れた時に、花やキャンドルで飾られて完璧にセットされたテーブルを見た時の感動というのは、見通しのきかないだだっ広いアメリカの家ならではのような気がする。
とはいえもちろんわたしたちは貧乏大学院生なので、できることはたかが知れているといえば知れている。ぴかぴかの銀器も燭台もないし、8人分の揃いの椅子もない(ただしアメリカの食器はこうした機会を考慮にいれて大抵の場合「豪華8人セット!」みたいな感じでメインプレート、アペタイザープレート、デザートプレート、ミニボウルなどがそれぞれ8セットずつ入って40ドルくらいからあるので、皿だけはどこの家にも腐るほどある)。それでも空いたワインの瓶にキャンドルを削って立てて、裏庭の花や緑をガラスのボウルに浮かべて、ウォーターグラスとワイングラス、それから畳んだナプキンの上にナイフ・フォーク、スプーンをセットしておくと、それなりに見栄えがするから不思議である。
PJがメイン(ポークチョップ、椎茸とバルサミコ酢のソース添え、サイドはいろいろ野菜のスターフライ)とアペタイザー(マリネしたパプリカ、それからバジルソースと豆の二種類のブルスケッタ)、わたしがサラダ(シンプルなガーデンサラダとキヌアサラダ、それからカリフラワーとモッツァレラ、にんにくの和えもの)とデザートをそれぞれ担当して、お客さんはワインやチーズを持ってきてくれたので、なんだかちょっぴり華やかなテーブルになった。さんざん飲んで、食べて、話して、学期の終わりをみんなでお祝いして、最後はPJの新しいルームメイト(Orange Beachに連れて行ってくれたDくん)のごんぶとの望遠鏡で土星を鑑賞した(土星のわっかがほんとにあったので感動した)。
お客さんが満足して帰ってくれるころには1時を回っていて、お皿を洗い終わることにはふたりともくたくたになっていたけれど、PJは「初めてのco-hostedパーティだったね」ととてもうれしそうだった。考えてみればhostとhostessというのはたいてい夫妻がやるものなので、こういう風にカップルがパーティを行うというのは、ちょっと公に自分達の関係がちゃんとしたものであることをパフォームするような意味合いがあるようで、正直そんなこと思ってもみなかったのでちょっと驚かなかったといえば嘘になるが、まったくうれしくなかったといえばそれも嘘になる。が、同時に「やー1年に一回くらいこういうパーティやると家が片付いていいよね!」と晴れやかな笑顔でわたしがピカピカに磨いた床やら台所などを見渡すPJを見ると、大掃除にうまいこと駆り出されたような気がしなくもない。とにもかくにも、食彩の王国、ルイジアナの食を巡る饗宴はまだとどまるところを知らない。
***
さて、最後にこればかりはアメリカレシピには譲れない、タルト生地のレシピを書いておこう。別にわたしは別段ケーキを焼くのが得意というわけではないのだけれど(デコレーションとかできないので生ケーキはめったに焼かない)、このタルト生地だけはどこに出しても恥ずかしくない、とない胸をはって言えるので、もしよければお試しください。
☆粉砂糖 65g (普通の砂糖では生地に滑らかに混ざりにくい)
☆全卵 1個弱
☆アーモンドパウダー25g (アメリカではまだ日本のように細かいものが見つからず困っているが、アーモンドミールでなんとかやっている)
☆薄力粉 180g
①バターは室温にもどす(1cmくらいにスライスすると戻りが早い。それでも時間がない場合はボウルに入れてオーブンのwarmモードで3分くらい。レンジは禁物。溶けてしまったら元も子もない。指で押して跡がつくくらい)。
②泡立て器でバターをクリーム状になるまで練る。
③粉砂糖をふるいながらバターに加え、さらにすり混ぜる。白っぽくなるまで。
④よく溶いた卵を3回にわけて加える。その都度よく混ぜ合わせる(一度にいれると分離する)。
⑤アーモンドパウダーも加えて混ぜたら、ゴムベラに持ち替えて薄力粉をふるい入れる。ボールに押し付けるようにしてあわせる。混ぜすぎない。
⑥二等分してそれぞれ丸くしてラップにくるむ。ここで冷蔵庫にいれて一晩寝かせる。時間がない時でも最低6時間は寝かせる。そうでないと生地がだれやすくなる。
⑦型(底がとれるタイプがおすすめ)にバターを薄くぬる。冷蔵庫で冷やしておく。
⑧作業台の上にオーブンシートを敷き、そこに少量の打ち粉をする。その上に冷蔵庫からだした生地をのせ、さらにそのうえにオーブンシートを載せてオーブンシートで挟み込む(邪道といえば邪道だが、これでその後格段に成型しやすくなる)。
⑨生地は固くなっているのでめん棒で数度叩いて扱いやすい固さにする。のばせるくらいの固さになったらオーブンシートごと回しながら3mmくらいにする。タルト型より3cmくらい大きくなるように。
⑩冷蔵庫から型を出す。生地の上のオーブンシートを外し、下のオーブンシートの下に手を滑らせて、ゆっくりと型の上に運び、裏返しにして(つまりオーブンシートが上になるようにして)載せる。
⑪まず底部分だけを密着させる。それからゆっくりとオーブンシートをはがし、型の上でめん棒を転がし、余計な部分を型のふちを使って切り落とす。
⑫型の側面のひだに指を押し当てて、生地を密着させる。後で焼き縮むので、縁から2mmくらい上に出す。
⑬フォークで軽くピケ(ところどころに穴をあける。あくまで軽く)する。これによって縮みが防げる。
⑭焼く前にさらに最低1時間は冷蔵庫で寝かせる(くどいようだが焼き縮みを防ぐ)。前日までにこの行程をすませておくとよい。わたしは2台分まとめて2つの型に敷き込んで、ラップをかけ、その上からジップロックに入れている(生地は乾燥しやすいので二重にしている)。すぐに使わない場合は冷凍庫にいれてもよい。その場合、焼く前に冷蔵庫にいれて解凍する(完全に解凍されていなくてもOK)。
⑮空焼きする場合はアルミホイルを生地の上に被せ、タルトストーンを縁まで載せて180℃で20分。その後一度オーブンから出してアルミ箔ごとタルトストーンをとりのけて、さらに15分。なお、クリームチーズタルトなど、フィリングを焼かない場合はこの段階で底に卵黄を溶いたものを塗って焼くと、生地にフィリングがしみ込むのが防げる。
ふぅふぅ、いや、あらためてこうやって書くとけっこう大変な作業である。なにしろ寝かせる手間を考えると計画的にやらないといけないので、急にタルトを焼くことになるとけっこう忙しい。今回は昼間に⑥までやって、ジムと図書館に行って、その後帰ってきて⑭までやって、二つのフィリングを作ってその後焼いた(なお、アーモンドクリームの場合は空焼きしないでタルト生地にアーモンドクリームを詰め込み、上に果物をのせて50分焼く。アーモンドクリームのレシピについてはOrange Tartのポストを参照)。基本的にその土地の料理に文句をつけることはしない主義だが、アメリカ人には考えられない時間のかけ方だと思う。ちなみに、ぜひレシピを送って、と言ってくれた料理好きの女の子はどんびきしていた。いや、まぁ、アメリカレシピでもきっとおいしいとは思うのだけど、これはもう0コンマ何ミリに命をかけるお化粧と同じで自己満足の世界だから…
アメリカ(特に南部)人というのは本当にhome partyが好きで、前述のとおり毎週どこかしらの家でなんらかの理由でパーティが行われているといっても過言ではないのだが、その多くはpotluckと呼ばれる持ち寄りのパーティである。しかしたまにちゃんとhostないしhostessが取り仕切るパーティみたいなものもやっぱりあって、最初にわたしがそれに招かれたのは指導教授の家(指導学生全員を招いてくれた)だったのだが、まぁ前菜、サラダ、スープ、主菜にデザートの見事なコースであった(しかも全て地産ものを使ったクレオール料理)。
ただしhostがすべてをコースとして一皿ずつサーブするのは大変(しかも皿が何十枚と必要になる)。なので代わりに、テーブルにセットされたお皿を手にとって、お客さんが自らキッチン(といってももちろんこちらの場合たいていがダイニングキッチンみたいに広いわけだけど)に赴いて前菜から主菜までを自分で取り分けて、テーブルに戻って料理を味わい、一段落したところでhostがデザートをサーブする、というのがフォーマルではないhome partyの定石のようで、実際、その後何度か経験したパーティでもそんな感じだった。それから共通しているのは、コースの前、招待客が集まる時にどのパーティでも、ダイニングとは別のところ(ポーチだったりテラスだったりリビングだったり)にワイン、チーズ、オリーブ、パテ、クラッカーなどをセットしておいて、皆が集まってはじめてダイニングに皆で移動する、ということ。わくわくしながらダイニングに足を踏み入れた時に、花やキャンドルで飾られて完璧にセットされたテーブルを見た時の感動というのは、見通しのきかないだだっ広いアメリカの家ならではのような気がする。
とはいえもちろんわたしたちは貧乏大学院生なので、できることはたかが知れているといえば知れている。ぴかぴかの銀器も燭台もないし、8人分の揃いの椅子もない(ただしアメリカの食器はこうした機会を考慮にいれて大抵の場合「豪華8人セット!」みたいな感じでメインプレート、アペタイザープレート、デザートプレート、ミニボウルなどがそれぞれ8セットずつ入って40ドルくらいからあるので、皿だけはどこの家にも腐るほどある)。それでも空いたワインの瓶にキャンドルを削って立てて、裏庭の花や緑をガラスのボウルに浮かべて、ウォーターグラスとワイングラス、それから畳んだナプキンの上にナイフ・フォーク、スプーンをセットしておくと、それなりに見栄えがするから不思議である。
PJがメイン(ポークチョップ、椎茸とバルサミコ酢のソース添え、サイドはいろいろ野菜のスターフライ)とアペタイザー(マリネしたパプリカ、それからバジルソースと豆の二種類のブルスケッタ)、わたしがサラダ(シンプルなガーデンサラダとキヌアサラダ、それからカリフラワーとモッツァレラ、にんにくの和えもの)とデザートをそれぞれ担当して、お客さんはワインやチーズを持ってきてくれたので、なんだかちょっぴり華やかなテーブルになった。さんざん飲んで、食べて、話して、学期の終わりをみんなでお祝いして、最後はPJの新しいルームメイト(Orange Beachに連れて行ってくれたDくん)のごんぶとの望遠鏡で土星を鑑賞した(土星のわっかがほんとにあったので感動した)。
お客さんが満足して帰ってくれるころには1時を回っていて、お皿を洗い終わることにはふたりともくたくたになっていたけれど、PJは「初めてのco-hostedパーティだったね」ととてもうれしそうだった。考えてみればhostとhostessというのはたいてい夫妻がやるものなので、こういう風にカップルがパーティを行うというのは、ちょっと公に自分達の関係がちゃんとしたものであることをパフォームするような意味合いがあるようで、正直そんなこと思ってもみなかったのでちょっと驚かなかったといえば嘘になるが、まったくうれしくなかったといえばそれも嘘になる。が、同時に「やー1年に一回くらいこういうパーティやると家が片付いていいよね!」と晴れやかな笑顔でわたしがピカピカに磨いた床やら台所などを見渡すPJを見ると、大掃除にうまいこと駆り出されたような気がしなくもない。とにもかくにも、食彩の王国、ルイジアナの食を巡る饗宴はまだとどまるところを知らない。
***
さて、最後にこればかりはアメリカレシピには譲れない、タルト生地のレシピを書いておこう。別にわたしは別段ケーキを焼くのが得意というわけではないのだけれど(デコレーションとかできないので生ケーキはめったに焼かない)、このタルト生地だけはどこに出しても恥ずかしくない、とない胸をはって言えるので、もしよければお試しください。
[基本のタルト生地(パートシュクレ)のレシピ:20cmタルト型2台分]
☆無塩バター 100g(値ははるが発酵バターを使うと香りが格段に違う。ちなみにこちらではcultured butterとして売っているのだけど、日本の半額くらい)☆粉砂糖 65g (普通の砂糖では生地に滑らかに混ざりにくい)
☆全卵 1個弱
☆アーモンドパウダー25g (アメリカではまだ日本のように細かいものが見つからず困っているが、アーモンドミールでなんとかやっている)
☆薄力粉 180g
①バターは室温にもどす(1cmくらいにスライスすると戻りが早い。それでも時間がない場合はボウルに入れてオーブンのwarmモードで3分くらい。レンジは禁物。溶けてしまったら元も子もない。指で押して跡がつくくらい)。
②泡立て器でバターをクリーム状になるまで練る。
③粉砂糖をふるいながらバターに加え、さらにすり混ぜる。白っぽくなるまで。
④よく溶いた卵を3回にわけて加える。その都度よく混ぜ合わせる(一度にいれると分離する)。
⑤アーモンドパウダーも加えて混ぜたら、ゴムベラに持ち替えて薄力粉をふるい入れる。ボールに押し付けるようにしてあわせる。混ぜすぎない。
⑥二等分してそれぞれ丸くしてラップにくるむ。ここで冷蔵庫にいれて一晩寝かせる。時間がない時でも最低6時間は寝かせる。そうでないと生地がだれやすくなる。
⑦型(底がとれるタイプがおすすめ)にバターを薄くぬる。冷蔵庫で冷やしておく。
⑧作業台の上にオーブンシートを敷き、そこに少量の打ち粉をする。その上に冷蔵庫からだした生地をのせ、さらにそのうえにオーブンシートを載せてオーブンシートで挟み込む(邪道といえば邪道だが、これでその後格段に成型しやすくなる)。
⑨生地は固くなっているのでめん棒で数度叩いて扱いやすい固さにする。のばせるくらいの固さになったらオーブンシートごと回しながら3mmくらいにする。タルト型より3cmくらい大きくなるように。
⑩冷蔵庫から型を出す。生地の上のオーブンシートを外し、下のオーブンシートの下に手を滑らせて、ゆっくりと型の上に運び、裏返しにして(つまりオーブンシートが上になるようにして)載せる。
⑪まず底部分だけを密着させる。それからゆっくりとオーブンシートをはがし、型の上でめん棒を転がし、余計な部分を型のふちを使って切り落とす。
⑫型の側面のひだに指を押し当てて、生地を密着させる。後で焼き縮むので、縁から2mmくらい上に出す。
⑬フォークで軽くピケ(ところどころに穴をあける。あくまで軽く)する。これによって縮みが防げる。
⑭焼く前にさらに最低1時間は冷蔵庫で寝かせる(くどいようだが焼き縮みを防ぐ)。前日までにこの行程をすませておくとよい。わたしは2台分まとめて2つの型に敷き込んで、ラップをかけ、その上からジップロックに入れている(生地は乾燥しやすいので二重にしている)。すぐに使わない場合は冷凍庫にいれてもよい。その場合、焼く前に冷蔵庫にいれて解凍する(完全に解凍されていなくてもOK)。
⑮空焼きする場合はアルミホイルを生地の上に被せ、タルトストーンを縁まで載せて180℃で20分。その後一度オーブンから出してアルミ箔ごとタルトストーンをとりのけて、さらに15分。なお、クリームチーズタルトなど、フィリングを焼かない場合はこの段階で底に卵黄を溶いたものを塗って焼くと、生地にフィリングがしみ込むのが防げる。
ふぅふぅ、いや、あらためてこうやって書くとけっこう大変な作業である。なにしろ寝かせる手間を考えると計画的にやらないといけないので、急にタルトを焼くことになるとけっこう忙しい。今回は昼間に⑥までやって、ジムと図書館に行って、その後帰ってきて⑭までやって、二つのフィリングを作ってその後焼いた(なお、アーモンドクリームの場合は空焼きしないでタルト生地にアーモンドクリームを詰め込み、上に果物をのせて50分焼く。アーモンドクリームのレシピについてはOrange Tartのポストを参照)。基本的にその土地の料理に文句をつけることはしない主義だが、アメリカ人には考えられない時間のかけ方だと思う。ちなみに、ぜひレシピを送って、と言ってくれた料理好きの女の子はどんびきしていた。いや、まぁ、アメリカレシピでもきっとおいしいとは思うのだけど、これはもう0コンマ何ミリに命をかけるお化粧と同じで自己満足の世界だから…
2011年5月18日水曜日
Double Date
さて話は少しさかのぼってcrawfish boilのときのこと。ちょっと遅れて到着したらパーティを主催してくれたNew Orleans生まれのちゃきちゃきのSouthern belleである3年生のHが戸口で迎えてくれたのだが、そのときにわたしとPJ(彼)を見て「えっなに、やだー付き合ってるのー?いつからいつから?もー知らなかった、超かわいカップルー♥」みたいな素敵女子テンションだったので気圧されっぱなしだったのだけれど、とりあえずごはんにありついてうまうま言ってたら「ねぇこんどダブルデートしよ♥」とまたかわいらしい笑顔で言われ、そんなビバヒルみたいなこと誰がするかい、と思いつつ、まぁ社交辞令かなと思って得意のアルカイックスマイルでごまかしていたら、翌日「初めての1年が終わるんだから、お祝いしなきゃ!来週の土曜日、最近お気に入りのワインバーで女の子にはけっこういいシャンペンがただででるの。絶対行こう!」みたいなメールが来てて、なんか知らぬ間にコーナーに追いつめられた感が濃厚になっていた。
毎度のことながら最初は気乗りがしなかったものの、いざペーパー書き終わって最近買った黒のワンショルダーのワンピースを着て鏡の前に立ったら急に血湧き肉踊って、久々に髪の毛も気合いいれてセットして、ロスに住んでる女友達に写メを送りつけたりしながらPJの迎えの待っていたのだけど、ふと、これはoverdressedなのではないかと心配になり、念のため彼に問い合わせてみたら、「ここは南部だよ。南部にoverdressという文字はないから何着ていっても大丈夫。」と言われた。そうだ、たしかにBaton Rougeのような南部の小都市では別段他に娯楽もないので人々はパーティが大好きで、毎週末どこかしらのレストランやバーやおうちでパーティが催されているのだけど、良くも悪くもみなパーティ慣れしていて、着飾りたい気分のときはおしゃれをするし、そういう気分でもないときはTシャツとジーンズでふらっと訪れる。だからドレスコードのあるパーティ(南部は実はいまだに社交界が存在するところなので、そういうちゃんとしたパーティももちろんある)などは別だけれど、たいていのパーティはいろんな服装のひとがごた混ぜになっていて、とくに誰かが悪目立ちしていたりということはない。だからわたしのワンショルダーくらいどうってことないわけだ。というわけでひさびさに9cmのハイヒールにご登場願い、びしっと決めてダブルデートにのぞんだ。
The Loftというワインバーは雰囲気もワインも食べ物も、まぁ東京だったら絶対こんなオサレなとこ行かないよね、という感じのところだったのだけど(でもごはんおいしかったし、感じはとてもよかった。念のため)、初めてのダブルデートは意外にも和やかに楽しく進行した。しかしなにより特筆すべきは我らが素敵女子H(ちなみに当日はサテン地のばっくり胸元があいたLSUカラーの紫のワンピだったのでわたしごときが浮くということはありえなかった)が当代きってのserial daterだということだった。土曜の時点では「最近デートしてるフランス人の彼」のはずだったのだが、紹介された男の子はCaseyという名前で、うーんそうか、ずいぶんアングロサクソン的な名前な上に英語超うまいなぁ、なまりもまったくないしメニューのフランス語読めないし、てゆうか、ええと、あなたほんとにフランス人?と思っていたらもちろん彼はアメリカ人で、つい一週間前にWashington DCからBaton Rougeにやってきたと言う。ん?一週間前ってどうやって知り合ったの?と聞いたら、普通に「オンライン♥」という答えが帰ってきた。
聞けばオンラインのデートサイト(最大手は日本にも上陸してるmatch.comだけど、その他にもいろいろある)はこちらでは本当に本当にポピュラーで、え、大学院生とか、ふつうにみんなやってるよ?わたしなんてこないだ学校でお財布なくしたとき、2日で見つかったんだけど、でもカードから誰かわからないけどmatch.comの会費が落とされてたくらい、とのこと。Hは去年は30人くらいの男の子とデート(なにをデートとするかというのは人による、というのは前に書いたけど)したということで、そのうち10人くらいはオンラインで出会ったそうだ。吉原真理のドットコム・ラヴァーズという体を張った体験記は日本にいる時に読んだことがあり、アメリカにおけるオンライン・デーティングの普及というのはなんとなくは知っていたのだけど、いざこんなかわいこちゃんがサクラでもなんでもなくいるのを目にすると、あらためて日本の「出会い系サイト」とは似て非なるものなのだな、と実感した。
まぁでもこの風潮は南部だということでさらに磨きがかかってるのかもしれない。もともとアメリカはカップル文化が物凄くて、週末はsignificant otherとquality timeを過ごさなければならないという強迫観念(と言ってもいいと思う)が蔓延しているのに、さらに南部はだいたいにおいてロマンチックイデオロギーの拘束力が北部より強い上、少し田舎だと週末をひとりでなにか趣味に費やそうにも美術館も映画館も(シネコンはあるけど、いわゆる単館系の映画をやっているようなところはない)ないわけなので、前述のとおり娯楽がパーティになりがちである。そうすると自然、あ、週末、誰とすごそう、ということになって、デートの相手をオンラインでちゃかちゃかっと探しておいしいごはんを食べに行こう、ということになるということのようである。ふむ。
特にこの風潮を批判する気はなく(カップル文化について話はじめると長くなるので今日はとりあえず話さないにしても、基本的にはわたしは日本のいわゆる強制的異性愛の拘束力のゆるさみたいなものはすばらしいと思っているのだけど、でも反面、60歳くらいのカップルが手をつないで深夜のアイスクリームショップに来ているのを見たりすると、それはそれでいいなぁと思ったりもする)、Hはdesperateに男を探しているという感じもないし、だいたい料理が趣味で求道的なまでにおいしいごはん作りとそれを写真に撮ることに邁進している上、研究も大好き、おしゃれもお化粧も大好き、という女の子なので、恋愛というものに対するエネルギーの割き方が根本的にわたしやPJとは違うんだろうし、それはそれでいいんじゃないかな、というのが正直な感想である。ただ帰り道、ほろ酔い加減でPJとMississippi河畔を歩いていたら、オンラインでの出会いって良くも悪くもプラグマティックで、まぁでもこうやって土地が大きい国だからそうでもしなきゃ出会いの確立も低いし、それなりにいい出会いがあることだってあるし、それはそれでいいんだけどさ、でもいくら細かくプロフィール項目にチェックいれたって、オンラインじゃぜったい俺たち出会えないじゃない?趣味も歳も国籍もぜんぜんちがうし、Mは煙草も吸うしね。と言われた。初めて会った時、帰りにここに来たよね。あの時、土手に寝転がって、Mississippi見たの覚えてる?あの時はまだMの初めての学期も始まる前で、1年終わる頃にはこんな風に仲良くなって、河もこんなことになるなんて、きっと思わなかったでしょ。
…とロマンチックムード満々で話すPJだったが、要はいまMississippiが1927年以来の水位の高さで、毎日学校から「氾濫の際の退避場所」などのメールが来る始末。先日もうちょっと北のMorganzaというところのspillwayを空けて人工的に一部の地域に洪水をおこし、Baton Rouge と New Orleansの冠水を回避しようとしているのだが、ここ数日のうちに雨でも降ろうものならMississippi徒歩5分の我が家はもちろんぐしょ濡れになるうえ、下手すればうちの周りの道路は塞がれる。たっぷたぷのMississippiが我々が寝転んでいただたっぴろい土手を見事に飲み込んでいるのを見て、これが僕らの愛のシンボルとか言われても正直ピンとこないうえ、恐ろしいし、ああもう、ほんと洪水が起こったらどうしよう、と悶々としていたら、「大丈夫、カヤックで迎えにいくよ」と言われた。いい人なんです。犯罪者みたいな面構えだけど、すごくロマンチックなんです。
毎度のことながら最初は気乗りがしなかったものの、いざペーパー書き終わって最近買った黒のワンショルダーのワンピースを着て鏡の前に立ったら急に血湧き肉踊って、久々に髪の毛も気合いいれてセットして、ロスに住んでる女友達に写メを送りつけたりしながらPJの迎えの待っていたのだけど、ふと、これはoverdressedなのではないかと心配になり、念のため彼に問い合わせてみたら、「ここは南部だよ。南部にoverdressという文字はないから何着ていっても大丈夫。」と言われた。そうだ、たしかにBaton Rougeのような南部の小都市では別段他に娯楽もないので人々はパーティが大好きで、毎週末どこかしらのレストランやバーやおうちでパーティが催されているのだけど、良くも悪くもみなパーティ慣れしていて、着飾りたい気分のときはおしゃれをするし、そういう気分でもないときはTシャツとジーンズでふらっと訪れる。だからドレスコードのあるパーティ(南部は実はいまだに社交界が存在するところなので、そういうちゃんとしたパーティももちろんある)などは別だけれど、たいていのパーティはいろんな服装のひとがごた混ぜになっていて、とくに誰かが悪目立ちしていたりということはない。だからわたしのワンショルダーくらいどうってことないわけだ。というわけでひさびさに9cmのハイヒールにご登場願い、びしっと決めてダブルデートにのぞんだ。
The Loftというワインバーは雰囲気もワインも食べ物も、まぁ東京だったら絶対こんなオサレなとこ行かないよね、という感じのところだったのだけど(でもごはんおいしかったし、感じはとてもよかった。念のため)、初めてのダブルデートは意外にも和やかに楽しく進行した。しかしなにより特筆すべきは我らが素敵女子H(ちなみに当日はサテン地のばっくり胸元があいたLSUカラーの紫のワンピだったのでわたしごときが浮くということはありえなかった)が当代きってのserial daterだということだった。土曜の時点では「最近デートしてるフランス人の彼」のはずだったのだが、紹介された男の子はCaseyという名前で、うーんそうか、ずいぶんアングロサクソン的な名前な上に英語超うまいなぁ、なまりもまったくないしメニューのフランス語読めないし、てゆうか、ええと、あなたほんとにフランス人?と思っていたらもちろん彼はアメリカ人で、つい一週間前にWashington DCからBaton Rougeにやってきたと言う。ん?一週間前ってどうやって知り合ったの?と聞いたら、普通に「オンライン♥」という答えが帰ってきた。
聞けばオンラインのデートサイト(最大手は日本にも上陸してるmatch.comだけど、その他にもいろいろある)はこちらでは本当に本当にポピュラーで、え、大学院生とか、ふつうにみんなやってるよ?わたしなんてこないだ学校でお財布なくしたとき、2日で見つかったんだけど、でもカードから誰かわからないけどmatch.comの会費が落とされてたくらい、とのこと。Hは去年は30人くらいの男の子とデート(なにをデートとするかというのは人による、というのは前に書いたけど)したということで、そのうち10人くらいはオンラインで出会ったそうだ。吉原真理のドットコム・ラヴァーズという体を張った体験記は日本にいる時に読んだことがあり、アメリカにおけるオンライン・デーティングの普及というのはなんとなくは知っていたのだけど、いざこんなかわいこちゃんがサクラでもなんでもなくいるのを目にすると、あらためて日本の「出会い系サイト」とは似て非なるものなのだな、と実感した。
まぁでもこの風潮は南部だということでさらに磨きがかかってるのかもしれない。もともとアメリカはカップル文化が物凄くて、週末はsignificant otherとquality timeを過ごさなければならないという強迫観念(と言ってもいいと思う)が蔓延しているのに、さらに南部はだいたいにおいてロマンチックイデオロギーの拘束力が北部より強い上、少し田舎だと週末をひとりでなにか趣味に費やそうにも美術館も映画館も(シネコンはあるけど、いわゆる単館系の映画をやっているようなところはない)ないわけなので、前述のとおり娯楽がパーティになりがちである。そうすると自然、あ、週末、誰とすごそう、ということになって、デートの相手をオンラインでちゃかちゃかっと探しておいしいごはんを食べに行こう、ということになるということのようである。ふむ。
特にこの風潮を批判する気はなく(カップル文化について話はじめると長くなるので今日はとりあえず話さないにしても、基本的にはわたしは日本のいわゆる強制的異性愛の拘束力のゆるさみたいなものはすばらしいと思っているのだけど、でも反面、60歳くらいのカップルが手をつないで深夜のアイスクリームショップに来ているのを見たりすると、それはそれでいいなぁと思ったりもする)、Hはdesperateに男を探しているという感じもないし、だいたい料理が趣味で求道的なまでにおいしいごはん作りとそれを写真に撮ることに邁進している上、研究も大好き、おしゃれもお化粧も大好き、という女の子なので、恋愛というものに対するエネルギーの割き方が根本的にわたしやPJとは違うんだろうし、それはそれでいいんじゃないかな、というのが正直な感想である。ただ帰り道、ほろ酔い加減でPJとMississippi河畔を歩いていたら、オンラインでの出会いって良くも悪くもプラグマティックで、まぁでもこうやって土地が大きい国だからそうでもしなきゃ出会いの確立も低いし、それなりにいい出会いがあることだってあるし、それはそれでいいんだけどさ、でもいくら細かくプロフィール項目にチェックいれたって、オンラインじゃぜったい俺たち出会えないじゃない?趣味も歳も国籍もぜんぜんちがうし、Mは煙草も吸うしね。と言われた。初めて会った時、帰りにここに来たよね。あの時、土手に寝転がって、Mississippi見たの覚えてる?あの時はまだMの初めての学期も始まる前で、1年終わる頃にはこんな風に仲良くなって、河もこんなことになるなんて、きっと思わなかったでしょ。
…とロマンチックムード満々で話すPJだったが、要はいまMississippiが1927年以来の水位の高さで、毎日学校から「氾濫の際の退避場所」などのメールが来る始末。先日もうちょっと北のMorganzaというところのspillwayを空けて人工的に一部の地域に洪水をおこし、Baton Rouge と New Orleansの冠水を回避しようとしているのだが、ここ数日のうちに雨でも降ろうものならMississippi徒歩5分の我が家はもちろんぐしょ濡れになるうえ、下手すればうちの周りの道路は塞がれる。たっぷたぷのMississippiが我々が寝転んでいただたっぴろい土手を見事に飲み込んでいるのを見て、これが僕らの愛のシンボルとか言われても正直ピンとこないうえ、恐ろしいし、ああもう、ほんと洪水が起こったらどうしよう、と悶々としていたら、「大丈夫、カヤックで迎えにいくよ」と言われた。いい人なんです。犯罪者みたいな面構えだけど、すごくロマンチックなんです。
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