お金貯めて三日泊まるのが夏休み
週刊誌読んでやって来れば数珠繋ぎ
冷めたスープ放り投げるように飲まされて
二段ベッドでもあたいの夏休み
Summer Vacation  あたいのために
Summer Vacation  夏 翻れ

—中島みゆき「あたいの夏休み」

2012年9月23日日曜日

アメリカ南部で大統領選について教えるということ



さて前回のポストからすでに2ヶ月がすぎ、その間ColoradoはDenverで夢のような時間を過ごしたり、はたまたDenverからBaton Rougeまで2日20時間に及ぶ悪夢のロードトリップをしたりなどといろいろ書くべきことはあったのだけれども(そして機会があればDenverおよびSan Franciscoについては書きたいと思っているのだけれど)、今日は目眩のするように忙しい毎日のなか、妙な風邪をひいたおかげで少しだけ時間ができたので現在、目下わたしがほむら立っていることについて書こうと思うわけである。

Fall semesterが始まりひと月が経過した。アメリカに来て三年目にして生涯で間違いなく一番忙しく、青息吐息の毎日である。なぜというに今学期、わたしは授業をなぜか3つもとっているうえ、English 1001というコンポジションの授業を持っている。週三回毎朝一時間、22人の生徒を前にanalytical writingを教えるというのがこの授業のコンセプトである。週三回毎朝一時間。なんの苦があろう。世の社会人達は毎日平均睡眠6時間を優に下回りながら一日8時間以上の重労働を週に五日以上こなしている。しかしながらこれ、この週三回毎朝一時間の授業がもうなんというか、背中に燃える薪を背負いながら山を下るかごとくの荒行に思えてくるのである。

驚くべきことにその原因の第一は英語でアメリカ人に英語を教えるということにあるわけではない。最初のうちは緊張もしたし、今でも毎朝授業に向かう前にはやめたはずの煙草を一服吹かすことが儀式となっている。自分よりも明らかに英語が流暢な相手にその言語のいろはを教えるというプレッシャーは生半可なものではない。が、幸いなことにわたしがこれまでのひと月のティーチングから学んだことは、analytical writingを、ひいては批判的思考を教えるというのはまずもってinterpersonalなコミュニケーションであって、教師の側が絶対的な権威を持っているというパフォーマンスは必ずしも不可欠なものではないということだ。

この授業の目的は生徒が自律的かつ批判的に自らの思考(そして書いたもの、書く行為)を吟味できるようにすることであって、ある体系だった知識を受け渡すことではない。それはどちらかといえば自転車の乗り方を教えることに近く、生徒が自分で身体と頭を使わなければいかんせんどうにもならない。教師にできることはよき補助輪となること、そしてその補助輪を外すタイミングを見極めることであり、強力すぎる補助輪を提供することが必ずしも常に生徒の成長に資するわけではない。そんなわけで幸か不幸かわたしのような不安定な補助輪を得た生徒達はすっころびながらもそれなりの成長を遂げてくれている(ような気がする)。というのもわたしは自転車に乗れる楽しみをうれしそうに語ることと、すっころんだ生徒の傷にバンドエイドを施すことにだけは異様に長けている。中にはそんなもんいらねぇよ、おれは自転車なんて乗りたくねぇよ、ほっといてくれ、という生徒ももちろんいて、そういう生徒に関しては、たしかに自転車に乗ろうが乗るまいが、それはきみの人生だ、よし請け負おう、きみのやる気のなさできみを不合格にすることはしないから、まぁ決められたアサインメントだけはだしてくれ、あと剽窃だけはするな、といってとりあえずはほっておく。その間、自転車に乗りたい生徒たちには最大限の手助けをする。

この授業の最初のアサインメントはLiteracy Analysisといって自らがいかようにして書くという行為と接してきたかを分析することを通じ、最終的には書くということの意味について考えるというもので、これはまぁ、というか大変よかった。各生徒のパーソナリティを知るきっかけにもなったし、私的・個別的経験からある種の普遍的主張を導くという練習としてはとても効果的だったと思う。そしてなにより、誰も読み書きができない家庭に育ち、まともに書くことがままならなかったある日、教師から給食費泥棒の咎で責め立てられ、自分の無罪を立っするために必死で辞書をひいたことがきっかけでようやくものが書けるようになった、というような、こう書けば陳腐にしか響かないようなエピソードをしかし、その苦難を証だてるかごとくのたどたどしい英語で書く生徒のエッセイを読めば、なにくれと不自由なく皆が一律に読み書きができることが前提の環境で育ってきたものとして、書くことを教えるということの意義について考えざるをえない。それくらいわたしは教師としてまだ未熟であり、ナイーブであり、そしてまだこうした生徒達のエッセイにたじろいでしまう自分のナイーブさと甘ったれた理想主義をはずかしげもなく愛している。

しかしそれではなにゆえに今わたしが燃えさかる薪を背に山を駆け下っているかというに、それは所属大学の方針によりわれわれ1001の教師達は本年11月に行われる大統領選で争点となる議題を素材として生徒にペーパーを書かせなければならないのだが、正直いってわたしはまたここで、自分がここ、かちかち山に、いや南部にいるのだということを思い知らされているのである。

全共闘世代の親を持ち、東京で進学校に通い、東京で国立大学に通い、果てはなにを間違ったか人文系の大学院に通い、さらにアメリカで博士号を取得しようとしている人間(まぁわたしなんですが)は、リベラリズムの風呂に浸かってこれまでの生涯を過ごしている。よく記憶に残っているのは、高校生だったある日、わたしが母親に対しあなたは政治的にコンサバである、となにかのきっかけで言い放った時に、それまでなにをわたしが言おうとも(もう高校に行かないとさえ言っても)ああそうか、そうなんだね、と穏やかに聞いていた彼女が顔色をなくし震えながら、その発言だけは受け容れられない、と言ったことである。高校生のわたしは無論、リベラリズムの、コンサバティズムのなんたるかを全く(今以上に)理解などしていなかったわけだが、それでも理解できたのは政治的コンサバのレッテルがどうやら愛する母親にとって最大の中傷となりうることであった。それ以降は恥を忍んで告白すれば日本の、言ってみればアポリティカルな空気に怠惰に流されるまま政治についてなどとんと考えずにきたわけだが(そしてそれは全共闘世代の、そして互いの政治的立場の違いを抑圧しながら穏やかに子育てをしようとしてヒロイックに失敗した両親に対するこれまた怠惰な抵抗でもあったわけだが)、わたしのコンサバティズムに対する感情的忌避感は、アメリカの、政治的にアクティブであること、そしてリベラルであることが絶対的善であることのごとき人文系大学院においていやましに助長されてきた。

以前も「アメリカ南部でアメリカ文学を教える」ポストで書いたことだが、深南部に生活していようが、大学町に住み人文系大学院に通っている以上は、この地のコンサバティズムに触れることはほぼないといっていい。アジア系が極端に少ないこの都市であろうとも、あからさまな人種差別にあったことなどは一度もないし、むしろ街で出会う人々は朗らかで、人々が「コンサバ」であることに気づくのは、真夏の日曜日、Whole foodsで買い物をしている際、教会帰りの白人老女にいきなりむき出しの肩をさわられ、あらハニー、こんなに肌を出してちゃあ風邪をひくわよ、これをみたらあなたのママがなんていうかしら、セーターはどこなの?といわれる、などという微笑ましい(まぁ見ようによればぞっとする)エピソードを介してのみである(少なくとも幸運にも私の場合は)。しかし学部生を前に政治社会問題に触れる時に、南部のコンサバティズムはわたしの背中に燃える薪を押し付ける。生徒達は言う。Obamaは最低である、なぜなら彼の政策は怠け者たちにわれわれ善良な市民の金を与えるものだからだ。同性婚は許され得ない、なぜならそれを合法化すれば近親婚や重婚など、その他の婚姻関係を是認することになるからだ。こうした反応を目の前にした時、リベラリズムのぬるま湯にリベラルのなんたるかをも知らずに浸かりふやけたわたしの皮膚はちりちりと焼かれる。

ごく雑駁に定義すれば、いわゆるリベラリズムとコンサバティズムの対立は政府の機能と個人の権利を巡って説明されうる。リベラリズムは社会的な―階級、人種、ジェンダー、セクシュアリティを巡る—インバランスを是正するための「大きな、強い政府」を支持する。個人はそれぞれの人生に関する選択をする権利を平等に有し、その権利の追求の為には時には政府の介入が必要であるとする。これに対しコンサバティズムは「小さい、弱い政府」を支持する。逆にいえば基本的にコンサバティズムは個人がそれぞれの欲望(特に所有に関する)を追求する権利に対する政府の介入を拒む。が、あるケースに於いてはコンサバティズムは政府の介入を積極的に許す。それは国家に存するとされる「伝統的価値」を守るという目的を達するためである。言うまでもなくこれらは現代アメリカにおける「いわゆる」コンサバとリベラルの大衆理解であり、すべての立場がこの二極化によって説明されるわけではむろんないし、わたしの理解もまたこの雑駁な二項対立図式を凌ぐものではない。

が、問題なのは、この雑駁な二項対立がどうやらわたしと22人の生徒のうち少なくとも80%との間の、ただでさえおぼつかない相互理解を妨げる元となりうるということである。わたし個人としては、生徒が「怠け者の為に我々の金を使うのは筋違いだ」と言う際に、まずお前はどれだけの力と金に生まれた時からまみれてきた、誰が稼いだ金だ、誰の無力を搾取して得られた金だ、お前が怠け者という人間達をそのように知的・経済的に無力にしておくことでどれだけの人間が利益を得てきた、それを考えないお前は怠惰ではないのか、と唾を飛ばしながら言いたくなるわけだが、当たり前に教師として(そして人間としても)そんなことはできない。とりあえず張り付いたような笑顔を保ち、そうか、怠け者っていうのはどういうことなのか、考えてみよう、と言う。うまくいけば誰かが、働きたくても働けない人はいる、と言う。さらに(わたしにとって)うまくいけば誰かが、働けないのは必ずしもその人個人の責任ではない、と言う。それでも多くの生徒はうつむいてこの気まずい時間をやりすごそうとするか、頬杖をついて自分は高みの見物を決められる立場にあるというパフォーマンスをする。

こうしたコンサバのアパシーに対し、どう対処すべきか、未経験な教師であるわたしはまだなにも知らない。言うまでもなくわたしのこの授業での役割は彼らにanalytical writingのいろはを教えることであり、リベラリズムへの転向を促すことでは全くない。そしてこれまでメディアを通してしかその存在を知らなかったいわゆる「コンサバ」な存在が、自分の生徒として個人として肉化した時に、彼らの信じる「伝統的価値」や「個人の権利」を一概に議論も不要なもの、強者の特権として退けることも実はわたしにはできないし、するべきではないとも思う。というのも、同時にわかっていることは、わたしが浸ってきたリベラル風呂もまた高額の入湯料を必要とするスーパー銭湯というか高級スパのようなものだということだからだ。わたしはたまたまあの両親、全共闘世代に生まれながらそれを共闘という形で戦うという選択肢を自らの政治的判断で拒み、その罪悪感にまみれながらそれを抑圧し高度資本主義と折り合いをつけながら彼らの憎んだシステムの中ですこやかに子育てをしようとした彼らの子供である。わたしの(そしてわたしの世代の)政治的無関心はたしかに、彼らの世代のねじれた政治的無関心―失われた理想のメランコリックな抑圧―の振る舞いの写し鏡であるが、彼らがたしかに恥じながら隠し持っていたある種の政治的理想はわたしの政治的無関心の中には存在しなかった。そんな高額なぬるま湯にただで浸かってきた贅沢をいまわたしは、清算しようとしているのだと思う。

たかが必修のコンポジションの授業である。たかが週三回、一回一時間の授業である。けれども醜い狸のわたしは声も高らかにせせら嗤う美しいうさぎに対して、沈む泥舟からこう言うだろう。ほれたが悪いか、と。教育に対する愛と誇りが、三十となりいまだ子を産むことを潔しとしないわたしが自分の両親に対してできる最大限の恩返しであり、そのためには燃える薪でぬるま湯を熱くもしよう。でもちくしょう、あちぃよ、あちぃんだよ。

[Peach Pie (Pear Pie)のレシピ]
そんなわけで最近は日々頭から湯気をだしながら授業から家に帰ってくるわけだが、週末くらいはちゃんと気持ちを切り替えて心穏やかに過ごさないと身体に悪い。心に負った手ひどい火傷に対する一番の薬はうさぎのくれる軟膏ではなくて糖分なのである。よしきた、季節の果物をたくさんつかったパイを焼こうではないか。


DenverでPJとともにhouse sitterをしたおうち(PJの大学時代の友達の家なのだが)には庭に小さな桃の木が二本あった。こちらでは夏は桃のシーズンなので、ごらんのように三日に一度は抱えきれないほどの桃を収穫することになる。こちらの桃は日本のような果肉がとろけるような白桃ではなく、もう少しちいさく、酸味があって固い黄桃がメインである。しかしこの大量の桃、とてもふたりでは食べきれない。どうしたものかと考えた結果、パイを焼くことにした。どちらかといえばずっしりタルト派のわたしではあるが、アメリカでは焼き菓子といえばアップルパイに代表されるパイである(タカトシの「チェリーパイ」「欧米か」の懐かしいやり取りを思い出してほしい)。まぁいっちょ焼いてみるかと思い焼いてみたらこれがなんというかほんとうに美味しかった。

しかもこのレシピはかなり応用が効いて、固めの洋梨でもリンゴでも代替可。是非一度、季節のフルーツが大量に安売りされている時に作ってみてください。それからアメリカのパイクラストは日本のパイのようにさくさくほろほろと崩れる折りパイではなく、ガーッとFPをつかって混ぜるだけの練りパイが主流なので、これもらくちん。わたしは固めのざくざくが好きなので、キッシュの生地を使っています。


[フィリング材料]
☆黄桃 小8から10 個 (合せて1.5kgくらい。洋梨なら5, 6個くらい)
☆レモンまたはライム果汁 大1
☆ブラウンシュガー (あればバニラシュガー)70g (アメリカ 1/3 カップ強)
☆白砂糖 70g (なければどちらかの砂糖合せて140g アメリカ2/3カップ強)
☆シナモン、オールスパイス、カルダモンなど好みのスパイス 小1
☆コーンスターチ 大3
☆蜂蜜 大1
☆アーモンドエッセンス(なければ省略可)小1
☆卵 1個
[クラスト材料]
★薄力粉 240g(わたしは全粒粉を使っています)
★バター   140g(わたしは発酵バター: cultured butter を使っています)
★卵 1個
★砂糖 大1
★塩 小1/2
★冷水 30ml

①前日にキッシュの生地のレシピの①から④を参考にして生地を仕込んでおく。二つの丸くて平ためのかたまりにわけてラップできっちり包み、冷蔵庫で一晩寝かせる。
②打ち粉をした台とめん棒でそれぞれのパイ玉をパイ皿の大きさに合わせてのばす。一つはバターを塗り小麦粉をはたいたパイ皿に敷き込んで、もう一つは平たくのばしたまま、どちらも乾燥しないようラップをかぶせて冷蔵庫で保存。オーブンは215℃(420°F)に余熱。(なお、パイ皿に敷き込んだほうは、上に余った部分を左手の親指と人差し指のはらでちいさな「く」の字をつくり、生地の外側にそれをあてがい、右手の人差し指で「く」のくぼみ部分を押し込むようにすると波形ができる。)
③[桃の場合:湯剥き]大鍋に湯を沸かす。桃はお尻に包丁で大きめのX字を入れる。
④湧いたお湯に桃を投入して約2分待つ。湯きりして桃のかわをぴろぴろとはがす。なお、梨やりんごの場合はこの行程は不要。ただ普通に包丁で皮を剥いてください。桃もあまりに固いものの場合は湯剥きがうまくできないので、その場合は諦めて普通に皮を剥いてください。
⑤皮を剥いた果物をスライスしてゆく。固めの洋梨やリンゴの場合とくに薄くスライスすること。このレシピでは下煮をしないので、薄くして(1mmくらい)オーブン内で火が通るようにするのが肝心。レモンないしライム果汁をまぶし、変色をふせぐ。
⑥ブラウンシュガー、白砂糖、スパイス、コンスターチをボウルに入れ、泡立て器でよく混ぜる。
⑦果物に⑥をふりまぶし、果物が完全に⑥でコーティングされるようにまぜる。さらに蜂蜜、アーモンドエッセンスを加え、また混ぜる。
⑧②でパイ皿に敷いた生地の底に溶いた卵を刷毛で塗っていく。余った卵は上に塗るのでとっておく。卵を塗ることでパイがかりっとするが、この行程は省略可。
⑨⑧に⑦をおたまなどですくいいれていく。ボウルにのこった茶色い液体も必ず全て入れること。多すぎるかな、と思っても大丈夫。焼くと多少かさがへります。入れる時に若干中心が盛り上がるようにすると焼いた後に見栄えがいいです。
⑩ここからはいわゆる "latitce crust" といわれる、格子状のクラストの説明。②で冷蔵庫で冷やしてある平らなパイ生地をとりだし、幅1.5cm程度のストリップに切り分ける。全部で10本くらいになるはず。最初に縦になるストリップ(端から1本おきにとっていく)だけをすべて並べ、次に残ったストリップを一本ずつ横に並べ、縦ストリップの上下にくぐらせていく。lattice crustにはいろいろな作り方があり、ネットにもいろいろ載っているのだけれど、Smitten Kitchenというアメリカ人料理ブログのがわかりやすい。言葉ではなかなかうまく説明できないので、これを参考にしてください。
⑪あまったナイフでストリップを切り落とし、指で下のクラストに粘土遊びをするようにくっつけていく。⑧で余った卵液をストリップに刷毛で塗っていく。あればバニラシュガーを上からさらさらと散らしてもよい。
⑫アルミホイルを敷いた天板にのせ、215℃(420°F)のオーブンで20分。185℃(370°F)に下げてさらに30から40分。中の茶色の液体がぽこぽこと吹き上がってクラストにかかるくらいが理想(だから下にはアルミホイルを敷いた方がいいです)。
⑬粗熱がとれたら冷蔵庫で2時間から3時間冷やす。冷やさないとフィリングが固まらないので食べられない。室温に戻して召し上がれ。

ちなみにレシピの写真はさきほど鼻息を粗くして作った洋梨のパイだったのですが、焼き上がる頃にはあらふしぎ、気持ちも穏やかになっておりました。いまちゃんと冷えたのでコーヒーと食べてます。洋梨がまだしゃくしゃくとした食感がのこっていて、とても美味しいです。これで明日もがんばれる気がするよ。

2012年7月18日水曜日

女、三十にして学に志す


去年もそうであったがどうも夏休みに入るといろいろ旅行をするので、あれも書こうこれも書こうと思っていると思わず書く機会を逸するのだけれども、とりあえず短くてもいいのでひとつ久々に書いてみようと思う。

一時間ほど前である、こちら時間で30歳になった。祖母を筆頭に、我が家はサバ読み家系である。サバ読みといってもかわいいもので、歳を若く言うわけではなく逆に上に言うのである。祖母はもう5年も前から、わたし90なの、を繰り返していたので、いったい彼女がいまいくつなのか瞬時に思い出せない。祖母の場合はあら、90歳!とっても見えないわぁ、お若いのね、と言われる快感からだと思うのだが(まぁ実際、外見は矍鑠とした祖母であるので90にはとても見えないので電車でもなかなか席を譲ってもらえない)、ばあちゃん子のわたしも27を過ぎたときからいやもう30だからね、などとことあるごとに繰り返してきたので、この夏で30になるのだといってもいまひとつ実感がなかったのだが、おとといあたりからなんだか胸騒ぎがしてならず、夜中に目が覚めるわ、腹はくだすわで、なににそんなに緊張しているのかと思えば、どうやら30になることに身がすくんでいるらしい。

十有五にして学に志す、三十にして立つ、四十にして惑わず、などと言われるわけだが、多くの身の回りの三十たちは立派に社会人になって、これからの人生どうなるのかってなんとなくは見えて、直立とはいわないまでも半腰くらいで立ててはいるのだろうが、2000年代に入り十余年も学生をやっていると、その基本姿勢は地を這うようで相変わらず先行きはなかなか見えない。しかも異国で暮らし謎の異国人と真剣交際などをしていると、自分がこれからどこに暮らすのかのレベルで地球規模に先行きが見えない。さらに加えてqueer studiesなどをやっていると、sexualityってなんだね、結婚てなんだね、intimacyってなんだね、と今度はホルモンレベルで先行きが見えない。どうにもこれがおっ立たないのである。

そんなわけで一回ひとりになってこれからの10年を考えてみようと、せっかくの誕生日なんだから早く来なよ、という現在ColoradoはDenverで避暑中の謎のアメリカ人に対し猛烈な勢いで、いいやあたしは30の誕生日をひとりで迎えるんだ、ひとりで立てるか見てみるんだ、と啖呵をきってはみたものの、考えてみれば恥ずかしい話、これがわたしにとって生涯ではじめて、ひとりきりで過ごす誕生日である。咳をしてもひとり、などと放哉的に呟きながら、黙々と淡々と、120冊のリーディングリストから1日1冊ずつ本を読んでかれこれ三週間がすぎ、いやぁひとりきりたとはかどるはかどる、などと思って突っ走ってきたのだけれど、ふとしたときにやはり思うのは、果たしてわたしはどういう人生を生きていきたいのか、ということなのである。

子供が絶対にほしいというわけではない—が、子供がほしいという気持ちは心身共に理解できるようになった。結婚がしたいというわけではない、いやむしろ頭でっかちな懐疑的は深まる—が、愛する人とすこやかに一緒にいるために国家の助けが欲しくなることがあるのもわかった。アメリカの阿呆のように広い空の下で生きたい―が、異国で親の老いを静観することができないのも知っている。けれどどんなにいくつかの問いの間で揺れようとも、崩れない軸は研究は続けたいということであったので、我ながらけっこうかわいいところがあるんだな、と思った。自分の論文の掲載された雑誌が、過去何十年分ものバックナンバーとともにあの2号館の黴臭い図書館に入っているのを初めて見た時に、自分が死んでも誰かがこれを手に取って読む可能性が(少なくとも理論上は)あるのだな、と思った時に、ああ、なんか、生きててよかったな、と思ったあの夏の日を思い出す。わたしはどうしても、教育と研究に携わっていたい。この先10年の抱負はそんなわけで、どんなかたちであれ誰かの為になる研究をすることであり、どんなかたちであれもう少し若い女性研究者に、あ、ああやって生きてもいいんだな、と思ってもらえるようになることである。

だから今夜は立てずとも、こんなよい月をひとりで見て寝る。それがひとりでないことも、知っているから。


でもなんか辛気くさいので週末に誕生日ケーキのレシピをこのポストにアップする予定。みなさん、30歳のわたしをどうぞこれからもお見守りください。

[追記]
上のケーキのレシピをアップしようとしたら覚え書き自体を紛失した模様なので、また見つかったら書こうと思います。とりあえず3つのオレンジチップで三十路トリニティを表現してみました。透けるオレンジを通してみる私の未来が南部の夏空のようなものでありますように。





2012年5月16日水曜日

Cinco de MayoとTex-Mex


さてここ二週間忙しすぎて書く時期を逸してしまっていたのだけれど、去る五月五日はアメリカではCinco de Mayoと呼ばれる祝日であった。友人Yがふざけてチンコデマヨと呼んでいたのを真に受けた素直なわたしは喜び勇んでチンコデマヨ、チンコデマヨ、と連呼していたのだが、ほんとうの読み方はシンコデマヨに近い(なぜかチンコの日本語の意味を知るPJが冷静に、おやめなさいお嬢さん、と注意してくれた)。スペイン語でそのまま五月五日を意味するこの日は、メキシカン・オリジンを持つアメリカ人たちが自分達の文化起源を祝う祝日である。


Cinco de Mayoを目前に控えた五月四日、最後の授業でわたしはGloria Anzaldua(アンサルドゥーアと読む)の "How to Tame a Wild Tongue" というエッセイを教えた。AnzalduaのエッセイはChicano/Chicanaのアイデンティティにとっていかに、Chicano Spanishという言語が重要であるかを雄弁に語る(雄弁にという言葉がクリーシェではないことをこんなに力強くかたるエッセイも中々ないように思う)。恥を忍んで言うと、たとえばChicano Literatureという言葉を聞いた時に、アメリカ文学研究専攻でありながら、…メキシコ系文学、ですよね?というくらいの雑な理解しかなかった私にとって、これをCinco de Mayoの前日、最後の授業で教える、というのはけっこう大きな感情的意味があった。一言で言えば、Chicano/Chicanaというのは、メキシコ系アメリカ人を指す言葉である(Chicanoの語源には諸説あるが、Mexicanoが変化してチカーノになった、という説が今のところは有力らしい)。もともとは貧困層のメキシコ系アメリカ人を揶揄して指すものだったChicanoという言葉をメキシコ系アメリカ人が自分達の文化的アイデンティティを示すために自ら使いだしたのは、1940年代にはじまり、1960年代後半に最盛期を迎えたChicano Movementという、一種の公民権運動の中でのことである。この運動の中で、Chicanoという概念はメキシコ人でも、アメリカ人でもない、二つの(あるいはそれ以上の)文化が交差したところに産まれるハイブリッドなアイデンティティを指すようになった。

テキサスに生まれ育ったAnzalduaは、状況に応じて多くの言語を使いわける。スタンダード・イングリッシュ(いわゆる「標準英語」)、労働者階級の使う英語スラング、スタンダード・スパニッシュ、スタンダード・メキシカン・スパニッシュ、北メキシコのスペイン語方言、そして中でも彼女がもっとも自分にとって身近に感じるとする、Chicano SpanishとSpanglishとよばれるTex-Mexである。Chicano SpanishとTex-Mex(この二つは厳密には異なるものだが)は、英語とスペイン語、それぞれのスラングや方言が入り交じった言語だ。アメリカで育つメキシコ系の人々は、北アメリカに特有のアクセントでスペイン語をしゃべるし、スペイン語に影響されたアクセントで英語を話す。二つの(そしてその多くのヴァリエーションの)言語は、どちらもChicano達の人格形成期に大きな影響を持つ。家ではMexican Spanishが使われる事が多いし、学校や公的な場では英語が使われる。自己というのは多様な層からなるもので、公的な場で振る舞う自分も、家庭内の自分も、また友人、恋人に対する自分も、すべてが自己意識の一部分を担うもので、そのどれかの状況で使われる言語のひとつだけをとりだして「自分の言語」選ぶのは不可能である。だからこそ、Chicanoの言語は、多様な言語を混ぜ合わせたものとして産まれた。Anzalduaの文章は、それゆえ、スペイン語話者ではないわたしにとっては時に難解を極める。たとえば、彼女はChicano Spanishに関してこう書く。

But Chicano Spanish is a border tongue which developed naturally. Change, evolución, enriquecimento de palabras nueva por invención o adopción have created variants of Chicano Spanish, un nuevo, lenguaje. Un lenguaje que corresponde a un mode vivir. Chicano Spanish is not incorrect, it is a living language.

それにも関わらず、彼女の文章が異様に心に響くのは、それが複数の言語に囲まれて生きる人間のアイデンティティ形成の複雑さを物語るからである。Anzalduaは言う。

Chicanas who grew up speaking Chicano Spanish have internalized the belief that we speak poor Spanish. It is illegitimate, a bastard language. And because we internalize how our language has been used against us by the dominant culture, we use our language differences against each other. Chicana feminists often skirt around each other with suspicion and hesitation. For the longest time I couldn't figure it out. Then it dawned on me. To be close to another Chicana is like looking into the mirror. We are afraid of what we'll see there. 

 中学から英語を学ぶ事が義務づけられていながら、日常では英語にさらされずに生きることができる国で育ったわたしがAnzalduaの描く二言語状況に共感するというのもおかしな話だが、standardな言語に照らした時、自分の言語がどう響くかという問題は、外国人として英語でアメリカ人にアメリカ文学を教える時に、つきまとうもののひとつだ。わたしはどれだけこの言語を理解できているのか、細かなニュアンスは、スラングは、果たして理解できているのか、わたしの英語は相手に完全に届くのか。どれだけ練習を積んでも、どれだけ大丈夫だと言われても、不安は常に残る。Standard Englishに自分の言葉を照らしあわせ、時には金縛りにあったように言葉を失いそうになることもある。ひとつひとつの言葉の発音を確認するように、授業の前には自宅で自分の書いたスクリプト―実際の授業でそれを使うことはないにしても―を読み上げる。そうやって生徒の眼差しに臆することのないように、英語で自分を作り上げる。大丈夫、わたしの英語は少しあなたたちとは違うかもしれないけれど、わたしを教師として信頼してほしい、わたしはこの作品を理解しているし、あなたたちとそれを語り合ってお互いに理解を深める準備もできているから、と、片時も崩さない笑顔で、常に語りかける。

言語とアイデンティティというのは、深くきり結ばれている。

So, if you want to really hurt me, talk badly about my language. Ethnic identity is twin skin to linguistic identity--I am my language. Until I can take pride in my language, I cannot take pride in myself. 

わたしにはChicano SpanishやTex-Mexに相応する、日本語と英語を合せたJapanglishのような言語はないので、英語で話すときは知らぬ間に、英語環境内でのアイデンティティのようなものを構築しているように思える。ひとつには日本語で話すときのようなこざかしさがわたしの不完全な英語では再現できないから、というのもあるけれど、英語のわたしは、日本語のわたしより、よく笑い、まっすぐで、表情も豊かだ。妙な話で、日本語で話していると(時に知らないひとと話している時)よく痰が絡むのだけれど、不思議なもので、英語でこれが起こった事はなくて、たぶんそれには喉のどの部分を使うかというのが関係しているのだとは思うけれど、同時にまた英語で話すときのほうが、肉体的はある種の文化的拘束から自由であるように感じる。けれど、しばらく毎日英語で話していると、日本語の自分が懐かしくもなる。下品で、賢しらだっていて、自意識過剰だけれども、同時にどうしようもなく言語そのものに対して真摯な自分が、ああ、あの人はどこにいったのかな、とふと不安になるとき、カリフォルニアにいるYと思い切り日本語で話したり、またこうやってブログを書いたりする。それは疑いようもなく、わたしの大切な一部である。だから、日本語のわたしを知ってもらうために、授業の最後には(この間のポストを書いた時から智恵子抄がやけに頭に残っていたので)、光太郎のレモン哀歌を日本語で朗読した。我ながら臭いとは思ったけれど、それは、恥ずかしいので南部訛を抑えることもあるという生徒達に、彼らの言語がどれだけわたしにとって柔らかく美しく響くかと言う事を、知ってもらうためでもあったと思うし、最後に拍手をもらった時には、やっぱりこうやって教えることができるのは幸せだな、と思った。


[Taco Saladのレシピ]
正直言って、アメリカ版のメキシコ料理であるTex-Mex(テキサスにはメキシコ系アメリカ人が多いので、独特の食文化が発達している)は、なんだか脂っぽいし重たいしで苦手意識があったのだけれど、Anzaluduaのエッセイを読んでなんだかしみじみTex-Mexのもつ文化的意義のようなものに敬意を表したくなったので、Cinco de MayoにはTex-Mexを自分で作ってみた。とはいえ申し訳ないがやはりTex-Mexの基本はメキシカンに大量の肉やチーズ、サワークリームを追加したもので(タコチップにサルサ、チーズ、ワカモーレ、タコミート、サワークリームをのせたナチョスなどはTex-Mexの代表で、メキシコではあまり食べないそうだ)、三十路を目の前にした身体にはしんどいものがあるので、ここはひとつTex-Mexの中でも比較的ヘルシーなTaco Saladを作ることにした。いろいろネットでレシピを検索したのだが、驚くべきことに多くのレシピが材料に「サラダドレッシング:1本」と明記しているのがそれにはさすがに腰が引けて、このレシピでは濃い味のタコミートでほとんどドレッシングいらずのサラダを実現している。材料は4人分だがいつもどおりPJとふたりで完食した。見かけはいまひとつですが、おいしいです。


☆アイスバーグレタス 小1玉
black bean salsa (またはふつうのサルサ)1カップ
☆トマト 2つ
☆オリーブ 5つ(なくても可)
☆トルティーヤチップ 好みの量(多め:袋1/3くらいがおすすめ)
☆シュレッデッドチーズ 1/2カップ(わたしはメキシカンミックスを使っています)
☆玉ねぎ 1/2個
☆にんにく 1かけ
☆ひき肉 200g(わたしはここではground turkeyを使っていますが、beefでももちろん可)
★オニオンパウダー 小1
★チリパウダー 小2
★パプリカ 小2 (あればスモークドパプリカ)
★クミン 小1
★カイエンヌペッパー 小1/2から1
★ガーリックソルト 小1 -2(味を見ながら)
★砂糖 大1/2-1
(上記★はタコシーズニング大1から2でも代用可)
◎シラントロ ひとにぎり
◎アボカド ひとつ
◎グリークヨーグルト 1/3カップ(またはvegenaise 大2)
◎ライム 1
◎蜂蜜 大1
◎ガーリックソルト 小1/2-好みで
◎タバスコ 好みで
(上記◎はアボカドドレッシング用。市販の好みのドレッシングで代替化)

①たまねぎ、にんにくはみじんぎり、トマトは8mm各のダイスに。
②フライパンにオイルを熱してにんにく、たまねぎの順に炒める。
③両方とも透明になったら(またはうっすら色づいたら)ひき肉をいれ、さらに炒める。色づいてきれいにほぐれるまで。
④シーズニング(★)を順に加えていく。これは好みなので(そして完全に上の分量も感覚なので)味を見ながら。サラダのトッピングなので辛目&濃い目がおいしい。
⑤トマトの半量(一つ分)を加え、さらに炒める。トマトの水分が完全に飛ぶまで。
⑥アイスバーグレタスは粗めの千切り、オリーブはうすぎり、チップスは袋のなかで粗く(あくまでとても粗く)くだく。
⑧ドレッシングを作る。シラントロは細かいみじんぎり、アボカドは身をくりぬいてフォークの背で潰してクリーム状に。ヨーグルトその他の材料を混ぜ合わせる。
⑨大きなボウルでアイスバーグレタスと残ったトマトのダイスを和える。その上にサルサ、チーズ、⑤のタコミート、チップス、オリーブを順番に乗せていく。
⑩アボカドドレッシングを添えて、それぞれとりわけて、ぐちゃぐちゃに混ぜて食べる。


[Cevicheのレシピ]
セビチェ、と読むこの料理はTex-Mexではなくて普通のメキシカンなのだけれど、たまに無性に生魚が食べたくなるわたしにとって救世主ともいえる料理である。ただし大量のレモンおよびライムを絞ることになるので、ある意味ではレモン哀歌な料理でもある。レストランではけっこう値段が張るのにおさらにちょこっとしか出ないけれど、自分で作ればこれでもかというほどお腹いっぱい食べられます。あとやっぱり見た目がとてもきれいで夏にぴったり。


☆ティラピアなど、白身の魚 400g
☆レッドオニオン 1/2個
☆シラントロ ひとにぎり
☆serrano pepper 2つ(またはjalapeno 1つ)
☆トマト 小1個(できればromanoなど、水分少なめのもの)
☆red (yellow, orangeでも可) bell pepper 1つ(省略可)
☆にんにく 1かけ
☆しょうが 1かけ
★レモン 2つ
★ライム 10個
★すし酢 大2
(★柑橘類の絞り汁と酢を合せて250ccになるように。わたしはレモンの酸味が苦手なのでライムをたくさん使います。香りがよいです。お酢は本来なら使いません。)
☆蜂蜜 大1-2
☆塩 小1
☆昆布茶 小1(なければ塩をすこし増やして)
☆カイエンヌペッパー 好みで

①レッドオニオン、シラントロ、serranoまたはjalapenoはすべてみじんぎり。しょうがとにんにくはすりおろす。トマトは8mm角のダイスにして、種を取り除く。bell pepperも同サイズのダイスに。
②★をすべて絞り、蜂蜜、塩、昆布茶、カイエンヌペッパーで調味。
③魚は1cm各のダイスに。骨も皮もすべてとってあるものをつかうこと。
④ガラスの器など、酸化しない容器に①から③をすべていれ、混ぜ合わせる。冷蔵庫で2-3時間マリネする。途中でかき混ぜて、魚の断面がすべてマリネ液で覆われるように。ピンクがかった魚が白くなれば食べごろ。邪道だが食べる時に数滴しょうゆをたらしてもよい。


そんなこんなで、今年も無事にアカデミックイヤーが終わり、ついにまた夏休みがはじまった。San Franciscoで行われるAmerican Literature Associationの学会で発表をしてから、友人Yの待つLAにしばらく滞在して、6月には日本に帰る。大切な人たちに、それから日本語の自分自身に会える、わたしにとってはかけがえのないひと月である。なので多少髪の毛が伸びすぎていてポニーテールにしていてアメリカのアジア人みたいになっていてもいじめないでほしいと思う。わたしだって前髪作りたいけど、こっちの美容院、どんなことになるか恐ろしくてまだ行ってないんです。だってみんなすげぇぱっつんなんだもん…

2012年5月7日月曜日

お買い物抄

Baton Rougeというのはいちおうルイジアナのstate capitalなのだが、州都という名前に反してこれがまた逆立ちしても都と呼ぶ事ができない片田舎である。片田舎という風に呼べるようになったのはたぶんここに2年住んで、そろそろこの街を自分の一部としてこの街を認識しはじめて、卑下することに抵抗がなくなったからだと思うのだが、とにかくここは都市ではない。公共交通機関や大きな美術館や単館系の映画館はない。湖はある、大きな空はある。しかし智恵子はBaton Rougeには空はあるがデパートはないと言う。ほんとうのデパートが見たいという。これはあどけないお買い物の話である。



80年代の東京に生まれ90年代の東京に育ち、女家族と女子校の環境で思春期を過ごすとどうなるかって、女はマテリアルガールになる。どのくらいマテリアルガールになるかというと、小学校の時に習っていたバトンの発表会で、麻布十番夏祭りでマドンナのマテリアルガールにあわせて緑のレオタードで踊り狂うくらいマテリアルガールになる(ちなみにこのマドンナの歌とはなかなか縁が切れず、マテリアルガールにのせて乱舞するかの有名な「板尾の嫁」をわたしはやがて地元のスーパーで幾度となく目撃することになる)。別にお金が別段好きなわけではないし、高級ブランドが好きなわけでもないし、物質文明に嫌気をもよおさずに生きいられるわけでもない。だからこそある種のロマンチシズムをかくも美しく拗らせて大学というところにかれこれ12年もやっているわけだけど、困った事にわたしはお洋服が大好きなのである。

何が困ったかというと、大学院生と書いて赤貧と読むくらい大学院生はお金がない。前にも書いたけれども、アメリカの大学院生というのは学校や学部によって差はあれど、大抵はteaching assistantshipというのをもらって実際に学部生に教え、そのお給料で暮らす。LSUは公立大学の英文科の中では業務時間に比べてもらえる額が比較的高く、物価も安いので普通に生きる分には(貯金はできないにしても)まったく支障ないように思える。が、実際に月々支給される額というのは、初めに年額として提示される額を単純に12ヶ月で割ったものではない。教えることによって授業料は免除になるのだけれど、LSUでは諸経費と称されるものを年間2000ドルくらいと大学の健康保険料(これは年600ドルくらい)を支払わなければならないし、毎月の本代も馬鹿にならないし、留学生は税率もアメリカ人とは違うので(これは州によるがわたしの場合は月額200ドルくらい違う)、自由になる月々のお金は雀の涙ほどである。

しかしこれは正直なところなのだが、東京にいたときよりも物質的に困窮しているという実感はほぼない。アメリカにいると(これがNYCとかLAとかだと違うのだろうけれど)そんなにお金を使わないのである。東京に帰ると思うのは、この街にいると常にいたずらに欲が刺激されるということだ。ほとんどそれは性的刺激にも近く、たいしてその気もないのに常に誰かに触られてなんとなくたかまってしまうような感じで、気づけば欲しくもなかったはずのものがつい買い物袋に入っている。東京というのは物質欲の痴漢電車である。当たり前といえば当たり前で、欲望というものが本来的に他者の欲望に対する欲望だとすれば、Baton Rougeの大きな空とlive oakの樹に抱かれた過疎的な環境で他者と隔たって生きていれば、当然に欲は湧かない。今日も元気だご飯がうまい、研究は楽しい、愛に満ちた生活だ。なにをこれ以上望もうか。いやしかし、しかしである。お洋服がほしいのだ。これはもう病気のようなものだと思うのだが、繰り返すがわたしは服というものが好きである。別にわたしはファッションフリークなわけではなくて、ハイブランドの服がほしいとか、エッジーなかっこをしたいとか、そういうわけではないのだけれど、とにかくいろんな服がクローゼットに掛かっているのを見るとそれだけでほぅと桃色吐息が漏れるし、新しい服を買えば延々とひとりファッションショーをする。



ファッションや消費はアイデンティティのパフォーマンスである、という口幅ったい言い方に関しては多少の疑義はあるものの、腹の底ではやっぱりそうだよな、と思わざるをえないところがあるし、少なくともわたしにとってファッションというのは自分の女性性をどう折り合うかという二重の意味で悩ましい問題に深く関わっている。あまり知られていないことだけれど、The Awakening といういわゆるフェミニストクラッシックで有名なKate Chopinという世紀末作家(ルイジアナを舞台にケイジャンやクレオールの人々の生活を描いた牧歌的な作品を多く残しているので彼女の作品はわたしの研究対象でもあるのだけれど)が最も多く作品を発表した雑誌は実はあのVogueである(英文学専攻なら誰でも一度は読んだであろう "The Story of an Hour" もVogueが初出だし、これは1960年代に再発掘されるまで短編集など他の形では出版されていなかった)。Vogueがアメリカで創刊されたのは1892年、当初はNew YorkのFour Hunderedと呼ばれる一握りの上流階級の女たちをターゲットにした雑誌だったのだけれど、当時のVogueのマイクロフィルムを見ると、これがおもしろい。写真は1895年のある月の表紙なのだけれども、下のキャプションでは男女の会話が描かれる。「彼を不幸にしてやりたいの、どうしたらいいかしら」「そいつと結婚するのが一番いいと思うよ」。写真の通り当時のVogueはフェミニニティを全面に押し出したファッションをノームとして提示し続けていたのだが、中身を読むと結婚、出産を女の幸せの絶頂とする言説に対する皮肉(そしてそれに社会的には従わざるをえない自分達に対する自嘲)に満ち満ちている。こんな雑誌だからこそ他の文学誌からはNGをだされつづけたChopinの性描写の多い作品を掲載しつづけたわけだが、Vogue読者たちにとってファッションによって構築されるドラッグ・クイーンばりのover the topな女性性は、社会的な力あるいはファルスへの欲望を隠蔽するためのマスクである。これは今の時代でもおそらくそうだけど、金や権力を持つ女というのはとかく「で、結局のところいい女なの?」という半笑いの攻撃の前にさらされ、その言葉の馬鹿らしさを頭では理解しながらも、たじろぐ。この種の戦略の嫌らしさというのは、それに対する怒りを表せば、ああ怖い怖い、ほんとに女としての魅力にかけるね、とまた半笑いで返されることだ。だからこそ表面的に社会が理想とする女をやってれば、文句はないでしょう、と、ダックテープで股にぶるさがったものをタックして、笑顔のいい女を演じる。そういう時、女にとって女性性とはdragに等しい。



金も権力もないわたしにはポークビッツほどのファルスしかないのだが、それでも、こう言いたくはないがやはり、日本にいるときは正直しんどいなぁと思うこともあった。特に26を過ぎてから留学する前くらいが辛さのピークで、正直結婚焦ってるんでしょ、とか、そんな学歴で嫁の貰い手あるの、とか、まぁそんなことを言われるたびにはらわたを煮えくりかえしながら、そうなの困っちゃう、と目の奥の氷のような冷たさを隠すべくてへぺろで答えたものだ。アメリカに来てほんとに大きく深呼吸ができるように思えたのは、実はこういう経験をしなくて済むというのも大きくて、それは言語的不自由によって短小ファルスさえ去勢されたというだけでなく、ポリティカリーコレクトに敏感な社会がある種上記のような攻撃をすることをがちがちに規制しているので、別段女らしくしていなくても不快な思いをする必要がない、ということに関係していると思う。こと人文系の大学院にいれば、非婚の教授は男女問わず当たり前にいるし、ゲイ率もものすごく高いし、なんというか普通のジェンダーノームに媚びへつらっていると逆にそれは憐れみの対象になりうる(これはこれで問題といえば問題なのだが)。


が、これでわたしのお洋服熱が収まったかと言えば、そうではないところがわたしの業の深さである。前にも書いたがアメリカの大学生というのはおしゃれをしない、というのが多くの留学経験談で聞かれたことで、実際に服装をかまわなくても魅力的な人が男女問わずいるのは確かなのだけれど、その一方で少なくともLSUでは多くのおしゃれ女子を見かける。なにが興味深いかと言えばそれは、やはりファッションというのが権力に関わっているのだな、ということなのだけれど、白人女子(特にソロリティの)の多くがNikeの短パンにTシャツという格好を制服のごとく一様にしているのに反し、黒人女子はほんとうに多彩な服装をする。誤解を恐れずに一般化すれば、これは多分、白人女子はある種の社会的権力を既に階級的にも人種的に得ているので、ファッションによって自己表現をするというノームに対してなんらかの自己規制が働いているのに対し、南部の黒人女子はファッションによって自分が洗練されたテイストに代表される文化的権力および資本を持っていることをある程度誇示したいという切迫感があるのではないかと思う。大学院生もティーチングをしないときは首のよれよれのTシャツにジーンズという格好なのだが、教えるときは男女問わずこれがまたばっちり決める。それはひとつには教師というのがひとに見られる職業だというのにも関係あるのだけれど、同時にそれは新米教師としてのある種の不安を払拭すべく、自分の教師としてのauthorityを服によってパフォームしているのだということでもあるかもしれない。こう考えてみると、ファッションというのは第一に自分がその社会の求める美やノームを知っているという文化的洗練を、第二にはそのノームに対する自分の反応―順応する、崩す、ずらす、あるいは抗う—を、第三にはいかにそれを表現する自分を客観的に見る能力を示すもので、それを自分のものにできている(無視するという形でさえよいのだ)人は「強い」のだと思う。

もちろんわたしはこちらでは圧倒的なマイノリティであり、かつ教師としても割ったらひよこがちょっと形になっててドンびきする有精卵くらいの未熟ものなので、ティーチングをする時には自分の中の自信を最大限に増幅すべく服を選ぶ。こちらでは日本のようなゆるふわファッションというのはまず通用しないので、こちらに来てからクローゼットの総入れ替えを行わねば、ということになったのだが、前述のように赤貧なわたしはそんなに服に投資できない(服よりも本を買うというところにわたしの学者の卵としての良心が垣間見られますね)。それから服を買う場所も実はあまりない。Baton Rougeには(というか多くのアメリカの中小都市には)伊勢丹のようなファッションに特化したデパートというものがない。その代わりにモールはある。モールというのはデパート(Macey'sやDillards、JCPenny)を含む、なんというかすべての買い物ができる巨大なショッピング街のようなもので、ずらりとならんだアーケードに無数の店が軒を連ねている。が、このモール、どうも購買意欲をそそらない。アメリカの服屋というのは(大都市ではないかぎり)ほんとうにいまひとつディスプレイが下手で、常にイトーヨーカドーのごとく大量の服が全ての在庫をぶちまけたかのように置かれているので、日本のデパートで洋服を見た時のような身体の奥が痺れる感覚が起こらない。

それではお金がない女子はどうやってアメリカですてきなお買い物をするのか―オンラインショッピングはその答えの一つである。アメリカでは驚くほどにオンラインショッピングサイトが発達していて、どこのブランドも必ずショッピングサイトを持っていて、それがかなり充実しているし、型落ちのセールもまめに行われていて、多くの場合送料は無料、そして返品も無料である(アメリカはリターン天国なので、気に入らないというだけの理由で返品することは普通である)。しかもオンラインだと一点一点の服がディテールや素材も含め吟味できるので、モールで得られない快感が得られる。スタディ・ブレイクにお茶を飲みながら、ああこれが終わったらこれ買うんだ、と夢を膨らませられる。そういうわけで、というか実はこれが本題だったのだが、以下はお金のない日本人留学生女子のためのショッピングサイトリストである。(余談だがファッション雑誌が100種類もある日本と違い、アメリカではファッション雑誌が極端に少ないのだが、そのかわり意外にファッションブログが発達しているようである。有名どころにはStyle.comThe SartorialistCupcakes and Cashmere などがあるが、その名の通り低価格のおしゃれを謳うBudget Fashionista や学部生のおしゃれに特化したCollege FashionYouTubeのスカーフ巻き方講座で有名になったベトナム系美女Wendy NguenのWendy's Lookbookなどもなかなかおもしろいです。)


言わずとしれたアメリカブランドのアバクロは日本より格段に安い。さすがに今年30なのでもうあまり買わないが、Tシャツやジーンズの形のよさとサイズの豊富さはやはり高く評価できるので姉妹ブランドhollister、ライバルブランドAmerican Eagle(アバクロより安い分質やデザインは多少落ちるが、掘り出し物もある。わたしはここのJegginsというジーンズとレギンスの間の子のスキニーパンツを履き倒している)とともにたまにはチェックする。ちなみに広告はいつも男女が半裸体なので、つくづく広告は商品ではなくイメージを売るものだよな、と思う。


下着ブランドの印象が強いVictoria's Secretだが、実は洋服もけっこうある。下着に関しては、ブラジャーは寄せ上げbombshell系が多く、なんでわざわざ痛い思いをしてない乳盛らにゃあかんのだよと思う貧乳のわたしはまず買うことはないのだけれど、パンツ類はかなりよい。トランクス型からティーバックまで安くてわりと頑丈なものが揃うし、5つで25ドルくらい(ただし巨尻のわたしでXSなので合うサイズのない人も多いかもしれない)。なお、下着で日本人女子にお勧めなのは上記のAmerican Eagleの下着ブランド、Aerieで、小さなサイズからあるし、デザインもドッカンドッカンのアメリカンセクシーではなくかわいらしいものが多い。Vicroria's Secret の洋服は多くのものがアメリカ人の思うセクシーを絵に描いたようなもので、いやさすがにちょっとな、と思うことも多いのだけれど、ドレス(といってもドレスではなくワンピースなのだが、ワンピースは和製英語のようでどこのサイトでもDressesというカテゴリーになっている)に関しては60ドルくらいで値段のわりに質のよいものが手に入るのでパーティ用(といってもパーティというよりは単なる飲み会なのだが、前述のように南部はドレスアップに寛容な地域なのでカジュアル・ややフォーマルを問わずワンピースを着る機会もけっこうある)に何着か持っているし、ティーチングの際に着るドレスシャツやタイトスカートも悪くない。しかし特筆すべきはなんといってもやはり水着。日本で水着を買うと1万円ではすまないが、こちらでは上下合せて50ドル程度でなにより品数が豊富である。


日本だとわりと高めなアンスロポロジーだが、こちらではだいぶ安く手に入る。Victoria's Secretのような服に嫌悪感をしめすアメリカ人大学院女子には圧倒的な人気を誇るブランドである。とはいえやはりその他のブランドに比べるとお高いはお高いので、女子たちは包丁を研いでセールを待つ。わたしはふんわり系があまり似合わないので服を買った事はないが、アクセサリーおよびキッチン用品は大変かわいいのでたまに買う。ほぼ毎日着けている大きなフープピアス(20ドルくらい)と、このブログでもよく出ているお皿たち(ひとつ5ドルくらい)はここのものである。なお店舗も大変かわいらしく、行くと癒される。
追記:College Fashionでよく使われているModClothの洋服はヴィンテージの服に想を得たものが多く、Anthropologieの服が好きな女子達にはけっこううけるのではないかと思う。値段はAnthropologieの半額近くで、店舗を持たない完全オンラインショッピングブランドなのでリターンやエクスチェンジもほぼ無料である。


正直言うと日本にいるときはJ. Crewってなんか冴えないなぁと思って店にも入らず敬遠していたのだが、こちらではGap系列のBanana RepublicAnn Taylorとともにこぎれいな格好をしたい20代後半から30代女性に人気で、実際入ってみると意外にかわいいものが多いし、形もきれいで値段も手頃である。いかにも大学院生らしい格好がしたければJ. Crewを着ておいて大幅に間違うことはない(が、なんだかつまらない気がしてしまいわたしはそんなに買わない―「お得感」にかけるんだもん)。とくにシャツやセーターはなかなかよくて、しかも10ドルくらいでイニシャルをいれることができるのでクリスマスにPJのイニシャル入りセーターをプレゼントした。つまりサイズもアジア人女子から特大アメリカ人男子まで幅広く対応してくれるということだ。



Anthropologie同様、Victoria's Secretのセクシーセクシーアイムセクシーな服に嫌悪を示すアメリカ人大学院生および学部生にものすごく人気である。Hipsterと呼ばれるような人たちのファッションを大衆化させたものがUrban Outfittersだと考えてよく、ほんもののhipsterはUrban Outfittersを馬鹿にしがちだが、けっこうかわいいものも多い。だがわたしは以前買ってみていまひとつ縫製と素材の悪さが気になったのですべてリターンしてしまった。なぜか化粧品ブランドStillaの安売りがよくされていて、Stillaのリップグロスとアイシャドウの質のよさに惚れ込んでいるわたしはたまにそれを買うことがある。ちなみにほかのコスメブランドでお勧めはやはりMACで、日本の半額で買えるのだがスモールアイシャドウの発色のよさは特筆すべきものがあり、茶系ばかり5種類とアイラインをぼかすための黒を1種類持っている。なお、同じhipster系に若干ビッチテイストを足したその名もNasty Gal、さすがに買った事はないのでクオリティのほどはわからないけれども、たまに目を疑うほどかわいいものもある。



日本でもお馴染みのForever 21はアメリカン・ファストファッションの代名詞でとにかく安く、選び様によってはかなりよいものもあるので大学院女子にもファンが多いが、わたしは実はあまり好きではない(やはり縫製および素材が気にかかる)。ただし小物に関しては一定の評価ができ、太いラバーのベルトやヘアアクセサリー、スカーフなど小さなところで服の印象を買えたい場合は大変使える。が、洋服に関しては同じファストファッションブランドで言えばスペイン系のZara、イギリス系のTOPSHOP、北欧系のH&Mの順でクオリティが高く、Forever 21は残念ながらそれよりもだいぶ劣るように思う(ZaraとTOPSHOPはどちらもなかなかよいのだけれど、Zaraのほうが品数は豊富)。どれもアメリカ用のサイトはあり、日本と同じ商品が3割程度安いのだが、もともとのアメリカブランドではないのでリターンなどの点でやや面倒なのが難点である。
追記:日本には入っていないイギリス系のファストファッションブランドASOSは店舗を持たないオンライン専用ショッピングサイトだが、トップス、ドレス、アクセサリー類に至るまで、どれをとっても個人的にはTOPSHOPやZaraより質が高いように思う。値段もかなり抑えめで、H&Mと同じくらい。オンライン専用なのでフリーシッピング&フリーリターンなのもポイントが高い。


Charlotte Russeは日本には入っていないと思うのだけれど、Forever 21同様、とにかく安いし、私見では素材および縫製もForever 21よりも若干よい。どこのモールにもほぼ必ず入っているアメリカブランドで、一度友人に連れられて店舗に入った時はあまりのごった煮感に、うげ、と思ったのだけれど、実は掘り出し物も意外に多い。特にブラウス類はかわいいものが多く、わたしはよくティーチングの時にタイトスカート+ふんわり系ブラウスという組み合わせをするのだが、その際に大変便利である。滅多にしない夜遊び用のキラキラ系トップスも20ドル前後で手に入る。ベルト類も豊富。大人でも着られるものは多いので、もう少し評価されてもよいブランドなんじゃないかと思う。


ターゲットはWalmartよりグレードが若干高いスーパーで、食料品だけではなく家具から生活雑貨、服や靴も揃う。わたしもこちらに来たときは生活のセットアップのために来てくれた友人Yとともに家とターゲットを10往復くらいしたのだけれど(ああその節はほんとうにありがとう、あなたに買ってもらった大きなピロウは今でも愛用してるよ)、いまだにどれもしっかり使えている。靴はけっこう大学院女子の評価が高く、ティーチング用ヒールをここで選ぶ人も多い。服に関して特筆すべきはたまに行われる有名ブランドとのコラボ(ユニクロみたいな)。写真はJason Wuという中国系アメリカ人デザイナーとのコラボレーションもので、本家は失禁するほど高いのだけれど、わたしは真ん中のワンピースを40ドルくらいで買ったのだが、これを来ていると知らない人たちにとにかく誉められるのでテンションがあがる(ちなみにアメリカ人は見ず知らずの他人でも道で服を誉める。南部だけではないと思うのだが、とくに南部にいるとびっくりするほど男女とわず知らない人が服にコメントをくれる)。



靴に関して言えば、PiperlimeShoes.comなどもあるけれど、わたしはなんとなくレビューの豊富なzapposを推している。値段に関係なくフリーシッピング・フリーリターンを謳っているので、靴という大変サイズセンシティブな商品をオンラインで買う際にはありがたい。万年ハイヒール派のわたしにとって、アメリカで靴を選ぶのは至難の業なのだが、TSUBOYOU by CrocsAerosolesIndigo by Clarks の4ブランドはどれも100ドル程度でありながら、ある程度のヒールがありつつ大変にパッディングがしっかりしているので、女子たちの見果てぬ夢である「走れるハイヒール」が実現されうる(女子がこぞってヒールで歩く日本と違い、ハイヒールが特別のオケージョンのための国アメリカでハイヒールを買おうとするとAmy Winehouseいうところの "Fuck me pumps" ばりの10cm以上のヒールが多くてずいぶん困っていたのだが、この四ブランドは5cmから7cmの地に足のついたミディヒールをたくさん出しているのでありがたい)。ちなみにどのブランドも本家のショッピングサイトで買うよりもZapposのほうが安いことが多い。Piperlimeとともに服もなかなか豊富でいろいろなブランドを取り扱っているが、わたしの好きなBCBGとそのセカンドラインBCBGenerationが安く手に入ることもまれにある(なお、セレクションのおしゃれ度に関してはPiperlimeのほうが俄然高く、日本でもわりと有名なRachel ZoeのRachel Zoe Picksなどもある)。



言わずとしれたアマゾンだが、本家アメリカでは日本より断然規模が大きく、本はもちろん家具から食料品、オフィスサプライにおとなのおもちゃまで揃う(最後のは買ったことありませんが、某大学院女子がそう言ってました)。意外に服や靴もあり、一見の価値はある。ちなみにAmazon Studentというのを見過ごしてはならなくて、これに加入すると2-Day Shippingがいつでもただになる。初年度は無料、次年度以下がいくらだったかは忘れたが、本を買いまくるのが仕事の大学院生ならば間違いなくもとがとれる。


さて最後は日本でも建物前のドアマンで有名なBarneys New Yorkとともにアメリカのおしゃれデパートの双璧をなすBloomingdalesのショッピングサイトである。もちろんお値段は張るので、基本的に苦学生のわたしがここで買い物をすることはないのだけれど、去年のクリスマスにカリフォルニアからYという名のサンタクロース女子が一年よくがんばりましたとここで買ったTheoryのセーター(奥さんカシミアですよ)をプレゼントをしてくれたのがきっかけで、たまにチェックして妄想に浸るようになった。VinceJoe'sなど日本のおしゃれ女子も大好きなブランドが勢揃いで目の保養になる(ちなみに詳細は省くがYの涙のがんばりでなぜかわたしはbloomingdalesからただでJoe'sの紫のパンツをただでせしめてしまう事になったのだが、LSUカラーのためこれを履いていると皆笑顔で話しかけてくれる。サンタさんはほんとにいるんだよ)。それになにしろ日本よりはどれもだいぶ安く買えるのでなにか特別なことがあったらここで買い物してもいいんじゃないかと思うんです。特別なことってなんだろうって、まだわかんないんですけど…。


をんなが附属品をだんだん棄てると
どうしてこんなにきれいになるのか。

智恵子も内心、なにいってんだか、と思っていたかもしれない。少なくともわたしにとって附属品は附属品ではなくわたし自身である。そんなわけで、ついに大学はファイナルズウィークに突入。今回はレポートは一本だけ(18世紀末から19世紀末のSentimental Fictionについて)なのだが、後に生徒の最後レポートと試験のグレーディングが控えているので油断はできない。貧乏暇なしとはこのことよ、とほほほ、と思う事もあるけれど、こうやって少しずつお買い物もして、好きな研究ができているので、努力が即座にお金に換算されないのが辛いと思う事もなくはないが結局のところ文句の言えない生活だと思う。あと、そんなわけでお金では苦労しているので今年は帰国の際のお土産は買えないかもしれないんですが、それでも優しく迎えていただけると大変ありがたいです。いやほんと、こんなポスト書いてるのも最近お買い物してないからなんです。

2012年5月1日火曜日

お豆いろいろ

That time of the monthというのは日本語の「いまアレなの」にあたる婉曲表現なわけだが、いまはthat time of the semester、男女とわずまわりのすべての大学院生がPMS並みにとんがる学期末である(ちなみにアメリカにいると当たり前だがPMSという概念が日本より浸透しているのでけっこうそのへんのコミュニケーションが楽である)。ペーパー書きというのは案外体力勝負で、忙しいからといって栄養補給を怠っていると頭が働かなくなる。以前のエントリーでも書いたけれども、肉食系の顔に似合わず肉がそんなに食べられないわたし(肉は好きなのだが食べるとけっこう腹をクリティカルに壊す)は、こちらにきて主たるたんぱく源がお豆になって以来、めっぽう体調がよい。アメリカはほんとうに驚くほどベジタリアンが多く、ベジタリアン用にいろいろおいしい豆レシピがあるので、今日はお豆料理をすこしばかりご紹介しようと思います(ええ、レシピ紹介のエントリーでこの画像はないだろうとは我ながら思いましたよ)。

[Baked Beans のレシピ]
好き嫌いはあまりないほうなのだけど、はじめて baked beansの缶詰を(ふつうの豆缶と間違えて買った)開けて食べた時は飲み込む事が困難で涙目になった。甘い、脳天をつくほどに甘いのだ。あんこだと思って食べればいけるのかもしれないが、あんこにしてはたまねぎの風味があるからなんか変だし、こいつはすごいパンチのあるアメリカ料理を食べてしまった、と思っていた。が、それを眉根に皺を寄せてPJに話したところ、いや…実はけっこうbaked beans好きなんだよね…と濡れた犬のようなまなざしで言っていたので、これはいかんと思い、わたしも食べられるようにアレンジしたのがこのレシピ。というのも前述のようにbaked beansは缶で売られていることが多いのだけれど、なんと1860年代、南北戦争時にはbaked beans缶が兵士たちに支給されたというほどにこれは歴史が深いアメリカ料理なのだ。しかもbaksed beansはBoston baked beansとも呼ばれるほどニューイングランドに根付いた料理なのだが、PJは大学時代から約10年をボストンで過ごしているので、これは貧しくとも光り輝いていた大学時代を思い出させる青春の味でもある。わたしがアジア系のグローサリーショップで買った大事な納豆を食べていたときにPJが、いやしかし聞きしに勝るさすがの匂いだね、といっていてやや悲しくなったのを思い出しもしたのだけれど、やはり食の好みはいろいろとはいえ、慣れ親しんだ故郷の味を無理と言われるのは辛いものだものね。もともとのレシピはもちろんしょうゆなしのシロップ増し(本格的なものはアメリカ文学ではお馴染みのmolassesという精製していない糖蜜を使います)。けれどもこのバージョンはしょうゆに加え生姜が効いていて、四人分をふたりで丸々完食したくらい美味しかったです。ポイントはとにかくベーコンをかりっと炒めることでしょうか(いきなりベジタリアンレシピではなくなっているところがわたしの業の深さだが、baked beansは別名pork beans。豚はかかせないのだ)。

☆豆の缶詰 (あればPinto beans、なければred kidney)2つ
☆たまねぎ 1つ
☆にんにく 1かけ
☆しょうが 1かけ
☆トマト 1つ
☆ベーコン 厚切り 4枚 (300gくらい:ブロックならさらによし)
☆メープルシロップ(またはmolasses)75mm
☆しょうゆ 50mm
☆ケチャップ 大3
☆ドライマスタード 大1
☆フライドオニオン (あれば)適量

①オーブンは180℃(350°F)に余熱。
玉ねぎ、にんにくはみじんぎり、トマトは1cm角のダイス、しょうがはすりおろし(みじんぎりでも可)、ベーコンは1.5cm 幅に切る。
②熱したフライパンでベーコンを炒める。炒めるというよりは、ベーコン自身からでた脂で揚げるような感じになる。とにかくじっくり熱すると脂が大さじ3くらいでてくる。かりっと色づいたらキッチンペーパーに乗せて脂をきる。
③ベーコンのあぶらを大1ほど残して捨てる。にんにくをいれて(しょうがもみじんぎりならこの段階で)ゆっくり熱し、香りがたったらたまねぎを投入し、ほんのり色づいてしんなりするまで炒め、取り出す。
④同じフライパンでトマトを炒める。余計な水分が飛べばOK
⑤メープルシロップ、しょうゆ、ケチャップ、マスタード、おろししょうがをまぜあわる。
⑥豆の缶詰をあけて軽く水洗いし、ボウルにいれてベーコンの2/3量、たまねぎ、にんにく、トマトとあわせ、⑤をかけてさらにまぜる。豆をつぶしすぎないように。
⑦耐熱皿に⑥をいれ、残りのベーコン、フライドオニオンをトッピングし、1時間半ほどオーブンで焼く。15分ほど置いてからめしあがれ。

[Peas and Rice のレシピ]
恥ずかしながら子供舌のわたしは白米があまり好きではないので小学校の給食の際にはけっこう苦労したクチなのだが、そのかわり混ぜごはん系には目がない。我が家はおばあちゃんが毎月お赤飯を炊いてくれいた(冒頭の話に戻るようだが別に女家族の月のものに合せていたわけでもなんでもなく、ご先祖様の命日が月に一度はあるからである。さすが不動尊のお膝元な我が家だね)のだけれど、この季節になるとそれがグリンピースの豆ご飯になる。懐かしいなぁ豆ご飯、と思っていたら、PJがしみじみと peas and riceが食べたい、と言っていたので、おやこれは日米同じ感覚なのかなと思ったら、実際にはこれは単にPJがグリンピース好きなだけで、アメリカでメジャーな料理ではないそう(そのかわりご飯ではなくpearl onionと呼ばれる小玉ねぎとグリンピースをクリーム煮にしたものは人気でwhole foodsのデリでもけっこう頻繁に出ている)。こちらはPJが作ってくれたなぜかすこしインド風の豆ご飯のレシピで、シナモンとガラムマサラが効いてぱくぱくいけてしまう。自分で再現したこの写真ではうちにブラウンライスしかなかったのでそれをつかっているのだけれど、もともとPJは白米で作っていて、そのほうがグリンピースには合ったし、白に緑がよく映えました。

☆お米  1.5合
☆冷凍グリンピース 1カップ (日本のカップなら1.5弱)
☆玉ねぎ 1/2個
☆しょうが 1かけ
☆ガラムマサラ 小1
☆シナモン 小1/2
☆塩こしょう 好みで

①ごはんはふつうに炊いておく。
②しょうがはみじん切り、たまねぎは粗く刻む。
③冷凍グリンピースはレンジで1分ほど加熱し、解凍しておく
④フライパンにオイルを大1熱し、ショウガ、ガラムマサラ、シナモンを弱火で炒める。
⑤香りがたったら玉ねぎを投入、うっすら色づくまで炒め、塩小さじ1弱で味付け。
⑥炊いたお米と解凍したグリンピースをフライパンにいれ、まんべんなく混ぜ、味をみて塩こしょうで仕上げ。

[Roasted Pepper Hummus のレシピ]
もともとは中東の料理のハマス、けれどもアメリカではベジタリアンの常食の代名詞でどこのスーパーにも間違いなく置いてある。平たくいえばひよこ豆のペーストで、野菜スティック(セロリやベイビーキャロット)のディップにもなるし、ピタブレッドやクラッカーにつけて食べれば朝ご飯にもなる。たっぷり入った1パックが3ドルしないくらいなので買ってしまえばいい話なのだが(そしてわたしは買って安くておいしいものは買う主義なのだが)、手作りのほうが断然おいしいのもまた事実。タヒニという胡麻のペーストの瓶を買ってしまえばあとはアレンジは自在、毎週好みの味のものを作りおきして冷蔵庫に入れておけば小腹が空いた時にとても助かるので忙しい大学院生にはお勧めです。こちらのレシピはroasted bell pepperというパプリカを焼いたものの瓶詰めを使ったバージョンだけれども、もちろんただひよこ豆、タヒニ、にんにく、塩こしょう、レモン、クミンだけのシンプルなものでもおいしい。ちなみにこちらに来て学んだのは中東料理はギリシャ料理(これまたPJの故郷の味)にとても似ているということ。なのでこのレシピでは高カロリーのタヒニを使いすぎないようにタヒニと無脂肪のグリークヨーグルトを半々で使って、同じ地中海地方のイタリアンスパイスを使っている。グリークヨーグルトはベジネーズ、または低脂肪のマヨネーズでも代替可です。

☆ひよこ豆の水煮缶詰 1つ (煮汁とわけて豆は水ですすぐ)
☆缶に入った煮汁 30-50mm (缶の煮汁を使うのに抵抗があれば水、あるいはオリーブオイルで代替可)
☆ローステッドベルペッパー 4きれ
☆にんにくすりおろし 1かけ分
☆タヒニ 大1-2(日本ならば練り胡麻で代替可。ただし練り胡麻のほうがタヒニよりかなり濃いのでその場合は大1で十分。好みで味をみながら)
☆プレーンヨーグルト(またはベジネーズおよびマヨネーズ、なければタヒニを増やす) 大1
☆トマトペースト 大1
☆レモン絞り汁 1つ分
☆砂糖 小1-2 (はちみつでも可)
☆塩こしょう 小1 (好みで)
☆イタリアンハーブミックス 小1
☆パンプキンシード 大2

①パンプキンシードはフライパンでから煎りしておく
②パンプキンシード以外の材料をすべてフードプロセッサーにかける。テクスチャーもも好みなのだが、最初は水分(煮汁または水、オリーブオイル)少なめで始めて、ゆるめが好みなら分量を増やす。
③②にパンプキンシードを練り込んで完成。

[Black Beans Salsa with Tortillaのレシピ]
またサルサか、という感じだが暑い国の人たちは暑い時になにを食べればよいかよく知っているわけで、うだるような暑さの日にはメキシコ料理に勝るものはない。最近メキシコ人とエルサルバドール人のカップル(El SalvadorというのはMexicoの南、Guatemara、Hondurasに面した小さな国で、El SalvadorというのはThe Savior、つまりキリストを意味する)と友達になったのだけれど、彼らの作るメキシコ料理とスペイン料理には、おいしすぎていつも涙が出そうになる(そしてたいていこれまたプールサイドか裏庭で食べる)。これはblack beansとtortillaを使っているのであっさりしていながら腹持ちもするレシピで、暑くていまいち食欲のでない朝のごはんにはぴったりだと思う。この分量でサルサは大きなタッパーウェア一つ分(カップ3から4くらい)できます。

☆トマト 大2つ
☆ブラックビーンズの水煮  1缶(少しスパイシーに煮た缶詰も売っているのでそれでもおいしい)
☆玉ねぎ 1/2個(できればred onion)
☆serrano pepperまたはjalapeno 1つ
☆冷凍コーン 1/2カップ(日本のカップなら2/3カップ)
☆シラントロ(香菜) ひとつかみ
☆にんにくすりおろし 1かけ(チューブのほうが辛みは抜けている)
☆塩(ガーリックそると) 小1
☆ライム 2つ またはレモン1つ
☆スモークドパプリカ 小2-3 (なければ普通のパプリカおよびチリパウダー。これらは見た目に反して辛くない。むしろ甘い)
☆トルティーヤ 人数分
☆チーズ (シュレッドしたものならひとり大1-2くらい、スライスならひとり一枚。わたしはmexican mixのシュレッドかpepper jackというスパイシーなチーズのスライスを使う)

①玉ねぎは細か目のみじん切りにして砂糖大1をふりかけ、ザルにおいて空気にさらす。トマトは8mm程度のダイス、シラントロはみじんぎり、serrano pepperは極こまかいみじんぎりにする。ブラックビーンズは缶をあけ、流水でよくすすいでザルにあげてよく水をきる。
②①とコーン、にんにく、塩、パプリカ、ライムまたはレモンの絞り汁をあわせてよく混ぜる。
③アルミホイルにトルティーヤを置いてその上にチーズをのせ、350°F(180℃)のオーブン、またはオーブントースターに入れてチーズがとろけるまで。
④サルサを好みの分量のせて、折り畳むようにしてがぶっと食べます。サルサのジュースが垂れてくるのでお皿は必須。

[Red beans and riceのレシピ]
そして忘れてはならないのがred beans and riceである。Baked beansが東海岸を代表する豆料理なら、red beans and riceは間違いなくLouisianaの誇るCreole豆料理である。こちらのレストランでは月曜日のランチスペシャルにred beans and riceが出されることが多く、なんでだろうと思っていたらもともとはお洗濯の日である月曜日に、日曜日の夕食のお肉の残りと一緒にことこと豆を煮込んだのがこの料理のはじまりだということ。本格的なものはham hockという骨つきの豚肉を使うのだけれど、こちらはAndouilleというLouisiana特産の粗挽きの太いソーセージ(もちろん旨辛いんだなこれが)を使った簡易版。けれども味は秀逸で、Louisianaローカルの友人にも誉められました。

☆red kidney beans 2缶
☆ベーコン 厚切り2枚 (わたしはpepper smoke baconというまわりに黒胡椒のついたものを使います。150gくらい)
☆Andouille 1本 (またはチョリソーなど辛めのソーセージ。なければとにかくおいしそうな太いソーセージ。200gくらい)
☆たまねぎ 1個
☆セロリ 5茎
☆Green Bell Pepper (ピーマン)1つ
☆Red Bell Pepper  (パプリカ)1つ
☆にんにく 2かけ
☆トマト 1つ
☆スモークドパプリカパウダー  (なければ普通のパプリカまたはチリパウダー)大1-1.5
☆タイム 小1
☆Cajun seasoning 小2(わたしはTonny'sというブランドのものを使っていますが、手に入らなければCayenne pepper 小1にガーリックパウダー小1で代用してください)
☆Worcestershire sauce 小1.5 (日本ではウスターソースの名で売られているあれです。わたしはあれ、薄いからウスターなのかと思ってましたよ)
☆蜂蜜 小1.5
☆チキンブロス 500mm
☆炊いたごはん 適宜
☆Green onion(青ネギ)少々

①red kidney beansは缶から出して水ですすいでおく。
②にんにく、玉ねぎ、セロリは粗めのみじん切り。Bell Peppersは両方8mm角のダイスに。トマトも同様。ベーコン、ソーセージはそれぞれ1cm幅に切る。
③フライパンをよく熱して、ベーコンを炒める。炒めるというよりは己の脂で揚げ焼きにするように。かりっとするまで。ペーパータオルにあげて余計な脂をきる。
④フライパンには大さじ2くらいの脂が残っているので、一度火をとめてそのなかににんにくを入れ、弱火で熱する。香りがでたらたまねぎ、セロリのみじんぎりをよく炒める。軽く色づくまで、15分くらい。
⑤Bell Peppersを入れてさらに5−10分炒める。以前にも書いたがこの、たまねぎ、セロリ、ベルペッパー(ピーマン)をじっくり炒めたものがholy trinityと呼ばれる香味野菜の三位一体で、多くのCreole料理のベースである。塩こしょう(ガーリックソルト)、Cajun seasoning、パウダー、タイムを加えて炒めあわせる。
⑥お鍋に⑤の野菜と③のベーコンを移しておく。
⑦⑤の野菜を炒めたフライパンに(野菜のうまみがでているから洗わない)クッキングスプレーをして薄切りにしたソーセージを両面焼いていく。Andouilleは特に柔らかいので炒めると崩れてしまう(それはそれでひき肉みたいでおいしいのだけれど)。焼き上がったらお鍋に入れる。
⑧⑦のフライパンで①の豆を軽く炒め、お鍋に。最後にトマトも軽く炒める。
⑨鍋にひたひたになるくらいチキンブロスをいれ、1時間半ほど極弱火で煮込む。途中何度か灰汁をとって(灰汁をとるという発想はあまりアメリカにはないのか、どのレシピを見てもこの記述はないのだが、こういう料理だとつい灰汁をとりたくなる日本人の性)。
⑩水分がだいぶ少なくなったら、Worcestershire sauceと蜂蜜を加える。ソーセージの味によってだいぶ辛みに差が出るので辛くしたければcayenne pepperやCajun seasoningで調味。
⑪しばらく置いて味を馴染ませたら、炊いたごはんのうえにたっぷりかけて召し上がれ。仕上げにgreen onionを刻んだものを乗せると香りがさらにいいです。


というわけで、お豆レシピのエクストラバガンザであった。学期末にこれだけレシピをアップロードするわたしは筆まめなのかしら、豆だけに、うふふ。と思ったが、これをペーパーからの逃避と呼ばずしてなんと呼ぶ。とにかく学期の終わりまであと二週間をきったので、ふんどし締め直してラストスパート、がんばります。

2012年4月13日金曜日

プールサイドでメキシカン

日本で春休みといえば、春は名のみの風の寒さや、という歌がしっくりくる、柔らかい陽射しに包まれながらひんやりとした芯を残すあの空気が思い出されるのだけれど、Louisianaの春休みはというとこれが、春は名のみの灼熱の太陽、抱いて抱いて抱いてセニョリータなお天気なのである。四月だというのにスタジアムにいけばひとびとは半裸体、歩いているだけで汗がしたたるようなこんな暑い日はそう、なんだか水辺でさっぱりしたものが食べたいな。

アメリカ人は休みの前となると必ずといっていいほど休みのプランを訊ねあう。たとえふつうの週末であっても、週末はどうするの?というのが金曜の定番の会話だし、月曜になると週末はどうだった?となる。こちらに来たばかりのときはなんというか、この休みにかける意気込みというか、休みは休みで遊ばなければ人間失格、みたいなこの文化に違和感があったのだけれど(だって日本じゃ誰もそんなこと聞かないじゃないですか)、二年も経つと当たり前にこれにも慣れてきて、春休み直前ともなれば当然のごとくTA仲間(アラサー女子4人)とSpring Breakどうするぅ?という会話にもなる。とはいえこいそがしい大学院生どうし、さしてお互い予定がないのはわかっているし、4人が4人とも小脇に30本のペーパーを抱えているわけで、えぇ、どうせグレーディングとペーパー書きだよ、今年30になるから決意の大人黒ビキニ買ったのにさ、着る機会なんてないんだから、とむくれていたら、一番年上のAが、お嬢さんビキニ着れるのも今のうちだから、うちにおいでなさいな、みんなでプールサイドでグレーディングしながらマルガリータでも飲みましょうや、という。


日本で自宅にプールというと小室哲哉かよという感じ(繰り返すが今年30になるのでなんと言われても小室哲哉の例は譲らない)なわけだが、アメリカの南では家にプールがあるというのはそんなに珍しいことではない。わたしの住んでいるところははもちろんLSUの大学院生用の築50年という年季の入ったボロアパートなので当たり前にプールなどないのだけれど、月に700ドル程度のアパート(Baton Rougeは家賃が安いのでこれで2ベッドルームのアパートが普通に借りられる)にも共用スペースにそれなりのプールがついているし、教授の家に行けば大抵これもまたプールがある(ただし一戸建ての場合プールに水を入れる水代ももちろん個人負担となるので、おじいちゃんおばあちゃんの先生のうちのプールには水がはいっていないこともある)。今年35になる生粋のLouisiana娘Aは結婚してちいさな子供もいるのだけど、昨年ついにプールのついた家をSaint FrancisvilleというBaton Rougeから車で30分くらいの街に買った。子供がいなければプールに水を張るのもめんどうくさい(掃除がけっこう大変なんだそうだ)のだけど、3歳の娘はすでにビキニをねだるお年頃、せがまれてプール開きをしたのでせっかくだから遊びにきたら、ということなのである。もちろんいつものごとくグレーディングとは名ばかりの小規模なポットラックになるわけだけれど、こうも暑いと秋冬にパーティに持っていくような焼き物はとてもじゃないが喉を通らない。そんなわけで今回はさっぱりしてお酒のおつまみにもなるメキシカンな野菜料理(くどいようだがアラサー女子、わたし以外はベジタリアンである)を持っていくことにした。

日本ではメキシコ料理というのは案外人気がなくて、わたしも日本にいた時は新宿のサザンテラスのエルトリートくらいしかいったことがなかったのだけれど、アメリカではどこのスーパーにいってもトルティーヤやタコチップ、サルサにワカモーレが普通に売られているし、写真のメキシカンのファストフードチェーン、Taco BellはMcDonaldと同じくらいの人気である。肉、炭水化物、乳製品の三位一体からなるアメリカ料理とは対照的に豆と野菜をふんだんにつかったメキシカンはわりとお腹に優しくスパイスが効いて暑くても食が進むので、ベジタリアンにも人気である(PJの家に3ヶ月ほど住んでいたインド人留学生Nのインド人コミュニティ作成による「留学の手引き」には「アメリカのご飯を食べ続けていると病気になるので、インド料理が手に入らない時はメキシコ料理で我慢しましょう。」とまじめに書いてあってなんだか笑えた)。とはいえここは南部、アジア人だけでなくラティーノ人口も驚くほど少ない地域なので、メキシカンレストランはそこそこの数があるのだけれど、カリフォルニア生活の長いPJに言わせれば、食べながら涙がにじむほどに残念なお味だと言う。実際わたしも何度かメキシカンレストランに足を運んだのだけれど、うーん、なんというのだろう、何を食べても同じ味がするというか、味に深みもコクもなく、首をかしげて終わることが多かった(正直に告白するとTaco Bellがいちばんまともに思えるくらいだった)。

が、わたしのアメリカ的メキシコ料理に対する思いを決定的に変えたのが去年のNew Mexicoへの旅であった。夏になると暑さと湿気の苦手なPJはLouisianaにはとうていいられないので、数十冊の本と飼い犬のFootyを白いヴァン、その名もMoby(白い鯨のMoby Dickから)に乗せて、休みが始まるや一目散に南部を飛び出す。今年はNew Mexicoだよ!友達が旅行するんで 一ヶ月半くらいhouse sitをしてほしいって!と興奮する大きな図体の少年に、よかったねぇ、楽しんでおいでね、と言ったら、なに言ってんの、Maddieも来るんだよ、あたりまえでしょ。と言われて一瞬凍り付いたのだけど、なにはともあれアメリカ西部というのはアメリカ人作家達の見果てぬ夢の地であるので(もちろん当時ペーパーを書いていたWilla Catherもアメリカ西部に残るNative American文化に魅せられたひとりで、The Professor's HouseはNew Mexicoを巡る物語でもある)、研究者のはしくれとしてはアメリカにいる間にその地を訪れないわけにはいかない。緑深きLouisianaとは対照的な赤土の大地と鼻血がでるほどに極限まで乾燥した空気、Grand Canyon周辺での産まれて初めてのキャンプや写真のTaos PuebloというNative American reservation訪問など、この旅はほんとうに貴重な思い出をたくさんくれたのだけれど、中でも特筆すべきはメキシコ料理のおいしさだった(ええNew Mexicoですから)。「アメリカ料理」という言葉がどうもしっくりこないのはこういう風に、地方ごとにおいしいものがまったく違うからなのだけど、とにかくスーパーに何気なく置かれたサルサでさえもおいしく、最初は自分が食べているのがあの南部で食べたサルサと同じものだと気づかず、なにこれ超おいしいね、なんていう料理?といいながら冷蔵庫に入っていたサルサ一瓶を完食し、PJに爆笑された。以下のサルサのレシピはその瓶に書いてあった材料をさらにわたし好みに改良したもので、New Mexicoから帰ってから暑くなると必ず作り置きしているものです。

[基本のSalsaのレシピ]
☆トマト 大3個
☆レッドオニオン 大1/2個
☆シラントロー(香菜)の葉っぱ部分 片手に一握り
☆セラーノチリ 1個 (青唐辛子なのだけれど、手に入らなければもちろんハラペーニョでもよいし、それもなければタバスコ10ふりくらい。その場合は塩を控えめに)
☆コーン お好みで。入れなくてもいいけれど、入れると甘みが出てよい。
☆ライム 2個 (またはレモン1個)
☆クミン 小2 (なんといってもこれが決め手な気がする)
☆お酢 大1 (いつものとおりすし酢を使いますが、正統レシピではこれはいれません)
☆ケチャップ 大1(これも正統レシピではいれないのだけれど、入れるとコクが出るのでわたしはついつい使ってしまいます)
☆塩こしょう 好みで

①玉ねぎは細かいみじん切りにして、砂糖大1をまぶしてザルの上で空気にふれさせ、辛みを抜く(流水に浸してもよいのだけれど、水っぽくなるのがいやなのでわたしはこの方法を使っています)
②トマトは1cm角のダイスに。余計な水分を除いてボウルに。種を除くレシピが多いのだけれど、種にうまみがあると試してガッテンで聞いて以来、真偽のほどはわからないけれどなんとなくわたしは種を残しています。
③セラーノチリは種を除いて極細かいみじん切りにしてボウルに。チリを切った後の手で目をこすったり局部を触ったりすると悶絶することになるので調理後は死ぬほど石けんで洗ってください。
④シラントローも細かいみじん切り。コーン、辛みを抜いたオニオンと一緒にボウルに入れる。
⑤ボウルにライムの絞り汁、クミン、ケチャップ、お酢を入れ、ゴムベラで全体をよく混ぜる。塩こしょうで調味して出来上がり(わたしはどうしてもひと味足りない時は昆布茶を足します。トマトの質によるので)。そのままでもアペタイザーになるし、写真のトルティーヤチップス(トルティーヤを揚げた、あるいは焼いたチップス。要は濃い味のついていないドリトスです)と一緒に食べるとおいしいスナックに。

[Mango Salsaのレシピ]
サルサというのはいろいろなヴァリエーションがあるのだけれど、なかでもお気に入りはマンゴーを使った甘酸っぱいもの。これは魚料理とよくあうので、下味を着けた白身魚のソテーに乗せるととてもきれいだし、爽やかでとてもおいしいです。マンゴーが安売りしている時にはぜひ試してみてください。

☆マンゴー 3個から5個
☆レッドオニオン 1/2個
☆セラーノチリ  1個(これもハラペーニョまたはタバスコで代用可)
☆シラントロ ひとにぎり
☆パプリカ 1個 (トマトでも代用可。なければ抜いても大丈夫です)
☆ライム 2個 (またはレモン1個)
☆塩こしょう 好みで

①レッドオニオンは基本のサルサ同様、辛みを抜くためにみじん切り後砂糖をまぶしてザルの上で放置する。
②マンゴーはヘッジホッグ(ハリネズミ)のように切る。マンゴーを厚みの薄い方を正面にくるようにして立て、真ん中に平たい種があるので、それを避けるように両側を切りおとす。真ん中ができるだけ薄くなるように。
③切り取ったマンゴーにナイフで格子状に切れ目を入れる。皮を切らないように、でも下まで刃先が届くように。
④真ん中をぐっとおすと、写真のようにマンゴーの実が花開くので、ダイスになった果肉を皮からそぐように切り落とし、ボウルへ。
⑤チリペッパー、シラントロは極細かいみじん切り、パプリカないしトマトは8mm角のダイスにしてボウルへ。
⑥ライム果汁、塩こしょうで調味。けっこうきつめに塩こしょうをしたほうが甘みとのバランスがとれて食べ物にはあいます。わたしはここでも懲りずに昆布茶を使うことがあります。

[Fish Tacosのレシピ]
タコスというとぱりぱりと固いタコシェルにひき肉の炒めたのやレタス、ダイスにしたトマトを乗せて食べるのが主流で、それはそれでとてもおいしいのだけれど、今回はせっかく安売りのマンゴーでおいしいサルサを作ったので、魚を使ったタコスを作ってみた。タコス部分自体も、揚げたシェルではなくて素のままのトルティーヤをつかっているのでとてもヘルシーです。

☆白身魚(tilapiaやmahimahiなど。日本なら鱈とかなのかなぁ。こちらでは皮をはいだ白身魚がけっこう売っているのだけれど、考えてみたら日本だとあまり見ない気が…手に入らない場合は、鶏の胸肉などでもおいしくできるはず)500g
☆トルティーヤ 6枚(いわゆる「ラップサンド」で使われているあれです)
☆マンゴーサルサ 適宜
☆ロメインレタス 1株
☆レッドオニオン 1/2個
☆マリネード (ライムの絞り汁2個分、お酢大2、にんにくすりおろし2かけ、はちみつ小2、ライムの皮のすりおろし2個分、クミン小2、チリパウダー小1、塩こしょう小1.5、その他にコリアンダーなど好みのスパイスをいれたものを混ぜ、最後にオリーブオイル大2を入れてさらにまぜる)
☆ドレッシング (無脂肪のプレーンヨーグルト: 100g、 マヨネーズまたはベジネーズ: 100g、 クミン小1、カイエンペッパー小1/2、乾燥ディル小1.5、はちみつ小2、ライムの絞り汁1個ぶん、塩こしょう適宜、タバスコ適宜をまぜる)

①白身魚はキッチンペーパーで水分をとり、大きめのそぎ切りに。ぜんぶで12枚くらいになるように。
②マリネードの材料をあわせ、ジップロックにいれた魚にかけて空気を抜いて口を閉じたら6時間ほど置く。
③レタスは千切りにし、玉ねぎはごくごく薄い薄切りに。玉ねぎは冷水に5分ほどさらして辛みをぬき、しっかりと水気をとる。
④フライパンを熱し、トルティーヤを一枚ずつ焼いていく。とはいえ、市販のものはもう焼けいているので、温める程度。片面1分ずつ程度。テフロンなら油はいらないけれど、想でない場合はクッキングスプレー(スプレー缶に入ったオイル)を軽くふきかける。
⑤フライパンを熱し、マリネ液をよくきった魚を片面ずつ焼いていく。ほぐれやすい魚なので、こわれないように気をつける。そぎ切りにしているので火の通りは早い。蓋をして片面2分ほどで焼ける。
⑥トルティーヤに一枚ずつ、レタスの千切り、玉ねぎの薄切りを好みの量のせて、その上に白身魚ふたきれずつとマンゴーサルサを乗せ、最後にヨーグルトドレッシングをかける。全ての材料をテーブルに並べて、ひとりずつ食べるたびに自分で作った方がおいしいです。写真のものはさらにguacamoleというアボカドのディップ(アボカド二つをつぶし、そこに玉ねぎのみじん切り1/2個、トマトのみじん切り1/2個、チリのみじん切り1個をいれてライムの絞り汁1個分と塩こしょうで調味したもの)を合せていますが、これはなくても十分ボリュームがあります。

言うまでもなくプールサイドでのグレーディングはさしてはかどらず、アラサー女子はだらだらと子育てやら研究やらについて話しながらビールを片手にのんべんだらりと束の間の休みを過ごしたのだけれど、個人的に今回とてもよかったのはAの3歳になる娘とたくさん遊べたこと。これまで子供にはなんだか苦手意識があったのだけれど、写真のセクシーな三歳児はなぜかわたしをいたく気に入ってくれて、BeyonceのSingle Ladiesをわたしだけのためにといって踊りまくり、果てはわたしがグレーディングをしている膝の上で眠りこけてしまった。いますぐというわけにはいかなくても、こどもがいる人生というのもいいんじゃないかな、などとオレオで口の周りを黒くしながら寝息をたてる子供をひょいと肩に担いで家の中に連れて行くお母さんのAを見て思った夕暮れだった。ついでに、決意の大人黒ビキニは女子連に大好評だったのだが、「アジア人とは思えないケツ」「貧乳をおぎなってあまりあるケツ」「太平洋を超えたケツ」となぜか尻ばかりに対して惜しみない賛辞をもらった。ええ、なんと言われようとあと五年はビキニを着られるようにがんばります。

2012年4月7日土曜日

アメリカ南部でアメリカ文学を教えるということ (2)

そんなわけで教師として振る舞うということに関してはさほど意識的にならずに済む環境がすでになぜか最初のクラスでは整いすぎるほどに整っていたのだけれど、それでもちろん話は終わりではない。

Louisianaに留学することを初めに奨学金を出してくれるひとびとに告げた時、Deep Southに行く心の準備はあるのですか、と問われたことを、一年目はよく思い出して、あれは西海岸や東海岸の都市部に居住した経験のあるひとたちが、南部を時代に取り残された他者として思い描いていたにすぎないのかもしれないな、と思っていた。けれど大学街に住み人文系の大学院にいるということは、当然にリベラルな思想の人々に囲まれるということなわけで、深南部に生活してそこここに南部の文化を目にしても、それはまだ南部の一部しか見ていない事だったのだ、と気づいたのも、ティーチングを始めてからのことだった。

もちろん21世紀も10年あまりを過ぎた今日、深南部とはいえおおっぴらに人種差別が横行しているわけではない。学生達は当然に中学高校と、痛いほどにpolitically correctであることとはなにかを学んできている。けれどもあの、南部の政治的文化的保守性という、教科書的な言葉が衝撃をともなって実感される瞬間というのはまぎれもなくあって、そういう時にはブンガクを教える意味、という、いかにも大時代的なテーマが頭をよぎる。それはたとえばNella LarsenのQuicksandという作品を教えた時に、生徒が無邪気に、でもこの主人公の黒人の女の子は、どこのコミュニティにいっても文句を言うばかりで共感できないです、最初に牧師がこの女の子に言ったとおりに、自分が黒人の血を引く存在であることを素直に受け容れて、黒人共同体にいることに満足をすればよかったのに、と言う時であり、たとえば生徒達が口を揃えて、個人の努力と考え方次第で人生というのはなんとかなるのだから、人生に満足できないのは、その個人の責任だと思う、という時である。

なんども、もうなんども書いてきたことではあるけれど、日本にいる時には無自覚にpolitically correctであること、人種的階級的弱者の口を借りて彼らの権利を声高に語ることに対する嫌悪感を覚えていたし、政治で文学が読めるのか、といらだつことも多かった。けれど、こちらに来て文字通り痛感したのは、そうやってある種の文学の政治性をないがしろにできるのは、多くの場合、自分があらゆる特権を知らぬ間にまとってきていたからだったのだと思う。個人の意識で人生がすべてうまくいくのならば、公民権運動もgay marriageの権利獲得運動も、必要はない。けれどそうではないから、個人というのは社会や国家にどんな形であれ包摂された存在であるからこそ、権利獲得のために集団的な運動が必要になる時というのは必ずある。けれどEmersonの個人主義を高らかに歌い上げるエッセイを読んで、これこそがわたしのルーツだと思った、と、そのエッセイが究極的な個人主義の国家にあってコミュニティとはなにかという問題を投げかけていることには気づかずに輝くような笑顔で言う生徒たちを目の前にすると、一瞬、水風船でも顔に投げつけられたかのように、衝撃をうけ、そしてひるみ、この州が極右のSantorumが圧勝する地であることを思い出す。

文学というのは、お金もうまないし、テクノロジーもうまないし、社会のなんの役にもたたないんじゃないの、というのは、文学に携わる人間が、誰に実際に言われるわけでもなくてもほとんどニューロティックに(程度の差はあるとしてもすくなくとも頭の片隅で人生に一度は)問う問題だと思うし、その問いにこうやって飛びついて、いや、文学を教えることにはこんなに意味があるんだ、と安易に答えを出すのには抵抗があるのだけれど、それでもいざ彼らを目の前に、自分がなにがしかのことを言うことができる立場にいることは、心からありがたいことだと思う。わかっているのは、この学生達はそれぞれに真摯に自分の人生を生きてきている、ということであり、人種的にも文化的にも圧倒的に他者であるわたしが、自分の他者性を振りかざして、あなたたち強者は弱者の痛みをわかっていない、と言う事は、どう考えても間違っているということだ。南部に生まれ育ち、その中には、ひいおじいちゃんが南軍で戦ったという子達もいて、自分の生まれ故郷が西海岸、東海岸のリベラルな(そしてマスメディア的には強者である)文化からbackwardな田舎として扱われていることもおそらくは肌身で知っている生徒達に、ただあなたたちは白人だから強いんだ、と舌のもつれる英語でかきくどくのは、どうにも卑怯なことだと思う。けれども、自分に教師という立場が与えられていて、自分がどうみても彼らとは違うバックグラウンドから来ていて、だからこそある種の興味をもってもらえる存在だからこそ、言っておかなければいけないことというのはきっとあるのだとも思う。わたしたちが今学期読んできた小説の主人公達はみんなどこか壊れていて、彼らの選択はどう考えても理解できないことが多々あります、だけど、けっきょく文学を読むっていうことの醍醐味のひとつは、理解できない人間を理解しようとする練習をすることだと思うのです、とはいっても結局は理解できない人ばっかりです、でも、理解ができないときに、この人たちは間違っていると一刀両断に切り捨てる時には、たいていの場合自分がなにか彼らにないなんらかの力を持っているときだと思っていいと思います、それがみなさんよりたった10年ばかりだけれども長く生きてわたしが学んだ事です。それがわたしが最初の学期の最後の授業に笑顔で言えたことであり、臆面もなく自分の道徳をそうして言葉にしたことは、教師一年目だからこその恥はかきすてだったにしても、とりあえずのところはよしとしている。

[Collard Greens with Bacon のレシピ]
久しぶりに書きながら脇汗をかいた恥ずかしいエントリーだったのだけれど、Louisianaという土地を上辺だけではなく、もう少し知る事ができる機会が得られた事はうれしかったので、久々にLouisiana風の料理のレシピを。カラードグリーンというのは左のような菜っ葉で、お店で見かけてもなんか固そうだなぁと(実際ほんとに固い)思って敬遠してきた野菜だったのだけれど、先日南部料理のお店でベーコンと煮たものを食べたらこれがとってもおいしかったので自分でも作ってみた。話はややずれるがKey and Peeleというこちらで人気の黒人のコメディアンのコンビがいるのだけど、彼らの冠番組でふたりの黒人ビジネスマンがHarlemのレストランでどちらが黒人らしいかを競うためにいろいろソウルフードを頼みまくり、ヒートアップしたあげくに最終的には「人足を揚げたものに豆の煮たのををかけてください」という、みたいな、まぁ文字に起こすとアメリカ人の笑いのつぼってなんだろうというようなコントがあり(実際にはビジネスマンである二人が自分が黒人性から離れていることに異様な罪悪感を感じている設定がけっこう効いていて笑った)、その中でももちろん初めに出てくるくらいカラードグリーンはソウルフードの代名詞みたいなものなわけだが、Louisiana風はやっぱりいつものごとくホットソースを効かせたのが特徴です。

☆collard greens ひとたば
☆ベーコン 三枚
☆玉ねぎ ひとつ
☆にんにく ひとかけ
☆お酢(いつものごとくわたしはすし酢なんですが)50cc
☆ブロス 500cc
☆ホットソース(タバスコ)10ふりくらい

①玉ねぎ、にんにくはみじんぎり。ベーコンは1cmくらい。カラードグリーンはまんなかの固い茎を切り取り、くるくると丸めて太めの千切りにする。
②フライパンでゆっくりとベーコンを熱する。脂を溶かすように。
③脂がしっかり出たら、にんにくと玉ねぎをいれて、これもゆっくり炒める。きっちり色づくまで。
④カラードグリーンを投入。最初はかなりかさがあるけれど、炒めているとしんなりしてくる。
⑤お酢を入れて、水分を軽く飛ばす。(みりんをすこしいれてもおいしい)
⑥ブロスを入れて、ふたをして1時間、ほぼ水分がなくなるまで。
⑦仕上げにタバスコをふって、よく混ぜる。ベーコンとブロスの塩気によるけれど、塩味がたりなければ塩こしょうで調味。


Great Gatsbyというのはあまりにもよく出来すぎていて、あまり好きな小説ではなかったのだけれど、教えるためにもう一度よんだらやっぱりよく出来すぎているよ、と思いつつ、最初のページのNickの父親の言葉に—そのアイロニーも含め—力強く線をひかざるを得なかった。"'Whenever you feel like criticizing someone,' he told me, 'just remember that all the people in this world haven't had the advantages you've had." 文学を教えるということは、こういう言葉に素朴にもういちど生徒と一緒に打たれることなのかもしれないな、などと思う。アメリカでアメリカ文学をアメリカ人に教えるというのは、間違いなくわたしの(いってみればお気楽な)人生の中で一番くらいにチャレンジングな経験であるわけだけれど、同時に一番くらいにやってみてよかった経験でもある。先学期の生徒たちからの評価アンケート、うれしくて泣きながら読みました。だからこの山積みのレポートも、なんだかんだ仲間と愚痴をいいながら、笑顔が隠しきれずにまた採点するのだと思う。

アメリカ南部でアメリカ文学を教えるということ (1)

Easterを目前にしてLSUはようやく他の多くの大学からおよそ三週間ほど遅れてSpring Breakに入ったわけだけれど、10日間の春休みは休みとは名ばかりで、大学院生にとってはひらすらお仕事の期間である。コースワークの間は授業のファイナルペーパーのドラフトの締め切りがたいてい休みの後に設定されているのでペーパーライティングで虫の息となるのが定番なのだけれど、今年はそれに加えてわたしの目の前にいま、30本のペーパーが積まれている。そう、今年からはわたしも先生として生徒のレポートのグレーディングをしなければいけないのだ。

アメリカの大学院では(学校や学部によっていろいろ条件は異なるのだけれど)大学院生が実際に学部生を教えることが半ば義務化されている。たいていの場合、Teaching Assistantshipというのを受けると、授業料が免除になったうえにお給料として生活費(ええ最低限のですけれど)が大学から支払われる。Teaching loadは大学によってまちまちなのだが、LSUの英文科では大学院生は(PhD、MFAともに)一学期に一コマ(三時間:週に一時間を三回ないし一時間半を二回)担当すればよいことになっている。英文科の学生はたいてい30人くらいのcompositionのクラス(日本で言うところの小論文なのかな)を持たされるのだけれど、わたしは去年一年はよそからお金をいただいていたので教えることはなく、今年一年ははじめてのteachingだからということで、教授の教える150人のアメリカ文学のクラスのTAをしており、週に二度は教授のレクチャーの補助、実際に生徒を目の前にして教えるのは週に一度だけで済んでいる。

週に一度だけ。週に一度、ただ一時間だけなのだ。しかしこれだけ濃密な一時間をわたしはこれまでの人生で他に知らない。もともとわたしは英語が流暢に話せるわけでもなんでもない。こちらに来て一年を経た頃には、一対一のコミュニケーションや授業でのディスカッションは形ばかりだとしてもなんとかこなせるようになってはいたのだけれど、ひとクラスのアメリカ人を目の前にアメリカ文学について英語で話し、生徒にディスカッションをさせるというのは、話が別である。個人的な会話やディスカッションでは、多少言葉がみつからないことがあろうが、話しながら英語の森に迷って出てこられなくなろうが、結局のところアイディアがおもしろければ拾ってもらえるし、ああ外国人なのにがんばっているね、と最終的にはあたたかい目で見守ってきてもらっていた。けれど教師であるということは、コミュニケーションの責任を負うことであり、それまで享受してきた社会的弱者としての特権に対する甘えが許されないということでもある。障害物競争のハードルが一気に背面跳びのバーに変わったようなものだ。

去年の8月、初めて教壇に立った日のあの戦慄は今でもけして忘れることができない。アジアから来たとおぼしき妙な英語を話すこのひとが、ああ、先生なのか、と思ってきょとんとしている30人の学部生を前に、満面の笑顔でかみしめるように自己紹介をしながら、9cmヒールのパンプスに脇の下から一滴、また一滴と汗がしたたり落ちるのをなんの誇張でもなくわたしははっきりと感じていた。アメリカの学生というのは隙あらば教師にクレームをつけて成績をあげさせようとする、というのがティーチングのトレーニングで言われた事のひとつでもあったので、とにかくなめられてはならない、教師としての立場は死守しなければならないと身を固くしていたのが最初の数週間だった。が、驚くほどにその緊張は杞憂に終わった。アメリカの学生—というかこれはおそらく保守的な南部特有のことなのかもしれないが—は教壇に立っている存在はすべからく敬うべしという教育を施されているのか、なんというか日本でわたしが見ていた(自分を含め)すれっからした学生とはだいぶ違い、なんとも素直にわたしの話をうんうんとうなずきながら聞き、なにか訊ねれば口早にYes Ma'amと言ってから答え、ディスカッションでは矢継ぎ早に手を上げて発言する。まるで軍隊さながらではないか。

2012年3月18日日曜日

St. Patrick's Day




こちらに来る前にはリースというのはクリスマスの為に飾るものだと思っていたのだけれど、アメリカの玄関というのは年がら年中ではないにしろ、けっこう驚くほどの頻度でwreathで飾られている。1月中頃、ホリデイシーズンを過ぎてもまだあちこちの家の玄関先に色とりどりのリースが掛かっているので、ああこりゃ松飾りを外し忘れたようなもんなのかな、いかんいかん、福を逃がしますよ、と思っていたら、PJがよくリースの色を見てご覧なさい、と言う。紫、金、緑。あ、これはMardi Grasカラーじゃないか。ルイジアナではクリスマスとニューイヤーを過ぎると人々はMardi Grasの準備に忙しい。玄関先も当然Mardi Gras用のリースで飾らなければ気が済まないのだ。さてMardi Grasも終わって、じゃあいよいよリースを外す頃かしら、と思ったら、今度は家々の玄関先が明るい緑のリースで飾られてる。リースは元気に育った庭いっぱいのクローバーとともに南部の光に照り映えて、そう、三月のお祭り、St. Patrick's Dayの準備が始まっているのである。

3月17日にはアメリカ中の多くの大都市でパレードが行われているはずなのだけれど、実は普通南部の中小都市ではSt. Patrick's Dayはそこまでメジャーなお祭りではない。が、Baton RougeではMardi Grasの時と同様、爆音のダンスミュージックとともにフロートによるパレードが二時間も三時間も続く。なぜフランス・スペイン系の影響の強いルイジアナでこのアイルランド系のお祭りがこうも盛大に行われるかというと(ちなみにアイルランド系移民はBoston や New Yorkを初めとする東海岸に多い)、それはこのお祭りがカソリック由来のものだからなのである。Mardi Grasの時にも書いたけれど、ルイジアナはプロテスタント色の濃い南部で唯一ともいえるカソリック州。これがカソリックの特徴だと一般化するわけではけしてないけれど、わたしがこの地で触れたカソリックというのは、教義・典礼的には大変厳しいのだがそれを相殺するかのごとくひとびとの日々の生活は(とりわけプロテスタントのそれに比べ)めっぽう享楽的でかつ情熱的なのである(…やっぱりでもこれってカソリック全般に言えることなのではないかという疑いが頭をよぎるのは同じカソリック系の中南米およびイタリアの人々の性的おおらかさによるのだが)。St. Patrick's DayはMardi Grasの翌日のAsh Wednesdayから始まり四月の謝肉祭までの節制の日々、レントにあって唯一飲めや歌えやが公に許される日とあって、人々はまたこれでもかというほどに乱れ狂う(ちなみにそれなりにレントにまじめに取り組んでいる人たちもいるのだなと感じたのはAsh Wednesdayのその日、キャンパスを歩いていたら、いかにもソロリティの女の子らしいブロンドちゃんがiPhoneを片手に激怒していて、いったいどうしたのかと耳をそばだてたら、Ash Wednesdayに肉を食べるなんてほんとに信じらんない、わたしたちの関係を考え直したいわ、などと言っていたときだったのだが、まぁ実際、大抵のひとはほとんどレントなど気にしていなさそうだ。要は単に騒ぎたいんです)。

おそらくこれはMardi Grasを擁するルイジアナならではの現象なのだが、あいかわらずパレードではフロートの上の人々が緑色のビーズの雨を降らせる。ビーズだけではなく、ビール用の緑のコップや上の写真のようなパンツ、leprechaunと呼ばれるアイルランド民話に出てくるキャラクターをかたどった奇妙なマスコットなどが雨霰のごとく降ってくる。その中に身の丈60cmほどの兎のぬいぐるみがあり、これはパレードで約10体しかないというラッキーアイテムなのだけれど、ありがたいことにパレード最前列で友達と踊っていたらなぜかおじいちゃんがフロートから身を乗り出してわたしに手渡してくれたので、1歳の娘のいる友人にプレゼントした。パレードが終わる頃には左の写真のように緑のビーズで身動きがとれなくなり、周りのひとに手伝ってもらわないと抜けない始末であった。

論文採用のお祝いにとパレードルートの周りに住んでいるルイジアナネイティブの友人が大きな鉄鍋でジャンバラヤを作ってくれたので、みんなで乾杯した。が、パーティが始まって一時間も立つ頃にはみんなぐでんぐでん(なにしろアイルランドのお祭りだからということで半端ではない強さのお酒が振る舞われる。もちろんわたしは相変わらずビール一杯くらいしか飲めないので事なきを得たが、)で、気づけばホストである友人は数人の女子とベッドルームに消え、ありがとうを言ってPJと家路につこうと思ったら、ベッドルームの前までいったPJが、あ。これは。入っちゃだめだわ、すごいことになってる。と言っていたので、中で何が行われているかは恐ろしくてのぞけなかった。どんだけだい、と思いながらPJ宅まで歩いているとそこかしこでパーティミュージックの中、パトカーの音がこだましていた。全て真っ昼間に行われているのだからほんと、どんだけだよルイジアナ。

[Pistachio Cookiesのレシピ]
そんなわけでわたしもなにかパーティに緑色のものを持って行こうと、今回はピスタチオをベースにしたお菓子を二種類焼いてみた。いつものごとくタルト生地を余らせていたので、ひとつはピスタチオのタルト、それからもう一つはPJのお母さんのレシピによるピスタチオのクッキーである。実はタルトの方もお母さんレシピに想を得て、いつものアーモンドクリームにフードプロセッサーで粉にしたピスタチオとフェンネルシード、アーモンドエッセンスを混ぜただけなので、今回はクッキーのレシピだけ(タルトは写真のようにSt. Patrick's Dayのエンブレムであるshamrockをかたどって粉砂糖でデコレーションしてみた。四葉のほうが縁起がよかろうと思ったが実際にはクローバーの三つ葉がholy trinityを象徴しているそうなので、三つ葉が基本だそうです。ふむふむ。切るときれいな緑色です)。アメリカレシピだけにその大量のバターと砂糖の量に腰が引ける方もおられるかとは思いますが、大量に焼けるので日に1枚、2枚食べる分には問題はないはずです。お味のほうは太鼓判。ほんとうにおいしかったです。

☆発酵バター 250g
☆砂糖 250g
☆小麦粉 250g
☆ベーキングパウダー 小1
☆塩 小1/2
☆ピスタチオ 100g
☆たまご 1つ
☆アーモンドエッセンス 小2
☆ライムの皮をおろしたもの ライムひとつぶん
☆フェンネルシード 小2

①ピスタチオは飾り用少々を残してフードプロセッサーで細かい粉にする。
②オーブンは180℃に余熱。
③バターを室温に戻し、電動泡立て器でクリーム状にする。
④砂糖を③にまぜこみ、さらに電動泡立て器で滑らかなクリームになるまでまぜる。
⑤卵を4度にわけて④に加える。そのたびに電動泡立て器を使うこと。分離しないように。
⑥アーモンドエッセンス、ライムの皮、フェンネルシードをゴムベラで混ぜる。
⑦⑥に塩、小麦粉、ベーキングパウダーをふるいいれ、ゴムベラで粉っぽさがなくなるまでまぜる。
⑧ピスタチオの粉もさっくりとまぜこむ。
⑨天板にオーブンシートをしき、生地を2cmくらいのボールにしてのせ、手のひらで抑えて平たくする。飾りのピスタチオを乗せる。焼き上がると生地が広がるので生地と生地の間を最低1cmは空けること。わたしはこの分量で直系5cmくらいのクッキーが40枚強焼けたので、一度に天板に全てに乗せるのではなく、3, 4回にわけて焼く。
⑪10分くらい焼いて、うっすらと焼き色がついたらオーブンからだしてオーブンシートごとクッキークーラーにうつし、粗熱をとったら召し上がれ。しかし個人的には冷蔵庫で冷やしてからの方がフェンネルシードやピスタチオの香りがたっておいしかったです。

あいかわらずセブンティーズなルイジアナの人々はお祭りになると外でにこにこと煙草代わりにポットをたしなむのですが(違法なはずなんだけどなぁ…)、大麻というのは味覚をふくめいろんな感覚を強めるそうで、近所のおじさんやおばさんもわたしのクッキーとタルトを食べながら、ああおいしい、こんなにおいしいお菓子ははじめて!と言ってくれたので、どうかルイジアナの民の快楽に貪欲な罪深さを許してくださいと、抜けるような青空にお祈りした。