お金貯めて三日泊まるのが夏休み
週刊誌読んでやって来れば数珠繋ぎ
冷めたスープ放り投げるように飲まされて
二段ベッドでもあたいの夏休み
Summer Vacation  あたいのために
Summer Vacation  夏 翻れ

—中島みゆき「あたいの夏休み」

2011年7月25日月曜日

Los Angeles, CA (4)

Los Angelesについてはまだまだいろいろ書くことがあって、撮り貯めた200枚超の写真を見ながらあの一週間を回想するとそれだけで幸せな気分になる(ふたりの顔の写っていない写真が驚くほど少ないのでこちらにアップできないのは残念だけど、ひとりでほくほくさせてもらっている)。たった一年ですっかり田舎生活に馴染んだ身としては都会の空気が少しだけ厳しく、外出から戻ったら手洗いうがいをする、というような都会生活のいろはをすっかり忘れて喉を痛めたりもして、人間は生まれ育ちの如何に関わらず生活の向き不向きというものがあるんだな、などと思いもしなくはなかったけれど、それでも字義通りにも比喩的にも万年晴れのLos Angelesは旅行者にとってはこの上なく楽しい場所なのである。

10年来の友人を口説き落としてついに脱がせ、初めて一緒に水着になったMalibu Beach(これまた億万長者の家々の壮観だったこと。ちなみに前述のGetty Museumの別館で、Gettyの私邸だったというGetty VillaもMalibuにあるのだけれど入るには予約が必要とのことで残念ながら行かれなかった。次回は是非行きたい)、万年晴れのLAの裏の顔ともいえる街唯一のWalmartがある裏さびれたエリア、それになんといってもいとしののdrag queen、Ravenを一目見たいというわたしの涙目の思いに答えて夜中に車を1時間以上飛ばして友人が連れて行ってくれたRiversideのThe Menagerieというゲイバー(なんとRavenそのひとは翌週West HollywoodにあるMicky'sでショウをするために不在だった…しかし初めてのドラッグショウ、ほんとにほんとにほんとに楽しくて、クイーン達におひねりをあげまくった。その度にじっと目を見てくれたり手を握ってくれたりするので失禁するほどうれしかった。自分がなにをしたいのかどこへむかっているのか最近よくわかりません) 、どれをとっても最高の出来事だった。

もちろん食いしん坊としては食べ物のことも書いておかねばならない。多くの都市同様、LAはレストランも充実しているのだけれど、なんといっても特筆すべきはアジア系の食べ物の強さである。写真左はコリアンタウンで彼女のお勧めの…これはなんという料理だったっけ、すっかり名前を忘れてしまったけれど(サムギョプサル?)、ごらんの通り豚バラ肉をじょきじょきとはさみで切って焼き鍋にのせ、周りのキムチスープと一緒に食べるもの。最後はここにごはんを入れておじやにして食べる。

アメリカ南部というのはアジアから遠く離れているためか、ほんとうにアジア人人口が少なくて、アメリカ中どこにでもあるという韓国料理店が驚くことに一店もない。アメリカ人の経営する中華料理店や寿司屋はあるのだが、それも正直言って、時に訪れるアジア料理に対する渇きを癒してくれる味とは言い難い。ただ、和食であればある程度は自分で作れるし、中華料理も工夫をすればそれなりにおいしいものが作れるのでよいのだが、こういう韓国料理だけは日本で作ったこともないのでどう逆立ちしてもできっこなく、時に、あー焼き肉食べたい!というような妙なホームシックに駆られるのだけど、ここLAに住む彼女はそんな望郷の想いとは無縁だろう。ダウンタウンにほど近いチャイナタウンでは写真のような飲茶もお腹いっぱい食べたし(おばちゃんたちがカートでいろんな飲茶を届けてくれる、あの本場式の飲茶である)、アメリカ印のハンバーガーでさえその名もUmami Burgerという、日本万歳なうまみたっぷりのバーガー屋さんがあり、これはわたしがいままでの人生で食べたバーガーの中で間違いなく一番おいしかったので、Los Angelesに行くことがあったらとりあえずだまされたと思って絶対行ってほしいところ。

しかし結局のところなによりもうれしかったのは忘れもしない去年のいまごろ、不安で泣きそうになりながらアメリカ入りしたわたしのBaton Rougeでの生活のセットアップを、はるばるLAから来てすべて(文字通り す べ て)手伝ってくれた友人と一年ぶりに再会して一週間過ごせたことで、二年連続でわたしのために夏休みを全部使わせた上、一週間で彼女の三ヶ月分くらいのマイレージを消費したのではないかというくらいさんざんいろんなところに車で連れて行ってもらって、すこし申し訳ない思いもやはり否定はできないのだけれど、毎週電話でさんざくさ話しているとはいえ実際に顔を見ればやっぱりこんなに安心できる相手がいるというのは奇跡的とでもいうほかなく、彼女の家でほんとうに満ち足りた時間を過ごさせてもらったのはほんとうに最高だった。

***

そんなわけで、わたしの苦学生なお財布ではなんのお礼もできないくらいの恩を受けたのだが、なにか出来ることはないかなぁと思っていた矢先、彼女が「ポットラックに持って行けるお料理はないかな?」と言ってくれたので、渡りに船とばかり一夜限りのお料理教室をさせてもらった。いろいろメニューは考えたのだけれど、アメリカだけではなく日本でもパーティに持って行って間違いなく喜んでもらえて、かつ外では(少なくともアメリカでは)なかなかおいしいものに出会えなくて、さらにはちょっとおしゃれな若い娘っぽい料理であるキッシュを一緒に作ることにした。ちょっと面倒くさいように思えるかもしれないけれど(そして実際自分のためだけになら絶対作らないくらい時間もかかるしカロリーも高いのだけれど)、生地から手作りしたキッシュの焼ける匂いというのは何にも代え難い幸せを(そうだな、たとえば一年ぶりの親友同士の再会くらいの幸せを)運んでくれるので、大切なひとになにか作ってあげたいときにはぜひ試してみてください。

[Roasted Onion Quicheのレシピ]

生地 (20cmのタルト型2台分なので半量で作っても)
 薄力粉 240g
バター 140g
卵 1
砂糖 大1
塩 小1/2
冷水 30ml

アパレイユ(卵液を気取ってこう呼びます)
卵 1
牛乳または生クリーム(またはhalf and halfのもの) 80ml
塩 少々
ナツメグ 少々
グレーテッド・パルメザン 大2から3

フィリング
たまねぎ 大2
マッシュルーム 1/2パック

まずは生地から。バターを1cmに切って冷凍庫に入れておく。薄力粉も冷蔵庫で冷やす。卵、砂糖、塩、冷水を溶きあわせてやはり冷やしておく。
バターと薄力粉をフードプロセッサーで撹拌する。バターが米粒大になるまで。(FPがない場合はカードかフォークで切り混ぜる。けしてバターが溶けないように注意)
②をボウルに移し、①の卵液を加え、混ぜる。あまり練らないように。水分が少し少ないように感じられてもそのうち馴染むので焦らなくてよい。とにかく練ってバターの塊がとけてしまったらさくさくにならないので要注意。
二つにわけてそれぞれラップでくるみ、冷蔵庫で最低半日、できれば一晩寝かせる(なお、この状態で冷凍もできる。)。これをしっかりしないと焼き縮む。
型にバターを塗り、小麦粉をはたく。
④の生地をオーブンシートで挟んで打ち粉を少々し、めん棒で均一に。型より3cmくらい大きくなるようにのばす。上のオーブンシートを外し、下のオーブンシートの下に手を滑らせ、裏返して型にあわせていく。底面から空気がはいらないようにくっつけてシートをはずし、その後で側面。焼き縮むので少し型より上にでるように指で押す。
フォークで軽く全体にピケ。そのまま1時間以上寝かせる(これも焼き縮みを防ぐため)
⑦の上にアルミフォイル、パイストーンを敷いて350°Fのオーブンで15分。アルミフォイルごとパイストーンを外したらさらに15分。これを空焼きという。
次はフィリング。玉ねぎは薄くスライス。マッシュルームもスライス。
フライパンにオイル(大1くらいかな)を熱して玉ねぎを炒める。あまり触らないでほっておく。玉ねぎがしんなりして水分が出たらバターを少し加え、塩こしょうで調味する。とにかく時間をかけて飴色になるまで。30分はかかるので覚悟しよう。
玉ねぎを一旦器にあけて、同じフライパンにオイルを少々足してマッシュルームを炒める。軽く塩こしょう。
アパレイユの材料を混ぜる。卵を泡立てるとオムレツのようになりがちなので優しく切るように。
空焼きしたタルトの上に玉ねぎ、マッシュルームを均一に乗せたらアパレイユを静かに注ぐ。350°Fのオーブンで40分焼いたら出来上がり。おつかれさま!あら熱をとって中身が落ち着いたら食べられます。


優しい友人のこと、わたしが帰った数日後には他にもいくつかあったサイドディッシュやスープなど、ぜんぶのレシピを試して、お気に入りのiPhoneで写真をとって送ってくれました。次に会うまでにまたわたしもたくさん新しいレシピを用意しておくので、どうかまたわたしの夏休みにはあなたの笑顔をいつも見せてくださいね。ほんとうに、ほんとうにありがとう。一年後に会う時には、もっと強くたくましく(それからあなたのかわりに運転もできるように)なっていますように!

Los Angeles, CA (3)

消費の話に傾いたが、さてしかしLAを発ってひと月が過ぎようとする今日この頃、なつかしくあの一週間を振り返ってひとことであの街を形容するならなんなのか、と思えばそれはやはり、因果なまでに果てしない欲望なのである。都市というものが欲望によって駆動している、というのは自明も自明なのだが、世界屈指の消費都市に生まれ育ち、若さにまかせてそれなりには都会的欲望というものに触れてもみてきたというにも関わらず、LAという街の欲望のエネルギーにはどうにも驚かされて仕方がなかった。

ひとつにはそれは、この街の主要産業がエンターテイメントだということがあるのだと思う。東京もニューヨークも、もちろん都市は都市でそれなりに欲望が渦巻く様子は容易に観察され得るのだけれど、蕩尽的欲望のみならず、それを生み出し支えコントロールする日常の冷静ですこし気怠い存在感というのが常にどこかには感じられるわけなのだが、LAという街はなんというか、ハレとケでいうところのハレが万年続いていてケが存在しないように見えるのである。もちろんそれはわたしが旅行者で、ハレの場にばかり足を運んでいた、というのも理由としては大きいのだろうけれど、しかしそれにしても、たとえば同じ観光で行ったNew Yorkでは観光の途中、道行く人にある種の生活感を感じることは多々あったのだけれど、LAというのはレストランのウェイトレスやスーパーのレジ打ちのおにいちゃんでさえ俳優志望、モデルの卵だったりするわけで、なんというか人々が皆、LAという書き割りの舞台の上で常に誰かに見られていることを意識しているようなそんな感じがある。考えてみればそれも当たり前といえば当たり前で、街のなかにかの有名なHollywoodやBeverly Hillsがあって、映画スターが普通に暮らしているわけだから、日常とスペクタクルのボーダーが限りなく曖昧な街だということなのかもしれない…などとハリウッド・ビバリーヒルズのバスツアー(オープンエアで気持ちがいいことこの上なく、2時間ほどかけて街をじっくり回りながらいろいろ説明してくれるので楽しい。バスはチャイニーズシアターの前から出ている。ひとり$35くらいだったと思うが、まちがいなくお値打ち。ただし日差しが半端ないので帽子が必須)でセレブの家々などを眺めがなら思った。ちなみに写真は故マイケル邸。

しかしそんなふうに欲望が渦巻くどころか逆巻いて天を目指す天使達の街Los Angelesが、その欲望の濃度と強度にもかかわらず信じられないほど居心地がいいのは、実は地形的な要因が大きい気がする。山と海に挟まれた細長いこの街は(日本で言うと神戸を思い描くとよいと思うのだが)都市にありがちな閉塞感というものが皆無である。まずビルがない。いやもちろんないわけではなくてよくドラマなどで見るビル群というのは間違いなくダウンタウンに存在はしているのだけれど、それ以外の場所にはいわゆるスカイスクレイパー的な高層ビルがなく、高いビルでも10階立て程度、しかもビルとビルの間にそれなりに距離があるので、上を見上げるまでもなく大きな空にカリフォルニアの太陽が燦々とさしているのが常に感じられるし、フリーウェイからはほぼ常に山が見える。

上の写真のGetty Museumはその意味でLAの象徴的存在のようで、小高い丘(というか山)の上にそびえ、Los Angelesの街と太平洋を見下ろす私設美術館である。この美術館はJ Paul Getty という、ひとときはギネスブックにも載ったほどの大金持ちの美術コレクターの死後、10億ドルをかけて立てられたというものなのだが、コレクション自体よりもなによりも、個人の資産でこれだけのことが可能なのだということを誇示するようにどこまでも続く白い石造りの建築が有名で、なにしろ入場が無料(パーキング代が入場料になっているとのこと)ということもあり、ピクニックにはもってこいの場所である。ちょうど A Revolutionary Project: Cuba from Walker Evans from Nowという展示がやっていて、Cuba人写真家たちの「nationalisticな」とされる写真と、「Cubaの現状をえぐる」とされるアメリカ人写真家たちの写真のコントラストが強調されていて、いやいや資本主義の髄を集めたようなこの美術館でこの展示かぁ、と若干苦笑いをしなくもなかったが、でも公平にみてなかなか面白い展示だった。Evansというのは恐慌期のアメリカ農村部(特に南部)を記録的に描写した写真(Straight photographyと呼ばれるものだが)で有名で、その写真がFSA ProjectというNew Dealの一貫である農家救済政策に資したことからその政治性を話題にされることもあるのだが、実際の彼の写真はどちらかといえば人間の身体を含めすべての対象を抽象的なフォームに還元して捉えるある種のaesthesicism のほうが際立っている。妙なsentimentalismに淫することなくかといってただ冷徹に対象を記録するだけでもなく、対象の線的な美しさにEvansが芯から魅せられているのがわかるようで、やっぱりいいなぁと思った。考えてみれば美術館に行ったのは実に久しぶりで、というのもBaton Rougeには美術館とか画廊とかそういういわゆる文化的なものが全然存在しないからなのだった。自分はそういったものには別に未練はないと思って無頼を気取ってきたけれど、いざ久しぶりに絵とか写真とかそういったものに触れると、ああやっぱりたまにはこういう活動が恋しいものなんだな、と思う。MOCA (The Museum of Contemporary Art) では実にLAらしくstreet art展が催されていたようで、最近BanksyExit Through the Gift Shopというドキュメンタリーがけっこうおもしろかったので行ってみたかったのだけれどこれは時間がなくて行けなかった。LAではコンテンポラリーが主流で、いわゆる古典絵画の展示が少ないのが弱みだと友人は言い、わたしもあまりこてこてのコンテンポラリーとかコンセプチュアルアートは苦手なのだが、いやはややっぱりLAに来ると、そういうのも見ておきたいものだと思うのだ。次回は是非行こう。

2011年7月21日木曜日

Los Angeles, CA (2)

Baton Rougeにいる間もそれなりに消費欲の炎は絶やすことがなかったのだけれど、結局のところ何を着てみたところで、PJが覚えた数少ない日本語である必殺の「ビジンダネー」でわたしを甘やかしてくれる上、「おっ、ちょっと違うね」という微妙なニュアンスの通じない土地柄(とりあえず脚と胸をだしていたら、オー、すごいホットね!みたいな記号的な世界なのだ)なのでいくらこじゃれたところで虚しいだけ、東京にいた時のように最新のトレンドを追うように毎シーズン服を買う、などということは全くしていなかったのだが、さすがLAである、みごとにわたしの消費欲望にガンガンと油を注いでくれるではないか。

友人の住むSanta MonicaというのはLAのダウンタウンから車で20分くらいのところ(LAというのは不思議な街で、どこでもだいたいお互いから車で20分)なのだけれど、おしゃれデパートBloomingdalesを擁するこの街はビーチだけでなくお買い物にも最適な場所である。Third Street Promnadeという通りには日本の女の子も大好きなkidsonをはじめ、100近いお店が軒を連ねていて、かわいらしいカフェやレストラン、それにご覧のようなストリートパフォーマー達が鎬を削るのを横目に、カリフォルニアの太陽とヤシの木の木陰のもと、お散歩気分で好きなだけ消費欲望を満足させられる。

しかもカリフォルニアというのはおしゃれキッズたちにとっては奇跡の気候なのだ。日本にいる時に雑誌でみて、いったいいつこんなカッコすんだよ、とつっこみを入れていた、「短パンにuggのブーツ」「Tシャツにレザージャケット」「ノースリーブにブーツイン」みたいな組み合わせを容易に可能にするのが、日差しは強いのだが湿気はなく、木陰は肌寒いという天気で、万年湿度90%気温35℃により短パンとTシャツ以外不可のルイジアナとは天と地の差である(いや、ルイジアナの天気は大好きなのだが)。友人のお勧めショップVINCEで白いドルマンスリーブのTシャツを買って(驚くべきことに$100近いトップスを買ったのはアメリカに来て初めてだった)、よし、これで店員になめられないぞ、と意気込んで翌日向かったのはLAから車で1時間半、Palm SpringsにあるDesert Hills Premium Outletsである。

Desert Hillsとはよくいったもので、このアウトレットはまさに砂漠の丘の上にある。実は意外なことにアウトレットには国内外を問わずそれまで行ったことがなく、アメリカに来てからは特にブランド品に対する興味が皆目なくなってしまったので(大学ではブランドバックを持っている女子はひとりも見たことがない。服もある意味制服のように多くのソロリティ女子は短パンTシャツなのだが、その分車やサングラスなどで差別化をはかっているようだ)、アウトレットに行くといっても、家族へのお土産(そうなのだ、わたしには好みのうるさい女家族が三人もいるのだ)を買おうかな、というくらいの気持ちだったのだが、このアウトレットはほんとにすごかった。母君の大好きなmarniに始まり、PradaやGucci、FurlaやBarney's New York、それにアメリカのアウトレット中どこに入っているといっても過言ではないCoachなど、上から下までなんだこりゃという品揃えである(もちろんどの店舗も広い)。しかもアウトレットの気安さ、店員さんもどこの店でも、あらーこれなんかいいんじゃない、というテンションで、通常店でならいちいち頼まないと触らせてももらえない品々をドンキホーテなみの気軽さで出してくるので試着もしほうだいである。中でもCoachとBCBGの投げ売り加減はこちらが食傷するほどで、正直ブランドものの不法投棄所にやってきたような気分になり、ああ人間よ、人間よ、と思わなくもなかったが、とりあえずBCBGではジャケットを買い、レジに行ったら値引きされた値段からさらに値引きされて$50もしなかった。友人によればDesert Hillsは比較的新しいアウトレットで、同じくLA近郊のCamarilloというところのアウトレットより狙い目とのこと。LAにお越しの際、女子の皆さんは万障お繰り合わせの上おでかけください。

Los Angeles, CA (1)

トンネルを抜けるとそこはなんとやら、という感慨を抱いたのは実に久しぶりのことだったのだけれど、珍しく飛行機で窓際の席に座ったので外を眺めていたら、永劫のごとく続く砂漠の中を走る一本の道路が、やがて大きな街を作っていた。天使たちの街とはよく言ったもの、こんな広大な無の中に忽然と姿を表す街の姿はおよそ人間が作ったものとは思えないほどあまりにも唐突な存在感だったが、同時にどこにでも住んでやろう、どこまでも突き進んでやろうというあのmanifest destinyの強靭さに胸を打たれもして、飛行機の中、夢中で裸の山並みや砂漠にむかってシャッターを切っていたわたしは幼い子供のようだった。

東京に産まれ育って29年、身も心も都会に育まれたわたしはいわゆる自然というものには正直まったくなじみも思い入れもなかったのだが、アメリカの片田舎に住むようになってたった1年で立派な自然派のカントリーガールになったのだなと思うのはこういう瞬間で、わたしは結局のところ、アメリカというものの物理的な大きさと、その中に息づくほとんど馬鹿みたいといっても過言ではない強靭な精神にどうしようもなく恋をしているのかもしれない。

今回の旅は(それはもう今からひと月も前のことになる)日本に帰国する前にLAに住む友人を訪れるという目的だったわけなのだが、LAというのは字義通りにも隠喩的にもわたしのアメリカ生活と日本生活の中間地点に位置する街だった。そこはたしかにアメリカなのだけれど、同時に都市であるがゆえに東京を思わせ、またアジア人口の多さはLousianaがわたしに与えていた他者感を良くも悪くも軽快にぬぐい去る。ある意味ではわたしにとって東京に帰るためのリハビリに最適の土地だった。

リハビリの第一歩目は服装なのだった。Louisianaというか南部は前述のとおり、ドレスアップをすることが若い娘の唯一の楽しみのような場所なので、女達はチェーン展開のレストランにおいてさえ原色のワンピースに身を包み、10cmにもなる慣れないヒールを履いて一様によちよちと膝を出しながら夜を楽しむ。都会というのはそういう場所ではなかったのだ、と思い出したのは早くも空港でのことで、誰ひとり華美な服を着ているわけでもないのに妙に洗練されている。そうかこれがわたしがすっかり忘れていたおしゃれというものか、とひとりごちていたらとびきりの笑顔で声をかけてくれた、ジーンズをブーツインしたいい女がいて、それがわたしの最愛の友人だったのだった。まいったな、かわいいじゃんか、などと思いながら自分の小花柄の短いワンピース(とはいえもちろん下にはショートパンツは履いていたのだが)と彼女の都会風の装いの対象がいかにも田舎娘、都会に来る、という小物語を連想させたので照れ笑いをしつつ、一年ぶりの再会に快哉を叫び、わたしの一週間のLA生活が始まった。

2011年6月15日水曜日

PJ Withdrawal and Raspberry Chocolate Cake

例の二日酔い以降、なんとはなしに意気があがらない。PJと電話をして、夏風邪かもしんない、といったら、いやいやそれはPJ withdrawalだよ、と笑われた。Withdrawal というのは薬やアルコールなどに対する依存症のある人が急にそれらを摂取するのをやめた時に起こる離脱症状である。写真はMeth Withdrawal(Methというのはmethamphetamine。あれですね、のりPの)のページのものなわけだけど、たしかに最近わたしはこんな表情で机の前に座っていることがある。

PJ withdrawalというのは言い得て妙なものだ。たしかにBaton Rougeにきて10ヶ月(ここに来たのが8月の頭、初めてPJに会ったのが8月の半ばなので)、ほぼずっと隣にPJがいたわけで、学校の忙しさがピークのときなど、ほっといてちょうだいよ!という風にもなったわけだが、初めてこうやって離れてみると、わたしにとってBaton Rouge=PJだったんだなぁ、などとつくづく実感する。夏のBaton Rougeの暑さというのは想像を絶したもので、3月半ば以降長袖というものにはついぞご縁がないし、湿度は常に80%以上、しかも街の北部にはけっこうたくさんのchemical plantがあるのでBaton Rougeの空気は全米で1、2を争う汚さなのだが、湿気のせいでその空気の汚れがますます強く感じられる。友人等はBaton Rougeをthe filthiest town in the nationなどと罵るし、けっこう多くの人がこの暑さに耐えられず街を脱出する(アングロサクソンの人々の気温の感じ方は明らかに我々とは違うようで、たぶん体感温度が4から5℃くらい違う)。が、相変わらずわたしはこの暑さが大好きで、喫茶店の外の席であつーあつーと言って汗をかきながら読書に励んでいた…わけなのだが、ここ2日ほどはBaton Rougeなんてなにさ、もう知らない、みたいな気分なのだ。

それに加えて、いま書いている論文もまた思い切り暗い。Willa Catherはアメリカ南西部を舞台にしたMy AntoniaとかO Pioneers!で有名な20世紀初頭の作家なのだが、70年代以降(いやほんと60年代、70年代というのはこういう時代なんだな)レズビアンであることが「発見」されて、それ以来彼女の作品にはセクシュアリティ分析が大きなジャンルとして加わっている。しばしば問題とされるのは彼女が一貫して自分のセクシュアリティについて沈黙を守り続けていたことで、Catherが遺書の中で自分がこれまで書いた手紙の一切を後の研究者が引用することを禁じ、またgross indecency trialで裁かれたOscar Wildeを酷評したことなどから、彼女はある種のhomophobiaを内面化していたという風に論じられることが多い。

わたしが今扱っているThe Professor's Houseというのは1925年の作品なのだが、主人公のProfessor St. Peterは彼の死んだ生徒であるTom Outlandに対する尋常ならぬ思い入れとともに、小さな書斎に閉じこもって家族とのかかわりを断っている人物である。この書斎はどうみてもclosetだよね、という印象からわたしの論は始まっているのだけれど、ただしわたしはSt. Peterのセクシュアリティを抑圧されたhomosexualityとして捉えるのではなく、closetの中に閉じこもり、melancholicに失われた対象と同一化することで得られるある種のautoeroticismであると論じて、Catherのセクシュアリティに関する沈黙と彼女の"the thing not named" ("The Novel Démublé"という彼女のエッセイに出てくるフレーズで、これまたしばしば"The love that dare not speak its name" というhomosexualityのcodewordに結びつけられる)に対するこだわりを、20世紀のhomo/hetero binaryのディスコースと性解放のディスコースに参加することに対する抵抗として読んでいるわけだが、このmelencholia分析のおかげでわたしはいまちょっとばかり心理的にやられているのかもしれない。すべてのペーパーというのは自分にとってなんらかの意味でpersonalなものなわけで、だからこそ研究がやめられないのだから、ある意味ではこの状況を楽しんでいるといえば楽しんでいるのだけど。しかしなぁ。

***
そんなわけであまりずっと論文だけに係っていてもよくないな、と思い、ケーキを焼いてみた。気づけばチョイスはPJの大好きなRaspberry chocolate cake…ううむこの心理状況はPJの不在に関わるメランコリーだということなのだろうか。まぁ、そう考えたほうが気分がよいので、それはそれでよしとしよう。久々のうだうだポストだが、お味の方はばっちりなのでご安心を(実際これを食べたら少し元気になったので、いまからまたペーパーに戻れる)!ついでにこれと似たレシピでチョコスフレも作ったのだけど、それはまた今度紹介することに。

[Raspberry Chocolate Cakeのレシピ(18cm丸形)]
☆Raspberry 1パック(180gくらい。ケーキ用の120gとソース用の60gにわけておく。ちょうど季節なのでフレッシュを使ったが、冷凍でもいい)
☆製菓用チョコレート(カカオ分65%くらいのもの)180g
☆発酵バター 140g
☆グラニュー糖 145g(ケーキ用の50gとメレンゲ用の70gとソース用の25gにわけておく。めんどくさくてすみません)
☆小麦粉 20g
☆卵黄 60g (約4個分)
☆卵白 180g (約4個分:冷凍庫でまわりがすこし凍るくらい冷やしておくと安定したメレンゲになる)
☆レモン汁 小1

①チョコレートは刻んで(わたしが使っているのはすでに小さなチップになっているものなのでこの必要はなし)バターも小さくして溶けやすいようにする。
②ボウルに①を入れて、湯煎にかけて完全に溶かす。40℃くらいになったら火から下ろす。この間、型にオーブンペーパーを敷いておく。底は丸く切って敷き込み、まわりにはぐるっと巡らす。けっこうべったりくっつきがちなのでこれを怠ると型から抜けない。
③グラニュー糖50gを入れてよく混ぜる。その後卵黄、またよく混ぜる。さらに小麦粉をふるい入れて、またよく混ぜる。このあたりは手早く。
④メレンゲをしっかりめに立てる。卵白に70gのグラニュー糖のうちひとつまみを加えてハンドミキサーの高速で泡立てる。しっかり泡立ったら(いわゆる「お辞儀をするくらい」の固さ)残りの70gを3回にわけて入れて、その都度しっかり泡立てて、最後に低速できめを整える。最終的にはすこしすくいあげて逆さにした時に落ちてこないくらいの固さにする。
⑤③に④とラズベリー120gを加え、ゴムベラでさっくりと混ぜ合わせていく。色が均一になったらOK。
⑥用意した型に⑤をゆっくりと入れる。180℃で45分から50分焼いて、冷めたら型から出す。チョコレート系のお菓子全般に言えることだけれど、焼いた当日は味が馴染まないのであまり美味しくありません。翌日ないし翌々日にめしあがれ。
⑦そのままでもよいのだけれど、ソースをかけるともっと美味しい。ソースは小鍋にラズベリー60gと砂糖25g(要はベリーの40%の砂糖ということ)をいれて軽く混ぜ合わせ、弱火にかけてコトコト約5分(ベリーの形を残したい場合は煮ている間あまり混ぜないこと。水分が自然に出てくるので焦げることはない)。様子をみていい感じになっていたら最後にレモンを加える。生クリームを泡立ててそこにたらしてケーキと一緒に食べればさらに美味しいし、アイスやヨーグルトにかけて食べてもおいしい。ちなみにブルーベリーでも同じ要領で作れます。

BRを発つまで残りあとわずかなのであまった生クリームを使う暇もないかな、と思い、おそるおそる写真のスプレー缶入りのクリームを使ってみた。添加物などを気にする向きの方々にはおすすめできないけれど(実際賞味期限の長さにどん引きしなくもない…)いやはや簡単便利に負けました。いつもコーヒーショップとかで店員さんがもしゃーっとフラペチーノ的なものにかけるのをみて興味津々だったのが(ちなみにSt. Augustineで食べたKey lime pieの写真のクリームもこれだったし、テレビドラマなんかで女の子達が夜中にこれをそのまま缶から飲むように食べるのも目にする。もちろんポルノでは…あとは説明は不要ですね)、使ってみるとバラの口金で絞ったようなクリームが簡単に出せてしまうのでちょっと感動した。いや身体に悪そうだけどさ、まぁアメリカーナの醍醐味ということで一度くらいはね。さあ土曜日にはこちらを出発してLAだ!がんばるぞ!

※追記※
出発前に冷蔵庫の野菜を全部食べなければいけないので、さて大量のromaine lettuce(こっちではこれがとても安い。3個パックで$2くらい)をどうやって食べようかなと思い、シンプルなレタスのサラダを作ってみた。ただちぎって市販のドレッシングをかけたり、茹でてオイスターソースとマヨネーズで和えたりと、いろいろ食べ方はあって、どれも手軽でお気に入りなのだけど、この食べ方も簡単でけっこうおいしかったので、覚え書き。もちろん普通のレタスやキャベツなどでもできますが、それぞれひとつ使うとromaineよりだいぶ葉っぱの分量が増えるので、様子をみながら加減してください。いつものサラダレシピのとおり、材料と分量は適当なので、とにかく手近にあるもので。

[Simple romaine lettuce salad]
☆romaine lettuce 1株
☆ミックスナッツ 大2
☆パルメザンチーズ 大1弱
☆オイル 小1弱(好みのオイルで。わたしは胡麻油をよく使います)
☆砂糖 小1
☆塩 小1/2 (これも好みのお塩で。わたしはガーリックソルトを使います)
☆酢 小1(くどいですが好みのお酢で。レモン汁でもいいし、ワインビネガーやバルサミコでもいけます。わたしは味をみながら何種類か混ぜます。)
☆黒こしょう 少々

①レタスは粗めの千切りにする。
②レタスをオイルで和える。トスするように。
③お砂糖を全体にまぶして、またトス。
④塩、酢、胡椒、パルメザンをそれぞれまぶしてトスの繰り返し。
⑤ミックスナッツを粗く刻んで最後にぱらりと。

ポーチドエッグを乗せておいしくないわけがないよね、ということでこちらもご紹介。ポーチドエッグは見た目によらず簡単で、たっぷりめのお湯をぐつぐつ湧かしてお酢を小さじ1くらい入れて火を弱め、お玉でうずを作った中にお椀等に割った卵をそっと流し込んで、お箸等で白身の広がりを抑えて2分半。またはマグカップにお水(1cmくらい)とお酢少々を入れた中に卵を静かに割り落とし、爆発防止に黄身に竹串などで穴をあけてレンジで約50秒。写真はレンジバージョン(お湯で作った方が白身と黄身の食感のコントラストが楽しめます)。

あとは、そうだな、お砂糖を少し控えめにしてドライクランベリーを刻んで入れたのもおいしかった。なんといってもベリー、ナッツ、チーズの組み合わせは最強なのだ。ちなみに写真の木のボウルは日本のもので、そのままボウルで和えてテーブルに出せるのでお気に入り。日本に帰ったらまた木の器を買おう、そうしよう。料理というのは不思議なもので、なんだかんだでいろいろ作って食べてたら元気が回復して、無事に書き直しの第一稿が出発前に仕上がりそうだ(というかいっそ単に栄養が足りてなかっただけかもしれない気すらしてきた)。

2011年6月13日月曜日

Hangover and Tomato Basil Soup

はやいものでPJがNew Mexicoに発ってからもう10日が経つ。8月の末までPJと彼の犬のFootieはAlbuquerque(アルバカーキと読む)で避暑の予定なのである。最高気温だけみるとNew Mexicoだって90°F以上なのでたいしてBRと違わないようなのだが、なにせ湿度が80%超えのBRに対してAlbuquerqueは4%。自然発火で山火事が起こるくらいの乾燥具合で、PJはNMに入った途端にあまりの乾燥で鼻血が出たという。しかし湿度が低いということは太陽が沈めばちゃんと涼しくなるということだし、日中も汗をじっとりかく暑さではないので快適とのこと。Footieは今年で13歳なのだが、Boston生まれのFresno(Californiaにある小さな街で夏場でも涼しい)育ちのFooはBRの気候に完全に参っていて、加齢に加えてこの暑さで夜は10分歩くこともできないし、ポーチの階段を昇ることもときには出来なかったのだが、いまはAlbuquerqueの公園で元気に走り回っているとのこと。ほんとうによかった。

長らく会えない(8月の頭にわたしがNew Mexicoに行くことになっているので6月と7月のまる2ヶ月だ)ということもあって、学期が終わってからPJの出発前のおよそ3週間はほぼ毎日のように会っていたので、しばらくは真面目に机に向かう時間もなかった(いやカウチやビーチでで本読んだりはしたけどさ)。しかし今月18日にはわたしもBRを出てLAで一週間を友人と過ごし、その後東京で三週間滞在すると考えると、PJの出発からわたしの出発までのこの二週間は勉強に集中できる貴重な時間、ということになるので、ここ最近は久々に勉強に精を出していた。実はうれしいことに、先学期は3つとっていた授業で出したペーパーがどれも好評で、それぞれ教授から出版に向けての書き直しを勧められたのだった。どのペーパーも楽しんで書けたものだったので本当に本当にうれしかったのだけれど、3本すべて書き直すわけにはいかないので今は一番気に入っている、Sexualityの授業で書いたWilla CatherのThe Professor's Houseに関するペーパーを鋭意書き直し中である。それぞれのペーパーについてと、それから新しく始めたblog「あたいの読書録」(といってもほとんどノート代わりの備忘録なので他のひとが読んでもちっともおもしろくないと思う)についてもいつか書きたいのだけど、長くなりそうなので今日は別の話。

そんなわけで6月3日から昨日まで毎日、朝起きてごはんをつくって、図書館かカフェに行ってリーディングをして、帰ってごはんを食べてライティングをして、ステッパーでyoutubeみながら20分くらいエクササイズをしてお風呂にはいって寝る、という、ある意味ではわたしにとって夢のような生活を毎日していたのだけど、やはりここは南部、そうした生活をずっと続けるのは許されないというか、「なにやってんだよ」ということになる。金曜日に喫茶店で読書していたら友人に声をかけられ、「もうBRにいないんだと思ってたのに、勉強してるの。夏休みなのにえらいなぁ、PJがいなくてさみしいんじゃないの?」みたいなことを言われたので、うーんそうだね、たしかにちょっとさみしいかも、と笑っていったら案の定というかなんというか、週末の三夜連続でパーティあるいはごはんの誘いがあったので、最初は断っていたのだが根負けして日曜の夜、少し息抜きに夕ご飯を友人達と食べに行った。

Truckstopに行ったことある?という風に聞かれて、なにそれ、という感じだったのだけれど、その名のとおりtruck stopとは長距離トラックの休憩所みたいなもので、アメリカ中のインターステートの周りに散在する、「シャワーの浴びられるレストラン」みたいなところである(ベッドがある場合もあるが、トラックドライバーは大抵自分のトラックで寝るらしい)。60年代くらいから70年代にかけてトラックは昔のカウボーイみたいなアメリカン・スピリットのロマンを担うことになったらしく、いまでもトラック野郎というのは現代のカウボーイと呼ばれることもあるらしい。そんなわけでtruckstopというのはある意味ではアメリカ魂のふるさととも言えるらしく、そして南部の場合、実は一番おいしい南部料理はtruckstopで食べられる、とまで言われることがあるほど、料理がわりと充実している。実際Port Allenという、Baton Rougeからミシシッピを渡って10分くらいの町にあるCash's Casinoという店のチキンカツレツ(なんて言うんだったけなぁ、チキンを叩いて薄ーくして、衣をつけてカリカリに揚げてグレイヴィーソースをかけたもの)とred beans and riceは涙もののうまさだった。

と、そこまではよかったのだが、その後気づいたら友人が作ったMint jurep(南部名物のカクテルでモヒートMojitみたいなものなのだが、Cubaの発祥Mojitはライムジュースにシロップとミント、炭酸でホワイトラムを割ったもので、Mint jurepは炭酸とラム抜きのバーボン入り)をいい気分で飲んでいた。もともとほとんどお酒は飲めないし、周りの人々もそれはよく知っているので(暑いのに耐えられる体質と同様、いつもの「そうか…アジアの遺伝子か」というジョークまじりの粗い理解で受け止められている)ほとんどvirgin mojito(virginで作ってくれ、というのはアルコール分を入れないでくれ、ということなのだ)に近い感じだったのだけど、久々に飲んだからというのと、ここ最近あまりに健康的な生活をしすぎていてチキンカツレツの脂にやられていたからか、ほとんどあり得ないくらいにべろんべろんになってしまった。なにが恐ろしいってどんなに酔っても英語でしゃべらなければいけないので、なんか軽く地獄をみた(それでもコミュニケーションがとれていたことがありがたくてうれし泣きをして友人が驚いていた。あとで聞いたら、Kristevaにおける、言語が喪失の代替となる論がいかに正しいかがこういう言語を失いそうな状況でよくわかる、とかわけわかんないことを言っていたらしい。一生の恥である)。現在翌日の午後4時を回っているがいまだに二日酔いが抜けない。そんなわけでこのポストは言葉がろくに出てこない状態から勉強モードに戻るためのブリッジだったのである。

***
さて、なんとかこの状況を脱するために、二日酔いに優しいスープを作った。これまた料理好きのHのレシピをすこしアレンジしたものなのだけど、単なるスープといって侮ってはいけない。ほ ん と う に おいしいのだ。アメリカはスープの国なので、キャンベルをはじめ、いろいろなメーカーが出来合いのスープを缶やパックで出していて、tomato basil soupは中でもわたしのお気に入りなのだけれど、この手作りのtomato basil cream soupはやはり段違いのうまさである。

[Tomato basil cream soupのレシピ]
☆トマト 4-5個 (こちらではroman tomatoという細長くて水分の少なめのトマトがあるのでそれを3つと余っていたミニトマトを使った。普通のトマトでも出来るとおもうのだけど、あまりじゅくじゅくに熟していないトマトのほうがよいと思う)
☆たまねぎ 1個
☆にんにく 4かけ
☆バジル 1パック (先日行ったfarmer's marketのバジルが余っていたのでそれを使った。日本同様バジルはけっこう高いので、もしなければないでトマトクリームスープにしても十分美味しい。あるいはドライバジルを野菜をローストするときにハーブと一緒に混ぜ込んでも)
☆ベジタブルブロス 2.5カップ (ブロスがなければ野菜スープのもとを水に溶かしても。チキンスープやビーフブイヨンでも可。要はスープのベースならばなんでも可。)
☆生クリーム 100cc (あったほうがトマトの酸味が丸くなって好きだけれど、なくても可。また、牛乳とのhalf and half、あるいは牛乳でも可)
☆ハーブミックス (Herb de Provanceというのを使っているけれど、ドライハーブならほぼなんでもいい。わたしはローズマリーを大目にいれた)
☆オリーブオイル 大1から2(野菜にまんべんなく絡まる量)
☆塩胡椒 小1から2(ブロスの塩加減による)

①トマトは大きめの櫛切り(ミニトマトは二つ割)、玉ねぎは大きめの半月切り、にんにくは二つ割、バジルは大きめにちぎって、オリーブオイルをよく絡め(コーティングするようにまんべんなく行き渡らせる)、さらに塩こしょう、ドライハーブを全体にまぶす。
②①を耐熱皿(わたしは深めのバットを使っている)に入れて200℃に熱したオーブンで約30分から40分。途中で色を確認しながら、ちょっと焦げ目がついたかな、くらいのところで火を止めてオーブンから出す。
③鍋にブロスを湧かす。
④②をフードプロセッサーまたはミキサーにかけて滑らかなピューレにする。30秒くらい?
⑤ブロスに④を加え、ゆっくりかき混ぜる。均一になるまで。
⑥火を弱め(消してもいい)、クリームをゆっくり加え、さらに混ぜる。
⑦好みでざるなどで漉せばさらに滑らかになるが、濾さなくてもこれでもう食べられる。ドライあるいはフレッシュバジルを浮き実にして召し上がれ(写真はぐらぐらの状態でとったので浮き実などはもちろん忘れている)。ちなみに冷やしてもおいしい。


二日酔いの乾いた口(cotton mouthという。綿を食べたみたいに口がカラカラだから。アルコールだけじゃなくてドラッグや極度の不安による口の乾きもこう呼ぶ)に沁みるレシピである。ポイントは野菜を炒めるのではなくてオーブンでローストすること。高温でローストした野菜のうまみというのはなににも代え難い調味料だ。ちなみに日本だとオーブン料理はなぜか敷居が高い印象だと思うのだけれど、アメリカは冷凍食品文化なこともあって、どんなに料理をしない子でもオーブンは電子レンジ感覚で使う。そしてどんな家にも電子レンジはなくてもオーブンはデフォルトでついてくる。さて、料理の後でこれを書いていたらだいぶ回復したのでこれから図書館に行って本借りてこなきゃ…ああ、一生の不覚。

2011年6月6日月曜日

St. Augustine, FL

話は前後するが、Memorial Dayの前の週にFloridaのSt. Augustineという街に行ってきた。前学期でGeorgiaに帰ってしまったPJの旧ルームメイトのAの家族がSt. Augustineにビーチハウスを持っているということで、ファイナルズが忙しくてお別れもろくろく出来なかったわたしとPJをAが招いてくれたのだった。FloridaといってもSt. Augustineは半島の付け根の大西洋側、Baton Rougeから真東くらいに位置する。MiamiやKey Westからは車で12時間くらいあるので到底そこまでは行けなかったが、Florida「北部」とはいえ十分に南なのでもちろん暑い。お気に入りのワンピースに麦わら帽子、それから小さなスーツケースを持ってうきうきと飛行機に乗り込んだ。アメリカで初めてのバケーションである。


St. Augustineは大西洋に面したビーチなのだが(そして実際ゴーグルをしてたっぷり泳いで真っ黒に日焼けしたのだが)、なにより特筆すべきはこの街がアメリカ本土に現存する最古のヨーロッパ植民都市だということだ。湾にかかった橋を車で渡ると、写真上のようなヨーロッパ風の建物が現れる。St. Augustineの歴史は波乱に満ちている。街は1565年、他の多くのFloridaの街同様、Seminole Indianを制圧したスペインの入植者により創設され、フランス、イギリスのプロテスタント軍(それからカリブの海賊!)による攻撃を受けつつ、約2世紀に渡りカソリックであるスペインによる統治が行われた。が、1763年にthe French Indian War (イギリス軍対フランス=ネイティブアメリカン連合軍の戦争で、フランス連合軍はイギリス軍に大敗を喫する)が終結し、Treaty of Parisが締結されて大規模な植民地改変が行われると、Floridaはイギリス領となる。ただしこのイギリス統治は大変に短命で、1775年に始まり1783年に終結したアメリカ独立戦争の結果、再びFloridaはスペイン領となる。Floridaがついにアメリカ領となるのは1821年だが、Civil War(南北戦争ですね)ではFloridaは南軍(嗚呼 我らがConfederate!)に与し、連邦を脱退。最終的にSt. AugustineがUSAの一員となったのは1865年、南北戦争終結時のことである。19世紀末になると写真のFlagler College(そうなのだ、大学なのだ、この美しい建物は)を建てたHenry Flaglerというアメリカ人tycoonによって鉄道が敷設され、St. Augustineは現在のリゾート地への道を歩むことになる。そうかなるほどありがとうWiki。勉強になりました。

1695 年にスペインによって作られたCastillo de San Marcosという海に面した砦はcoquinaという貝殻を合わせた石灰岩の一種で出来ていて、今でも中に入って見学することができるのだが、St. Augustineの波乱の歴史を示すように砦内部には写真のように、アメリカ国旗の他にConfederateの旗(嗚呼我らがFlags in the Dust!)、スペイン国旗、イギリス国旗などが飾られている。ちなみに砦では一日一回大砲の実演が行われて(ただし玉自体はもちろん出さない)、私たちが行った時は海に浮かんだ自家用ボートからそれを見学する人々もいて、大砲が轟音をあげて火花を散らすと、ボートに乗った子供が打たれたふりをしてドラマティックに胸を抑えて後ろ向きに海に落ちてみせて見学者の歓声ををかっさらっていった。

St. Augustine市内は、はて、どういったらいいか、このブログの写真がとても参考になるのだけど、「アメリカなのにヨーロッパ」というキャッチフレーズが実にぴったりくる街である。メルヘンだ。乙女だ。はじめに街に行った時は夕暮れだったので思わず目が♥になった。が、週末の日中に来てみると、京都は新京極を思わせる観光地ぶりが否定できなくもない(怪しげなガラス細工の店とかあるしね)。New Orleansにもすこし通じるところはあるのだけれど、なにかが違うんだよな、と思ったのは、あの猥雑さがないことで、なんというか生活臭がないのだ。ある意味ではSt. AugustineはNew Orleansよりも徹底したリゾート地で、穿った見方をすればアメリカ人のヨーロッパコンプレックスみたいなものをうまく刺激するように作られている…と言えなくもない。いやもちろん古くていい街並みなのだけど。そして人々がリラックスムード満点でフラヌールごっこをしているのは癒されるといえば癒されるのだけど。でも人と店が多すぎて疲れたというのが実は正直なところでもある。

しかし、ごはんはうまうまである。もちろんリゾート地だからということもあるのだろうけれど、どうも理由はそれだけではないらしい。Floridaは全米一居住者の平均年齢が高い州なのだけど、それはなぜかというと常夏のこの州がretireの先に選ばれるからで、St. Augustineには全米でレストランを経営していた人々がretireして新たに店を出しているとかいないとかでよいレストランが豊富にある(逆にいえばretireして生活費の高いFloridaに店を出せるくらい成功した人々の店ばかりがある)。スペイン料理のお店、リヨン料理のお店、キューバ料理のお店(FloridaのLatino率の高さ、とりわけCubano率の高さには目を見張るものがある。もちろん聞こえてくるアクセントもLouisianaとは全く違う)などなど入ったレストランは大抵おいしかったのだけど(中には観光地らしいレストランもあったけど)、中でもお気に入りはその名もFoloridianというカフェレストランのようなところで、すべて地産のシーフードと野菜を使ったFlorida料理を出してくれる。特に印象的だったのは写真のFried Green Tomato。その名のとおり熟す前のトマトを揚げたものなのだけど、Florida名物と聞いてはいたが、いやほんとにおいしかった。

***
FGTの他にもうひとつ、Floridaに来たらどうしても食べたかったものがある。Key lime pieである。Key limeというのはKey West特産の小さなライム(普通のライムの半分くらいのサイズ)で、アメリカでは「キーライムパイ味のガム」「キーライムパイ味のクッキー」「キーライムパイ味のアイス」などがどこのスーパーでも売っているのだけれど、肝心のキーライムパイ自体をわたしは食べたことがなかった。日本の「きゅんと甘酸っぱい恋の味」的な表現による刷り込みなのだろうと思うが(アメリカでは「恋」が「甘酸っぱい」というのはよくわからないらしい。Bittersweetという表現が恋を表すことはあってもSweet and sourというと中華とかタイ料理にしか結びつかない)、わたしはレモンやライム味のお菓子にめっぽう弱い。Vegetarianで極右甘党のAにキーライムパイを食べないとLouisianaに帰れない、と言ったら、なんて、なんてすばらしいミッションなんだ!と興奮しておいしいキーライムパイを一緒に探してくれた(PJは我々の女子的熱狂にひいていた)。夜風にふかれながらAと夢中で食べた、冷たいフィリングにたっぷりのホイップクリームと蜂蜜をかけたkeylime pieはしばらく会えない友達との思い出の味になった。

そんなわけで再現レシピを書いておこう。ただし今回はフィリング作りであまった卵白を使いたかったのでトッピングとしてメレンゲを載せて焼いたのと、伝統的なグラハムクラストのカロリーに恐れをなしたのでくるみのショートブレッド風クラストを使ったのが正統的なレシピとの違いです、あしからず。

[Key lime Pieのレシピ]
★グラハムクラスト
☆グラハムクラッカー 150g
☆バター 75g (わたしは塩味の甘味に弱いので有塩と無塩を混ぜたが、もちろん無塩でも。レンジなどで溶かしておく)
☆ブラウンシュガー 大1
☆塩 少々

または
★くるみのショートブレッドクラスト
☆薄力粉 70g
☆バター 35g (ちいさなキューブにしてよく冷やす。冷凍庫にいれても。)
☆くるみ 35g
☆ブラウンシュガー 20g
☆塩 少々

★フィリング
☆ライム果汁 120cc (ライム5個あるいはキーライム10個くらい)
☆ライムの皮のすりおろし 小2(緑の部分だけ。白い部分は苦い。)
☆コンデンスミルク 250cc(こちらでは14oz缶というのが売っていて、それの2/3くらい)
☆卵黄 3個分

★トッピング
☆卵白 3個分 (よく冷やしておく、冷凍庫で少し回りが凍るくらい)
☆砂糖 70g
☆ライム果汁 10cc (普通はレモン汁だが今回はフィリング分のライム果汁からすこし取り分けておく)

①クラストから作る。伝統的なグラハムクラスト(これも作ったがやはり背徳的でおいしかった)の場合、グラハムクラッカーをフードプロセッサーにかけて、粉状になったらブラウンシュガーと塩を入れてさらに混ぜる。混ざったら溶かしバターを加えてまたFPで混ぜる。ショートブレッドクラストの場合はすべての材料をFPに一気にいれて10秒ほど混ぜる。バターがお米くらいの大きさになるまで。
②①を20cmのタルト皿に敷き詰める。砂の城を作る要領で押し固める。グラハムの場合けっこう根気がいる作業だが童心に帰って楽しむのがコツ。底面はグラスなどで押すとよい。
③180℃(350°F)で15分くらい。焼けたらよく冷ます。グラハムの場合、特に焼きたては固まっていないようで不安だが冷やすと固まるので心配しすぎないこと。
④次はフィリング。卵黄をよく溶いて、コンデンスミルクを加えてよく混ぜる。さらにライム果汁を少しずつ加えて混ぜる。最後にライムの皮のすりおろしをいれてひとまぜ。
⑤③に④を流し込む。180℃で15分。冷蔵庫あるいは冷凍庫などでよく冷やす。メレンゲを載せない場合はこれで終了。トッピングにホイップクリームを載せてもいいし、なにも載せなくてもいい。
⑥最後にメレンゲ。よくよく冷やした卵白にライム果汁と分量の砂糖からひとつまみを加え、ハンドミキサーの低速で軽く全体を混ぜる。卵白がほぐれたら高速にして約4分。砂糖の1/3を加えて30秒を3回繰り返す。メレンゲにつやがでて先がぴんと立つまで。泡立てすぎるとぼそぼそになるので注意。
⑦⑤に⑥をのせていく。デコレーションの仕方は好みだが、真ん中を小高くもるのが基本の様子。スプーンの背で角を立てるのもベーシック。ゴムベラやパレットナイフで模様をつけてもいい。
⑧粉砂糖を少し振りかけて200℃のオーブンで12分くらい。写真はオーブンの温度が高すぎたので角が焦げている。全体が(均一ではなくても)うっすらきつね色になるのが正しいあり方。またよく冷やす。最後にライムの皮を少し削りかけても。


夏にぴったりの爽やかなケーキだと思う。PJの家に泊まる度にモーニングコーヒー(というかエスプレッソ)を入れてくれたAを思い出して今日はコーヒーと食べた。そういえばPJはAのエスプレッソがないと朝のお仕事ができないと嘆いてエスプレッソメーカーを買ったが、やっぱりなにか違うと嘆いていた(…なんの仕事かは想像にお任せしますが、わたしにとっては朝のニコレットがそのお仕事の鍵です)。Georgia出身のAの南部アクセントが理解できなくて、最初は彼がしゃべっているといつもぽかんとしてばかりだったのに、それでも優しく見守ってくれたこと、しばらくしてコミュニケーションがとれるようになったのをとっても喜んでくれたこと、きっと忘れない。1年間、ほんとうにありがとう。Georgiaでの日々が豊かなものでありますように。

2011年5月31日火曜日

Memorial Day and BBQ

我々大学院生にとってはもう2週間ほど前に夏休みは始まっているのだけれど、多くのアメリカ人にとって「夏休み」シーズンの始まりを告げるのが5月最終週の月曜日、Memorial Dayである。なんのmemorial?というと、うーん、war memorialだね、という答えが返ってきて、なんのwar?というと、うーん、そうだなぁ、最初は南北戦争だったらしいけど、いまはだいたい全部の戦争かなぁ、ということ。なんだか歯切れの悪い返事だが、つまるところ、もともとは戦死者を弔う日だったようだけれど、いまは定義もゆるんで、戦争にいったかどうかに関わらずお墓参りにいったり、久々に家族で会ったり、三連休なので旅行に行ったり、とりあえずアメリカ万歳、夏休み万歳、とみんなで盛り上がる日のようである。アメリカと夏休みを祝うためにかかせないものといえば、そう、バーベキューである。そんなわけでルイジアナの灼熱の太陽のもと(ちなみに日中は100°F、つまり40℃近いわけだったのだが)、自分が焼豚になるのではないかとくらくらしながら肉を貪り食ってきた。

アメリカといえばバーベキュー、バーベキューといえばアメリカ、というほどにBBQはアメリカ精神の源なのであるが、日本でいうところのバーベキューとこちらのバーベキューは少しばかりおもむきが違う。日本でバーベキューというと炭火で直火焼きをするイメージかと思うのだけれど、アメリカではその料理法はgrillingないしbroilingと呼ばれる。それではberbecueとはなにを指すかというと、高温の煙でじっくりと燻すような料理法なのであった(写真の全アメリカ人必携のBBQセットは、上の蓋をカパンと閉じて蒸し焼きにするようにできている)。もともとはSpainの入植者達がアメリカに豚を持ち込み、初めて豚を目にした南部のネイティブ・アメリカン達がそれをこの料理法で調理した、というのがberbecueの発祥らしく(ただしberbecueの語源であるbarbacoaという言葉はカリブ海地域のTaino族と呼ばれる人々の言語で「聖なる竃」を意味する)、berbecueは今でも南部のシンボリックな料理のひとつに数えられる。

基本的にはこの炉によるslow cookingの方法を総じてberbecueと呼ぶので、なにも多摩川河川敷でなくても室内でやったってberbecueはberbecueなのである。そんなわけでアメリカ全土、特に南部では犬も歩けばというほどにBBQレストランに遭遇する。日本の焼き肉屋さん(ただし調理済み)に相当すると考えればいいくらいだと思うのだが、値段は断然お手頃。ちなみにわたしの近所にはVoodoo Berbequeといういかにもルイジアナな名前のレストランがあり、見た目は超がつくほど怪しいのだが、安いしお肉はほろほろだし、今思い出して思わず生唾を飲んだくらいおいしい(が、いかんせんわたしの脆弱な腸では消化しきれないので、3ヶ月に一度くらいしかいけないのが残念なところ)。それから特筆すべきはソースで、日本でバーベキューソースというとあのケチャップとウスターソースを混ぜたような甘いたれが即座に連想されると思うのだが、どっこいこちらのバーベキューは土地によって味付けが違う(焼く肉の種類も違う)。North Carolina出身の男の子が言うことには彼の地元ではvinegarベースのマリネードに豚肉を漬け込んで、丸一日かけて焼く(というか燻すというか)らしいし、LouisianaではいつものごとくCajunスタイルのスパイシーなソースが定番である。

さてそれでは先日のBBQはどうだったかというと、どっこいこれがLouisiana風ではなかった。PJの新しいroommateであるgeekなDくんは以前も書いたかもしれないが高校生の時にコックになりたくてレストランでシェフについてふた夏じっくり料理を習った(その後Faulknerに出会い、自分はFaulknerの生まれ変わりだと確信して今に至るわけだが…しかしFaulknerの生まれ変わりはいったい何人いるんだろう、日米問わず)という強者で、普段は料理はあまりしないのだが、こういう機会になると俄然本領を発揮してくれる。上の写真にあるようなおしゃれなミニケバブ(ミニトマト、紫玉ねぎ、パプリカとチキンを一晩マリネードしたもの)とアスパラのベーコン巻き(アスパラ5本くらいずつを二枚のベーコンで巻いて、これも一晩マリネードしたもの)に始まり、牛ひき肉にブルーチーズ、ペッパーを練り込んだ小さなパテをグリルして挟んだミニバーガー(これはPJが作った)、それに立派なシャトーブリアン(さすが肉食系女子、Hが「Farmer's marketで買ってきた。24時間前まで生きてたんだって♥」といって買ってきてくれた)に焼きとうもろこし、と実に多種多彩だった。

わたしは毎度のごとくデザート担当で、今回はLouisiana産のブルーベリーが手に入ったので前回のタルト生地のあまりでブルーベリータルト、それからラズベリーが安かったのでマフィンカップでラズベリー入りのガトーショコラを焼いてクリームとブルーベリーソースで飾り、中心部のくぼみにバニラアイスとラズベリーソースを落としたものを作ったのだが、結局自分のデザートに辿り着く前に完全に腹が膨れてしまい、食べずじまいだった。みんなが帰った後でゆっくり食べようと思ったら会がお開きになる頃には両方とも見事に全部なくなっていて、アメリカ人の健啖さにまたも舌をまいた。タルトはホールだったし、ガトーショコラは10人だったので予備を含めて15個焼いたはずなんだけど。いや、もちろんうれしかったんだけど。それに焼いた後に味見はしたからいいんだけど。仕方ないので深夜に余ったバニラアイスにラズベリーソースとブルーベリーソース(どちらもものすごく簡単、小鍋にお砂糖とベリーを入れて少し煮立てて、最後にレモン汁を加えるだけ)をかけて、red, blue, and whiteでひとりアメリカ祭りをした。


***
そうなのだ、なにしろ今回はMemorial Day。フランボワーズ・ガトーショコラなどというフレンチかぶれた料理ではなく、これまたアメリカの魂のふるさと、ポテトサラダのレシピを紹介しようと思う。これはPJが教えてくれたのだけど、日本でいままでわたしが作っていたポテトサラダより格段においしかったので、覚え書き。

[PJのアメリカン・ポテトサラダ]
☆ジャガイモ 中6個(大なら4個。こちらではred potatoというのが小ぶりでおいしいので今回はそれを6個使った。)
☆新玉ねぎ 1個(普通の玉ねぎでも可。こちらではsweet onionというものがあるのでそれを使った)
☆Serrano pepper 1個 (青くて小さい唐辛子、なくても可…何で置き換えられるだろう?)
☆にんにく 1かけ
☆Vegenaise  大さじ4から6(vegetarian用のマヨネーズで、卵は使っていないのでカロリーも控えめ。こちらでは普通に売っているのだけど、材料も下に書いておいた)

①ジャガイモは8等分にして、大きなお鍋で水から茹でる。(red potatoは皮が柔らかいので剥かなかったし、基本的に皮は剥かない方がなんでも美味しいと思うのだけど、気になる場合はもちろん剥いても。)
②新玉ねぎはスライス。Serrano pepperもスライス。にんにくは潰してみじんぎり。
③フライパンにオイル(適量)とにんにくを入れて火をつける。じゅわじゅわとにんにくの香りがしてきたらSerrano pepper、新玉ねぎも投入。とにかくここでじっくり炒めること。基本的にそんなに触らなくてよい。焦げ付きに注意しながらたまに混ぜる程度で放置。飴色とまでいかなくても、きれいなきつね色になるまで。その間に他の料理を作っているといい。
④だいたいジャガイモのゆで上がりと③の完成が20分から30分と同じくらいなので、ジャガイモを茹でこぼしてよく水をきり、ボウルに入れて③とあわせる。
⑤ここで塩、こしょう、そしていつもすいません秘密のCajun spiceを好きなだけ(なければないで、チリペッパーとかキッチンの棚の奥に眠ってるいろんなスパイスを使ってあげてください)。ざっとあわせる。途中でじゃがいもが少しずつ潰れてくるが、日本のポテトサラダのように完全にマッシュはしない。
⑥Vegenaise、それからマスタードを味を見ながら加えて、さらに混ぜる。ここでディルやローズマリーなどのハーブがあれば入れる。温かいうちでもおいしいけれど、やっぱり冷やすともっとおいしい。

[vegan mayonnaise]
☆豆乳 1カップ
☆レモンの絞り汁 大さじ4 (大きめのレモン1個半くらい。あるいは同量の果実酢)
☆塩 小さじ1/2
☆粉末パプリカ 小さじ1/2
☆マスタード 小さじ1/2
☆蜂蜜 小さじ1/2
☆オリーブオイル カップ1/2

①オイル以外をブレンダーにかける。一番低速で。
②混ざったら、オイルをほとんど一滴一滴といってもいいくらいゆっくりと加える。その間もブレンダーは低速。でないと分離してしまう。
③だんだんとろみがついて、滑らかになるまでブレンダーで混ぜ続ける。冷蔵保存。

ほかにも豆腐をつかったレシピなどもあるけれど、これが一番簡単でお手軽なレシピのようだ。当然だけど普通のマヨネーズよりあっさりしていて、わたしはけっこう好きなのだった。ちなみにveganというのはvegetarianのさらに厳格なもので、お肉や魚はもちろんのこと、チーズ、バターなどの乳製品も使わない。PJはDが超してくる前、vegetarianのAとveganのMと暮らしていたのだが、お肉をむさむさほおばっていると二人から「…野蛮っ!」みたいな目で見られるのがちょっと辛かったらしく、お肉隊長のDと一緒に暮らすことになってほくほくである。ううむ、お腹のぽっこりがちょっと心配。

※追記※
先日、Tennesseeに行ってきた友人がMemphis特産のBBQソースを買ってきてくれた。このソースを使ってPJがBerbecue Chiken and Wild Riceというのを作ってくれて、いつもながらシンプルでとてもおいしかったので、覚え書きレシピを追加で書いておこう。

[Barbecue Chicken and Wild Riceのレシピ]
☆玉ねぎ 1個
☆ズッキーニ 2から3本
☆オクラ 2から3パック (ちなみにokraは南部料理に欠かせない野菜なので、こちらではとても安いし、冷凍でもたくさん売っている。中でも人気なのはfried okraなのだけど、この料理はまたいつか他の機会に)
☆鶏もも肉 1枚
☆ワイルドライス(玄米)1カップ
☆BBQソース 適宜(大さじ4くらい)
☆Creole spice (なければいつものようにパプリカ、ガーリックペッパー等で代用可)
☆塩こしょう

①玉ねぎはみじん切り、オクラは軽く湯がいて厚めの輪切り、ズッキーニも厚め(8mmくらい)のいちょう切りにする。鶏ももは一口大にして塩こしょう、酒をふっておく。
②ワイルドライスを洗って、鍋に水2カップとともに入れ、火にかける。沸騰したら弱火にして、ワイルドライスが水分を全て吸うまで(ちなみにこちらではごはんを炊く時はみなこうしたやり方になる。もちろん炊飯器で普通に炊いてもいいのだけれど、これはこれでアルデンテの粒パスタのように仕上がるのでこういう料理には向いている)。
③フライパンをよく熱して、オリーブオイルで玉ねぎをじっくり炒め、きつね色になってきたら(約15分弱)ズッキーニも加えて、さらに炒める。ズッキーニがしんなりしてきたら(3分弱)オクラも加え、さらに約2分ほど炒める。塩こしょう、クレオールスパイスで軽く味付け。ただし後でBBQソースを投入するので、そんなに濃い味にしなくてもOK。
④野菜を一度お皿に取り出しておいて、同じフライパンに少しオイルを足して十分にオイルが熱したら鶏肉を炒める。野菜のうまみを鶏に絡めるように。
⑤鶏肉に火が通ったら野菜を戻し、あわせて炒める。
⑥BBQソースを加えてさらに混ぜ合わせる。ワイルドライスを加えて炒めあわせてもいいし、別添えにして食べてもいい。所用時間、約30分。

2011年5月22日日曜日

Home Party

前学期の終わりもそうだったのだけど、学期が終わって人心地つくとなにがしたいって、タルトが焼きたいのだな。今回は桃のタルト(フィリングはラム入りのアーモンドクリーム)とレモンクリームタルト(チーズクリームの上に自家製レモンカードをのせ、冷やし固めてライムの皮のすりおろしと黄色いラズベリーを飾った)。なぜ二つも一気に作ったかというと、先日PJが自宅でdinner partyを主催し、知らぬ間にわたしもco-hostということになっていたからなのだった。そんなわけでタカトシもびっくりの欧米か具合で、はじめてhome partyなるものを執り行うことになった。

アメリカ(特に南部)人というのは本当にhome partyが好きで、前述のとおり毎週どこかしらの家でなんらかの理由でパーティが行われているといっても過言ではないのだが、その多くはpotluckと呼ばれる持ち寄りのパーティである。しかしたまにちゃんとhostないしhostessが取り仕切るパーティみたいなものもやっぱりあって、最初にわたしがそれに招かれたのは指導教授の家(指導学生全員を招いてくれた)だったのだが、まぁ前菜、サラダ、スープ、主菜にデザートの見事なコースであった(しかも全て地産ものを使ったクレオール料理)。

ただしhostがすべてをコースとして一皿ずつサーブするのは大変(しかも皿が何十枚と必要になる)。なので代わりに、テーブルにセットされたお皿を手にとって、お客さんが自らキッチン(といってももちろんこちらの場合たいていがダイニングキッチンみたいに広いわけだけど)に赴いて前菜から主菜までを自分で取り分けて、テーブルに戻って料理を味わい、一段落したところでhostがデザートをサーブする、というのがフォーマルではないhome partyの定石のようで、実際、その後何度か経験したパーティでもそんな感じだった。それから共通しているのは、コースの前、招待客が集まる時にどのパーティでも、ダイニングとは別のところ(ポーチだったりテラスだったりリビングだったり)にワイン、チーズ、オリーブ、パテ、クラッカーなどをセットしておいて、皆が集まってはじめてダイニングに皆で移動する、ということ。わくわくしながらダイニングに足を踏み入れた時に、花やキャンドルで飾られて完璧にセットされたテーブルを見た時の感動というのは、見通しのきかないだだっ広いアメリカの家ならではのような気がする。

とはいえもちろんわたしたちは貧乏大学院生なので、できることはたかが知れているといえば知れている。ぴかぴかの銀器も燭台もないし、8人分の揃いの椅子もない(ただしアメリカの食器はこうした機会を考慮にいれて大抵の場合「豪華8人セット!」みたいな感じでメインプレート、アペタイザープレート、デザートプレート、ミニボウルなどがそれぞれ8セットずつ入って40ドルくらいからあるので、皿だけはどこの家にも腐るほどある)。それでも空いたワインの瓶にキャンドルを削って立てて、裏庭の花や緑をガラスのボウルに浮かべて、ウォーターグラスとワイングラス、それから畳んだナプキンの上にナイフ・フォーク、スプーンをセットしておくと、それなりに見栄えがするから不思議である。

PJがメイン(ポークチョップ、椎茸とバルサミコ酢のソース添え、サイドはいろいろ野菜のスターフライ)とアペタイザー(マリネしたパプリカ、それからバジルソースと豆の二種類のブルスケッタ)、わたしがサラダ(シンプルなガーデンサラダとキヌアサラダ、それからカリフラワーとモッツァレラ、にんにくの和えもの)とデザートをそれぞれ担当して、お客さんはワインやチーズを持ってきてくれたので、なんだかちょっぴり華やかなテーブルになった。さんざん飲んで、食べて、話して、学期の終わりをみんなでお祝いして、最後はPJの新しいルームメイト(Orange Beachに連れて行ってくれたDくん)のごんぶとの望遠鏡で土星を鑑賞した(土星のわっかがほんとにあったので感動した)。

お客さんが満足して帰ってくれるころには1時を回っていて、お皿を洗い終わることにはふたりともくたくたになっていたけれど、PJは「初めてのco-hostedパーティだったね」ととてもうれしそうだった。考えてみればhostとhostessというのはたいてい夫妻がやるものなので、こういう風にカップルがパーティを行うというのは、ちょっと公に自分達の関係がちゃんとしたものであることをパフォームするような意味合いがあるようで、正直そんなこと思ってもみなかったのでちょっと驚かなかったといえば嘘になるが、まったくうれしくなかったといえばそれも嘘になる。が、同時に「やー1年に一回くらいこういうパーティやると家が片付いていいよね!」と晴れやかな笑顔でわたしがピカピカに磨いた床やら台所などを見渡すPJを見ると、大掃除にうまいこと駆り出されたような気がしなくもない。とにもかくにも、食彩の王国、ルイジアナの食を巡る饗宴はまだとどまるところを知らない。

                                                                               ***

さて、最後にこればかりはアメリカレシピには譲れない、タルト生地のレシピを書いておこう。別にわたしは別段ケーキを焼くのが得意というわけではないのだけれど(デコレーションとかできないので生ケーキはめったに焼かない)、このタルト生地だけはどこに出しても恥ずかしくない、とない胸をはって言えるので、もしよければお試しください。

[基本のタルト生地(パートシュクレ)のレシピ:20cmタルト型2台分]
☆無塩バター 100g(値ははるが発酵バターを使うと香りが格段に違う。ちなみにこちらではcultured butterとして売っているのだけど、日本の半額くらい)
☆粉砂糖 65g (普通の砂糖では生地に滑らかに混ざりにくい)
☆全卵 1個弱
☆アーモンドパウダー25g (アメリカではまだ日本のように細かいものが見つからず困っているが、アーモンドミールでなんとかやっている)
☆薄力粉 180g

①バターは室温にもどす(1cmくらいにスライスすると戻りが早い。それでも時間がない場合はボウルに入れてオーブンのwarmモードで3分くらい。レンジは禁物。溶けてしまったら元も子もない。指で押して跡がつくくらい)。
②泡立て器でバターをクリーム状になるまで練る。
③粉砂糖をふるいながらバターに加え、さらにすり混ぜる。白っぽくなるまで。
④よく溶いた卵を3回にわけて加える。その都度よく混ぜ合わせる(一度にいれると分離する)。
⑤アーモンドパウダーも加えて混ぜたら、ゴムベラに持ち替えて薄力粉をふるい入れる。ボールに押し付けるようにしてあわせる。混ぜすぎない。
⑥二等分してそれぞれ丸くしてラップにくるむ。ここで冷蔵庫にいれて一晩寝かせる。時間がない時でも最低6時間は寝かせる。そうでないと生地がだれやすくなる。
⑦型(底がとれるタイプがおすすめ)にバターを薄くぬる。冷蔵庫で冷やしておく。
⑧作業台の上にオーブンシートを敷き、そこに少量の打ち粉をする。その上に冷蔵庫からだした生地をのせ、さらにそのうえにオーブンシートを載せてオーブンシートで挟み込む(邪道といえば邪道だが、これでその後格段に成型しやすくなる)。
⑨生地は固くなっているのでめん棒で数度叩いて扱いやすい固さにする。のばせるくらいの固さになったらオーブンシートごと回しながら3mmくらいにする。タルト型より3cmくらい大きくなるように。
⑩冷蔵庫から型を出す。生地の上のオーブンシートを外し、下のオーブンシートの下に手を滑らせて、ゆっくりと型の上に運び、裏返しにして(つまりオーブンシートが上になるようにして)載せる。
⑪まず底部分だけを密着させる。それからゆっくりとオーブンシートをはがし、型の上でめん棒を転がし、余計な部分を型のふちを使って切り落とす。
⑫型の側面のひだに指を押し当てて、生地を密着させる。後で焼き縮むので、縁から2mmくらい上に出す。
⑬フォークで軽くピケ(ところどころに穴をあける。あくまで軽く)する。これによって縮みが防げる。
⑭焼く前にさらに最低1時間は冷蔵庫で寝かせる(くどいようだが焼き縮みを防ぐ)。前日までにこの行程をすませておくとよい。わたしは2台分まとめて2つの型に敷き込んで、ラップをかけ、その上からジップロックに入れている(生地は乾燥しやすいので二重にしている)。すぐに使わない場合は冷凍庫にいれてもよい。その場合、焼く前に冷蔵庫にいれて解凍する(完全に解凍されていなくてもOK)。
⑮空焼きする場合はアルミホイルを生地の上に被せ、タルトストーンを縁まで載せて180℃で20分。その後一度オーブンから出してアルミ箔ごとタルトストーンをとりのけて、さらに15分。なお、クリームチーズタルトなど、フィリングを焼かない場合はこの段階で底に卵黄を溶いたものを塗って焼くと、生地にフィリングがしみ込むのが防げる。


ふぅふぅ、いや、あらためてこうやって書くとけっこう大変な作業である。なにしろ寝かせる手間を考えると計画的にやらないといけないので、急にタルトを焼くことになるとけっこう忙しい。今回は昼間に⑥までやって、ジムと図書館に行って、その後帰ってきて⑭までやって、二つのフィリングを作ってその後焼いた(なお、アーモンドクリームの場合は空焼きしないでタルト生地にアーモンドクリームを詰め込み、上に果物をのせて50分焼く。アーモンドクリームのレシピについてはOrange Tartのポストを参照)。基本的にその土地の料理に文句をつけることはしない主義だが、アメリカ人には考えられない時間のかけ方だと思う。ちなみに、ぜひレシピを送って、と言ってくれた料理好きの女の子はどんびきしていた。いや、まぁ、アメリカレシピでもきっとおいしいとは思うのだけど、これはもう0コンマ何ミリに命をかけるお化粧と同じで自己満足の世界だから…

2011年5月18日水曜日

Double Date

さて話は少しさかのぼってcrawfish boilのときのこと。ちょっと遅れて到着したらパーティを主催してくれたNew Orleans生まれのちゃきちゃきのSouthern belleである3年生のHが戸口で迎えてくれたのだが、そのときにわたしとPJ(彼)を見て「えっなに、やだー付き合ってるのー?いつからいつから?もー知らなかった、超かわいカップルー♥」みたいな素敵女子テンションだったので気圧されっぱなしだったのだけれど、とりあえずごはんにありついてうまうま言ってたら「ねぇこんどダブルデートしよ♥」とまたかわいらしい笑顔で言われ、そんなビバヒルみたいなこと誰がするかい、と思いつつ、まぁ社交辞令かなと思って得意のアルカイックスマイルでごまかしていたら、翌日「初めての1年が終わるんだから、お祝いしなきゃ!来週の土曜日、最近お気に入りのワインバーで女の子にはけっこういいシャンペンがただででるの。絶対行こう!」みたいなメールが来てて、なんか知らぬ間にコーナーに追いつめられた感が濃厚になっていた。

毎度のことながら最初は気乗りがしなかったものの、いざペーパー書き終わって最近買った黒のワンショルダーのワンピースを着て鏡の前に立ったら急に血湧き肉踊って、久々に髪の毛も気合いいれてセットして、ロスに住んでる女友達に写メを送りつけたりしながらPJの迎えの待っていたのだけど、ふと、これはoverdressedなのではないかと心配になり、念のため彼に問い合わせてみたら、「ここは南部だよ。南部にoverdressという文字はないから何着ていっても大丈夫。」と言われた。そうだ、たしかにBaton Rougeのような南部の小都市では別段他に娯楽もないので人々はパーティが大好きで、毎週末どこかしらのレストランやバーやおうちでパーティが催されているのだけど、良くも悪くもみなパーティ慣れしていて、着飾りたい気分のときはおしゃれをするし、そういう気分でもないときはTシャツとジーンズでふらっと訪れる。だからドレスコードのあるパーティ(南部は実はいまだに社交界が存在するところなので、そういうちゃんとしたパーティももちろんある)などは別だけれど、たいていのパーティはいろんな服装のひとがごた混ぜになっていて、とくに誰かが悪目立ちしていたりということはない。だからわたしのワンショルダーくらいどうってことないわけだ。というわけでひさびさに9cmのハイヒールにご登場願い、びしっと決めてダブルデートにのぞんだ。

The Loftというワインバーは雰囲気もワインも食べ物も、まぁ東京だったら絶対こんなオサレなとこ行かないよね、という感じのところだったのだけど(でもごはんおいしかったし、感じはとてもよかった。念のため)、初めてのダブルデートは意外にも和やかに楽しく進行した。しかしなにより特筆すべきは我らが素敵女子H(ちなみに当日はサテン地のばっくり胸元があいたLSUカラーの紫のワンピだったのでわたしごときが浮くということはありえなかった)が当代きってのserial daterだということだった。土曜の時点では「最近デートしてるフランス人の彼」のはずだったのだが、紹介された男の子はCaseyという名前で、うーんそうか、ずいぶんアングロサクソン的な名前な上に英語超うまいなぁ、なまりもまったくないしメニューのフランス語読めないし、てゆうか、ええと、あなたほんとにフランス人?と思っていたらもちろん彼はアメリカ人で、つい一週間前にWashington DCからBaton Rougeにやってきたと言う。ん?一週間前ってどうやって知り合ったの?と聞いたら、普通に「オンライン♥」という答えが帰ってきた。

聞けばオンラインのデートサイト(最大手は日本にも上陸してるmatch.comだけど、その他にもいろいろある)はこちらでは本当に本当にポピュラーで、え、大学院生とか、ふつうにみんなやってるよ?わたしなんてこないだ学校でお財布なくしたとき、2日で見つかったんだけど、でもカードから誰かわからないけどmatch.comの会費が落とされてたくらい、とのこと。Hは去年は30人くらいの男の子とデート(なにをデートとするかというのは人による、というのは前に書いたけど)したということで、そのうち10人くらいはオンラインで出会ったそうだ。吉原真理のドットコム・ラヴァーズという体を張った体験記は日本にいる時に読んだことがあり、アメリカにおけるオンライン・デーティングの普及というのはなんとなくは知っていたのだけど、いざこんなかわいこちゃんがサクラでもなんでもなくいるのを目にすると、あらためて日本の「出会い系サイト」とは似て非なるものなのだな、と実感した。

まぁでもこの風潮は南部だということでさらに磨きがかかってるのかもしれない。もともとアメリカはカップル文化が物凄くて、週末はsignificant otherとquality timeを過ごさなければならないという強迫観念(と言ってもいいと思う)が蔓延しているのに、さらに南部はだいたいにおいてロマンチックイデオロギーの拘束力が北部より強い上、少し田舎だと週末をひとりでなにか趣味に費やそうにも美術館も映画館も(シネコンはあるけど、いわゆる単館系の映画をやっているようなところはない)ないわけなので、前述のとおり娯楽がパーティになりがちである。そうすると自然、あ、週末、誰とすごそう、ということになって、デートの相手をオンラインでちゃかちゃかっと探しておいしいごはんを食べに行こう、ということになるということのようである。ふむ。

特にこの風潮を批判する気はなく(カップル文化について話はじめると長くなるので今日はとりあえず話さないにしても、基本的にはわたしは日本のいわゆる強制的異性愛の拘束力のゆるさみたいなものはすばらしいと思っているのだけど、でも反面、60歳くらいのカップルが手をつないで深夜のアイスクリームショップに来ているのを見たりすると、それはそれでいいなぁと思ったりもする)、Hはdesperateに男を探しているという感じもないし、だいたい料理が趣味で求道的なまでにおいしいごはん作りとそれを写真に撮ることに邁進している上、研究も大好き、おしゃれもお化粧も大好き、という女の子なので、恋愛というものに対するエネルギーの割き方が根本的にわたしやPJとは違うんだろうし、それはそれでいいんじゃないかな、というのが正直な感想である。ただ帰り道、ほろ酔い加減でPJとMississippi河畔を歩いていたら、オンラインでの出会いって良くも悪くもプラグマティックで、まぁでもこうやって土地が大きい国だからそうでもしなきゃ出会いの確立も低いし、それなりにいい出会いがあることだってあるし、それはそれでいいんだけどさ、でもいくら細かくプロフィール項目にチェックいれたって、オンラインじゃぜったい俺たち出会えないじゃない?趣味も歳も国籍もぜんぜんちがうし、Mは煙草も吸うしね。と言われた。初めて会った時、帰りにここに来たよね。あの時、土手に寝転がって、Mississippi見たの覚えてる?あの時はまだMの初めての学期も始まる前で、1年終わる頃にはこんな風に仲良くなって、河もこんなことになるなんて、きっと思わなかったでしょ。

…とロマンチックムード満々で話すPJだったが、要はいまMississippiが1927年以来の水位の高さで、毎日学校から「氾濫の際の退避場所」などのメールが来る始末。先日もうちょっと北のMorganzaというところのspillwayを空けて人工的に一部の地域に洪水をおこし、Baton Rouge と New Orleansの冠水を回避しようとしているのだが、ここ数日のうちに雨でも降ろうものならMississippi徒歩5分の我が家はもちろんぐしょ濡れになるうえ、下手すればうちの周りの道路は塞がれる。たっぷたぷのMississippiが我々が寝転んでいただたっぴろい土手を見事に飲み込んでいるのを見て、これが僕らの愛のシンボルとか言われても正直ピンとこないうえ、恐ろしいし、ああもう、ほんと洪水が起こったらどうしよう、と悶々としていたら、「大丈夫、カヤックで迎えにいくよ」と言われた。いい人なんです。犯罪者みたいな面構えだけど、すごくロマンチックなんです。

2011年5月14日土曜日

Done and Done



2011年5月14日土曜日朝8時45分
3本のレポートが仕上がり
わたしのアメリカでのfirst academic yearが無事に終わりました

また近々書きますがとりあえずいま言えるのは
日本にいたときよりも数百倍忙しかったのに
深刻に体調を崩さなかったことがなによりの達成だということ
アメリカ来て、よかったな、とまだ心底思えることが心からありがたいということ

うん

「わたし今、気分爽快だよ」


2011年5月8日日曜日

Crawfish Boil

世界の至る所に土地土地の「創世記物語」みたいなものは民話として残っているのだけれど、Louisianaの場合、神ははじめに海を作り魚とshellfishを住まわせて、crawfishに海底の土を堀り上げて陸を作るように命じ、そこに我々の住む大地を作った、というのがある。ことほど左様にcrawfishはLouisiana精神の源である。

そんなわけで2月から6月くらいのLouisianaはcrawfish天国となる。crawfishというのはひらたく言えばザリガニのことなのだけど、Louisianaではこの季節、crawfish料理がかかせない。前述のPo'boyはもちろん、etoufeeというスパイシーなシチューみたいなものも人気があるのだけど、一番はやはりcrawfish boilで、昨日は英文科のcrawfish boil partyだった。最後の締め切りまであと一週間をきり、本当なら家で黙々とペーパー(残すところあと20ページ)を書いているべきなのだろうが、腹が減っては戦はできぬということでもちろん参加してきた。

ザリガニというと日本人なら誰しも幼少期に嗅いだあの匂いを思い出してあれ食べるのか、とうっとくるかもしれないけれど、どっこいこっちのcrawfishはくさくないのだった。いや、というかLouisiana料理特有の「なんでもスパイスと煮れば怖くない」的な精神で、boilの時も写真にうつっている麦茶のパックみたいな袋に入っている大量のcajun spiceとにんにく、レモンやその他もろもろの香味野菜と一緒に茹でるので、ザリガニの匂いの残る術もないということなのかもしれない。大釜に何百という生きたcrawfishを入れてじっくり茹でて、それをビニールのテーブルクロスを敷いた大きなテーブルにどかっと空ける。あとはみんなでひたすら黙々と立って食べる。まず頭をぽきっと折って、ちゅうちゅうとミソ部分を吸い、体の部分は海老みたいにして剥いて食す。味は海老と鶏肉の間みたいなのだけど、とにかくスパイスが効いていて、ああ、夏の夕暮れが目にしみる。crawfishと一緒に茹でたじゃがいもやトウモロコシ、おまけにガンボやレッドビーンズもある。ちなみにどれも作ったのはLouisiana出身の男性陣で、Louisianaには父さん料理みたいなのがあって、こういう屋外の料理は男に任せて女の人はゆっくり普段の疲れを癒すべし、というのがコンセプトらしいのだが、当たり前に我々は大学院生なわけで特に何の家事を家族のためにしているわけでもないので、いつもながらのサザンホスピタリティにひたすら頭がさがった。

帰ってまたペーパーを書くつもりだったのだが言うまでもなくビールの誘惑に逆らえず飲んでしまい、同様に酔った友人に担ぎ上げられてcrawfishの釜に落とされそうになるのに必死に抵抗したら食べ終わったcrawfishの殻の中に落ち、さんざんcrawfishのミソまみれになって家につくころには使い物にならなくなっていたのでそのままシャワーを浴びて寝てしまった。ほんとの夏休みまでカウントダウンがはじまった。さて、こんなことでいったいペーパーは仕上がるのか。とりあえず今日は髪の毛ふりみだしてがんばります。でもこうしてる間にもお気に入りのワンピースからミソの匂いがする。早く洗わなきゃ。

2011年5月3日火曜日

Quinoa Salad

最近料理の話が続いているけど、でもやっぱり学期末である。ただでさえニコレットの量が増え(最近は普通のガムに切り替えようとしていて、orbit whiteという固めのガムも噛んでいるのだけど、締め切り前の2日でボトルひとつ、60粒を消費してしまい、あごが痛い)少し気を抜いてごはんを食べるのを忘れたりしていると体調を崩すので、健康管理の為に短時間で作れる野菜料理を模索中である。

Wholefoodsというのは全米展開している少しお高めのスーパー(日本で言うところの紀伊国屋とか成城石井とかの雰囲気)なのだけど、家賃が光熱費込みで$560の古アパートに住んでいるわたしである、食材くらいちょっと贅沢してもばちはあたるまい。ほんとうを言えばいくらオーガニックとはいえ、Wholefoodsの野菜はそんなに回転がよくないからかしばしば新鮮さにかけることがあるので、少し離れたところにあるSouthside Produceという八百屋さん(吹きさらしのバラックで大量に野菜が売られているのだが、地産ものがメインで自家製のグラノーラや冷凍野菜も売っている。そして驚くほど安い)のほうがいいのだが、人の車で買い物に連れて行って貰っている身なのであまりわがままは言いません。

しかしWholefoodsのいいとことはWalmartとかだと手に入りにくい少し変わった健康食材がたくさん売っているところで(チーズとか肉類もいいんだけど)、特に穀物の類の品揃えは感動的である。Bulkというコーナーにはなんと形容すればよいのか、ありとあらゆる種類の穀類とか粉類が並んでいて、取っ手をひくとザーッと袋のなかに落ちてくる仕組みで、好みの分量を買うことができる。これまではよくクスクス(couscous)をここで買ってそれでサラダを作ったりあるいはチキンとトマトソースで炊いて炊き込みごはんみたいにして食べたりしていたのだけど、先日友人宅でクスクスサラダ的なものを食べたらものすごく食感がよくて、え、なにこのクスクス超おいしいね、と言ったらこれはクスクスではなくてキヌア(quinoa)だよ、と教えてくれた。

クスクスとキヌアは見た目が見ていて、両方ちいさなちいさな粒なのだけど、クスクスはああ見えて実はパスタの一種だそうで、粗挽きの小麦粉を丸めて作っているとのこと。一方のキヌアは南米産の穀物(というか種)で、茹でていると小さな芽がぴょこんと出てくる。キヌアは栄養価が高いことで有名で、お米などに比べると炭水化物率が低いかわりにアミノ酸が豊富、NASA認定の理想宇宙食、21世紀の穀物と呼ばれているらしい。ふむふむ、体によいしおいしいし、レシピを聞かない手はない。そんなわけで以下、覚え書き。

[材料]
☆quinoa(1カップ)
☆vegetable broth(1.7カップ)
(なければ水でも可。わたしはブロスがないときは玉ねぎスープのもとを溶かしている)
☆cucumber(1本)
☆green onion(1束弱、6本くらい。前にも書いたけど、日本の青ネギみたい)
☆pine nuts(1握り)
☆roasted red pepper (瓶詰め、4枚くらい。なければ普通のred pepper、パプリカでも )
☆lemon (1個)
☆cilantro(半束くらい、シャンツァイとか香菜とかコリアンダーとか、いろんな名前があるけどこちらではこう呼ぶ)
☆olive oil, salt and pepper

①quinoaを茹でる(というか炊くというか)。お鍋に軽く洗ったquinoaとbrothを入れて、煮立ったら弱火にする。クスクスでもそうなのだけど、だいたいキヌア/クスクス1に対して水分1.7から1.8が基本。コトコト、水分を全てquinoaが吸うまで。だいたい20分くらい。たまに混ぜながら、水分量をチェックする。
②その間にきゅうり(ダイス)とroasted red pepper(小さな色紙切り)green onion(粗みじん)cilantro(粗みじん)を用意する。レモンも絞っておく。
③フライパンにオリーブオイルを熱して、green onionを2、3分間炒める。ボウルに出しておく。余ったオイルで松の実を軽く色づくまで炒る。
④茹であがったquinuaと②と③をあわせる。味をみながらレモンジュースで水分を与えていく。塩こしょうで調味。あとはゆっくり冷やして味がなじんだら食べられる。

これまた簡単簡単でうまうまである。今日はcilantroがなかったので、かわりに冷凍の枝豆とコーン(Southside Produceのもので、なかなかおいしい。ちなみにquinoaの熱で室温くらいになるので個別に解凍する必要はなし)をたっぷり入れて、それからあまり酸っぱいと胃が心配だったので、ワインビネガーに砂糖と塩とマスタード(Louisiana名物のCreole Mastardというちょっとスパイシーでコクのあるマスタード)と少量のオリーブオイルを加えたもので和えてみた。最後のペーパーの締め切りまであと10日、その後はLA旅行と、そして里帰りが待っている。ほほほい、がんばります。

2011年4月29日金曜日

Catfish Po'Boy

お昼前、冷房のキンキンに効いた図書館で凍えながら、お腹空いた…死ぬかも…と思っていたら、友達から「Catfishを釣ったから今からPo'Boyをつくるよ、食べにこない?」というメールが来たので、一も二もなく図書館を飛び出した(ちなみにルイジアナの夏は3月下旬に始まる。4月にはいって最高気温が30℃を下回ったことはほとんどない。従って建物の中は相変わらず冷蔵庫のように寒い。真面目にこの国のエアコンに対する態度はどうにかすべきだと思う)。

Po'Boyというのはルイジアナ名物のサンドイッチで、揚げたシーフード(catfish, crawfish, oyster, shrimpなど)をこれまたルイジアナ名物の柔らかいバゲットに挟んだもの。もともとは大恐慌の時に、ストライキをしていた男の子達にNew Orleansのあるレストランの主人が無料で配ったのをそのレストランの従業員たちが "poor boy" と呼んだ、というのが名前の由来で、南部訛でこの綴りになったということである。Catfishというのはナマズのことで、ルイジアナではこれがよくとれるらしいのだが、ルイジアナ出身、代々Cajunの家系を誇る彼はついこの間、全部で1000 pound (500キロくらい)近くのcatfishを釣り上げたらしい(ちなみにこの人は冬場の禁漁期間中にshrimpを釣ったのがばれて法廷にまで呼ばれている、自他ともに認める "Coonass"なのであった )。え、何匹釣ったの、だってナマズってそんなに大きくないでしょ、と聞いたら、いやいやサイズはいろいろで、釣った中にはあんたより大きいのもいたよ、と言われて驚いた。ナマズ恐るべし。

で、よくレストランなんかでは食べていて、それはそれなりにおいしかったのだけど、作り立てのPo'Boy はどう考えても桁外れの美味しさで、頭がおかしくなるかと思うほどだった。作っている行程も見られたので、レシピを書いておこう。

まずはcatfishの下ごしらえから。Catfishはかなりfattyなので、ちゃんと余計な脂肪と(ただし全部はとらない)血合いをとることが大切とのこと。丁寧にそぎそぎする。ちなみにcatfishは白身の魚で、いちばんイメージ的に近いのは鱈かもしれない。ただし鱈よりもやわらかくて、淡水魚なので独特の臭みもなくはない。が、今日食べたのは新鮮だったからか(あとはたくさんスパイスを使ってるからか)まったく臭みを感じなかった。

それから衣。ポイントは卵の中にマスタードとパプリカをけっこうたくさんいれること。それから粉はcornmeal と小麦粉、それからCajunスパイスを混ぜたものを使う。Zatarain'sというメーカーはjambalaya mixなども出している、cajun料理のもとの老舗なのだけど、今日はここのflour mixを使ったそうだ。通常のフライと同じで、 卵→衣の順番で絡めていく。

ポイントはとにかくオイルをきちんと高温にしておくこと。Catfishはわりとすぐに火が通るので、二度揚げなどはしなくて大丈夫なのだけど、その代わりに高温で揚げないとべしゃっとしてしまう。おすすめはpeanut oilで、温度も高くなるし、香りもいいということだ。その間にレタスを千切り、トマトとピクルスをスライスにしておく。バゲットに切り込みをいれて、マヨネーズとケチャップ、それからこれまたけっこう大量のタバスコをふりかけ(以前も書いたかもしれないがLousianaは猪木もびっくりのタバスコ王国である)、レタスとトマトを挟んでおく。オイルが十分熱したらcatfishを揚げる。浮いてきてからもしばらく待って、きれいに色づくまで待つ。こんがり揚がったらそれをバゲットに挟み込んで、トースターで1分くらいでできあがり。

食べながら涙ぐむほどおいしかったわけだが、シンプルだけどおいしく作れるようになるには案外練習が必要だし、なにより大事な調味料はTLCだね、とウィンクしながら言う友人はやはりアメリカ人だなと思った。Tender Loving Careがすべての料理の基本なのは万国共通であるが、日本人はウィンクとかしないもんな。

2011年4月22日金曜日

Don't Be a Drag, Just Be a Queen!?

Reality showというのにはたいして興味がなかったのだけど、こればかりは完全にドつぼにはまってしまった。

いつものごとくsexualityのクラスで和んでいたら、ゲイの友人がRuPaul's Drag Raceという番組について口角泡を飛ばしながら熱く語っている。Drag Raceはその名のとおりdrag queenたちが "America's next drag superstar"の座をかけて鎬を削る番組で、2009年にシーズン1が始まり、現在はシーズン3が放送中である。写真左が番組のホストを務めるRuPaulという全米一有名なdrag queenで、おそらく年齢は50歳をゆうに超えているのだが、顔はもちろん体中しわひとつない。右がシーズン3の12人のクイーン達で、現在はトップ3まで絞り込まれた。

我が家にはテレビがないのだが(テレビ自体はあるのだが、ケーブルを契約していないので3チャンネルくらいしか見られないのでクローゼットにしまってある。アメリカのテレビチャンネルはあほみたいに量があるのだが、その分けっこう値段もして、最低でも月50ドルくらいする。あとはチャンネルの量によって値段もあがっていく)、アメリカのすばらしいところはけっこう多くの番組がインターネットで見られることなのだった。もちろんHBO(Sex and the CityとかTrue Bloodとかの)なんかは全然見られないし、ネットで見られるのは超大手のABC系列(Desperate Housewivesはこのおかげでみられている)とかあとはDrag RaceをやっているLOGO(ちなみにこの局はLGBT-Lesbian Gay Bisexual Transgender-関係の番組に特化している)とかそういう小さな局に限られるのだけど、あとはNetflixというTSUTAYA DISCUSSみたいなサービスがものすごく充実していて、月8ドルでDVDが無制限に借りられる(とはいえもちろん一回に1枚しか送られてこないので借りられる数は8枚くらいかな)のみならず、streamingでものすごい量の映画及びテレビドラマを流しているので、ノンストップで過去のドラマをまとめて見ることができる。ちなみに先学期はなにかペーパーが終わるたびに自分へのご褒美にthe L Wordをまとめて1シーズンずつ一晩でみて、そんなこんなで6シーズン見終わった。

さて、Drag Raceなのだが、正直恥ずかしいことに番組を見るまでdrag queenとtransgenderの違いもいまひとつわかっていなかったのだが、drag queenというのは「女性になりたい」男性transgenderとは異なり、普段は自分の男性としての肉体を愛していて、ショーの時に限って女装をする(ゲイの)男性を指す。よっていろいろなqueenが番組中何度も「よく勘違いされるけど女装してセックスしたりしないし、dragはあくまで自分にとってのアートである」と言う。Season 2の最後、同窓会的な回があって、そこに集ったクイーンのひとりが泣きながら「みんなには理解してもらえないと思うけど、わたしは実は女の子で、メイクを落として自分の男の顔を見るたびに辛いので、transの手術を受けることにした」と告白するようなシーンもあった。

Dragはperformance artである、などというと口幅ったいように響くが、実際に番組を見ていると、ほんとにそうだよね、と納得してしまう。毎回いろんなお題が出されて、それに合せてクイーンたちは衣装を縫ったり(メイクのみならず裁縫技術の高さというのも優れたdrag queenの必須要素である)スキットを演じたり、時にはストレートの男性をqueenに変身させたりするのだが、まぁほんとにただただすごい。根幹にあるのは、やはりButlerが言うようにgenderというものの虚構性というか、それがパフォーマティブなものであることを示すという姿勢で、dragの目的はただ「リアルな女性」を演じることではない。方向性はいろいろあって、誇張に誇張を重ねた女性性(ラテックス製のメロン乳が最近dragでは流行っているみたいだが)を身にまとうクイーンもいれば、自分の肉体そのものを活かしてそこにオートクチュールのランウェイ並みに美しい衣装をまとってステージを闊歩するクイーンもいる。中でもわたしが愛してやまないのはRavenというクイーンで、動画のとおり女性性にまつわるカルマをいかんなく表現してくれる(しかもメイクをとると超いい男)。



Lady Gaga の "Born This Way" はLGBTの人々の権利のためにと作られた歌なのだけど、この歌、実は一部のLGBTにあまり人気がない。Lady Gaga自体はdrag queenのアイコンみたいな存在だし、歌自体も一見すると「神があなたをこう作ったのだから、人と違ってもいい。自分自身を愛しなさい」的なストレートなメッセージなので(それ自体ちょっと問題含みで、LGBTアイデンティティが遺伝子的に決定されたcongenitalなものであるか後天的に構築されるものであるかという長年のqueer studiesの議論と抵触するようだけど)、なんでかなぁと思ってたのだけど、Drag Raceを見てようやく納得がいった。"Don'be a drag, just be a queen" という曲中のリフレイン、善意のものであるにしても、やはりちょっと違和感が否めない。Dragはgenderfu*kerたちのアートなのであって、女になりたくてなれなかった人々のものではないのだ。

さて、そんなわけで来週はいよいよSeason 3のフィナーレである。その翌日にペーパーの締め切りがあるんだけど…誘惑に抗する自信は皆無。今回はAsian queenが2人ともうひとりはLatino、3人とも甲乙つけがたいので、楽しみだ。YouTube見てたらSeason 2のトップ3のクリップがあったのでこれも乗っけてしまおう(ちなみにRavenは残念ながらTyraに負けてしまった)。Don'be jealous of my boogie!



追記:
やったやったーRajaが選ばれた!

追記2:
やっぱりOngina…




2011年4月21日木曜日

Pasta Salad

いつも写真を撮るのを忘れてしまうのでこの写真はネット上のものなのだけど、Orange Beachに行ってから、Pasta Saladにはまっている。

一緒にいった友人のひとりがベジタリアンで、よくいろいろサラダレシピを教えてくれるのだけど、今回は小腹が空いた時にちょこちょこ食べられるようにこれを大量に作ってくれた。とても手軽だし、腹持ちもいいし、野菜も炭水化物も適度にとれるし、なにせ夏向きでおいしいので覚え書き。

分量はとにかく「適当」である。好みのショートパスタ(写真のフジッリが基本のようだけど、この間は家にあったコンキリエ(貝のかたちのやつ)で作ったし、今日はマカロニしかなかったからそれで作ったけどどっちもおいしかった)を大目に塩をいれたたっぷりのお湯でゆでる。わたしは一人暮らしなので100グラム強くらい。これで3日くらいもってしまう。

お湯を湧かしている間にドレッシングを作る。これもほんとに適当。こちらはバルサミコが日本よりやすいのでバルサミコを大さじ3くらいに普通のお酢(すし酢みたいなののほうがわたしは好み)を大さじ1くらい、そこにおろしにんにく(ひとかけ)、さとう(小1)、塩(小1)、好みのハーブ、あとはわたしは昆布茶などをいれて、よく混ぜる。混ざったらオリーブオイルを大1くらい加えて、さらに混ぜる。

この辺でだいたいお湯がわくので、パスタを投入。あとは10分くらいだから、このあいだに野菜を切る。トマト(大きいものなら1個分をダイスに、ミニトマトなら1パックを半分に切る)、ズッキーニ(またはきゅうり、これもダイスに)、黄色いパプリカ(1個を色紙切り)、セロリ(1、2茎を皮を剥いてスライス)、それからグリーンオニオン(日本なら分葱みたいなねぎ、細切り)にあとはミックスナッツ(形が残るくらい粗めに刻む)。これを切ったはしからドレッシングのボウルに加えていく。ミックスナッツがなかったらアーモンドだけでもいいし、でもとにかくこのナッツをいれることでおいしさが増す気がする。オリーブを輪切りにして入れてもおいしそうだけど、バルサミコベースでないドレッシングのほうがあうかもしれない。ドライトマトのみじんぎりもよさそう。友人のレシピではブロッコリーが入っていた。

あとは茹だったパスタをよくお湯を切って加えて、全体を混ぜて好みの味に調節してゆくだけ。友人のレシピではフェタチーズを加えてたけど、うちにはフェタがないのでパルミジャーノを加えたり、あとは低カロリーのマヨネーズを少しだけ最後に絡めたり。乳製品を少し加えるとまとまりがいい。作ったその日より、冷蔵庫で一晩寝かせた方が味が馴染んでおいしい。

お湯をわかしてから出来上がるまで、15分強。忙しい大学院生にはもってこいの栄養バランスのとれたお食事です。今日はペーパーに追われてまったく家を出なかったので、パスタサラダとハマス(セロリと人参につけて食べる)がごはん。ベジタリアンではまったくなくて、相変わらずCane'sというルイジアナ発のフライドチキン(ただし中身はササミ。でもまったく低カロリーではなくて、大量のフレンチフライにさらに揚げパンまでついてくる)やらFive Guys(これも南部発のハンバーガーチェーン。とにかく お い し い)やら食べているのだけど、せめて動かない日くらいは健康食でね。しかしながらそれにしてもわたしの知っているアメリカ人はほぼ全員料理がうまい。わたしより全然うまい。Geekな彼はコックになる修行をしていたらしく、アメリカで食べた中で一番完璧なミディアムレアのステーキ(最初はフライパンを使うのだけど、最後にオーブンに入れるのがコツらしい)やら、shrimp and scallop scampiのカッペリーニ添えやらを作ってくれた。しかも同時にベジタリアンの彼にはvegetable medleyを作っていた。「アメリカ人は料理の感覚がおかしい」というcultural stereotypeは完全に崩れ去った。

※追記※
素敵女子H(Double Dateの項目を参照)は実は相当な美食家で、プロ級に料理がうまい。先日彼女が新しいパスタサラダのレシピを教えてくれて、それがとてもおいしかったので、覚え書き的にレシピを書いておきます。

[Zucchini Pasta Salad]
☆好みのショートパスタ 1カップ
☆ズッキーニ 2本
☆slivered almond 1/2カップ(日本でこういう形状のアーモンドをあまり見たことがないのだけど、なければ普通のアーモンドを粗みじんにしたもの、あるいはスライスアーモンドでもOK。ただしslivered almondは湿りにくくてこういうパスタには向いている)
☆エクストラヴァージンオリーブオイル 大2 (もとレシピは大5なのだけど、わたしはあまり油が多くないほうが好きなので大幅に減らしている)
☆果実酢 大3(もとレシピはレモン果汁ひとつ分なのだけど、わたしはあまり酸っぱすぎるのが得意ではないので、すし酢や果実酢を合せている)
☆フェタチーズ、シュレッデッドパルメザンなど、好みのチーズ あわせて大4くらい

①ズッキーニは縦2等分してスライサーでとにかく薄くスライス(つまり半月のスライス、こちらではcarpaccio styleと言うそうな)。塩小さじ1を加えて混ぜ合わせ、そのままざるなどに載せて20分放置。かなり水分が出てくるが、自然に水が切れる程度で、絞らなくても可(わたしはごく軽く絞っている)。
②パスタを茹でる。くどいようだが、お塩はたっぷり(お湯が軽く塩味になるくらい)。茹であがったらざるにあげて少しオリーブオイルを絡めておく。
③アーモンドをフライパンでから煎りする。すこし色づくまで。スライスの場合はこげやすいので注意。
④オイルと酢をよく泡立て器で混ぜ合わせる。
⑤ズッキーニ、アーモンド、チーズを合わせる。
⑥パスタを投入。塩こしょうでややきっちりめに味付け(サラダの場合はオイル系ドレッシング冷やすと少し味が薄く感じられるので、ややきっちりめの味付けが基本)。④のドレッシングを合わせて、よく冷やす。

Orange Beach, Alabama

情けない話だが3月11日以来、すこし体調を崩した。ちょうど10ページとはいえミッドタームペーパーの締め切りに追われていた夜中、なんとなくfacebookを見ていたら、知人が「ものすごい揺れだったけどわたしは大丈夫」という書き込みをしていたので、まさかと思ってニュースをチェックし、慌てて実家に電話をかけたが繋がらず、家族の安否が不明なままいたずらに不安ばかりが募った。幸い6時間以内に連絡がついたので明け方にはベッドに入ることができたがやはりまんじりともせず、翌朝、彼から電話があり、事の次第を淡々と話していたらふとした瞬間に堰を切ったように感情が暴走しだし、その日は中毒のようにニュースをチェックする以外何もできず、かといって締め切りは刻一刻と迫ってきていたので結局全く眠らずにペーパーを仕上げ、ニコレットのかみすぎで食欲は皆無、そんなわけで当たり前のように発熱してしばらくはまったく使い物にならなかった。

アメリカは基本的にトラウマ大国なのでこうした心身症的症状には理解が深く、ゆっくり休みなさいと言われたが休んでいれば休んでいるで、対岸の火事としての悲劇を貪っているような罪悪感に見舞われ、日本人の少ない南部なので電話やテレビで取材をさせてほしいと言われるたびにアメリカの報道のセンセーショナリズムを思い出して知るか阿呆と憤りつつ断ったら断ったで自分の国のために立ち上がらないのかと問われ、周囲の付け焼き刃的ナショナリズム・チャリティの精神にうまく乗ることもできず、かといってそんな自分にも腹がたち、レッドクロスになけなしの金を募金したり、それでもチャリティTシャツは買ったりして、心情的には勝手にひとりで忙しかった。

「離れているだけに辛いこともある」とも言うことはできるだろう。日本にいれば周囲の状況がもっとよく把握できるから、こんなに不安になることもないと。実際わたしの家族は元気にしていて、買い占めなんてそんなアホなこと23区で停電もないのにしませんよ、おばあちゃんはこういう危機的状況になるとテンションがあがるからいつもより元気よ、放射能は心配だけど、そうね、時間はかかるけど、心配してもどうにもならないからね、かわいそうにそっちで状況がよくわからなくていろいろ不安なんでしょ、はやく元気になんなさい、と笑顔で言う。どこかにこの、松尾スズキ的に言えばぬるい地獄をそうやって慰めてくれる人がいることはほんとうにありがたいけれど、それでも「離れているだけに辛い」などとは口が裂けても言うまいと、そう思ったし、いまでもそう思っている。

が、そんな風に悲壮な決意で地震についてなにか口にするのをやめたところで、八方塞がりというか、なんとも気持ちのやり場がなく、かといってこのブログになにかを綴る気にもなれず、言葉を失うというのはこういうことかと、唯一日本語でだらだら書ける場所があることのありがたさをなんとなく遠いものとして感じながらこのひと月を過ごした。大学は相変わらず冗談のように忙しく(タックス関係とか事務手続きとか、異様にペーパーワークが多かった)、そろそろセメスターも終わりに近づき20ページのペーパー3本を3週間で書くといういつもの無茶ぶりが近づいてきた先週末、ようやく待望のスプリングブレークという一週間の春休みが始まった。あまりにしょぼくれていたわたしを見かねて、彼の友人(地元出身)が両親がアラバマのオレンジビーチというところにビーチハウスを持ってるから、ちょっと休みに行こうよ、と誘ってくれたので、4人と1匹(彼の犬)で2泊3日で海に行ってきた。

Orange BeachというのはBaton Rougeからだいたい車で4時間半くらいのところにあるリゾート地で、去年BPのoil spillで有名になったGulf、メキシコ湾に面した海岸である。多くの白浜が石油でドロドロになったという話を聞いていたから、大丈夫なのかなぁ、と思っていたら、写真のとおりさらさらでゴミひとつない鳴き砂(ちなみに英語ではsinging sandというそうだ)だった。Oysterはなかったけど、新鮮で身のぷりぷりしたシュリンプをたくさんかって、コンドミニアムのキッチンでみんなで料理をして食べた。カヤックに乗って沖まで出た。Geekな友人は大きな大きな双眼鏡をもって、コンドのバルコニーからビキニのブロンド娘のお尻を眺めて、これくらいの距離がちょうどいい、とひとりごちていた。夜にはその双眼鏡でOrange Beachの名の由来でもある、昇りはじめの橙色の満月を見た。夜の砂浜は冷たくて、上空に昇りきった月は銀色で、Gulfも一部が銀色に光っていた。それだけで隣のひとの顔がはっきり見えるくらい明るかった。Kate ChopinのThe Awakeningで主人公のEdna Pontellierという女の人が、Gulfの声はseductiveで孤独な魂を呼ぶといって、最後には入水自殺をするのだけど、ずっとなにいってんだくさいな、くらいにしか思ってなかったのだが、初めて意味がわかった。Gulfの再生をみて、きっとなんとかなると思った。たくさん持って行った本はもちろん読めなかった。それからアラバマはルイジアナより南部で、でかい白人のおっさん(彼はわたしよりだいぶ年上である)とアジア人の短いスカートの女が手をつないで歩いていると、明らかに娼婦を見る目で見られる瞬間がけっこう本気であった。街のほとんどが白人で、スーパーにいた白人の子供にとってはわたしが初めてのアジア人だったのだろう、とことこと寄ってきて珍しげにしげしげとわたしの顔を見ていた。ちょっとおどかしてやった。

だから、あと3週間がんばれる。その後はきっと日本に帰る。帰って大事な人たちに大変だったね、と言う。

2011年2月26日土曜日

Jambalaya

LSUに進学を決めた理由はいろいろあるのだけど、こんなことを言うとなにすっとぼけてんだと怒られそうだが、決め手のひとつにルイジアナの食文化があったのは、けして嘘ではない。

去年の今頃、いろいろな大学から入学許可が出て(これは自慢でもなんでもなく、それはもうどこにも受からなかったらやばいと思って死ぬ気で南の学校ばかり無節操に20校くらい受けたから、入学許可も出るというものなのだ)、気候とかプログラムとかあとはもちろんTAshipの額とか、いろいろ比較しつつ結局のところよくわからんな、と思いながらWikiでルイジアナを調べてたら、Holy Trinityという言葉が目に飛び込んだ。ルイジアナはもともとフランス領だったので、フランス系の血をひくCreoleやCajun(これらのethnic groupの定義はほんとにややこしくて、単にフランス系というだけではすまされないのだけど、とりあえずそれは措いておく)の文化が根強い。Creole料理はなんというのか、こってりと昔ながらのフレンチ系(ただししばしばスパイシー)、Cajun料理はもうちょっと全体的にシンプルなお父さんの料理(ただしほぼ間違いなくスパイシー)なのだけれど、ふたつの料理に共通しているのがこのholy trinityで、これはほとんどの料理に共通して使われる、たまねぎ、セロリ、ベルペッパー(日本で言うパプリカ)の香味野菜の三位一体を指す。フランス料理ではたまねぎ、セロリ、人参をみじんぎりにして炒めたものをmirepoixと呼ぶらしいのだけど、その名残なのだろう、大抵の場合この三種の野菜を細かく刻むかダイス状にしたものをゆっくりと炒めるところから料理が始まるのだけど、こうやって香味野菜をふんだんに使う料理がまずいはずもない。わたしのルイジアナの食文化にたいする敬意はWikiでこの言葉を目にした時にすでにほぼ確立され、それがわたしがLSUに進学を決めた理由のひとつにもなった。

あまり知られていないかもしれないが、日本のファミレスでも定番の味、ジャンバラヤも実はCajun料理である(ああなつかしのJonathan!)。なので当然のごとく、ルイジアナ中どのスーパーにもたいてい写真のようなジャンバラヤミックスが売っている。中にお米とスパイスのもとが入っていて、あとはholy trinityとソーセージ(ただしこっちのソーセージは直径4cm、長さは20cm以上でこれまたたいていスパイシー)、それに鶏肉があれば簡単にジャンバラヤが作れてしまう。これはこれでけっこうおいしいのだけれど、先日彼が海老とホタテを持ってきて、今夜は一緒にシーフードジャンバラヤを作ろう、というので自分達の創意工夫でジャンバラヤを作ってみたら、なんのことはない、ジャンバラヤミックスを使うまでもなくジャンバラヤというのは手軽な料理で、手作りするとうまさも倍増なのだった。覚え書きもかねてレシピを書いておこう。

まずはholy trinity。ただし今回はそれにくわえ、にんにく(2かけ)と生姜(1かけ)もみじんぎりにして最初にたっぷりめのオリーブオイルのなかで弱火で温める。じゅわじゅわしてきたらスライスした玉ねぎ(大1個)を投入。それからやっぱりスライスしたセロリ(3茎くらい)を加えて、じっくり炒める。玉ねぎがうっすら茶色くなるまで我慢。しゃにむにかき混ぜずにほっておいても水分が野菜から出るので大丈夫。途中、ダイスにしたベルペッパー(今回は緑1、赤1)も軽く炒めて、いい感じになったらクミン(これも最初はdiscommunicationのもとで、「キューマンある?」「なにそれ、そんなのないよ」みたいな感じで最初はクミンのことだとは思わなかった)、ターメリック、カイエンヌペッパー、塩こしょう(ガーリックソルトと普通の塩)、それから秘密の "slap ya mama" というケイジャンスパイス(数あるケイジャンスパイスのなかでこれが一番人気) でしっかり目に味付け。

海老とほたての下ごしらえ。白ワインと塩で軽くもめば、アメリカの魚介類特有の臭みもさほど気にならない。野菜が十分に炒まったら一度お皿にだして、同じフライパンにオリーブオイルを足して海老とほたてに焼き目をつけるように炒める。フライパンには野菜とスパイスのうまみが詰まっているので拭いたりしないこと。海老のほうが火が通るのに少し時間がかかるので、ホタテは海老がほんのり色づいてから。ソーセージや鶏肉を使ったジャンバラヤのときも、同じようにすればいい(ワインの下ごしらえはいらないけど)。軽く火が通ったら野菜をフライパンに戻して、一緒に炒めあわせる。

で、普通のジャンバラヤの場合はこの時点で洗っていないお米を入れて(1合半くらいかな)だいたいお米の2倍くらいのチキンブロスとダイスにしたトマト(2個くらい)を加えて、水分が煮立ったら30分くらい煮込むのだけれど、今回はちょっと急いでいたのとブロスがあまり残ってなかったのと、それからあまりトマト味が強すぎるのが好みではなかったので、フライパンに白ワインを50ccくらい足してアルコール分を飛ばして、そこにトマトペースト5cmくらいを加え、そこにお鍋で別炊きしていたごはんを投入して軽く炒めあわせた。今回はこの方法がうまくいって、チキンブロスで煮込むと魚介の味が薄まってしまうと思うのだけど、しっかりホタテと海老の風味がごはん全体に行き渡った。ごはんを炊くのにだいたい20分強かかる(沸騰してから10分、蒸らし10分)のだけど、ちょうど蒸らしが終わった頃に他の準備が終わったので、ごはんを炊き始めたのが開始10分弱くらいだったことを考えると、30分以内でジャンバラヤができたことになる。

わたしはもともと料理が好きで、昔付き合っていた人の家でもよくごはんを作ってバイトから帰ってくる彼を待つという演歌みたいなことをしていたのだけれど、同時にいつもひとりで作業をするということになれていたので、いま付き合っている人と会う前は誰かと一緒にごはんをつくるということをしたことがなかった。なので最初に一緒にごはんを作ろうと言われた時は腰が引け気味だったのだけど、何回か一緒に作ってるうちに、なんだこれ楽しいな、ということに気づいた。副菜も同時に作れるし(今回はnappa cabbageという白菜みたいな野菜のサラダと、それから写真前方右のdelicata squashというかぼちゃの一種をただオーブンで焼いて、ほんの少しの塩とバターをからめたもの。シンプルだけど、死ぬほどうまい。ちなみに左はspaghetti squashというもので、これも調理法はdelicata squashと同じなのだけど、焼き上がって割るとその名のとおりスパゲッティーみたいな繊維状の中身が出てくるので楽しい。ただし味はdelicataのほうが濃厚で好み)、なによりままごとみたいで童心に返る。コースワークで死ぬほど忙しい毎日だけど、こういうほっとできる一瞬があるのはほんとにありがたいな、と思う。はっ。のろけてしまった。でも今日も宿題の映画のレビューを一本書いたうえ、書き上がった瞬間に椅子の上で身体をうんとのばしたら椅子から転げ落ち、となりに置いてあった木製の椅子に頭を強打してしばらく動けなかったので、明日もしかしたら脳震盪が後から来て動けなくなるかもしれない(と本気でパニクったのだが)ので、こういう幸せな瞬間を記録しておくことも大事なのだとひとり納得。

2011年2月25日金曜日

バスケットは、お好きですか?

説明は不要かとは思うが、タイトルから察せられるとおりわたしはスラムダンク世代である。で、実際のバスケットボールが競技として好きかっていうと、大学入試前に高校の体育の授業でチェストパスを受け損ない骨折するくらい球技が苦手なわたしのことである、スポーツ観戦一般に言えることではあるが、別段興味はなかった。

だが、わたしのアパートは大学のバスケットボールスタジアムの目の前にある。そしてわたしの彼はアメリカ人である。うちでごはんを食べると、ねぇねぇちょっとパソコン見せて、と言ってかちゃかちゃなんか検索してるなと思うと、あ、いま試合やってる。おなかいっぱいだから散歩がてらに観に行こう、みたいな感じでしばしば試合に連れて行かれることになる。

LSUは基本的にスポーツに対する投資が半端ではない。特にフットボールに関しては、ギリシャのコロセウムをドラえもんのライトででかくしたみたいなみたいな巨大なフットボールスタジアム(10万人収容)があるくらいで、実際けっこう強い。最近では2007年に全米チャンピオンになって、その後コーチが代わって不振が続いてたそうだが、今年はわりと成績も悪くなくて、ベスト8に入ったようだ。だがその分、チケットはとりづらくて(定価10ドルくらいのチケットが100ドルくらいで売られている)、しかもコースワークのまっただ中、3時間もフットボール観戦なんてできませんよ、ということで今年は観戦に行かなかった。が、バスケットボールはここ何十年と成績の低迷が続いているせいであまり人気がないため、試合中盤になるとチケットもなにも持たずふらっと行ってもチケットなしで入れてしまう。

そんなわけで最初はなんの期待もなしに渋々ついていっただけだったのだが、これがまぁ、すごいのである。なにがすごいって、大学生の試合で普通にダンクとかアリウープとかまったくもってスラムダンクの世界が展開され、おまけに空いてるからとことこと階段をおりて3列目とかで見られてしまうのだ。これにはさすがに無関心でいられるわけもなく、今シーズンはなんだかんだで6試合も観に行ったのだった。いやほんと、ほんとにほんとにほんとにすごい。特に黒人選手の肉体と動きというのは、普段教室で、異人種にプリミティブな力を見いだすのはいかがなものかというPC的アカデミックディスコースの中にいるのを忘れるほど、いや、もう、なんかやっぱり人種によって遺伝子って違うんだなぁと思わずしみじみとほれぼれしてしまう。

写真はこれまた眼福のチアリーダー。今日はたまたまブロンドちゃんが目の前ではじけてくれたのでこの写真だが、近くで見るとけっこういろんなタイプがいて、ハーフタイムはもちろん、タイムアウトの度に思い切り目の前で踊ってくれるのでなんかもう、アメリカ万歳の気分である。しかも今日は、入った時は7-22で負けていたというのに最終的には延長で勝つというドラマチック具合で、ほんと、あきらめたらそこで試合終了ですよ、という安西先生の言葉が心に沁みて本気で感涙しかけた。

というわけで答えは、「大好きです。今度は嘘じゃないっす。」おたくですみません。